表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
JK漫才のすゝめ  作者: 壱の人
6/7

第6話

 体育館倉庫にて。


「らぁあああ!」


 投げ飛ばし、地面に倒れさせた男子の顎に、美琴が蹴りを入れた。蹴られた男子は気を失ったようだ。

 ちなみに周囲には、同様に気絶している少年が、何人も倒れている。


「ぜぇ、ぜぇ……おら、どうした! かかってこいよ!」


 体のあちこちに青あざを作り、息を激しく切らせ、大量の汗を噴き出しつつも、美琴の覇気は衰えない。

 むしろ、彼女と戦っている少年たちの方が、士気を落とし始めていた。


「やるね。まさかたった一人で、ここまで粘るとは思わなかった」

「はっ! 土下座して謝るなら、半殺しで許してやらないでもねぇぞ?」


 安久人の向かって、不敵な笑みを浮かべる美琴。しかし安久人は、なおも余裕を崩さない。


「……土下座? なんで僕がそんなことをしなくちゃいけないんだい?」

「ほぉ、ぶっ殺される方がいいってか」

「そうじゃなくてね。ちょっと耳を澄ませてみなよ」


 美琴が眉をひそめた瞬間、複数の足音が聞こえてきた。

 かなり激しく走っているような音だった。人数は、おそらく十人以上だろう。


「おい遠藤! どこだ!」

「返事をしろー!」


 続けて、成人男性のものらしき野太い声も聞こえてきた。いずれも美琴以上に口汚い口調だった。

 その声を聞いて、美琴は察する。


「まさか……」

「言ったでしょ、鬼瓦組に女優を紹介する手はずだって。ここで引き渡す予定だったんだけど、ようやく来てくれたみたいだね」


 美琴の頬に、運動によってかいたものとは異なる、冷たい汗が流れた。


「君が強いのは認めるよ。でもさ、成人男性、それも本職である極道を相手に、勝てるかな?」


 口が裂けそうなほどに大きく笑う安久人。

 一方の美琴は、喧嘩によって昂っていた気迫が、一気に沈んでいった。


***


「引っ込めへたくそー!」


 体育館ステージでは、ステージ上の笑美に向かって、観客がヤジを飛ばし始めていた。物を投げようとしている者さえいる。

 笑美のネタが意味不明過ぎることで、いい加減苛立ってきたのだ。


(こ、こうなったらもう、私が脱ぐしか……!)


 ステージ上の笑美は、混乱のあまり、持ち前の天然を加速させていた。

 言うまでもなく、ステージに出た演者が、それも女子生徒が突然脱ぎ出すなど、言語道断である。

 しかし、観客を楽しませようと必死になっている笑美の中では、もはや常識というストッパーが機能していなかった。


「ふんぬらばーっ!」

「「「!?」」」


 謎の掛け声とともに、自らの制服の裾を掴み、脱ぎ捨てようとする笑美。当然観客たちは混乱の渦に飲み込まれる。


「ちょ、何してるのよ!」


 司会者として控えていた女子、および会場スタッフとして動いていた実行委員たちが、急いで笑美のもとに駆け寄り、彼女の脱衣を止めようとした。

 しかし、最大レベルでテンパっている笑美は、止まらない。


「離して! もうこれしか、盛り上げる手段がないのよ!」


 脱衣を続けようとする笑美が、実行委員たちと格闘し始めた、その瞬間であった。



「脱ぐなー!」



 体育館内に、大きな声が響き渡る。


「……え?」


 聞き慣れたその声に、笑美が一瞬動きを止めてしまう。

 否、笑美だけではない。突飛な出来事で驚いた実行委員も、そして観客も、口を閉ざしていた。

 水を打ったように静まり返る体育館の入り口に、笑美が視線を向ける。

 すると、そこには──


「脱ぐな! お前が脱いでも、誰も得しねぇから!」


 体のあちこちに青あざを作り、息を激しく切らせ、大量の汗を流す女子生徒の姿があった。


「ミコちゃん……!」

「とーう!」


 美琴は、明らかに全力とわかる勢いでステージへと駆け寄ると、檀上に飛び上がる。


「脱ぐな! お前が脱いでも、誰も得しねぇから!」


 そして、檀上のマイクに向かって、先ほどのセリフを繰り返しつつ、笑美にウィンクを決めてきた。

 それを見た笑美は、一瞬でピンとくる。


「そんなの、脱いでみないとわからないじゃない。これでも私、スタイルには結構自信があるんだよ?」

「へぇ。もしかして、今日に備えてダイエットでもしてたのか?」

「うん! 大好きなジュースを我慢して、ラーメンを飲んでたの!」

「脳みそまでダイエットしなくてもよかったんじゃねぇか?」

「「「……ぷっ、あははは!」」」


 会場の至るところから、小さな笑いが起こった。

 どうやら、先ほど野次を飛ばしていた観客すらも、笑顔になっている。

 それを見て、笑美を押さえつけようとしていた実行委員も、動きを止めた。


「ミコちゃん、どうして……」


 笑美は、マイクに声が入らないように注意しつつ、美琴に尋ねた。

 一方、美琴は小さく首を横に振る。


「詳しい話はあとだ。更衣室のくだりから行くぞ!」

「……うん!」


 笑美は小さく頷いた。

 確かに、今はステージの真っ最中だ。演者の細かい事情などどうでもいい。

 今はただ、目の前のお客に向かって、全力で演技を披露するのみだ。

 控室に戻っていく実行委員を尻目に、笑美と美琴の心は、一つになったのだった。


***


 体育倉庫では、安久人を含めた少年たちが、地面に座らされていた。


「す、すみませんでした。組長さんの血縁者とは知らなくて……」


 彼らはいずれも顔に青あざを作っており、恐怖で体を震わせている。

 その惨状を作り出したのは、彼らの前に立つ成人男性たち──特に、その中でもっとも背の高い、サングラスの男であった。


「まぁそうだろうねぇ。何しろ、おいちゃんが嫁と離婚してから、一度も会ってないんだから」


 自分の顔にかけたサングラスを、わずかにずらしながら言う男。黒いレンズの端から覗く目は、わずかに視線が合っただけでも、子供が泣き出してしまいそうなほど、怒気に溢れていた。

 彼の名は鬼瓦正蔵。近辺最大の暴力団・鬼瓦組の組長である。


「ど、どうか、命だけは助けてもらえないでしょうか……?」


 恐怖のあまり、今にも失禁しそうな安久人が尋ねる。それを聞いた正蔵は、ため息を一つもらした。


「おいちゃんね、昔っから、腕っぷししか取り柄がなくってさ。それだけを頼りにしてきたのよ」

「は?」


 唐突に始まった自分語りに、安久人は恐怖すら忘れ、目を丸くしてしまう。


「喧嘩の強さから『鬼の正蔵』なんてあだ名をつけられてさ。おいちゃんも昔は若かったから、そんな自分に酔って、色んな奴に喧嘩売っちゃあ勝ちまくってたのよね。

 まぁ当時はひたすら楽しかったんだけど、ある時すごい後悔した。いつだかわかる?」

「い、いえ……?」


 正蔵の言いたいことがわからない安久人は、思わず正直に答えてしまった。

 それを聞いた正蔵は、再びため息を吐く。


「おいちゃんの喧嘩を嫌がった嫁が、おいちゃんと離婚して、娘を連れてっちゃった時だよ。

 裁判で親権取られて、会うことも禁止されてさ。おいちゃん、それまで泣いたことがなかったんだけど、その時だけは号泣した」


 鬼の目にも涙って奴さ──と、遠い目で語る正蔵。

 安久人の顔色が、さらに悪くなった。


「さっきも言った通り、娘とはそれ以来、一度も会ってないんだ。だもんだから、組の若い衆から、娘を女優にしたビデオを撮るって聞いた時は、心臓が口から飛び出るかと思ったよ。で、居ても立ってもいられなくなって、飛んできたってわけ」


 正蔵の睨みがさらに険しいものになる。

 白目の部分が激しく充血したその目は、殺意すら感じ取れそうで、まさに「鬼」を想起させるものであった。


「ひぃいいい!?」


 安久人はもちろん、他の少年たちも悲鳴をあげる。そんな少年たちに、正蔵は一転して優しい声をかけた。


「そんなに怖がらなくていいよ。ほんの一瞬だったけど、君たちのおかげで、娘ともう一度会えたんだ。感謝してるくらいさ」

「か、感謝……? 許してくれるんですか?」

「許す、許す。うちの組に、結構な利益ももたらしてくれるわけだしね」

「利益……?」


 疑問符を頭の上に浮かべる安久人。そんな安久人の疑問に答える前に、正蔵は手を二回たたいた。


「それじゃあみんな、撮影場所まで彼らを運ぼうか!」

「「「うぃーす」」」


 正蔵の周囲に立っていた組員たちは、彼の言葉を合図とするように、安久人たちを担ぎ上げた。


「あ、あの! 撮影ってなんですか?」

「だから、君たちが主演のビデオを撮るんだよ。現役高校生ってだけでも需要はあるし、その上、君──遠藤君だっけ? わりとイケメンだから、きっと人気者になれるよ♪」


 朗らかに笑いながら言う正蔵。それを聞いた安久人は、一瞬で自分たちのたどる末路を悟り、顔を青を通り越して土気色にした。


「い、いや、ちょっと待って!」

「大丈夫大丈夫、ちゃあんと相応の報酬は渡すから。ほら、今年の四月から、高校生も大人ってことになったじゃん? ルール的にもオッケーだよ、きっと!」

「それは十八歳からって話で──いやそんなことより、お願いです! 他のことならなんでもしますから、それだけはご勘弁を!」

「そう? まぁ君たちが望むなら、非正規のお医者さんを紹介するのでもいいけど。若いんだし、内臓の一つや二つ、なくっても生きていけるよね♪」

「いぎゃあああああ!」


 泣き叫ぶ安久人と少年たちを、組員たちは担ぎ上げ、どこかへと連れ去っていった。

 あとに残された正蔵は、懐から煙草を取り出し、火を点ける。


(さぁて、美琴は間に合ったかねぇ)


 正蔵は職業柄、町の情報に敏い。さらに安久人の宣伝もあったっため、美琴が文化祭のステージで漫才をするという話は、何となく耳に入っていた。

 正蔵に助け出された美琴は、「行くところがある」とだけ言って走っていったのだが、目的地はまず間違いなくそこだろう。


(なんで漫才なのかはわかんないけど、頑張れ、美琴)


 妻との約束があるため、そして娘自身にも恨まれているため、正蔵は観客になることもできない。

 だが、それでも心の中でだけ、娘のことを応援するのだった。


***


 場面は再び体育館ステージへと移る。

「私ね、自分で言うのもなんだけど、結構なお嬢様なんだ」

「へぇ、そうなのか。何かお嬢様っぽいエピソードとかあるのか?」

「そうだなぁ……あ、そうだ! この間、カップラーメンを食べたの!」

「庶民以外の何物でもねぇな」

「違うの、生まれて初めて食べたの! そしたらあまりに美味しくって、もっとたくさん食べたくなってね。つい製造メーカーごと買い占めちゃった!」

「どおりで最近カップ麺が売ってなかったわけだ!」

「次は惣菜パンを攻めようかな?」

「しまいにゃ庶民の食い物がなくなりそうだな」

「パンがなければ、製造メーカーごと買い占めればいいじゃない」

「いつぞやのフランス王妃でも、そこまでの無茶ぶりはしねぇよ」

「「「あははははは!」」」


 会場から、ステージを揺るがすかのような、大きな笑い声が響いてくる。

 その声を聞いた美琴は、手ごたえを感じていた。


(よし、いけるぞ……!)


 笑美一人で場をつないでいた時間が長かったから、客がしらけてしまったのではと危惧していたのだが、そこは高校の文化祭。

 若い人間が多いため、場は盛り上がりを取り戻していた。


(このままラストまで突っ走る!)


 と、美琴が気合を入れ直した時だった。


「そうそう、王妃といえば──ぐっ!?」


 先ほどまで笑顔を保っていた笑美が、突如として顔色を変えた。


(笑美? ……まさかっ!?)


 喉を抑え、苦しそうにする笑美を見て、美琴は瞬時に察する。

 発作が起きたのだ。

 恐れていたことが起きた。本来なら、今すぐにでも病院に連れていくべきだろう。

 だが、今はステージの真っただ中。

 ここで急に演者が離れれば、観客からのアンケートで票を取れないのはもちろんのこと、会場の空気が悪くなり、このあとの演者に迷惑をかけてしまうだろう。


(どうする、どうすればいい!?)


 せめて、〆のネタだけでもやればマシなのだろうが、今の笑美にそれを要求するのは無茶である。

 持ち前の回転の速い頭を以てしても、打開策が浮かばず、美琴が困窮していると──


「え、笑美?」


 唐突に、笑美がジェスチャーを始めた。

 何かの皮を剥き、中身を食べるような仕草。おいしそうに咀嚼をしている彼女を見て、美琴はピンと来る。


「もしかして、バナナか?」

 美琴を指さし、正解だと言うようにサムズアップをする笑美。その動作はかなり大きいため、会場からも見えている。

「なるほど、お前、自分はバナナが好きだって言いたいんだな?」

 何度もうなずく笑美。

「で、それが?」

 ニコニコ笑うだけの笑美。

「それで終わりかい!」


 会場から笑いが起こった。しかし、即興で作ったネタなためか、そう大きなものではない。

 しかし、それでも笑美は、美琴に向かって、小さくガッツポーズを見せた。


(こいつ……続ける気か!?)


 声を出すこともできず、その上症状が悪化すれば、声自体を失うかもしれないという状況で。それでも笑美は、漫才を続けようとしているのだ。


(いや、しかし……!)


 美琴の口から、小さく歯ぎしりの音が鳴った。

 笑美自身を想う気持ちと、彼女の覚悟への敬意が、彼女の中で激しく争っているのだ。

 そんな美琴に、真剣この上ない笑美の目が、訴えかけた。


 

 ──お願い、続けて。終わったら、いくら怒ってくれてもいいから!!


 

「おいおい笑美。漫才なんだから、もっとわかりやすいネタやろうぜ! お客さんがひいちゃうだろ?」


 おどけたように言う美琴。無論、このおどけは演技だ。

 美琴は、最後までステージをやり抜くと決意した。腹をくくったのだ。

 決め手はただ一つ──美琴自身も、笑美の人生を懸けた漫才を、見てみたくなったのだ。


(付き合うぜ、笑美。地獄の底まででもな!)


 笑美へ向けてウィンクをする美琴。それを見た笑美は、お客に気づかれない程度の、小さな笑顔を見せてくれた。

 そして笑美は、懐からスケッチブック──美琴は知らなかったが、こうした事態のため、笑美が用意していたものである──を取り出し、何かを描き始めた。


「んん? 何か絵を描くのか?」

 観客にもわかるよう、美琴がそれとなく解説を入れる。その間に、笑美は恐るべきスピードで絵を完成させていった。

 最初はボーリング玉らしき絵の右に「―リング」、その下に禿げた頭から伸びる波線、最後に手のひら。

 それを見た美琴は、再び合いの手を入れる。

「最初は『ボ』? 次は……髪の毛? あ、『ケ』か!」

 笑美はこくこくとうなずきながら、やはり観客にも見えるよう、両腕で大きな輪を作る。〇と言いたいようだ。

「おっしゃあ、当たったんだな! じゃあ最後は、手のひらだから……『て』! 並べると『ボケて』! 何かボケろ、ネタを出せってことか!」

 美琴の台詞を聞いた笑美は、スケッチブックにハイスピードで筆を走らせ、こう書いた。

『大正解! 流石はミコちゃんだね!』

「最初から素直に「ボケて」って書けや!」


 キレのよいツッコミを入れる美琴。会場から再び笑い声が聞こえてきた。


(よし、いいぞ! このまま〆のネタに入れば、形にはなる!)


 美琴と笑美は目と目で合図を交わした。


「よーし笑美、スケッチブックネタは面白くていいが、そろそろ時間だ。最後に、お客さんに挨拶して終わろうぜ」

 こくりとうなずき、再びスケッチブックに何かを描いていく笑美。

 そして絵が出来上がると、彼女は観客に向けて掲げてみせた。

『後半に続く!』

「続かねぇよ! 終わりだって言ってんだろー!」

「「「あははははは!!!」」」


 会場は、最後の大盛り上がりを見せた。

 観客に頭を下げながら、ステージを降りていく笑美と美琴。その間も、彼女たちは歓声と拍手に包まれていた。

 アンケートの結果はわからない。しかし、美琴の心は、ステージをやり切った充実感であふれていた。


「やったな、笑美!」


 控室に戻ったところで、美琴は先を歩いていた笑美の肩を叩く。

 しかし、笑美が美琴を振り返ることはなかった。

 なぜなら、彼女はそのまま、ドサリと音を立てて、横向きに倒れてしまったからだ。


「笑美!? しっかりしろ、笑美―!」


 美琴は倒れた笑美を抱きかかえた。しかし、彼女は既に意識を失っており、どれだけ呼びかけても反応がない。


「誰か、医者を……法下院家に連絡してくれー!」


 美琴の悲痛な叫びが、控室に木霊していく。

 しかしその声は、ステージで始まっていたロックバンドの音声によって、かき消されてしまうのだった──。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ