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第24話:頑固者の心

 

 坑道を塞ぐ、巨大な岩壁。

 その手前で、俺は土埃にまみれたまま、しばらく動けずにいた。


 左腕の傷が、脈打つように熱い。全身の筋肉が、悲鳴を上げている。だが、それ以上に、やり遂げたという達成感が、疲労困憊の体を内側から支えていた。


 俺はゆっくりと立ち上がると、今来た道を、鍛冶場へと引き返した。

 一歩、また一歩と、足を引きずるようにして歩く。

 巨大な空洞に戻ると、あれほど鳴り響いていたリズミカルな金属音は、止んでいた。


 炉の炎は勢いを落とし、薄暗い闇の中で、ただ一人、岩塊のようなドワーフが、腕を組んで仁王立ちしている。


 バリン。

 彼は、俺の帰りを待っていたのだ。

 その表情は、相変わらず険しい。俺が戻ってきたことに、驚いた様子もない。


 まるで、俺が生きて帰ってくることなど、最初から分かっていたとでも言うように。

 いや、違う。その逆だ。


 彼は、俺が坑道の闇に呑まれ、二度と戻ってこないと確信していたのだ。そして今、生きて帰ってきた俺を、信じられないものを見る目で、値踏みしている。


 俺は、もう何も言わなかった。

 言葉は、この頑固なドワーフには届かない。

 俺が示すべきは、言葉ではなく、結果だ。


 俺は、バリンの前に立つと、腰の革袋から、それを取り出した。

 青白く、星のように瞬く鉱石、『星屑鉄』。

 俺はそれを、彼の目の前にある巨大な金床の上に、ことりと置いた。


 その瞬間、薄暗かった鍛冶場全体が、星屑鉄の放つ、清浄な青白い光に満たされた。

 光は、バリンの驚きに見開かれた瞳と、煤に汚れた深い皺を、はっきりと映し出す。


 バリンは、何も言わなかった。

 彼は、金床の上に置かれた星屑鉄を、まるで稀代の宝石でも鑑定するかのように、手に取った。


 その重さを確かめるように、手のひらの上で転がし、指で弾き、その硬度を確かめる。

 やがて、小さな検分用の鎚を取り出すと、鉱石の表面を軽く叩いた。


 キィン、と。

 まるで、教会の鐘のような、清らかで、美しい音が、鍛冶場に響き渡った。


「……純度が高い。これほどの星屑鉄は、このワシも、百年は見ておらん」

 ようやく、バリンが呟いた。


 彼は、星屑鉄から、俺のボロボロの姿へと、視線を移した。

 破れたローブ、血の滲む左腕、全身の無数の擦り傷。


 この試練が、ただの幸運ではなく、命を懸けた死闘の末に達成されたものであることを、彼はその歴戦の目で見抜いていた。


 彼は、俺の目をまっすぐに見た。

 その瞳に宿っていた、俺を「ゴブリン風情」と見下していた侮蔑の色は、もう消えていた。

 そこにいるのは、ただのゴブリンではない。


 伝説の魔物を打ち破り、己の力を証明してみせた、一人の「戦士」として、俺を見ていた。

 やがて、バリンは、まるで山が一つ、大きく息をついたかのような、長く、重いため息を漏らした。


 それは、彼の中で、岩のように凝り固まっていた偏見が、砕け散った音だったのかもしれない。

 彼は、星屑鉄を金床の上に戻すと、ぶっきらぼうに、しかし、確かな重みを持つ声で、言った。


「……約束は、約束だ」

 そして、付け加える。


「……何十年も巣食っておった、あの忌々しい蜘蛛を、まさかゴブリンが退治するとはな。……笑えん冗談じゃわい」

 それは、俺への、彼なりの最大の賛辞だった。


 バリンは、俺に背を向けると、巨大なふいごを動かし始めた。


「つべこべ言わずに、そこに座って待っておれ、ゴブリン! これから、ワシの仕事を始める!」


「それと、床が血で汚れる! そこの棚に、薬草と包帯があるじゃろう! さっさと手当てしろ、役立たず! ワシの仕事が終わる前に、くたばるな!」

 その、怒鳴り声のような、不器用な言葉。


 それが、彼の優しさの示し方なのだと、俺には分かった。

 込み上げてくる安堵感に、俺は膝から崩れ落ちそうになるのを、必死でこらえた。


 俺は棚から薬草と包帯を取り出すと、壁際で、拙い手つきで自分の腕の手当てを始める。

 その間、バリンは炉に、これまで見たこともないような勢いで火を熾していた。


 鍛冶場全体が、再び灼熱の空気に満たされていく。

 やがて、バリンは俺に向かって、無骨な手とを差し出した。


「……例の『石』を、よこせ」

 俺は、胸元から『マナの結晶』を取り出し、彼に手渡した。


 アンナの想いが込められた石。

 そして、星屑鉄。

 二つの魔法の素材が、今、伝説の職人の手に委ねられる。


 バリンは、炉の中で赤く燃える星屑鉄を、金床の上に乗せた。

 そして、巨大な鎚を、天高く振り上げる。


 ――ゴォンッ!!

 鍛冶場に響き渡った最初の一撃。


 それは、これまで俺が聞いてきた、どんな音よりも力強く、そして、希望に満ちていた。

 俺は、飛び散る火の粉の向こうで、一心不乱に鎚を振るう、偉大な職人の姿を、ただ、瞬きもせずに見つめていた。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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