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第23話:光の意思

 

 ひやりとした、墓場のような冷気が、坑道の闇から吹き付けてくる。


 俺は入り口で一度だけ立ち止まると、エリアス先生の塔から持ってきた、古い樫の木の杖を、強く握りしめた。

 そして、覚悟を決め、一歩、また一歩と、暗闇の中へ足を踏み入れた。


 俺は杖の先に、小さな光の玉を灯した。ぼんやりとした光が、打ち捨てられて久しい、古い坑道の姿を照らし出す。


 腐りかけた木の支柱、錆びて朽ち果てたトロッコの線路。空気は、湿った土と、黴の匂い。そして、その奥から、何か別の……鼻をつく、酸っぱいような、捕食者の匂いが微かに漂ってくる。


 俺は、杖を構え、警戒を解かずに奥へと進んだ。

 壁には、巨大な何かが擦ったような、生々しい傷跡が残っている。


 奥へ進むにつれて、蜘蛛の巣は異常な太さと粘度を帯びてきた。俺は、光の玉の熱を少しだけ強め、それを焼き払いながら進んだ。


 通路の奥、ひときわ大きな繭が天井からぶら下がっているのを見つけた時、俺は息を呑んだ。


 繭は半ば透けており、中には白骨化した人影が、苦悶の表情のまま閉じ込められている。その足には、革のブーツが履かれたままで、傍らには錆びたピッケルが突き刺さっていた。


 何十年も前に、この廃坑へ宝探しにやってきて、怪物に殺された人間の探鉱夫の、哀れな末路だった。

 やがて、通路は巨大な空洞へと繋がった。


 天井は見上げるほど高く、闇に溶けている。そして、その広大な空間全体が、巨大な巣と化していた。

 空洞の中央。一本の石柱に、それはあった。青白い、星のような光を放つ鉱石。


『星屑鉄』……!

 だが、その石柱の周りは、ひときわ分厚い巣で覆われ、天井からは、いくつもの巨大な卵嚢のようなものが、不気味に垂れ下がっている。


 俺が、星屑鉄に近づこうと、息を殺して一歩足を踏み出した、その時。

 カサリ、と天井の闇で何かが動いた。


 見上げた俺の目に映ったのは、闇の中から現れる、八つの、爛々と赤く輝く光だった。


 上半身は、どこか歪んだ人間の女のようであり、下半身は、黒々とした剛毛に覆われた、巨大な蜘蛛の胴体。

 アラクネ。古の書物でしか見たことのない、伝説級の魔物。


 『アラクネだと……!? あの頑固ジジイ……! 化け物が巣食っているとは言っていたが、これがその正体か! 本気で俺を殺すつもりだったんだな……!』

 キィィィィィッ、と耳障りな鳴き声を上げると、アラクネは天井から糸を伝い、凄まじい速さで滑り降りてきた。


 着地の衝撃で、地面が揺れる。

 間髪入れず、その口から、粘度の高い糸の塊が弾丸のように射出された。


 俺は咄嗟に横へ転がり、それを避ける。糸は俺がいた場所の岩に突き刺さり、ジュウウウッ!と、岩を溶かす音と、猛烈な悪臭を撒き散らした。強酸性の毒液だ。


 アラクネの攻撃は止まらない。巨大で、鎌のように鋭い前足が、俺を薙ぎ払おうと横殴りに振るわれる。

 俺は杖を盾にしたが、あまりの衝撃に吹き飛ばされ、壁に体を叩きつけられた。左腕に、裂けるような痛みが走る。


 『まともに戦っては、勝てない!』

 俺はすぐさま踵を返し、今来た狭い通路へと駆け込んだ。

 だが、アラクネは狭い通路に逃げ込んだ俺を、嘲笑うかのように、新たな行動に出た。


 通路の入り口に向かって、次々と酸の糸を吐きかけ始めたのだ。

 ジュウウウッ!

 岩壁が、アイスクリームのように溶けていく。奴は、通路を無理やりこじ開けて、俺を追い詰めるつもりだ!


 このままでは、袋のネズミだ。

 俺は、エリアス先生の言葉を思い出す。


『最小の力で、最大の結果を生み出せ』

 狙うは、アラクネではない。この、何十年も打ち捨てられた、脆い坑道そのもの。


 アラクネの頭上。そこには、俺が入ってきた時にも確認した、ひび割れ、腐りかけた数本の木の支柱があった。

 『意志と、イメージ……!』


 俺は杖を構え、マナを集中させる。

 スライサーを退けた、あの光の針。あのイメージを、もっと細く、もっと熱く、一点に収束させる。


 修行中に、誤ってキノコを焼いてしまった、あの時のように。

 俺は、手のひらに光の玉を浮かべた。

 そして、その光に、明確な意志を込めて叫んだ。


『――貫けッ! 焼けッ!』

 ぼんやりとした光の玉が、俺の意志に呼応して、その形を急激に変化させた。

 光は、眩いほどの輝きを放ちながら、一本の、針のように極細の『熱線ヒートレイ』へと収束していく。


 アラクネが、その危険な光に気づき、動きを止めた。

 俺は、その熱線を、三本の支柱の根元へと正確に薙ぎ払った。


 ジュッ、という音と共に、腐った木材が瞬時に焼き切られ、炭化していく。

 メキメキ、と木が軋む、嫌な音が響き渡る。


 アラクネが、危険を察知して後退しようとするが、狭い通路に体を挟まれ、思うように動けない。

 支柱が、完全に焼き切れた。


 次の瞬間、轟音と共に、天井が崩落した。

 何トンもの岩と土砂が、アラクネの巨体を、その最後の悲鳴ごと完全に押し潰していく。


 やがて、舞い上がっていた土煙が晴れた後には、完全に塞がれた通路と、絶対的な静寂だけが残されていた。

 俺は、腕の痛みに耐えながら、荒い息を繰り返した。


 勝った。

 知恵と、そして、先生に教わった魔法で。

 俺は、疲労困憊の体を引きずり、再び巨大な空洞へと戻った。 


 もう、邪魔者はいない。

 俺は、壁際に転がっていた、あの不運な探鉱夫が遺したピッケルを手に取った。


「……借りるぞ」

 小さく呟き、星屑鉄が埋め込まれた石柱へと向かう。

 カン、カン、と硬い音が響く。


 数度打ち付けたところで、こぶし大ほどの、青白く輝く鉱石が、岩から剥がれ落ちた。

 俺は、それを手に取った。


 ひんやりとしていて、不思議なほど軽い。手のひらの中で、まるで生きているかのように、星屑が瞬いていた。

 試練は、終わった。


 俺は、その輝く鉱石を、革袋に大切にしまい込んだ。

 後は、あの頑固なドワーフに、約束を果たさせるだけだ。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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