卒業を知らない先輩の涙を僕は卒業させたい
夕暮れの学校。
梅雨の時期も終わりを見せ始め、夏を迎えようとしてきたこの頃。
僕は懇意にしてもらっている先輩に呼び出された。
気にならない相手じゃない。むしろその逆。
僕は初めて先輩に会ったときから、声をかけてもらったときからずっと僕は先輩が大好きだ。
もちろん、それはライクなどでは絶対にない。
でも。だからこそ。
僕が屋上に向かう足取りは重い。
屋上の戸を開けて、僕は先輩の背中を真っ直ぐに見つめる。
そして、先輩は振り返ってこう言うのだ。
「私ね。ずっと秘密にしていたことがあるの」
じんわりと目に涙を浮かべる先輩を、僕はただ見つめることしかできないのに。
そんな僕に先輩は言うのだ。
「私の一年がどうやっても終わらないの」
それがもう、一一度目の告白だということを、先輩は知らない。
★☆★
先輩が卒業できない一年を何度も何度も繰り返している。
それを初めて聞いたとき、僕はすぐには信じられなかった。
最初は先輩の冗談だと思った。僕をてっきりからかっているのだと。
でもそれが冗談でも嘘なんかでもないことは、すぐに知ることになった。
先輩の最初の告白から一週間後のことだった。
「明日の十一時頃、上原公園から猿が一匹逃げ出すの」
それは運命によって決められているのだと、そんなふうに先輩は言った。
次の日の夕方、学校から帰ってきた僕の耳に飛び込んだのは、昨日先輩が言っていたニュースだった。
耳を疑った。
もしかしたら先輩が猿を逃がしたのではないかとも疑った。
しかし、その後すぐ先輩から電話が入り。
「三分後、アナウンサーがかむよ」
その三分後、アナウンサーは「つじゅ、続いてのニュースです」と先輩の言ったとおりのことが起きた。
この時点で僕は本当にそうなんじゃないか、と思い始めた。
そのあとも小さなことから大きなことまで、先輩の言うとおりのことが起き続けた。
結局、僕が先輩の告白を信じ切るまでに、一ヶ月もかからなかった。
僕は先輩に尋ねた。
「この一年は何度繰り返されているのですか?」
すると先輩は。
「これで二三回目。私はもう四一歳なの」
冗談交じりにそう答えた。
「今日の朝になるとね。なんの前触れもなく前のループの記憶が蘇るの」
先輩は笑ってそう言うが、どこか泣きそうな顔でもあった。
「最初に一年が繰り返されたとき、何かきっかけのようなものはなかったのですか?」
今度はそう尋ねた。
「何もなかった。だから私も最初は戸惑ったの」
つまり一年のループから先輩を解放できる手がかりは何もない状態だった。
だから僕と先輩は探し続けた。
この一年に起こることをすべて聞いて、その中の一つでも何かが変われば手がかりが現れるかもしれない。
見つけた手がかりは次のループで利用できる。
僕はきっと忘れてしまうだろうけど、先輩だけは憶えていられるから。
だから、とにかく手がかりを探すのに全力を注いだ。
そして運命の四月一日。
僕はこの世界がループしていることに気付いた。
それはつまり、僕がループする前の記憶を持っているということであった。
先輩からループしていることを教えてもらったことで、僕にも記憶が戻るようになったのだろう。
早速僕は先輩に会いに行こうとした。
しかし、それは意味のないことだとすぐに気付く。
先輩はあの告白の日でないと記憶が戻らない。
つまり、まだ告白されていない今、僕を先輩は知らない。
知らない人を相手にするわけがないのだ。
四月六日。
初めて先輩と会った日。
二年生になった僕に、先輩が一年生だと間違えて声をかけてきたのだ。
「よかったらだけど文芸部に入らない?」
一目惚れだった。
初めて会って、初めて声をかけられたのに、この人の傍にいたいと思った。
そして、文芸部は僕と先輩の二人だけ。
二人だけ、というこの言葉の響きがとても魅力的で、僕は前回と同じように文芸部に入った。
そして訪れる告白の日。
あの日と同じように屋上に呼ばれ、あの日と同じように悲しそうに告白されるのだ。
「私の一年がどうやっても終わらないの」
だから僕はすぐさま笑顔でこう返した。
「えぇ、知ってますよ」
当然、先輩は驚いた。
「誰から聞いたの?」
この言葉に違和感を感じた。
「誰って。先輩からですけど?」
そうして返ってきた先輩の言葉で、ここから僕の本当の地獄が始まる。
「私にそんな記憶はない」
先輩の記憶はこのループ以降、戻らなくなったのだ。
★☆★
先輩と過ごした一度目の夏は、それはもう楽しかった。
手がかりを見つけるため、以前の二二回ではしなかったことをしようとした。
ちなみに、僕への告白はあれが初めてではなかったらしい。
二二回目。
僕が知っている告白の前のループで、僕は一度先輩に同じようにループを告白されているらしい。
それが、どこか嬉しくもあったが、悲しくもあった。
なんだか知らない自分という他人に負けたようで、どこか悔しかった。
だから、そういう意味でも前のループで僕がしなかったことを特にしようと思ったのだ。
僕が知っている僕、つまり二三回目の僕は夏に海に行った。
二二回目の僕は山に行ったらしい。
悲しいことに僕は海が苦手だ。泳げないからだ。
海か山のどちらかと聞かれたら、僕が山を選ぶのも仕方がない。
それを聞いて二三回目の僕は「今度は海に行こう」と先輩を誘った。
先輩にカナヅチであることがバレてしまいとても恥ずかしかったが、その分先輩の水着姿を見ることができたのだから満足だった。
そして今、二四回目のループ。
二四回目の先輩は、二二回目の記憶までしかなかった。
「ループを告白したのは一回しかないはずなのに」
という先輩の言葉が深く胸に突き刺さった。
先輩が僕を忘れてしまっているようで。とても深く。
それでも僕は諦めなかった。
何度の春夏秋冬が訪れても、先輩が僕を忘れても、僕は先輩と何度も一緒にいた。
新しい試みを何度も試した。
山も海も行ったなら、今度は何もない野原を走り回った。
二人だけの肝試しもやってみた。
あらゆるお祭りに参加した。
秋には紅葉狩りをやってみた。
ほかほかの焼き芋を作ってみた。
ハロウィンで仮装をしてみた。
冬は子どもに戻って雪玉合戦をした。
かまくらを作ってミカンを食べた。
初日の出も、初詣もできることは全部やった。
それでも。
それでも。
何度もループを繰り返しているのに、先輩は二二回までのループしか記憶が戻らない。
先輩は未だに二三回目と思っているが、もうこの世界はそんな回数をとっくに超している。
僕の記憶は二三回を通り越しており、自分が少しずつ削られてきているのも知っている。
それでも僕の頭の中には。
「私の一年がどうやっても終わらないの」
「私の一年がどうやっても終わらないの」
「私の一年がどうやっても終わらないの」
悲しそうな表情で告白する先輩の顔ばかり。
それがなによりも辛くて、なによりも傷つけられている。
何度聞いても、何度見ても、先輩のあの顔が頭から離れない。
飽きるほど見たはずなのに、それがとても悔しくて悲しくて。
だから僕は諦めることができない。
★☆★
あれから、どれくらいの春が、夏が、秋が、冬が、何度の季節が廻っただろう。
無限にも思われたこの時間がついに終わりを見せ始めたのだ。
解決策を思いついたわけじゃない。
未だに手がかりも何も見つけられないまま。
ではいったい何が。
僕と先輩のやることだ。
あらゆることを試して、それでも結果は変わらない。
そうなると当然、やることがなくなってくるのだ。
それ以外は何も変わらない。
僕の先輩に対する思いとか。いろんなものが。
だから……辛い。
「くそ……」
先輩のいないところで何度声をあげたことだろう。何度泣いたことだろう。
「くそ……」
「くそ……」
「くそ……」
それでも先輩を解放してあげたかった。
先輩を涙から卒業させてあげたかった。
……誰か僕を、解放してほしかった。
★☆★
終わりを迎えたあとも、僕のやることは変わらなかった。
新鮮みがどれも欠けて、すべての日常が色褪せている。
だけど先輩の隣にいるときだけは、僕は自然な笑顔を浮かべることができた。
先輩だけは僕に彩りを見せてくれるのだ。
「私の一年がどうやっても終わらないの」
やめてください。
泣かないでください。
そんな顔はもう見たくないんです。
何度も何度も。
これでは……まるで。
「まるで?」
そうだ。
どうして今まで気付かなかったのか。
こんな簡単なことに気付かないほどに僕は傷ついてしまっていたのか。
いや、そんなことはもうどうでもいい。
先輩はループしていた。途中までは。
「今、ループしているのは……僕?」
いったい、いつから僕はループしていたのか?
★☆★
もはや僕が僕であったことの記憶は薄れて見えない。
先輩が気付けなかったきっかけを、今からどうやって見つけることができるだろう。
どうして。僕はこんなに。
それでも考えるしかない。
それが僕をループから解放できる唯一の方法。
……こんな仮説が浮かんだ。
ループしていることを誰かに言うことで、その相手にループを渡すことができる。
つまり、先輩が僕にループしていることを教えたことで、ループの対象が僕に移り変わった。
ありえない話ではない。
「いや。それはありえない」
そんなことを考えた自分をすぐさま否定する。
僕は、僕の知らない過去で先輩にループを告白されている。
先輩はそう確かに言っていた。
この仮説が正しければ、一度目の告白でループの対象は僕になる。
それはつまり、僕は過去の僕をすべて憶えていなければおかしい。
だが、僕は僕の一つ前の僕だけを憶えていない。
では、先輩が嘘をついていたと?
「そんなわけがない」
どれだけの先輩を見てきた。
僕は先輩よりも先輩を知っていると自負している。
先輩はそんなつまらない嘘はつかない。
先輩のあの涙は僕に対する罪悪感とか、そういう類いじゃない。
ただ純粋にSOSのサイン。
他にも根拠はある。
この仮説が正しいとき、僕はまだしも、先輩はループが始まる前に誰かからループされていることを打ち明けられていなくてはおかしい。
きっかけについて思い当たる節はないか、と聞いたとき、先輩は「ない」とはっきり答えた。
これも嘘だったと?
「バカバカしい」
ダメだ。
結局答えは見つからない。
何か他に別の条件があると見ていいだろう。
「先輩に相談する……? いや、ダメだ」
万が一にもありえないが、先ほどの仮説が正しかったとき。
先輩に相談するということは、先輩にループを渡してしまうことになる。
そんなのは本末転倒。絶対に許されない。
「じゃあ、どうしろって言うんだ」
自分に問いかけても答えは返ってこない。
……やはり、聞くしかないのだ。
リスクはあるが、作戦を思いついた。
記憶のない先輩を利用するようで、心苦しいが、今はそれしかない。
「……よし」
時計の針を見る。
一分後には四月一日。リセットの時間。
「必ず、先輩を卒業させてみせるよ」
僕は改めてそう誓って目を閉じる。
★☆★
再び訪れる一番嫌いな時間。
「私の一年がどうやっても終わらないの」
この先輩の言葉のあと、僕はずっと二三回目の僕を演じてきた。
だけど、今回からは二三回目ではない。
「どういうことですか?」
僕は知らなければいけないのは僕であって僕ではない。
二二回目の僕がどんなことをしていたのか、僕は事細かに知らなければいけない。
だから。
僕は僕が知らない二二回目の僕を演じる。
何度もループしてしまった僕は、二三回目の僕すらもう碌に思い出せないけど。
二二回目の僕は、僕にとって全くの未知。
だけど、目の前には二二回目の僕を知る先輩がいる。
本来、同じ動き、同じ話を繰り返すはずの僕が、繰り返さなかったら先輩はどう思う?
これはいわば、当てずっぽうだ。
僕が二二回目の動きをしなかったら、先輩がそれを指摘する。
それを何度も何度も何度も繰り返したとき、最後の僕は限りなく二二回目に近くなる。
そうして僕は二二回目の僕を知ることができる。
……そう思っていたのに。
★☆★
「ダメだ!」
僕が二二回目の僕を演じようとしているのに、先輩が二三回目の動きをしていれば、二二回目の僕ができるわけがないのだ。
そのことに気付いたのは、マヌケなことに数十回目だった。
いつまで経っても二二回目の僕を知ることができない。
沼から抜け出そうとすればするほど、沼に嵌まっていくかのような感覚。
もううんざりだ。
「先輩!」
だから、あのときの僕は、今までにないほど自暴自棄になっていたんだと思う。
「先輩が好きなんです! ずっと前から! 先輩が僕を知らないときから! だから助けたいんです! なのに、全然ダメで! 僕にはなんの力もなくて! なんの助けにもならない僕が、僕は大っ嫌いです! どうして僕は、僕は!」
僕自身、何を言いたかったのかはまったくわからない。
本当に自暴自棄になっていたのだ。
自分の想いを伝えたいのか、自分の弱さを伝えたいのか。
意味にも、理由にも、答えにも。言葉ですらない。
本当に何もないものだけを並べて、先輩に叫ぶことしかできなかった。
それなのに先輩は崩れ落ちる僕をそっと抱きしめてくれた。
「うん。知ってるよ」
本当は何も知らないのに。適当に言った言葉だと思った。
だけど、それは違ったのだ。
「前のときも、そう言って告白してくれたから。知ってるよ」
……。
「え?」
あまりにも予想外の言葉に、溢れ出たはずの涙が一気に引いた。
前の時もそう言って告白してくれた?
先輩にとっての前とはつまり。
「二二、回目?」
こんなことがありえるだろうか。
僕の知らない僕をここで見つけるなんて誰が予想できただろう。
あのときの僕が驚いたことで、頭が冷え冷静に演じることができたのは奇跡としか言いようがない。
「先輩」
こんなにも遠くて近いところに手がかりはあったのだ。
「僕と、付き合ってください」
先輩はそれに笑顔で頷いた。
★☆★
そういう、ことだったのか。
二二回目の僕と先輩は、恋人関係にあったのか。
思い返してみれば、二三回目以降の僕達は一度もそういう関係になったことはなかった。
僕はただ必死に出来事ばかりにとらわれて、先輩との関係には一切目を向けることはなかった。
……いや、違う。
考えてはいたのだろう。でも、それを自分自身で否定した。
僕と先輩では釣り合わないと。
先輩を誰よりも近くに思っているくせに、距離を置いていた。
僕には、先輩を救えないと諦めていたから。
先輩を救おうとしているのに、諦めているなんて。
そんな僕がどうして先輩と恋人になれると思えるだろうか。
「すごいな。二二回目の僕は」
今の僕では到底できないことを、過去にいた知らない僕はやったのか。
あぁ、敵わない。
「……それでも」
それでも、ここに来てようやく僕は先輩を救えることができるかもしれない。
二二回目の僕と先輩の関係性。
おそらくこれが、重要なピース。
仮説の中になくてはならない要素だとしたら。
「好きな相手に、ループを告白すること」
これがループの条件であり、誰かにループを移す方法。
口に出してみると、これしかないと思った。
確証も根拠もないけど、確かに、これが正解だとわかった。
……だが、それは、つまり。
「僕がこのループから逃れる方法って……」
僕が好きな相手にループしていることを告白しなければいけない。
とどのつまり。
ループを先輩に返すしか僕が救われる方法はない、ということで。
「っそんなの!」
そんなことができるわけがない。やってはいけないのだ。
僕は先輩をループから救出するためにここまで頑張ってきた。
先輩よりも地獄を味わってきたのに、その地獄に先輩を突き落とせというのか。
ふざけるな。
考えてみれば、今、先輩はループから解放されているのだ。
僕はループしているけど、先輩はループから解放されて未来を生きているのだ。
僕の知らない未来の僕と一緒にいるのかもしれない。
そんな先輩を。ようやく幸せになった先輩を。
「できるわけ、ない」
なら、どうする。
他に先輩を助ける方法はない。
先輩を助けて、僕もループから解放される方法。
……そんな方法を、僕は一つしか思いつかない。
「僕が、死ねばいい」
ループが終わらないのなら、僕の命ともども終わらせるしかない。
★☆★
あらゆる時を経験してきて、その中でも何度か考えてきたことがあった。
ここで僕が死ねば、僕はこの時の地獄から解放されるのではないかと。
けど、それは先輩を救うことを放棄することでもあり、考えてはいてもすぐに否定した。
だが、今は状況が変わった。
先輩はもう救われていたのだ。
あとは僕のループを終わらせるだけ。
これだけで、先輩は救われる。先輩を救うことができる。
だから……。
「私の一年がどうやっても終わらないの」
だから。
「私の一年がどうやっても終わらないの」
だから。
「私の一年がどうやっても終わらないの」
だから……!
「私の一年がどうやっても終わらないの」
どう、して!
「私の一年がどうやっても終わらないの」
僕は、死ねない。
死ぬ勇気が、僕にはない。
何度も何度も死のうとして。あらゆる手を考えて。楽に死ねる方法を考えて。
それでもあと一歩が踏み出せない。
手を伸ばせば、足を一歩前に出せば死ぬことができるのに。
先輩を救うことができるのに。
「う、うぅ」
僕にはなんにもない。
先輩を救うこともできなければ、死ぬこともできない。
ただ一人で泣くしかない。
あれだけの時を生きてきて、どうして僕の身には何もないのか。
それが悔しくて、情けなくて。泣くしかできない。
そんなあるときだった。
「大丈夫?」
四月六日。
僕が先輩と初めて会う日。
初対面であるはずの先輩が、僕を心配するように聞いてきた。
「な、なにがですか?」
そのことに驚いた僕は、僅かに反応が遅れた。
先輩はそんな僕の目を見透かすように覗く。
「辛そうな目、してるよ。とても危なっかしい目」
どうしてそんなことを言ってしまうのだろう。
どうしてそんなにも僕を見てくれるのだろう。
なんにもできない僕を。なんの力もない僕を。
どうして先輩は僕を好いてくれるのだろう。好いてくれたのだろう。
「どうして、ですか?」
だから思わず聞いてしまいそうになった。
先輩は僕を知っているが、僕は先輩を知らないはずなのに。
「どうして僕を、僕なんかを」
だがそこで、ハッと口を閉じる。
「あ、いえ。すいません。なんでもないです」
やってしまったかもしれない。ある意味ではよかったかもしれない。
こんな台詞を先輩の知っている僕は言ってはいなかった。
だから、咄嗟に誤魔化したが、先輩は僕の異変に気付いてしまったかもしれない。
そうなればきっと、先輩は僕を問い詰める。
僕は絶対に先輩に自分の状況を告白するつもりはないが、先輩はなんとしても聞こうとしてくるだろう。
そして、僕のループが終わり、先輩がループの餌食になってしまう。
だから、今回のループが僕の最後。
覚悟を決めざるを得ない状況に、意図的ではなかったが、そんな状況になったのはよかったと思った。
「そう?」
先輩も辛いはずなのに、僕を心配できるなんて。
やっぱり僕では先輩は釣り合わない。
一度覚悟をきちんと決めると、死ぬことが怖くなくなってきた。
長かった。すごく長かった。
手がかりを探し、ループしているのが僕だと気付いて、解放される方法を探し、その方法を見つけるまで、そして、自分から死のうとする今まで。
どれくらいループしたのかは数えれない。
けど、今になってはそんな長く辛い道のりが短い気さえしてくる。
あぁ、そうか。これが終わりなのか。
「でも、最後に」
どうせ今回を最後にするなら、先輩の笑顔を見てから死にたい。
それを見ることができたら、僕はきっと笑顔で死ぬことができる。
★☆★
そして、いつものように訪れる告白の日。
あれだけ見たくなかった先輩の涙だが、こうなってみると、どこか名残惜しくもなってくるのだから不思議だ。
そして同時に、僕の死に場所も決まった。
このループの始まりとなったこの屋上を僕の最後にしよう。
ここで始まり、ここで終わらせる。
僕にしてはずいぶんと粋なやり方だと思った。
そして、屋上に着いた僕は先輩の後ろ姿を捉える。
そして、先輩は振り返ってこう言うのだ。
いつものように。
「ねぇ」
……え?
「ずっと秘密にしてること、あるでしょ?」
なんだこれ。何が起こっている?
「ループ、しているんでしょ?」
奇しくもそう言った先輩の顔は、僕がずっと見たかった笑顔だった。
★☆★
頭が真っ白になった。
バレた? たったあの少しのミスから?
いや、そんなのありえない。
いや、だが。そんなことはどうでもいい。
どうなってしまうんだ、この場合。
僕は先輩にループを告白していない。
だからまだループの対象は僕のままで……。
「あれだとそう言っているものだよ」
まさか、先輩はあれを僕の告白だと受け取ったのだろうか。
だとすれば……マズい。マズすぎる!
「先輩! ループしているんでしょう!?」
今から先輩が僕に告白すれば、ループの対象はまた僕に移るはずだ。
「……どうしてそう思うの?」
何を今さら。
「好きな相手にループしていることを告白すれば、その相手にループが移ってしまうんですよ。だから、今|私から先輩にループが渡って――っ!」
そこまで言って、気付いてしまった。
まさか……今?
僕は今、確実に先輩に自分がループしていることを告白してしまった。
もし、さっきまで僕がループの対象であったなら。
ループの対象が今の告白で確実に移ったのだとしたら。
「まさか」
先輩は僕を罠に嵌めたのか。
ループの条件がわからないのに、僕がループしていることに気付いて、その上で自分に戻るように促したのだとすれば。
そんなことができるのか。
いや、先輩ならあるいは。
「先輩」
先輩は首を横に振った。
「安心して」
いったい何を安心しろというのか。
「私はループしていないから」
それは拒絶の言葉。
「ダメです。そうじゃないんです。それはダメなんです!」
僕がここまでいったいなんのために頑張ってきたのか。
ここで僕が負けてしまったら、僕は本当になんにもなくなってしまう。
お願いだ。今回ばかりはなんとしても。
だが、そんな僕に反して、先輩は。
「ありがとう。そして、ごめんね」
そう言った先輩の顔は、何度も見たあの顔。
そんな顔を見たくなくて僕は何度も。
「違う。違うんです!」
お願いです。
僕にループしていると告白してください。
もうそれだけで、いいんです。なにも、もういらないから。
「これでループは最後になるよ。よかったね」
その意味は僕に言っているようで、そういう意味ではないことはすぐにわかった。
間違いなく先輩は、僕と同じことをしようとしている。
ダメだ。それだけは、絶対に。
「最後にしたくないんです! ずっと先輩と一緒にいたいんです!」
さっきまで死のうとしていた自分が、さっきと真逆のことを言っていた。
こんな簡単な言葉を伝えるのに、こんなに時間がかかったのに、こんな状況で言いたくはなかった。
「だから……。お願いです……!」
たった一言。
「自分はループしている」とそう言っていください。
こんな僕を生かさないでください。
……それでも、先輩は笑う。
「安心して」
そんな笑顔は見たくないのに。
★☆★
それからの僕はどの僕よりも必死に先輩の隣にいた。
僕へのたった一言を待って。いろんな策を促して、ただひたすらに。
それでも先輩はずっと首を振った。
「私はループしていない」
と、見たくもない笑顔で言うのだ。
僕を諦めさせようとすればするほど、僕の心は諦めてたまるかと必死になった。
でも、先輩は。
「私と付き合ってください。ずっと好きだったから」
そんな言葉は、今は聞きたくない。どうでもいい。
そんな言葉よりも聞きたい言葉がある。
次があるなら僕がきちんと死ぬから。
先輩に気付かれずに、一人でひっそりと死ぬから。
そんな僕の願いを先輩は否定する。
「そんなことをしたら、私が死にたくなっちゃう」
何をしても、日は進む。日が進めば月が進む。
そして月が進めば、いずれは……。
「いやだ。いやだ!」
どうしてこんなにも苦しい。
どうしてこんなにも地獄は続く。
どうしてこんなにも先輩は笑える。
日に日に涙の数は増え、枕が濡れていない日はない。
どんなに泣いても、身体の中の水分が尽きることはなかった。
そして、その涙を先輩がいつも拭ってくれた。
でも、その度に僕の涙は止まらなくなる。
「先輩」
……そして、訪れてしまった。
最後の三月三一日。
先輩は何度も大学生になれなかった。
何度も高校生を卒業できなかった先輩を見てきた。
ようやく。
ようやく僕は卒業できる先輩を見られるというのに、まったく嬉しい気分ではない。
「お願いです!」
僕の目は毎日泣いてしまったおかげで、いつでも腫れてしまっていた。
「時間がないんです!」
一二時になれば、どの場所にいようが過去の四月一日へと時間が戻る。
つまり、僕は気付けば寝ていて、次に目を覚ましたときには自分のベッドの上。
その前に僕にループを渡されなければ、先輩は間違いなく。
「わからないけど、たぶんループしてる人以外はきちんと未来に進める。ループしている人もその世界ではちゃんと生きているはず」
だから、ここにいる先輩は消えないけど、今いる先輩は戻ってしまうと言いたいのか。
「そんなことを聞きたいのではありません!」
僕が救いたかったのは先輩だ。
一人の先輩ではなく、きちんと先輩を救いたい。
「だから。お願いです!」
先輩を力強く抱きしめる。
決して放さないと、行かせないと。
「僕がちゃんと解決策を今度はしっかり探しますから。僕は死なないから。だから。僕にチャンスをください!」
嘘でもなんでも、先輩を止められるのならなんでもいい。
「大好きだよ」
違う。それじゃない。
それじゃないんですよ、先輩……!
先輩の覚悟は変わらない。それが何よりも辛くて。また、涙が溢れてくる。
時間よ、回ってくれ。
僕に地獄を見せてくれ。
……そして一二時を過ぎたとき。
「あ、ああぁぁ!」
僕は、目覚めなかった。
見たかったはずの卒業した先輩。
待ち望んでいたはずの結果を目の前に。
僕は泣くことしかできなかった。