亡国の姫と夢騎士と貴公子と家令
「花売り娘は底辺から」の番外編です。
貴公子とリリーについて詳しく読もうと思われたら、「花売り娘」がオススメです。
一話が短いので、サクサク読めます。
夢の中で、私はお姫様だった。どうやら今落城したてらしい。
ここはおそらく森、そのあたりが曖昧なのは夢だから。暗く足もとの悪いなか、息を切らせて私と騎士が走って逃げる。馬ではなく徒歩だ。
焦りと不安で胸が張り裂けそう。不意に騎士が立ち止まった。まさか。緊迫した表情で告げる。
「姫、追っ手に追いつかれたようです。ここは私が引き受けますので、この先は姫おひとりで、なんとか逃げのびてください」
またか、と言いそうになる。彼の耳が何の音をひろったのか知らないが、私の耳には何も聞こえない。さっきもそうだった。同行していた騎士は、十人以上いたと思うのに、ひとりが立ち止まり「ここは私が」と言い出す。
それを繰り返すうちに、最後のひとりが彼だったのに、とうとう最後の頼みの綱までが「ここは私が」だ。
走りながらずっと考えていた。彼らは本当に物音を聞きつけたのか、と。
「亡国の姫といて何になる? むしろ速やかに離脱した方が今後の為では」と考えたのではないか。
着の身着のままで城から逃げ出したので、私には身分を証明するものもお金もない。昼間なら多少の装身具はあったが、夜に身につけているはずもない。
自分の姿を見るまでもなく、わかっている。枝に引っ掛けたり自分で踏んだりしてドレスの裾はビリビリ。靴は土で汚れていて、どこでつけたのか、腕にも擦り傷がある。髪ももしゃもしゃだ。
「さあ、姫。追いつかれる前にお行きください」
騎士の滲ませる悲壮感が、私には大げさで嘘くさく見えて仕方ない。
考えてもみて。ここで姫である私だけ行かせたとして、この先どうやって命を繋げと言うのだ。この小汚い身なりで誰が助けてくれると言うのだろう。
次に出会う人が善人とは限らない。より悲惨な目に合うように思われるのに、世間知らずの女の子ひとりを放り出そうとする騎士に、縋る気にもならない。
「わかりました。無事を祈ります」
思ってもいない事を口にして、私はひとり駆け出した。
これは繰り返し見る夢で、見た朝に同じベッドに眠る『夫』に説明したら、最後まで聞いて口にしたのが「私が一番くだらないと思う話は何か教えてやろう。見た夢の話だ」だった。
それなら早めに言ってくれれば、全部聞かせる事もなかったのにと恨めしく思いながらも、二度とこの人に夢の話はしないと心に誓った。
そんな事を考えながら眠ったせいか、二晩続けての同じ夢だ。いつも始まりは最後のひとりの騎士を連れて逃げる途中。
そして彼に不信感を抱きながら、もういっそ捕まるなら捕まった方が楽じゃない? そもそも本当に追っ手は来ているのかと強く疑いながら、立ち止まる勇気もなく重いドレスをたくし上げながら走る、覚えているのはそこまでだったのに。
初めて目の前に高い石塀がそびえ立った。乗り越えられる高さではない。端を探してまわりこむしかない。途方にくれて、身を投げたいような気分になったところに。
「こんな山奥に石壁があるわけは無かろう。わざわざ築く理由はなんだ」
と壁の向こうから声がした。よく響く涼やかな声。
「国境?」
とりあえずお答えする。
「国境沿いにどれだけの長さを築けば足りると思うのだ、労力に見合うだけの益はない。さすが、お前の夢だな」
呆れるというより、小馬鹿にされた。
「坊ちゃま……さすが夢のなかでもヒドイ」
文句をつけると、いきなり石壁が消えて、そこにいたのは坊ちゃまエドモンド・セレスト殿下だった。
暗い山奥に似合わない夜会服姿なのは、私の好みになってしまったせいかと思われる。夢でもポケットチーフの白さが際立ち見惚れるほどの貴公子ぶりだ。
「石壁が、ない。坊ちゃまが消した?」
聞けば、浅く頷く。
「すごい」
「夢だからな」
夢のなかでも坊ちゃまの異能は万能らしい。感服していると、私の背後に目を凝らした。
「お前の『おつきの騎士』は」
「最後のひとりが逃げたとこ」
坊ちゃまの唇に薄い笑みが浮かぶ。
「お前が『姫』という時点で無理のある夢だ、逃げられても仕方があるまい」
「坊ちゃま、ほんとにヒドイ」
重ねて抗議する。
「それにしても驚くほど汚い」とリリーを見て、エドモンドが指をパチンと鳴らした。よく奇術師がやるあれだ。
音と同時にあら不思議。破れたドレスは、見たこともない新品の綺麗なドレスに早変わり。
服が綺麗になったので「さあ、帰るか」と、エドモンドが私を軽々と縦抱きにする。子供じゃないけれど、夢のなかでも走って疲れたので、もう抱っこで帰ることにする。
「坊ちゃま、夢の話は嫌いって」
言っていたのにどうして来てくれたのかと、尋ねる。
「二度と聞かなくて済むようにしたまでだ」
あらやだ。他にもいくつか定番の夢はあって、どれも逃げる系の疑心暗鬼ものなのに。
坊ちゃまエドモンドの顔が迷惑そうに変わったのは、心を読み取ったせい。
「今夜のうちに、ひとつ残らず潰すか」
それは無理と告げる。
「一晩に同じ系統の夢はふたつ見ないから、今日はできない」
今の舌打ちしそうなお顔もカッコ良かったけれど、言うと叱られそうなので黙っておく。
「早く眠れ」エドモンドは、リリーの目元に手のひらを当てた。
「坊ちゃまこれ、夢のドレス」
エドモンド・セレスト殿下の家令を務めるおじ様ロバートが出してくれた服は、昨夜夢のなかで見たものと同じだった。
ポカンと口を開けていると、坊ちゃまが「当たり前だ」と言う。
そうか、夢のなかの坊ちゃまが実物を念頭において着替えさせてくれたから。
「着替えが済みましたら朝食に致しましょう」
にこやかにおじ様がすすめる。
「ロバート、まだ数枚仕立てる必要がある」
何を言い出すのかと、坊ちゃまを見れば愉しげに言う。
「コレは夢のなかでも、ドレスを泥だらけにする。着替えがいる」
何のことかさっぱり分からないはずのおじ様が「心得ました」と返すのは、驚きだ。
「さあ、他の話を聞かせてもらおう」
そう言われて、耳を疑った。「夢の話はくだらない」と言っていたのは昨日の朝なのに、この変わりよう。
「人の夢に干渉したことは無かったが、不条理で愚にもつかぬところが面白い」
思わぬ楽しみを見つけたらしい。
「ロバートは夢の中までは探しに行けない。ならば私しかいない。さっさとすべての姫を救うとしよう」
お忘れかもしれませんが、どの姫も私ですとは、言いそびれた。
公国一の貴公子は、公妃様を溺愛しているのに、当の公妃さまは「ただの過保護」だと思っている。
優秀な家令は「今日も平和でなにより」と微笑で締めくくった。