卒煙
セブンスターのフイルムを剥がす。上部の紙をめくり、箱をトントン、と叩く。
十年間毎日続けた仕草だ。一本だけが綺麗に頭を出す。パッケージから直接、唇でその吸い口を挟んで抜く。
残りのセブンスターはポケットに仕舞わず、目の前のテーブルの、缶コーヒーの横に置いた。
貰い物のライター。今日は風はないが、いつもの癖で手で覆うように煙草の先へ。
香りと熱い煙が体に染みていく。肺に入れるというが、肺だけではない。全身と、頭にも回る。
ふうーーーっと、空に向かって紫煙を吐いた。
会社の屋上。と言っても小さなビルだ。あたりには同じような古い建物が、マッチ箱のように所狭しと並ぶ。
以前はそれだけだったが、数年前に大通り沿いになんとかヒルズが出来て、マッチ箱の向こうに見える。
昔やったゲームの、スラム街から見上げる富裕層の街をいつも思い出す。
分煙が進んで喫煙所は外のみになった。しかしビルの入り口や非常階段は、副流煙がどうのと言われて撤去された。今はここだけ。最後の砦だ。
若い子が来たー!と、大袈裟に笑う顔が見たくて、彼女の煙草休憩の時間を覚えた。
喫煙所がまだ社内にあった時だ。あの時は煙草を吸う事で社内のつながりを作るのが当たり前だった。俺は、役員より彼女のと繋がりが目的だっただけ。
「今日は早く帰ってきて」
何の話かわかっている。聞く前に、見てしまったのだ。
昨日、偶然。見覚えのないピンク色の紙袋の中にあった、母子手帳。
空に溶けていく煙。それはずっと変わらないと思っていたが、俺が気づかないだけで、空の色も変わったのだろうか。
よし
ゆっくり、心ゆくまで吸おうと思っていたが、そんな気分ではない。まだ長い煙草を備え付けの灰皿で消す。
自分にできる事を、やるしかないのだ。それが居心地のいい場所を捨てることでも。
まだ一本しか吸っていないセブンスターの箱を握りつぶしてゴミ箱に投げた。誰もいなくてよかった。こんな儀式めいた姿は恥ずかしい。
「あれ? 先輩、禁煙すか?」
「……」
ふと顔を上げると、後輩がアイコスを持って上がってきた所だった。
「禁煙じゃねえよ」
卒業だよ
「え?え? もったいなっ」
ゴミ箱を覗いて茶化す後輩を置いて、屋上を後にした。