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第19話:二つの旅路

 

 戦いの後の静寂の中で、俺は自分の無力さと、めちゃくちゃになった書斎を見比べて、ただ呆然としていた。


 そこに、何食わぬ顔をしたエリアス先生が、転移魔法のまばゆい光の中から、すっと姿を現した。その手には、月光を浴びて青白く輝く、見事なキノコが一本、握られている。


 先生は、まず自らの書斎の惨状を一瞥した。

 次に、床で伸びている、ボロボロの俺を見た。


 長い沈黙。

 俺は、次に発せられるであろう雷を覚悟し、ぎゅっと目を閉じた。


 やがて、聞こえてきたのは、想像していた怒声ではなかった。

 ただ、ひどく感心したような、それでいて、どこか呆れたような、平坦な声だった。


「ほう、なかなかやるではないか。……掃除が、大変そうだがな」

 俺が恐る恐る目を開けると、先生は俺のそばに立つと、つま先で俺の脇腹を軽くつついてきた。


「おい、出来損ない。息はしておるか」


「……は、はい。なんとか……」

 俺は、蚊の鳴くような声で答えた。


 先生は、俺が放った光の針が突き刺さった壁に近づくと、その焦げ跡を指でなぞり、残った魔力の残滓を分析しているようだった。


「……意志の足りんお前にしては、上出来なイメージの具現化じゃ。形は粗く、威力も足りん。全くもって、エレガントさの欠片もない、野蛮な魔法じゃが……結果は、出したようじゃな」

 先生は、ゆっくりと俺の方へ振り返った。


「――合格だ」


「……え?」


「まさか、貴様、ワシが本当にキノコ狩りに行っていたとでも思うていたのか?」

 先生は、心底呆れたように鼻を鳴らした。


「ワシの塔で起きておることを、ワシが知らんわけがなかろう。この水晶玉で、一部始終、観戦させてもらったわ。退屈しのぎにはなる、なかなか面白い見世物であったぞ」

 やはり、全て、掌の上だったのだ。


 俺の恐怖も、焦りも、罪悪感も、全て。

 先生は、懐から小さな瓶を取り出すと、それを俺に放り投げた。


「飲め。下級の治癒薬じゃ。貴様には、まだ死なれてはワシが困る」

 俺は震える手で瓶を受け取ると、中身を一気に飲み干した。温かい魔力が、傷ついた体に染み渡っていく。


 少しだけ体力が回復した俺が、ゆっくりと身を起こすと、先生は、いつになく真剣な目で、俺を見下ろしていた。

 彼は、俺が最後の一撃を放った衝撃で壁に突き刺さった、光の針の残骸を指差した。


「……最後のあれ、自分で何をしたか分かっておるか」


「いえ……ただ、守りたいと……」


「意志の力で、マナを暴走させたのじゃ。結果として敵は退けたが、一歩間違えれば、お前自身がその力に飲まれ、この塔ごと消し飛んでおったわ。……その胸の『マナの結晶』は、お前のような未熟者が素手で扱ってよい代物ではない」

 先生の言葉に、俺は自分の胸元を押さえた。


「お前には、その力を制御するための『器』が必要じゃ。その意志を正しく魔法へと変換するための、特別な魔法具がな」


「魔法具、ですか……?」


「うむ。まずは、それを手に入れろ。話はそれからじゃ」

 先生は、ローブの内側から、蝋で封をされた一通の手紙を取り出した。


「これを持って、南にある『竜のあぎと山脈』へ向かえ。その中腹に、バリンという名の頑固なドワーフの鍛冶師が、世捨て人のように暮らしておる」


「ドワーフ……」


「ただの鍛冶師ではない。古のルーン文字を操り、魔力を帯びた金属を鍛え上げる『ルーンスミス』の末裔じゃ。奴なら、その結晶の力を安全に引き出す『マナの結晶の杖』を鍛えることができるやもしれん」

 先生は、俺に手紙を渡した。


「奴は偏屈の極みのような男じゃ。素直にお前のために鎚を振るうことは、まずあるまい。だが……奴は、ワシに大きな借りが一つある。この紹介状は、ワシからの『命令書』じゃ。奴にこれを渡せば、嫌でも仕事を受けざるを得んはずじゃ」

 俺は、その手紙を両手で受け取った。

 だが、先生の話は、まだ終わりではなかった。


「よく聞け、ゴブスケ。その杖を手に入れるのは、お前の旅の、第一段階に過ぎん」


「第一……段階?」


「杖は、お前の力を制御する助けにはなろう。だが、お前の根本的な問題――その『ゴブリンの姿』を解決するものではない。お前が真に『架け橋』とやらになりたいのであれば、人間社会の中枢にすら飛び込む覚悟と、それを可能にする『手段』が必要じゃ」

 先生の目に、懐かしさと、それ以上に強い敵対心の色が浮かんだ。


「お前が求めるべき、次なる力。それは、変異魔法じゃ」


「変異……魔法……」


「ワシには教えられん。ワシの専門ではない。だが、この国に一人だけ、その道を極めた男がおる。王宮の宮廷魔術師長……ワシの忌々しい宿敵ライバル、ヴァレリウスだ」

 杖を手に入れ、その力を完全に己のものとした後、王都へ向かい、ヴァレリウスを探し出せ。


 ――それが、先生が俺に示した、あまりにも壮大で、絶望的な旅路の全貌だった。


「この手紙には、バリンへの命令と、ヴァレリウスへの『問い』が記してある。二人の元へたどり着き、生き延び、目的を果たすことができるか。全ては、お前次第じゃ」

 紹介状ではない。これは、俺の未来そのものだった。


 俺は、エリアス先生という、気難しくて、理不尽で、そして誰よりも偉大な師に、認められ、そして未来を託されたのだ。


 込み上げてくる感情を抑えきれず、俺は床に膝をつくと、先生に向かって、これまでで一番深く、頭を下げた。


「先生……! ありがとうございました……!」

 その、俺の心からの感謝の言葉に、先生は「ふん」とそっぽを向いた。


「……勘違いするな。ワシは、ワシの研究対象が、無様に野垂れ死ぬのが気に食わんだけじゃ。ワシの時間を無駄にした罪は、貴様がワシの予想を超える成果を出すことでしか、償えんと思え」

 その横顔は、ぶっきらぼうだったが、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ、口元が緩んでいるように見えた。


 俺は、めちゃくちゃになった書斎の床で、ボロボロの体のまま、声を殺し、ただ、熱いものが頬を伝うのを感じていた。


 その涙は、悲しみの涙ではなかった。悔しさでもない。全てを認められ、次へ進むための道を指し示されたことへの、感謝の涙だった。


 俺は、袖で乱暴に涙を拭うと、まだ痛む体を引きずって、ゆっくりと立ち上がった。

 手の中には、エリアス先生がくれた、未来への切符が握られている。


 竜の顎山脈。ルーンスミス・バリン。そして、『マナの結晶の杖』。

 王都シルバーストリーム。宮廷魔術師長ヴァレリウス。そして、『変身魔法』。


 俺が為すべきことは、もう定まった。

 そうだ。先生の言う通りだ。

 俺は、もう二度と、ただのゴブリンには戻らない。

 

 そして、本物の人間にもなれないだろう。だが――。

 『人間には成れぬ。だが、人間には為れる』

 その言葉が、俺の新しい道しるべになった。

 人間として振る舞い、人間の社会で学び、そしていつか、ゴブリンである俺が、架け橋になる。


 そのための、長い、長い旅なのだ。

 俺は、手の中の手紙を強く握りしめた。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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