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猫と甘噛み

作者: ありや

 私は今どうしてこうなっているのか、全く理解が出来ていなかった。


「なぜ?」


そう誰かに問えば、答えてもらえるのだろうか? 私の中ではっきりと答えが出ていた。『否』と。


 このカラルナ国の国立学園の卒業式に出た後、学園主催で開かれている卒業パーティに参加している。12歳で入学し5年間学んで、今日学園から巣立つ。そんな晴れやかな日となるはずだった。

 会場であるダンスパーティも出来る程の広いホールは、国立であるこの学園の華やかさを象徴しているかのようだ。天井から吊り下げられたシャンデリアは、意匠を凝らした煌びやかで温かみのある眩さでホール中を照らしている。高い天井には、このカラルナ国建国の元となった歴史を一目見ればわかるようにと描かれた天井画が広がっている。

 元々カラルナには精霊様を信仰している民が住んでいたが、徐々に精霊様を慕う人々がカラルナに集まるようになり、小国家ではあるものの精霊様に守られ国民が幸福に生活出来るようになったという聖典の一節を描いた宗教画とも言えるものでもある。厳かな空気を纏うそれらは、今の空気にまるでそぐわない。


 この場に集う学生達は卒業後の自身の生活に不安を感じながらも、明るい未来を信じている者達ばかりだ。だからこそ、この場所が一人の人物によってピンと張りつめた空気に変えられていた状況に、私は戸惑うばかりだった。

 今目の前には、この国の王族であり、王太子である私の婚約者が立ち、厳しい目を向け私に強い嫌悪感を見せている。彼の背後には、陰になって見えないけれど、きっと彼女がいる。そしてその彼女を守るように彼の友人や幼馴染み達も並んでいる。


「カナリア・ディーコン。今、この場で正式な婚約破棄を宣言する。こうなった経緯に思い当たることはないか?」


 私には一切そのような覚えがない。覚えはないが、同時に多大な混乱を極めているのは事実だった。

何故なら、今、そうまさに今だ。多くの記憶が頭の中に駆け巡っているからだ。

見たことも聞いたこともない、全く未知の記憶が駆け巡っているから。その未知のものであるはずの記憶を、私自身のものであると感じる状況があるからだった。


 彼から言葉を掛けられる前に、彼と親友だと紹介されていた近衛騎士を目指す騎士団団長の子息が私の腕を強くねじ上げた。そして、その勢いのまま私は強く床に膝を打ち付けられるように押さえつけられた。そのせいで、足首を捻ってしまったようで酷く痛む。それがきっかけとなったのだろうか、私は私自身ではない別の人間の人生を追体験するかのように膨大な記憶が押し寄せてきた。そのためか吐き気がするほどに、頭痛も出始めていた。全く反応を示さない私に舌打ちをしたのは私の腕を掴んでいる騎士団団長子息。そして私は膝をついた状態から彼に無理矢理腕を引き上げられて立たされたものの、もう混乱しかない状況に陥っていた。


 そのために婚約者の言葉に何一つ答えることが出来ない。なんとか踏ん張って倒れることを堪えているけれど、今にも卒倒してしまいそうな状況だ。


(なんてこと…。こんなことになるなら、せめて足元をしっかり支えられるような低いヒールの靴を履いてくればよかった。捻った足首のせいでいつ倒れてもおかしくないわ…)


「……沈黙は、了承ということでいいのだろうね? まぁ例え君に何かしら言い分があろうとも、こちらで用意している証拠に対しての言い逃れは出来ないとは思うけれど」


 彼は何を言っているのだろうか? 私はただ混乱するだけの状況で何も言えずにいた。

混乱しているのは、婚約破棄のことだけではない。だから、自分自身がすでに(私は誰? ()という人間は…どこにいるの?)そんなことを思うほどには、冷静でいられない状況に追いやられていた。

 あまりの情報量に押しつぶされそうになる気持ちを抱えて、眩暈さえしてくる。必死に耐えながら倒れないようにすることだけで精一杯だった。そんな中、私の足元に飼い猫のフォグがするりとやって来た。いつの間に? 私は混乱しながらも、足元を見る。フォグは私に向かい小さく鳴いた。

 この国では貴重とされるエンジェルスポットを喉元とお腹に持つ黒猫のフォグ。


「なーう」


 私はフォグの声が「大丈夫」と言っているように思えて、心の中でありがとうと返す。そして、駆け巡る情報の中の一つが私を捉えた。するとそれを切っ掛けにして様々なことが一つに繋がり始めた。


【ジュエルバタフライ】【乙女ゲーム】【精霊】【攻略対象】【ヒロインを選択】【王太子】【宰相子息】【騎士団団長子息】【王立学園】【精霊王の嫁】【……


 私ははっとした表情を浮かべた自覚があった。あったけれど、今の状況では誰も私の様子がおかしくても、そこは考慮に入れないだろうと思えた。私は改めて足元の飼い猫フォグを見ると、私から少し離れた位置に行く。すると光を纏ったように輝き始めた。誰もが眩しさに目を閉じてしまっていただろう。次にはもう猫の姿はなく、背の高い男性の姿となっていた。身に纏う衣服はこの場に相応しいもので、黒を基調とした上下揃いの燕尾服だった。長く伸ばした黒い髪は、私の瞳と同じ水色のリボンで一つに纏められていた。首輪代わりに使っていた水色のリボンみたいだ。緑の瞳はフォグの瞳の色と同じで、私にとってホッとする色合いだった。何よりも猫のしなやかさを損なわない美しい人だった。

 眩しい光のために騎士団団長子息も私の腕を放してしまっていた。


 学園の卒業式後に行われていた卒業パーティに集まっていた卒業生、そしてその保護者であろう多くの貴族達、また国内の貴賓もその様子を見ていたはずだ。フォグは私の隣に立ち、そして私の腰を左腕で支えるように抱えている。きっと私が足首を捻ったことで倒れそうなことに気付いている。


「一体何者だ!?」


 婚約者が一際声高に叫ぶ。猫が人となって突然現れたのだから、当然なのだろう。そして、私もそれを問いたかった。

 私の可愛いフォグがどうして人の形に? しかも本物の美女ですら霞むような、これほどの美しさを誇るような男性に。

 人の姿となったフォグは私の髪にキスを落とし、それから婚約者に静かな落ち着いた声で問いに答えた。


「私は精霊王」


 今までザワザワとした囁く声は聞こえていた。けれど、フォグの声で会場内が凪いだ。誰も言葉を発することなく息を呑む声すら聞こえそうなほどの静かさだ。


「婚約者殿に問う。カナ…カナリアに対して婚約を破棄する旨、撤回することはないな?」

「……精霊…王だ、と?」


 婚約者がフォグの登場で混乱したようだ。私を精霊王が守るようにしているだけで、すでにこの後の予定が狂っただろうから。

 そう、彼は私が殿下の背後に控えているキャロル嬢に対し嫌がらせをした、として断罪するつもりだったのだから。私が何もしていなくても断罪をする用意があるのだから、それを阻止するのは、今前世の記憶が戻っても意味がなかったと言える。


 そうなのだ。この世界は、乙女ゲームの世界だ。ジュエルバタフライ~私に気付いて~というタイトルだった。そうだ、主人公が攻略する相手の婚約者になるのが決まっている立場で、結果的に対立することになる令嬢と同じ名前なのが私。まだ主人公が王太子の背後に隠れているけれど、キャロルがこのゲーム世界でのヒロインだ。ゲームでなら私が主人公(キャロル)に嫌がらせやケガを負わせたという事実をこの場で明らかにし、断罪される場面のはずだった。

 でも私は彼女に悪意ある行為を重ねてしているという謂れのないことを、婚約者から投げつけられようとするところだった。何も彼女に害なす行為は一切していない。どういうことになるのだろう?

 そして、フォグが…精霊王が、私を助けてくれた…?


「もう一度問う。カナに対して婚約を破棄する旨、撤回することはないな?」


 フォグが同じ質問を繰り返したところで、婚約者の背後に控えていた王太子殿下がはっとしたように表情したかと思った瞬間フォグに礼を取った。殿下の側近候補や友人達である攻略対象者達も殿下に倣うように膝をつき精霊に礼を取る。

 この世界は、精霊は神の次に高位の存在だ。だから人間が不敬を許される存在ではない。


「精霊王様、大変失礼いたしました。…カナリアとの婚約は、もうすでに破棄されております」


 何かが滲む声音の婚約者。そしてその背中を見つめ表情を凍り付かせているキャロル嬢。

ストロベリーブロンドに碧の愛らしい瞳を持つ彼女がフォグを視界に入れる。そして信じられないというように首を振っている。どうしたのだろう?

私はただ様子を見守るしかなかった。そう、本当にそれだけだった。けれど、キャロル嬢がこちらを睨みつけていることに気付いた。なぜそんな視線を向けられるのか理解に苦しむ。自分が望んで彼を攻略したのではないのか? なのにどうして私を睨むのだろう? むしろ私の婚約者だった人と婚約をするのだろうから、優越感からの歓喜の表情を見せてもいいはずなのに、だ。


「分かった。それなら問題はない。今この時点からカナは私の花嫁となる。誰もカナに触れることは許さない」


 そうフォグが宣言すると、改めて私を抱きしめてくる。私はフォグの言葉と同時に抱きしめられたことにも驚いて、慌てて離れようとするけれど、前世を思い出して起こった混乱のために揺らいだ体は未だ思うようには動いてはくれず、ただされるがままだった。

 しっかりと私を抱き留めた形でフォグはずっと支えてくれている、それだけは間違いないことで、だから…ただの猫だと思って接してきていたフォグを、私はどう考えればいいのかただ混乱するばかりだった。


「精霊王様! そこの者は、精霊王様にとってどういう立場なのでしょうか? ぜひお教えください!」


 婚約者がそう発した。そして、その言葉に対し、フォグはとても冷ややかな瞳を向けて、その口に静かに言葉を乗せる。


「精霊が愛する者だ。この世界で最上の者。誰より尊い存在。私の花嫁となる者。そして精霊と連なる者となる」


 私は自身に向けられた言葉に信じられない気持ちでフォグを見つめてしまった。精霊の…愛する者。そうだ、ゲームでもその言葉が出てきていたけれど、私がプレイしている時には全く関わって来ることがなかった言葉だ。


「お待ちください! どうして、カナリア様なのですか!! 私だって…私だって!!!」


 キャロル嬢が叫ぶ。悲痛な声だった。けれど同時に私への憎悪が見て取れた。どういう意味だろうか?


王太子という相手をすでに手に入れておきながら、足りないと? あまり婚約者やキャロル嬢に関わってこなかった。だから二人の周囲にいる人達のことをゲームで得た情報以外には知らない。でも、今の状況を見れば、攻略者達がキャロル嬢に対して好感度があるのが見て取れる。逆ハーレム状態になっているだろうと想像出来た。

だから私には疑問でしかなかった。明らかなキャロル嬢のフォグへの執着のようなものが見えたからだ。


()()()()()()()()()では不足なのか?」


 冷たい瞳をしたフォグが私と同じ疑問をぶつけた。そして、それに対しキャロル嬢はぐっと声を詰まらせた。それはそうだ。もし、私が感じたような”彼女がフォグに対して執着しているように見えることが彼女の本心”だったとしたら、だけれど。それを漏らしてしまえば、彼女の立場は今すぐに崩れてしまうだろう。さすがにそんな悪手は取らないはず。だから、彼女が漏らした言葉に耳を疑った。


「…私が…カナリア様だったら、私を…私を!」


 どういう意味なのだろうか? 私はジュエルバタフライを全てプレイしていない。だから、実はよく分かっていないことがある。少し変わったシステムを取っていることは知っている。ただ、私はあまり前情報を仕入れない。最初は情報のない中プレイしたいタイプだからだ。そして、4人いる攻略対象のうち3人は攻略し終えて、4人目の途中で事故で死んでしまったため最後までプレイ出来ていない。この後、何かあっただろうか? 私の死後に追加シナリオ等があったら余計分からない。

…もしかして、キャロル嬢も転生者? そんな疑問が浮かんだ瞬間に、フォグがはっきりと言葉を返した。


「有り得ない」


 たった一言だった。けれど、フォグの瞳は雄弁に語っていた。


キャロル嬢の()()()のことを。


 そうなのだ。王立学園の入学式の帰り、私は侍女と護衛と3人で学園の前で馬車を待っていた。たまたま馬車が混み合う時間だったこともある。その時に捨て猫が3匹いることに気付いたのが侍女だった。動物好きな彼女は猫の様子を気にしていた為私達は見に行くことにした。すると2匹は比較的元気だったものの黒猫は傷付き瀕死状態だった。私は迷うことなく黒猫を助けることを決めていた。もちろん他の猫達も同時に引き取り屋敷で育てている。けれど、キャロル嬢は捨て猫を見ることもなく、彼女が酷い言葉を投げつけたことを私は思い出した。


「あんな汚らしい死にかけの猫なんて…さっさと捨ててしまえばいいのに」


私達がフォグ達を抱き上げた時、その横を通り過ぎたのがキャロル嬢であり酷い言葉を聞こえるように漏らしたのも彼女だ。あの時彼女は一人で歩いていたのだから。


(あんな露骨に嫌がらなくても…)


と、思ったからよく覚えている。


「あの日、傷付いた私と弟妹達を救ってくれたのはカナリアだけだった。君は嫌がって避けたな」


私もあの日のことを思い出していた。そうか、フォグはちゃんと覚えていたんだ。そう考えていると、キャロル嬢が両手で顔を覆い泣き始めた。庇護欲をそそるその姿に婚約者が立ち上がりキャロル嬢を慰めようとするが、泣き止む様子はなかった。その為なのか、彼が私を憎々し気に一瞥したのを、精霊王が酷く冷ややかな瞳で見ていたことが居心地悪く、私は俯いてしまった。

 私が猫を育てるのは、前世の記憶がなくても当然だった。前世も猫好き一家に生まれ育ったけれど、実はディーコン家も猫好き一家だった。両親は難有りな人達ではあったけれど、猫に関しては別だったらしい。だからフォグを家に連れ帰っても猫の心配はしても捨ててこいとは言われなかった。もちろん弟妹猫達も大事に育てているのだから、猫好き一家と言っていいのだろう。


 キャロル嬢が泣き止むこともなく、その場の空気の悪さも相俟って、フォグがいまだにしっかりと立っていられない私を横抱きにした。慌てて私は下ろしてほしいと言うけれど、首を横に振って拒否されてしまった。


「まだ一人では立っていられないだろう? 最初に手酷く扱われた時に足首を痛めているしな。少なくとも元婚約者から婚約破棄された事は、カナリアにとって簡単なものでもないのだろう?」

「…それは、そうだけど」


私が困った顔をさせたせいだろうか。フォグも少し困ったように笑う。そして私の額に自身の額を付けて私にだけ聞こえるように話す。


「私は君が掬い上げてくれたあの日からずっと君を守ると決めていたんだ。だから、守らせて」


 私はフォグのことが大好きだ。それは今も変わらない。もしフォグが人と同じ姿をしていたら、と想像したことだってある。ずっと女の子だと思ってたから、間違いなく美人さんだねって言ってたのだけれど…。美人違いだった。あまりの美貌に女性の立場がなくなるほどの姿なんて…。精霊というのは、皆このように美しい姿をしているのだろうか?

 私はフォグが人であれば、姉妹のような、親友のような、そういう関係になれるのかしら? と思っていただけだった。

 私は答えることが出来ないまま、ただこくこくと頷くだけだった。

正直、衆人環視の中でお姫様抱っことかやめてー! と叫びたい気持ちにもさせられていたことが大きかったのだけれど。それを察してくれたのかどうかは分からないけれど、フォグは私を抱きかかえたまま元婚約者に言葉をかけてから、会場を後にした。


「カナはこの国から攫って行く。探しても無駄だが、探すな」


 彼はフォグの言葉にハッとしてこちらに顔を向けたものの、フォグの動きよりも遅かったようだ。私と視線が交わることはなく私達はもうその場にはいなかった。



「フォグ、あなたは精霊王様だったの? ずっと傍にいてくれたのはなぜ?」

「カナ、さっきも言ったよ。君を守ると決めたって。だから、傍にいるのは当然だろう?」

「…そうなのね。ありがとう、本当に助けられたわ」

「良かった、カナのピンチに間に合ったみたいで」


 私たちは二人でくすくすと笑い合った。そして侯爵家の馬車に乗りこむと、屋敷へと急いだ。


「フォグ、私を花嫁にって…あれは本気なの?」

「ああ、そうだよ。カナしか要らない。だから、一緒に精霊の国へ行ってくれるかい?」

「でも…私は…」


 私が俯いてしまえば、私の手をぎゅっと握ってくれる。


「私が人間ではないから不安かい? それとも君は私のことをずっと女性だと思い込んでいたことが…無理だと思ってしまう原因?」


 私は首を横に振る。決してそういう理由ではない。でも、正直言えば気持ちがどこにあるのかなんて分からない。だから、正直に伝える。


「私は猫のフォグは大好きよ。だけど、精霊王様としてのフォグは…分からない」


 猫のフォグは私にとって大事な存在だ。まだ結婚してもいない私が言うのも変だけれど、子供のような愛情を感じているし、親友のような、そしてかけがえのないパートナーという認識は持てても、生涯の伴侶という感覚は…どうしても難しいものだった。


「うん、分かってる。それでも聞いてる。精霊の国に一緒に行ってほしい」

「フォグ、それは拒否権…ない、のよね?」

「…うん。君を守るためにはそれしか方法がないから」


 私を守るためには? この後何があるというの? フォグはそれを知ってる? 色んな疑問が浮かんでいく。けれど、私にはそれの答えを得る手段がない。だから、直接問いかけるしかない。


「ねぇ? もしかしてだけど。これから…何かあるの? そのせいで私はこの国では生きていけなくなるの?」

「半分正解で半分不正解。何かが起こるのは事実。だけど、生きていけないわけではないよ。むしろ逆かな。厚遇されることになるだろう。でも、そうなると君は…自由を奪われることになる」


 私の自由が奪われる? どういう意味だろう? 少し考えている間に馬車が屋敷へと辿り着く。そして停まる。フォグが私をまた抱き上げ、そのまま馬車から降りた。馬車が停まったのは門をくぐって玄関前だ。夜会やパーティなどがあると必ず執事と私付きの侍女が待っていてくれる。

 降りてきたフォグと私を見て警戒する執事達に、私が体調を崩して一人で歩けないため助けてもらっていると伝えると皆フォグへの警戒を解いた。

 代わりにフォグの弟妹猫達が私たちの周りで何か訴えているようだった。それに対しフォグが何かを告げる。それを聞き届けると猫達は一目散に屋敷内に駆け込んでいった。一体何が?

 暫くすると、屋敷の方から侯爵家お抱えの騎士が一人駆けつけてきた。見たことがあるような気がするけれど誰だろう? その騎士がフォグの代わりに私を横抱きにして私の部屋へと運んでくれた。フォグも話があるから、と一緒に私の部屋へと同行することになっていることを執事に伝えた。

私の部屋の前にはやはり見たことがあるような気がする侍女が扉前で控えていた。侍女が扉を開け、騎士に横抱きにされた私とフォグ、そして3人が部屋に入ったことを確認した侍女が自身も部屋の中に入り扉を閉じた。フォグは部屋に入るなり結界を張り、誰も入れないようにしていた。

私をソファに座らせ、その隣にフォグが座る。


「カナ、よく聞いて。私が君のことを精霊の愛する者だと明かしてしまったから、人は“君”を手放す不利を考えて、きっと君をこの国から奪われないように捕らえようとするだろう。だから、今すぐにこの国から脱する」

「え? 待って。私を手放す不利って何なの?」


 私はフォグの腕を掴み、必死に問う。きっと私の人生を左右するであろう選択になるというのを直感的に理解していたのだと思う。


「君がいなくなれば、この国から精霊の祝福が少なくなる。この国にも精霊に愛される存在はいる。だから、全く精霊の祝福がなくなることはない。でも君の、精霊から愛される様は普通ではない。その為にすぐに君を軽んじた者達が自身の選択の失敗に気付けるはずだ」


 うん? 少し…大袈裟では、ないの? 私一人いなくなっても、精霊の祝福……。そこまで考えて、一つの記憶が蘇ってくる。


「……あ」


 前世の私が、死ぬ直前に偶然SNSで発信されたジュエルバタフライの最新情報だ。精霊の愛する者が去った後の世界が描かれた四コマ漫画だった。はっきりとは思い出せてはいない。でも、瓦礫が広がる街並みや荒れた農地や森林、国が廃れたような様子が描かれているところは覚えている。

 もしかして、あれは…ネタではないの? 本当にそうなってしまうの? でもあの四コマ漫画はテイストはギャグだったから…あのままというわけではないと思っていいのだろうか?


「…私がいなくなると、この国はどうなるの? 国が荒れてしまうの? まさか戦争ということはないでしょう?」


 私は掠めた記憶の画像が打ち消せなくて、聞いてしまう。フォグは私の頭を優しく撫でて、それから首を少し傾げる。


「きっと大丈夫。だけど…君が捕らわれてしまったら、精霊達はそれを許さないから、別の意味でこの国は…廃れるかもしれないね」


 よく分からない。何か異変はあるのかもしれない。けれど、私が自由を奪われてしまえば、精霊達がそれを許さない。だから、その為にこの国に大きな何かが起こる。

それだけは理解出来た。ただ理解出来ただけであって、私が精霊の国に行くことを納得したわけではなかった。でも、間違いなく私がこの国に留まることはダメなんだということだけは事実なのだろう。だから、私はこの国から去ることにした。

 家族のことで言えば、両親に対してはもう諦めている。私を駒としか見なかった人達だから。でも、お兄様もお姉様達も、私を大事にしてくれた。いつもあの両親から守ってくれていた。無理だった時には必ず揃って私を抱き締めてくれて、絶対に私を悲しみの中だけにいないように、と心を砕いてくれていた。

間違ってもお兄様達のことを苦しめたいわけじゃない。だったら…私は、去るべきだと思った。二度と会えなくなるとしても。


「今この部屋にいるのは、精霊と人間のカナだけだ」

「え? 騎士と侍女の二人は…まさか、精霊って……! ブルーとエリンなの?」


 精霊王のフォグ、その弟のブルーと妹のエリン。そして私。前世の記憶にあるロシアンブルーのような毛色を持つ猫になっていた、フォグの弟妹猫も精霊…。

そうだ、ヒロインであるキャロル嬢が嫌がった猫達は精霊だった。そうして私はこの日、猫の姿に変えていた精霊王のフォグ達と一緒に、人間の住む国から去った。


 私達が去った侯爵家では、ディーコン侯爵家当主の父が私を探すために必死に奔走していたらしい。それと同時に精霊の愛する者である私との婚約を()()()()()破棄した王太子は嫡子としての資格をはく奪されたところまでは噂好きの精霊達から聞いたけれど、他の令息達については何も知らない。

ただ精霊の国に住むようになった私は、どこまでが真実なのか知る術はなかった。

もうすっかり当時の事を忘れた頃に、当時の王族は皆精霊から厭われ、新たな王家が立ち、旧王家は血が絶えたと聞くことになった。きっとあの時キャロル嬢に取り込まれた令息達の家も同様に消えたのだろう。

兄はディーコン侯爵となり、両親を領地へ押し込めてしまったため、精霊達からは守られている。何より私が兄や姉達を大切に思っているため、精霊達はちゃんと分かっているようだ。

 カラルナ国は暫くの間、私の存在が消えたために、多少の生活レベルが落ちるような状態が続いたようだ。それは精霊達が私の傍にいて、カラルナ国へと出向こうとしないことで理解出来た。ただそれも10年も経てば落ち着いてきたようで、精霊達も徐々にまたカラルナ国へと足を向け民の中でお気に入りになる人間を見つけて交流するようになっていった。その頃にはもうすっかり国は穏やかな生活を取り戻せていたと精霊達から聞いた。元婚約者とキャロル嬢がどうなったのかは、精霊達は知らないらしい。



 あれから私は精霊の国で、穏やかな日々を過ごしている。いつも暖かく私を見守ってくれるフォグだけでなく、フォグの弟ブルー、妹エリンの二匹は猫の姿のままで私の膝の上にいることが多かった。私が猫に癒されることを知っているせいだろう。私は二匹の毛並みに顔をうずめながら、幸せを堪能していた。すると、フォグは必ず猫の姿に戻って私を独占しようとして、兄弟喧嘩を始めるのだった。けれど、フォグは精霊王として人と同じ形を取ることが多く、その分私に対して常に愛情表現を示してくるのだった。

 でも、私が一番フォグから示されるもので嬉しいのが、実は猫の姿の時のものだ。


 朝、起き抜けにまだ目がしっかりとは覚めていない頃、猫のフォグは私を起こそうとして小さな前足を使って、顔をテシテシと叩く。もちろん、爪を立てることもないし、叩くとは言っても痛いわけじゃない。むしろ、柔らかな被毛が肌に触れてくすぐったいくらいだ。それでも私が起きようとしなければ、そのうち猫の小さな口を軽く開けて、私の鼻を甘噛みし出す。

 私を傷付けるつもりのないそれは、本当に軽く鼻に口が当たるだけのもの。だからなのか、まるで猫からキスを贈られているような気持ちにさせられる。

 人の姿でしない理由は分からない。でも、私が猫のフォグに甘噛みされることに悶えているのは、きっと知られているのだろうと思う。

 だって、今は…人の姿で同じことをされている。腕の中に抱え込まれた状態で。驚きすぎて、固まってしまった私に笑っているフォグが少し憎らしいけれど。


「カナ。そろそろいい返事貰いたいな」

「……っ、はい」

「改めて聞くけど、私の花嫁として私と永遠を生きてくれますか?」

「はい、喜んで。……でも、一つだけお願いがあります」

「何?」

「あの…猫のフォグも堪能させてね? 猫のフォグも精霊王様のフォグも、大好きなので」


 私が顔を赤く染めてしまっている自覚を持ちながら、告げた条件にフォグは笑顔で頷く。


「知ってるよ、そんなこと。だから、大丈夫。カナだけのために猫になるし、カナのためだけに傍にいるから」

「ありがとうございます」


 私は精霊王の花嫁となる。それが人として生きていくことを捨てることなのだと知ったのは、精霊の国に来てからだった。花嫁となれば、死ぬことがなくなる。精霊と同じ性質を持つ。そして、私自身も人に祝福を授けることも出来るようになる、そういう存在に変わるのだと。そして、永遠の伴侶であるフォグとの間にも子供をなすことも可能だというのも知った。


 私は人間の時には持てなかった本当の意味での家族というものを、精霊の国で持つことが出来るのだと思えば、幸せだと感じられた。そう、前世では両親を早くに亡くし子供のいなかった叔父の家で大事にしてもらっていた。大事にされていたけれど、やっぱりどこか遠慮があった。叔父も叔母も大好きな人達ではあったけれど、本当の両親のようには接することが出来なかった。

 そして、今世…両親は私に対して愛情をかけてはくれなかった。もしかしたら、彼らなりに何かあったかもしれない。でも、嫡男のお兄様とは明らかに違っていたし、出来の良いお姉様達とも違った。私だけ年が離れていたし、王太子の婚約者という立場がなかったら、もっと冷たい対応をされていたことが見て取れるくらいには。

 だから、自分の家族が持てることが嬉しかった。そして、フォグとの間に間違いなく大切だと思える気持ちも関係も築けている。私が婚約者との間に築けなかったそれは、きっと間違いなく互いに想い合う優しい温かいものだ。普通は、それを愛情と呼ぶのだと思う。でも、私はそうは呼びたくない。

 それだけではないように思うから。

幸せを求める気持ちも、与えたいと思う気持ちも、一人では成り立たないものだから。フォグと二人だけでも成り立たないとも思っているから。


 私は改めてプロポーズをしてくれたフォグに、彼の腕を取り自分の腕を絡める。


「私はずっとフォグだけを見つめてる」

「じゃあ、私は毎朝カナに甘噛みをしよう」


 突然そう言われれば、顔に熱が集まるのが分かる。そしてその熱が容易には去ってくれないことも。

私はフォグに絡め取られるように体を抱きかかえられると、そのまま二人の寝室へと運ばれてしまう。意地悪な私の花婿は、私をベッドに置くと猫に姿を変えてしまう。そして私の膝の上に乗り丸くなる。

そしてそのまま猫らしく眠ってしまうのだ。


それを分かっている私は、頭を撫でながら柔らかな被毛を楽しむ。


こうやって穏やかに生きていけることの幸せを

これからも続く幸せを

家族が増えていくかもしれない幸せを

二人だけで歩くかもしれない楽しさを

自身も誰かを助けられる喜びを

そして、いつか本当の意味で何かを守ることがあることを


私自身が



ここで存在することの意味を

ただ 存在することの意味をもう問う必要がなくなったことの意味を。


全てがただ静かに、今という時をゆったりと



揺蕩う

最後までお読みいただきありがとうございます<(_ _)>


投稿後に色々抜けがあることに気付いたので、修正しておりました。

意味判らない、と思われた方がいらっしゃったら申し訳ないです…。

猫の日というだけで思い立って投稿したのがダメだったのかも。

猫好きさんに届くといいな、な感じのものなので、猫好きじゃないよな方には申し訳ないです。

ひとまず、気が済んだので今日は猫画像漁って癒されてきます。

それでは!


※※ 追記 ※※

内容に一部抜けがまた見つかったので、修正しました。

それから、異世界転生/転移の日間ランキングにひっそりと紛れ込んでおります。

読んでくださった方々、そしてブックマーク登録と評価をしてくださった方々のおかげです。

ありがとうございます。もちろん、いいねをくださった方も嬉しかったです(^▽^)

活動報告でももそもそっとお礼を書いてます。

何はともあれ、「猫に幸あれ! 猫好きに幸あれ!」な気分で投稿しただけなので、読んで楽しんでいただければ満足ですヽ(=´▽`=)ノ

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