エピローグ
文化祭が終わって、一週間後。
雲一つない青空の下、屋上の塔屋の上に寝転んだ美琴は、いつものように、スマホに表示させた電子書籍を読んでいた。
「ミーコちゃん♪」
そんな彼女の耳に、頭のネジが一本抜けたような、妙に甲高い声が聞こえてきた。
美琴はスマホの画面から目を逸らし、声の主──法下院笑美に目を向ける。
「おう。もう喉はいいのか?」
「うん、ばっちり!」
塔屋の上に上った笑美は、にっこりと満面の笑顔を見せてくれる。それを見て、美琴もまた、安心したような微笑みを浮かべた。
文化祭の日、ステージ控室で倒れた笑美は、すぐさま法下院家の屋敷に運び込まれ、専属医師による治療を受けた。
発作が起こってからもステージに立ち続けたため、治療には時間がかかったが、何とか回復したらしい。
念のためということで、治療後も自宅療養ということになっていたのだが、こうして登校してきたところから見て、本当に全快したのだろう。
「よかったな、声が出せなくならなくて」
「うん。でも、惜しかったなぁ。あそこで発作が起こらなかったから、絶対部活になってたのに」
笑美は悔しそうに言った。
結局、笑美と美琴はアンケートで首位を取ることはできなかった。
人気がまったくなかったわけではない。ただ、最初に笑美が一人でステージに上がったこと、そして声を失った時点からは即興ネタをやったことが原因だと思われた。
「でもお前、諦めるつもりはないんだろ?」
「もちろん! 同好会でも頑張るよ!」
力強くガッツポーズを決めながら言う笑美。
それを見て、美琴は呆れたように小さく笑う。
笑美は、学校非公認のお笑い同好会を発足させようとしているのだ。
同好会だと、部室や部費が与えられなかったり、練習場所が確保できなかったりと、正式な部活と比べて待遇は悪くなるのだが、笑美はやる気満々である。
もっとも、喉のことがあるので、笑美が直接お笑いの演技をすることはない。
監督兼脚本家として、メンバーといっしょにコントを作り上げていくそうだ。
お笑い部というよりは、コント専門の演劇集団といった存在になりそうである。
ちなみに、笑美自身が演技をしないと決めたのは、今回の事態を重く見た法下院家使用人一同が、必死になって説得、あるいは懇願した結果らしい。
「ただ、もうミコちゃんと漫才ができないのは、残念だよ」
「……」
美琴は、文化祭のステージに出るだけという前提で、笑美に協力していた。
文化祭が終わった今、笑美と組む理由は、確かにもうない。
ただ。
「あー……それなんだけどよ、笑美」
「え?」
「アタシ、進級がやばそうなんだ」
「進級?」
きょとんとした顔になる笑美。そんな笑美を見ながら、美琴はまごまごし始める。
エリート進学校である真財高校においては、美琴のような身勝手な不良は、進級すら危うくなる。例え国語の成績が学年トップクラスだろうと、それは変わらない。
「で、担任に聞いたら、何か部活とか同好会とかやれば、一応はプラスとして評価できるらしくてさ……」
「うん???」
天然である笑美は、基本的に察しが悪い。
美琴は、若干のムカつきと羞恥心で顔を真っ赤にしつつ、言葉を紡いでいった。
「だ、だからだな。お前と漫才の練習すんの、楽しくないこともなかったし……同好会メンバーもまだいないんだろ?
それで、まぁもうちょっとだけなら、付き合ってやってもいいかなって……」
美琴がごにょごにょと言い続けるうちに、ようやく笑美も合点がいったらしい。
話を聞くうちに、徐々に笑美の顔が笑顔に変わっていく。
「つ、つまりだな!」
「うん! つまり、私といっしょに、ふんわりもっちり、優しい味を目指してくれるってことだよね!」
「いい加減、パンネタから離れろー!」
心地よい晴天の下で、真財高校の屋上中に、美琴のキレのよいツッコミが響き渡った。
「「……っぷ、あははははは!」」
笑美と美琴は、いっしょに棟屋の上に寝転んで、大口を開けて笑った。
思い切り笑いながら、美琴は思う。
こいつといっしょなら、最高に笑えて、最高に楽しい高校生活が送れるだろう──と。
***
場面は変わって、美琴の暮らすアパート──その中にある美琴の私室。
六畳程度の部屋は、古今東西のあらゆる本と、無数の本棚で埋め尽くされており、それ以外にあるものと言えば、学習机とベッド、そして机の横に置かれたごみ箱くらいである。
そして、そのごみ箱の中に、ぐしゃぐしゃに握り潰された煙草の箱が入っていた。
「二度と吸わない」。そんな決意が込められているかのような潰れた煙草を、窓から差し込む初秋の陽射しが、優しく照らしているのだった──。
(完)