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第22話:ルーンスミスの試練

 

 地の底から響く、重く、リズミカルな金属音。

 まるで、巨大な心臓の鼓動のようだった。


 俺は、崖の中腹に穿たれた洞窟の入り口を見上げた。入り口の周りの岩肌は、長年吐き出された煤で黒く変色している。中からは、石炭と、奇妙な金属の匂い、そして、肌を焼くような凄まじい熱気が吹き出していた。


 俺は覚悟を決め、その熱気の中へと足を踏み入れた。


 洞窟は、ドワーフの手によって掘られた、見事なトンネルだった。壁も天井も滑らかに整えられ、数十年、いや、数百年前に彫られたであろう、かすれたルーン文字が並んでいる。


 一歩進むごとに熱気は増し、地の底から響く金属音は、ただの音ではなく、足元を震わせる振動となって体に伝わってきた。

 トンネルを抜けた先は、巨大な空洞だった。 


 熱い。まるで、世界の中心にでも来たかのような熱気が、全身の水分を奪っていく。空洞の中央では、大地から直接引き込まれたのであろう溶岩の奔流が、巨大な炉の燃料となり、ゴウゴウと音を立てて燃え盛っていた。


 その光だけが、この広大な鍛冶場を照らし、壁にかけられた巨大な鎚や、無数のヤスリ、奇妙な形のトングに、不気味な影を落としている。


 そして、その中心。

 巨大な金床の前に、一人のドワーフが立っていた。

 老齢のはずだが、その体は岩塊のように逞しい。長く伸びた白髭は、編み込まれて器用にベルトに挟み込まれている。彼は、俺の存在など意にも介さず、ただ一心不乱に、灼熱の鉄塊に巨大な鎚を振り下ろしていた。


 ――キン……、ゴォン……!

 鼓膜を揺さぶり、骨に響くような金属音。

 それは、俺がこれまで聞いてきた、どんな音よりも重く、そして神聖な響きを持っていた。


 一振りごとに、灼熱の鉄塊から火の粉が激しく舞い散る。汗と煤にまみれたドワーフの横顔は、まるで祈りを捧げる神官のように、真剣そのものだった。 


 彼は、ただの鉄を打っているのではない。鉄に、魂を込めているのだ。

 俺は、そのあまりの迫力に、ただ立ち尽くすしかなかった。


 やがて、ドワーフは鎚を振り下ろすのをやめ、鍛え上げた剣の刃を、側の水桶へと突き刺した。

 ジュウウウウウッという凄まじい音と共に、大量の水蒸気が立ち上る。


 そして訪れた、束の間の静寂。

 その中で、ドワーフは初めて、俺の方へと顔を向けた。

 その瞳は、炉の中で燃え盛る炎のように、赤く、そして険しい光を宿していた。


「……なんじゃ、貴様は」

 声は、まるで岩と岩が擦れ合うかのように、低く、しゃがれていた。


「ゴブリン風情が、ワシの鍛冶場に何の用じゃ。迷い込んだなら、炉の薪になる前に、とっとと失せろ」

 剥き出しの敵意。


 俺は、街で向けられた人間たちの憎悪を思い出し、一瞬、足がすくんだ。

 だが、ここで引き下がるわけにはいかない。

 俺は、エリアス先生から預かった手紙を、震える手で差し出した。


「……エリアス、先生に、頼まれて、来た」

 ドワーフ――バリンは、俺の手からひったくるように手紙を奪うと、無骨な親指で乱暴に封を破った。

 手紙に目を通すうちに、彼の眉間の皺が、さらに深くなっていく。


「……ふん。あの性悪魔法使いめ、まだ生きておったか」

 バリンは、手紙をぐしゃりと握り潰した。


「確かに、ワシは奴に大きな借りがある。借りは、返す。……だが、手紙にはこう書いてあるな。『このゴブリンのために、杖を一本鍛えてやれ』、とな」

 バリンは、足元の床に、侮蔑を込めて唾を吐き捨てた。


「断る」


「なっ……!?」


「ワシは、あの魔法使いへの借りは返す。奴が望むなら、剣でも、鎧でも、何でも鍛えてやろう。じゃが、このワシの神聖な鎚を、ゴブリンごときのガラクタを作るために振るう気は、一切ない。分かったら、失せろ」

 命令書のはずだった。


 だが、目の前のドワーフの、岩のような頑固さと、種族への深い偏見の前では、エリアス先生の権威すら通用しない。

 俺は、食い下がった。


「頼む……! 俺には、その杖が、必要だ。力を、制御、するために……!」

 俺の必死の訴えに、バリンは心底くだらない、という顔をした。

 だが、やがて、その目に、残酷な愉悦の色が浮かんだ。


 彼は、鍛冶場の奥にある、暗く、冷たい空気が漂う、巨大な坑道の入り口を、無骨な指で指し示した。


「……ほう。どうしても、と言うのなら、ワシを納得させてみせろ。貴様が、ワシが鎚を振るうに値する存在か、その身で示してみせろ」 


「試練……ですか?」


「ああ。あの古い坑道の奥深くには、『星屑鉄』と呼ばれる、それ自体が魔力を帯びて淡く光る、希少な鉱石が眠っておる。もっとも、ここ数十年は、忌まわしい化け物どもが巣食って、誰も近づけんがな」

 バリンは、にやりと、意地の悪い笑みを浮かべた。


「お前一人の力で、その『星屑鉄』を、こぶし大ほどでいい、ワシの前に持ち帰ってみせろ。……そうすりゃあ、考えてやらんでもない」

 それは、試練などではなかった。


 俺に、坑道の中で無様に死んでこい、という宣告だ。

 言葉で何を言っても、無駄だ。この頑固なドワーフを動かすには、行動で、力で、示すしかない。


 俺は、バリンの目をまっすぐに見据えた。

 そして、何も言わずに、彼に背を向けると、その暗い坑道の入り口へと、一歩、また一歩と、歩き出した。


 ひやりとした、墓場のような冷気が、坑道の闇から吹き付けてくる。

 俺は入り口で一度だけ立ち止まると、エリアス先生の塔から持ってきた、古い樫の木の杖を、強く握りしめた。


 さあ、始めよう。

 俺の、本当の力を証明するための、たった独りの試練を。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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