第13話:弟子入り(という名の雑用係)
「実に、面白いぞ」
老魔法使い――エリアスは、そう言うと満足げに頷き、パチンと指を鳴らした。
その瞬間、俺の体を縛り付けていた光のロープが、泡のように弾けて消え失せる。あまりに唐突な解放に、俺は体勢を崩してその場にへたり込んだ。
「ついてこい、出来損ない」
エリアスは俺に一瞥もくれず、そう言い放つと、扉のないはずの塔の壁にそっと手を触れた。
すると、石の壁が水面のように揺らめき、向こう側が透けて見える。そこには、螺旋階段が薄暗い奥へと続く、塔の入り口が現れていた。
俺は警戒心を解かないまま、しかし他に選択肢はなく、彼の後に続いて塔の中へと足を踏み入れた。
そして、目の前に広がる光景に、息を呑んだ。
塔の中は、外見からは想像もつかないほど、広大で……混沌としていた。
床から天井まで、壁という壁が無数の本棚で埋め尽くされている。天井には巨大な星図がゆっくりと回転し、床には複雑怪奇な魔法陣がいくつも描かれていた。
机の上にも、床の上にも、得体の知れない実験器具や、読みかけの分厚い魔導書、怪しげな薬草が、無秩序に散乱している。
ここは、魔法という知識の海であり、同時に百年は掃除されていないゴミ屋敷でもあった。
「そこに座れ」
エリアスは、部屋の中央にある埃まみれの椅子を顎でしゃくった。
俺が恐る恐る腰を下ろすと、彼は腕を組み、鑑定するような目で俺を見下ろしながら、一方的にまくし立て始めた。
「まず現状を整理するぞ、出来損ない。貴様は極めて興味深い研究対象だ。なぜゴブリンが人間の言葉を話す? なぜゴブリンが魔法の素養を持つ? そして何より、なぜワシが若い頃に無くしたはずの『マナの結晶』を貴様が持っている? これらは全て、ワシが解明すべき謎じゃ」
彼の言葉は、質問の形をしていながら、俺に答えを求めてはいなかった。
「ワシは魔法の真理の探究にしか興味がない。一番手っ取り早いのは、貴様を解剖してその脳と喉を調べることじゃが……それでは結晶を持つに至った経緯が分からんのが難点よな」
『か、解剖!?』
俺は椅子の上で凍りついた。この老人は、本気で言っている。
「そこでじゃ、出来損ない。貴様に一つ、寛大な提案をしてやろう。貴様、ワシの弟子になれ」
「で、弟子……!?」
その言葉に、俺の心に一筋の光が差した。
本物の魔法使いの、弟子に?
だが、エリアスは俺の期待を打ち砕くように、にやりと口の端を吊り上げた。
「勘違いするな。弟子といっても名ばかりじゃ。貴様の衣食住は、このワシが保証してやる。その代わり、ワシの身の回りの世話、この塔の掃除、薬草の整理、実験の手伝い、その他一切の雑用は、全て貴様にやってもらう」
彼は、続ける。
「そして、ワシは気が向いた時に、貴様を観察し、調べ、時に実験台になってもらう。魔法も……まあ、教えてやらんこともないが、それは完全にワシの気分次第じゃな。どうだ? この慈悲深い提案、断るという選択肢もある。その場合は、予定通り、今ここで可愛いモルモットにしてやろう」
高圧的で、理不尽で、完全に自分本位な提案。
弟子などではない。これは、便利な雑用係兼、生きた研究材料になれという宣告だ。
腹の底から、怒りと屈辱がこみ上げてきた。
『なんだこいつは……! 人間の魔法使いは、みんなこうなのか!?』
だが、俺は怒りに身を任せる前に、必死で頭を働かせた。
この提案を飲めばどうなる?
追っ手に怯えることなく、雨風をしのげる寝床と、毎日の食事が手に入る。
そして何より、目の前には、本物の大魔法使いと、天井まで続く魔導書の山がある。
たとえ雑用係だとしても、これ以上ない学習環境であることは、間違いない。
アンナとの約束を思い出す。
『もっと強く、もっと賢くなる』
そのためなら、どんな屈辱にも耐えてみせる。
プライドを捨ててでも、掴み取るべきチャンスが、今ここにある。
俺は椅子から静かに立ち上がった。
そして、目の前の気難しい大魔法使いに向かって、人間式に、深く頭を下げた。
「……よろしく、お願いします。……せんせい」
俺の、予想外に殊勝な態度。
それに、今度はエリアスの方が、少しだけ面食らったような顔をした。
やがて彼は、「ふん、物分かりのいい出来損ないめ」と満足げに鼻を鳴らすと、早速、主人としての命令を下した。
「よろしい! ならば、まずはその汚い体を洗ってこい! ワシの大事な塔が汚れるわ! 浴室はあっちじゃ!」
「それが済んだら、この部屋の掃除だ! 見ろ、百年分の埃が積もっておるぞ!」
「は、はい! 先生!」
俺は不本意ながらも、できるだけ元気に返事をした。
こうして、人間嫌いの変人魔法使いと、人間になりたい真面目なゴブリンの、奇妙で波乱に満ちた共同生活の幕が、唐突に上がったのだった。
本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
皆様の応援が、何よりの執筆の糧です。よろしければブックマークや評価で、応援していただけると嬉しいです。




