第5話
体育倉庫にて。
体育の授業で使う道具が所せましと並んでいるため、ただでさえ圧迫感のある狭い空間に、何人もの男が立っていた。
昨夜、美琴の頭部を殴打し、気絶させた少年たちである。
彼らの中心には、椅子に座らされ、さらに鎖でがんじがらめになっている美琴の姿があった。
そんな美琴に、少年たちのリーダー格らしき男子が、声をかける。
「さて、連絡は終わった。リハーサルの真っ最中だろうけど、法下院さんなら、きっとすぐに駆けつけるだろうね」
美琴から奪ったスマホを手で弄びつつ、邪悪そうな笑みを浮かべる少年。美琴は彼を憎々しく睨みつけた。
「喧嘩の仕返しにしちゃ、手が込んでるじゃねぇか」
「そうかな? 病院送りにされた仲間もいるんだし、妥当なものだと思うけど。それにこの程度の仕込み、僕にとっては朝飯前だしね」
「お前の腕ならそうかもな。アタシらの宣伝やらステージのトップバッター権やら、大したもんだと思ってたぜ──」
「遠藤安久人!」
縛られたまま、目の前にいる少年たちのリーダー格──遠藤安久人に向かって、美琴は吼えた。
「まさかお前が黒幕とは思わなかったぜ。そいつらは友達か?」
安久人の周囲に立っている少年たち見ながら言う美琴。安久人は頷いた。
「ああ、中学の時からの友人でね。お互い持ちつ持たれつ、いい仲間だよ」
にやりと悪人顔で笑う安久人。周囲の少年たちも、安久人に追随するように笑っていく。
言外に、今までもかなりの悪事をやっていたと含む言い方だった。おそらく、安久人を頭、彼らが手足として動いていたのだろう。
美琴は不安を覚えたが、それを決して悟られまいと、さらに目に力を入れる。
「アタシと笑美に協力してたのも、報復のうちだったってわけだ」
「まぁね。ステージではトップバッター、君たち目当てのお客も結構来ている。もちろん練習はきっちり仕上げていて、さぁ本番ってところで大失敗。むしろ不戦敗かな。楽しい余興だろ?」
「てめぇがくたばれば楽しいかもな!」
再度吼える美琴。しかし安久人とその仲間は、愉快そうに笑うばかりだった。
「さて、そろそろメインゲストが到着することかな──」
美琴のスマホ──厳密にはそこに表示された時刻を見ながら言う安久人。
次の瞬間、安久人の予想は的中する。
「ミコちゃん!」
「笑美!」
走ってきたのだろう、額に汗を浮かべている笑美が、体育倉庫の入り口を開け、顔をのぞかせていた。
「捕まえろ」
「え? ──きゃああっ!?」
安久人が言うと、彼の仲間たちが、すぐさま笑美を羽交い絞めにして、地面に押し付ける。
さらには、彼女のポケットからスマホをかすめ取った。
「てめぇら! 笑美から手を放せ!」
美琴が立ち上がろうともがくも、彼女を拘束している鎖から、甲高い金属音が激しく鳴るばかりだった。
「大丈夫。法下院さんには何もしないさ」
「何?」
安久人の言葉を聞き、一瞬だけ動きを止めてしまう美琴。
一方安久人は、笑美が見られるように立ち位置に気を配りつつ、美琴の顎を掴んだ。
「繰り返そう。法下院さんには何もしない。拘束した上で、黙って見ててもらうだけさ」
「見ててもらう……? 何をだ」
「津崎さんが撮影されるところを、さ」
「!?」
撮影と聞いて、美琴の顔色が変わる。
「鬼瓦組って暴力団、知ってるかい?」
「……ここらで一番でかい組だろ。この町に住んでる奴なら、誰でも知ってるさ」
「その通り! 実は僕、そこの組員とも知り合いでね。女優を紹介するって言ったら、喜んでくれたよ」
早い話、安久人はヤクザと結託して美琴の裏ビデオを撮影し、販売・流通させるつもりなのだ。
そして、それを笑美に見せつけるのだ。自分の友達が、無理やり暴行され、全国に晒される様を。
「動画配信全盛の時代でも、結構人気が出るんじゃないかな。僕がネットで頑張ったおかげで、津崎さん、今じゃそこそこ有名人だし──何より、現役女子高生だし♪」
「ぐ……っ!」
流石の美琴も、顔を青くしながら歯を強く食いしばる。そんな美琴を見て、笑美が必死に訴えた。
「やめて……やめてよ、遠藤君!」
「やめさせたいなら、助けを呼べばいいよ」
「え?」
安久人が言うと、笑美は驚きの表情を浮かべた。
「ほら、今日は文化祭だろう? たくさんの人が校内にいるんだ。この倉庫は校舎からそこまで離れてもいないし、大声で叫び続ければ、誰かが気づくんじゃないかな?」
「遠藤! てめぇ……!」
美琴が、殺気すら感じ取れそうな目で安久人を睨みつける。
安久人は笑美のスマホを取り上げた。となると、拘束されている笑美が助けを呼ぶ手段は、本当に大声を出すしかない。
しかし、笑美は喉に病気を抱えている。助けが来るまで叫び続けたりすれば、確実に発作が起きるだろう。
この後控えているステージは当然出場できず、それどころか、声自体を失う危険性さえある。
安久人は、全てを計算した上で言っているのだ。
「そんな……私、私……!」
拘束された笑美の口から、かたかたと歯の鳴る音が聞こえてくる。
「ねぇねぇ、今どんな気持ち? 自分を助けるか声を失うかで友達が葛藤しているのって、どんな気持ち?」
「この下衆がぁ! 笑美、声を出すんじゃねぇ! アタシなんかのために、喉を犠牲にするな!」
「でも、でも……!」
目じりに雫を貯めながら、笑美が美琴の方を見る。
「でも、そもそも、私のせいなのに……!」
「──!」
察しのよい美琴は、笑美の言わんとしていることに、一瞬で気づく。
今、美琴が拘束されているのは、あの夜、絡まれていた笑美を助けたから。
そしてあの夜、笑美は安久人に相方になってほしいと頼むべく、自ら夜の街に赴いていた。自分の都合で動いていたのだ。
つまり、今現在の美琴に、裏ビデオ出演という危機をもたらしたのは、笑美だと考えることもできる──!
「くっくっく♪ 法下院さんの立場なら、そう考えちゃうよねぇ。あんまりにも可哀そうだから、一応教えてあげようかな」
「あぁ!?」
「あの夜、僕が繁華街にいるって法下院さんが知ったのは、僕の情報操作のおかげだよ。法下院さんは僕と相方になりたがってたからね、誘導はそう難しくなかった」
「──!」
美琴の目が、大きく見開かれていく。
あの夜、笑美が安久人の仲間にナンパされたのは、偶然ではなかった。元から安久人に狙われていたのだ。
目的は、おそらく法下院家との交渉。大企業グループである法下院家の一人娘をさらえば、悪事に利用できると考えたのだろう。
たかが学生の考える悪事ではあるものの、様々な分野において、異常なほどの手際の良さを見せる安久人なら、実行できたかもしれない。
しかし、その計画は最初の一歩でとん挫した。美琴が彼らを叩きのめしたからだ。
ゆえに彼らは、美琴に対し、尋常ではない憎しみをたぎらせたのだ。
「ま、法下院さんが元凶だってことは変わらないけどね。さぁ、どうするかな? お・ふ・た・り・さ・ん♪」
安久人は、まるで自分の成果を自慢する子供のように──実際、笑美に情報操作を施したと説明したのは、単なる自慢以外の何物でもない──、心底楽しそうに言った。
それを見た美琴の目の前が、血のごとく真っ赤になった。
「遠藤ぉおおおお!」
これまでにないほどの力──怒りのあまり、脳が生来備わっている身体機能のリミッターを解除している──によって、美琴は暴れた。
あまりの腕力に、美琴を縛る鎖が緩んでいく。
そして、鎖から拘束する能力が失われると、美琴は弾かれたように飛び出した。
「うらぁ!」
「がふっ!」
「ぎゃあ!」
美琴はまず、笑美を拘束していた少年たちを殴り、気絶させた。
そして、笑美に背を向ける形で、安久人たちと対峙する。
「行け、笑美!」
「え?」
唐突に名前を呼ばれた笑美は、困惑を隠せない。
しかし美琴は構うことなく、叫び続ける。
「こいつらはアタシがなんとかする! お前はステージに行って、一人で客どもを笑わせて来い!」
「できないよ! 私、ミコちゃんがいなくっちゃ……」
「行け! お前ならできる!」
その場に座り込んだまま、葛藤する笑美。そんな笑美と美琴を見つつ、安久人はなおも残虐な笑みを崩さない。
「別にいいよ? 友達に見捨てられた挙句、凌辱されるっていうのも、それはそれで面白いしね。あ、法下院さん、人を呼んでくるのは無駄だよ。すぐに場所を変えるから」
「人を呼ぶ暇なんかねぇさ。こいつはこれから、ステージでみんなを笑顔にするっていう、大事な使命を果たすんだからな!」
美琴の言葉が耳に届いた瞬間、笑美の瞳に力が宿った。
「ミコちゃん……私、行くね!」
「おう!」
短い会話が終わると、笑美は立ち上がり、倉庫の入り口に向かって駆け出した。
「さぁて、やるか、遠藤!」
「ふん。少々護身術ができる程度で、どこまでやれるか、見せてもらおうじゃないか」
安久人を含めた数人の少年たちが、各々の手に鈍器を構え、美琴を睨みつける。
「うぉおおおおお!」
そんな少年たちに向かって、美琴が雄叫びを上げながら突っ込んでいった。
***
「はぁ、はぁ……遅れてごめんなさい!」
ステージ脇の控室に、息を切らせた笑美が飛び込んでくると、控えていた演者たち、そして文化祭実行委員の男子が、目を見開いて彼女を見た。
「何やってたんですか! もうお客さんは入ってるんです、しかもほぼ満員! すぐにステージに出てください!」
「はい!」
実行委員に促された笑美は、頭を下げつつも、そのままステージへに続く階段を上っていった。
「うわぁ……」
そして、ステージから観客席を見た瞬間、思わず感嘆の声が漏れた。
見渡す限り、人、人、人。
まず、同校の生徒は数知れない。その上、他校の生徒らしき同年代の少年少女、保護者らしき中年、さらには高齢者の姿もちらほら見受けられた。
おそらくは安久人の宣伝が原因なのだろう。例年と比べても、お客の数は多く、世代も幅広かった。
笑美は圧倒されつつも、ステージの中央へと移動していく。
ステージの床には、短く切られたビニールテープが十字に貼られていた。笑美の立つ位置を示すものだ。
笑美は十字テープの真上に立ち、隣の床を見る。そこには、同じようにビニールテープが貼られていた。
そちらのテープは、美琴が立つ位置を示していた。しかし、ここに彼女はいない。
美琴の不在を再度実感した笑美の額から、滝のような冷や汗が溢れ出ていった。
『みなさん、大変長らくお待たせしました! 私立真財高校文化祭目玉ステージ、開演です!』
ステージ脇に立っていた司会担当の女子──彼女もまた文化祭実行委員である──が言うと、ざわざわという声に満ちていた体育館が、水を打ったように静まりかえった。
『お堅い挨拶は抜きにしまして、早速一組めの演者にお願いしましょう! 一年生漫才コンビ≪ミコちゃん&笑美≫!!』
司会者に紹介されたことで、観客の視線が一気に笑美へと注がれる。
しかしその大部分は、疑念に満ちたものだった。
彼らの思うことはただ一つ。「なぜコンビなのに一人なのか?」である。
「み、みなさん、こんにちはー! さっそくですが、一発めのネタに入りまーす!」
笑美は会場の疑問に応じることなく、マイクに向かって叫んだ。
「実は私、結構なお嬢様なんですよー!」
本来なら、ここで「へぇ、そうなのか? 何かそれっぽいエピソードでもあるのか?」と美琴が合いの手を入れるはずであった。
しかし、今、美琴はいない。
どう頭をひねっても、苦肉の策すら思いつかなかった笑美が、何とか出した答えは──
「なんでやねん!」
自分自身にツッコミを入れるというものであった。
あまりにも突飛だったためか、あるいは哀れみなのか。会場内から、くすくすという小さな笑いは起きた。
しかし、大部分の観客は、頭の上に疑問符を浮かべるばかりである。
(やっぱりダメだよ、ミコちゃん……!)
手ひどく困窮しつつも、次のネタに移ろうとする笑美であった。