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男の娘はお嬢様の心がわからない

「ご機嫌よう」


 昨日に続き今日もやってきた鮎川里桜は、レイチェルによって開けられたドアの中へと進みながら不遜で高慢にも聞こえる声音でそう言った。


「これはこれは鮎川お嬢様じゃないですか」


 愛莉は作ったような笑顔で里桜とレイチェルを迎える。


「えーと、いらっしゃいませ?」


 詠流は二人の態度にやっぱり戸惑う。


「そこの新入りメイド。違うわよ。ここは『お帰りなさいませ。お嬢様』でしょ?」


 里桜がそんな詠流に注意をする。


「違うぞ。モエル君。正しくは『お帰りになさいませ。お嬢様』だ」


 里桜に出て行け、と愛莉はさりげなく言う。


 執事喫茶では、屋敷にお嬢様が帰ってきたという形を取るために、来客には『お帰りなさいませ』というし、見送るときには『いってらしゃいませ』とか『お気を付けて』という。


 客側も入店時に『ただいま』、出るときも『いってきます』というのがルールだ。


 しかし詠流は未だにこのセリフらを聞いたことない。


 里桜と愛莉が揃うと、厳かな格式あるこの場が、ただの皮肉の言い合い場になるのだ。


「減らず口は相変わらずね。エリッヒ」

「鮎川お嬢様だって毎日毎日よっぽど暇なんですね」

「暇? お嬢様である私がここに帰ってくるのは当然じゃないかしら? だってここは執事バトラー喫茶なんでしょう? それともここがホストクラブだと認めるのかしら?」

執事バトラー喫茶で合ってますよ。しかし執事バトラーにも仕える主を選ぶ権利はあるのです。あぁ、鮎川お嬢様は正真正銘のお嬢様ですからね。喜んで給仕させてもらいますよ。何かご所望ですか?」


 慇懃な態度で一礼した愛莉は、里桜から直接注文を取れるように言葉を捻る。


 ここで里桜が希望を言えば、愛莉が確かに注文をとったことになる。


 つまりサービスを受けさせることになるのだ。


「あら? お嬢様が何を欲しているか察して、それを給仕するのが一流の執事バトラーだと私は思うんだけど、エリッヒは二流以下のようね」

「それはなかなか面白いことを言うね。鮎川お嬢様は。でも次の鮎川お嬢様の言葉はこうだ。『あら? エリッヒ。私は今紅茶を飲みたい気分じゃないの』と。そしてレイチェルがレモン水を差し出しこう言うのさ。『喉の渇きには、紅茶の温かみもいいですが、たまにはレモンの果汁であっさりとした味わいに砂糖で甘みを加えた冷たいレモネードもおすすめです』とね」


 まるで見てきたように言う愛莉。実際に前にそんな事があったんだろう、と詠流は思わずにはいられなかった。


「そう。我が儘なお嬢様に仕えるのは大変そうね」


 里桜が他人事のように感想を述べる。


「ボクは我が儘なお嬢様に縁があるようでね。もうなれてしまったよ。レイチェルさんはどうなんだ? こんなお嬢様の従者ヴァレットなんてやめてうちの店で働かないかい?」


 愛莉はレイチェルにそう話を振った。


「私は里桜お嬢様の従者ヴァレットですから。聞くまでもない質問ですよ。エリッヒさん」


 里桜の後ろに立って控えているレイチェルは態度を崩さない。


「それは残念だ。レイチェルさんがうちに来たら、もっと楽しい事になると思うんだけどね」

「どう楽しくなると? 私としては、この屋敷で働くことにやりがいという物があるのか少々疑問に思っているのだ」

「やりがいか」

「そうですよ。エリッヒさんは実に暇そうにしているじゃないか。お客さんも滅多にいないようだしね。正直経営がどうなっているかいつも疑問になるのさ」


 詠流も心の中でレイチェルの言葉にうなずく。昨日一日、里桜とレイチェルしか来なかったのだ。しかも、そこの二人は一円も払っていない。


 これでは赤字前提だと聞いている詠流であっても、ここまで客が少ないと心配になってくるのだ。


「なるほど。レイチェルさんには関係ない話だね。でも一つだけ言えることはある。心配をしてくれるなら鮎川お嬢様にサービスをさせてくれないかい?」

「サービスはいくらでもするといい。私は里桜お嬢様が望まれる事を成し遂げるけどね」


 里桜が望んでる事は、愛莉達が紅茶を用意するよりも先にレイチェルが紅茶を用意することだ。


「だろうね。いいだろう。いつかボクたちがレイチェルさんより先にサービスを提供させてもらえるよう精進するよ。ボクたちにはモエル君という新兵器がいるしね」


 愛莉は一息にそういいつつ、詠流の背中を押して数歩前に歩かせる。


 昨日出来なかった紹介をようやくしようとしている事に詠流は気づく。


 ここは自己紹介するべきところなのだ、と詠流は一度深呼吸してから口を開こうと思った。


「モエルちゃんて言うんだ。とても面白いネーミングね。レイチェルはどう思うかしら?」

「なかなかユニークな名前かと」

「だよねー。とてもかわいらしい顔してるよね。顔も真っ赤にしちゃってるし。モエルちゃん萌える! という感じかしら」

「誠にそうでありますね」


 しかし、自己紹介する前に詠流は打ちのめされた。想像以上に威力は高かったのだ。


 深呼吸で吸い込んだ息がむせるように吐き出されていく。


「あら? だいじょうぶ? そんなに咳き込んで」

「だいじょうぶです……」


 なんとか落ち着いた詠流は、心の中で涙を流しながらも口ではそういった。


 お客様は神様なのだ。お金を払っていないけど……。愛莉が意地になる理由がなんとなくわかった気がした詠流だった。


 それに淑女レディーに配慮するのが紳士ジェントルマンだ。ここは紳士ジェントルマンの対応をしなければならない。


「ほら、これを飲みなさい。少し落ち着くよ」

「ありがとうございます。レイチェルさん」


 客であるはずのレイチェルにコップに入った水を差し出される。もちろんレイチェルが持って来た魔法瓶に入っていた水だ。


 実に有能で気の利く従者ヴァレットで、里桜が満足げにそれを眺めている。


「なんだか私も喉が渇いてきたわね。そうね。アールグレイをよろしくお願いしますわ」


 その声を聞くや否や、愛莉とレイチェルが飛び跳ねるように動き出す。


 愛莉はカウンターの方にスタスタ歩きながら埜依を呼び出し、アールグレイの準備を命じる。


 レイチェルは手持ちのバッグから純白のテーブルクロスを取り出し、テーブルにさっとかけると、その上にティーカップといった小道具をそろえる。


 そしてこぢんまりと小分けにされたアールグレイの茶葉が入った瓶を開封すると、適切な量をティーカップに落とし込み、そこに落差を付けて熱湯を注ぎ込む。


 それからティーコジーをかぶせて蒸らせ始めると同時に砂時計を逆さにして時間を計り出す。


「里桜お嬢様。本日のアールグレイは中国茶をベースにベルガモットで香り付けした品でしたがよろしかったでしょうか?」

「えぇ、よろしくてよ。スタンダードなアールグレイをチョイスしたのね」

「はい。奇を衒うことなく正当な歴史あるアールグレイであります。ベルガモットの爽やかな香りを楽しんでいただけるかと」


 紅茶初心者の詠流が聞いてもよくわからない言葉だった。


 香り付けした紅茶をフレーバーティーといい、ミカン科のベルガモットで風味付けされたアールグレイはその代表格だ。他にはアップルティー等もフレーバーティーとなる。


「ふん。レイチェル。茶葉の選択ミスをしたな!」


 やけに明るくてノリノリの愛莉がお盆を持って歩いてくる。


 テーブルの上にある大きめな砂時計の砂が半分より少ないぐらい残っているのにだ。


「エリッヒさん! もう紅茶が出来たんですか!」

「そうだ! これでついにレイチェルより先に紅茶を提供する事が叶うぞ!」


 感動で目頭が熱くなっている愛莉。


 テーブルの紅茶よりも早く出来たのは、埜依と協力して最速で紅茶を出す準備をしていたのだろうか、と詠流は思った。そこまでしてレイチェルに勝つことに心血を注いでた愛莉なのだから、今回の勝利の感動はひとしおなのかもしれない、と詠流は思う。


「鮎川お嬢様。ご注文のアールグレイであります。茶葉にはニルギリを使用しており、爽やかで癖の少ないために非常に飲みやすく、ベルガモットの香りもより華やかに際立つこと間違いなしであります。スコーンもお持ちしたのでごゆっくりとご堪能ください」


 愛莉が爽やかに紅茶の説明をする。いままで出来なかったのがようやく出来たのだから、気合いもそれだけ入るのだ。


「そう。きれいな水色すいしょくね」

「はい。やや赤みを帯びた明るいオレンジ色は、その水色通りのスッキリとしたのみ心地でありますよ」


 里桜の発言に愛莉が得意げに説明する。


「ところでモエルちゃん。少しお話しない? ほら対面のイスに座りなさいよ」


 里桜が急に話を変えて、詠流にイスに座るよう要求する。


「えーと、なぜでしょうか?」

「気に入った……からじゃダメかしら? もっとモエルちゃんとお近づきになりたいのよ」


 突然の事で詠流はうろたえた。愛莉に助けを求めるよう視線を投げかける。


「モエル君。座るといい。お客様のお話を聞くのも仕事だからね。そうさ。今日から鮎川お嬢様はボクたちのお客様だからね」


 続けて高笑いをするのではないかと思うぐらい愛莉は上機嫌だった。


 詠流は戸惑いつつも里桜の正面に座ることにした。


 テーブル一卓だけを挟んで里桜と向かい合う。


 詠流は目線が合うとにっこりと笑いかけられて、顔がかっと熱くなる。


 まっすぐとした瞳が詠流を真っ正面から見据えてくるのだ。


「里桜お嬢様、紅茶の用意が出来ました」

「そう。ありがとうね」


 レイチェルがティーポットから白磁のティーカップに薄茶色の液体を流し込む。


 それを見ていた愛莉がレイチェルに向かって口を開く。


「その水色からするとキームンのアールグレイみたいだね。でもどうしてキームンを選択したのかな? 中国茶は蒸らす時間が他の産地の茶葉よりも長いのに」


 ダージリンやウバと並ぶ世界三大紅茶の一つ、キームン。独特の薫香を持ちストレートで飲むもいいが、ブレンドティーの材料としても優れている。


「それは今日の里桜お嬢様にはキームンこそが相応しいと思ったからですよ」

「今日の? やけに自信があるね」

「里桜お嬢様のお望みになられ相応しいものを取りそろえるのが従者ヴァレットの役目でありますから。至極当たり前の事でありますよ」

「そうよ。エリッヒ。レイチェルは私の最高の従者ヴァレットよ。私の意をくみ取ってくれるのだもの。そう…………このようにね」


 里桜が対面に座っている詠流の前に、ニルギリのアールグレイを差し出してくる。つまり愛莉と埜依がいれた紅茶が詠流の元にあった。


「えーと、これは?」

「それは私からお近づきの印としてのささやかなプレゼントよ。このやや赤みの明るいオレンジ色はまるでモエルちゃんのほんのりと赤くなったほっぺたと同じ色よ」


 誉め言葉のように思えるが、言われた詠流の方はたまらない。ただでさえかわいい女の子を前にして座っているだけでも気恥ずかしいのにこんなこと言われれば、正常な思考が出来なくなってしまう。


「あ、あの……」


 だから口をパクパクしながら、言うべき言葉を探して、それでも見つからず助けを求めようと愛莉の方を見る。愛莉も詠流の視線に気づいて詠流の頭に手を置く。


 そして詠流の頭をなでなでしながら口を開いた。


「よくやったぞ! モエル君。キミの愛らしさのおかげで、鮎川お嬢様がついにサービスを利用する気になってくれたのだな! お手柄だ。キミのかわいらしさは、凍り付いた白い可憐な花のつぼみを開かせたのだぞ! 胸を張っていい」


 愛莉は張るような胸のない詠流に堂々と満面の笑みでいった。


 同じく褒められているのにとても悲しくなった詠流だった。


 紳士ジェントルマンになるために来たのに、女心を知るためという理由でメイド姿にさせられ、それで得た物はかわいらしさを褒められる事だけだ。女心がどういったものなのかわかる気配がしてこない詠流だから、今の状況ではみじめにさえ思えてきていた。


 しかし、そんな詠流の内心などどうでもいいかのように里桜はニコニコ詠流を見る。


「あぁ、なんてかわいらしいのかしら。こう、ぎゅっと抱き締めたくなるような。……私が抱き締めていい?」

「……よくないです」


 少し残念そうにした里桜。


 里桜のような女の子にぎゅっと抱き締められるなんて、とても幸せな気分になれるかもしれない。

しかし里桜は詠流の事を女だと思っている。そんな状態で抱き締められても、騙しているようだし、ばれたあとが恐い、と詠流は思ったのだ。


 もう姿だけでなく心も女の子になっちゃえ、そうすればお金持ちで美少女な里桜と仲良くなれるよ、という心の中でのささやきを詠流は紅茶とともに飲み込んだ。


「そう。ならレイチェル。私の代わりにモエルちゃんを抱き締めなさい。これは主人としての命令よ!」

「かしこまりました。里桜お嬢様」

「いやいや、それおかしいですよ! おかしいですよね? おかしいはずだよね!?」


 里桜の命令になんら疑問を感じずに詠流の元にまで歩いてくるレイチェルに、詠流は腰を浮かせ抗議の声を上げた。


 自分がだめなら従者ヴァレットであるレイチェルに抱き締めさせればいいという里桜の発想もさることながら、穏やかなかしこまった表情で背筋をぴんと伸ばして平然と歩いてくるレイチェルにも十二分以上に驚愕したのだ。


「申し訳ございませんが、里桜お嬢様のご命令なので意見がおありになるなら、里桜お嬢様を通してください」


 主人に忠実であれの従者ヴァレットでも、これは忠実すぎるよね!? と詠流は心の中で叫びながら、キーパーソンである里桜を見る。


 里桜は澄ました顔で何も起きていないような顔でただ紅茶を楽しんでいた。先までのニコニコした顔が嘘のようである。


 詠流は里桜が何を考えているのかわからなくなった。


 そして気づいた。もしかしてこんな時に里桜が考えている事がわかるようになるのが、女心がわかるようになるということなのかもしれないと。


 同時に、初っぱなから難易度たかすぎだ、と詠流は愕然とした。


「えー、鮎川お嬢様どうしてでしょうか?」

「里桜」

「えっ?」

「だから私の事は里桜と読んで。鮎川お嬢様なんてよそよそしくて悲しくなってしまうの」

「……それじゃ、里桜お嬢様――」

「里桜でいいわよ。お嬢様もモエルちゃんならなくていいわ」


 朗らかな笑みを浮かべて詠流を見つめてくる里桜。その純真そうな笑顔の意味をそのままで受け取っていいのだろうか、その笑顔の下には本当の意味が隠されているのではないか、と詠流は考える。


 しかし、今の詠流にはわからない。だから里桜に口で聞くしかない。


「なら里桜さん。どうしてレイチェルさんにオレを抱き締めるような命令をしたんですか?」

「嫌なの?」

「嫌というのも変ですけど、理由がないんです! そもそもレイチェルさんは男性ですよ!」

「あら、レイチェルのようなかっこいい子にハグされるのを嫌がるなんて、あなたとても初心うぶね。たいていの女の子は舞い上がっちゃうと思うのに」


 そう言われて詠流は唸る。女心においてはレイチェルとハグするのが正解だ、と里桜は言うのだ。女心を学ぶ身の詠流としては、ここはレイチェルとハグするべきなのかもしれない。


 しかし姿はメイドとはいえ詠流は男だ。男とハグしあう事には抵抗がある。もっとも女の子とハグしあうことになっても、戸惑うことは間違いなしのへたれな詠流かもしれなかったが。


「……それじゃ、ちょっとだけ。ほんとちょっとだけですからね!」


 詠流は女心を学ぶ事を優先させることにした。


「いいかい? モエルさん」

「はい。レイチェルさん。ちょっとだけですからね」

「心配しなくていいよ。最初はそっとするから」


 次回もあるの! と詠流は内心つっこみつつ緊張で身を固くする。


 そしてレイチェルが優しく詠流と包み込んだ。


 里桜は白々しくきゃーきゃーと黄色い歓声を上げる。


 愛莉は『過剰サービスな気もするが、今日はまぁいっか。今日のボクは機嫌がいいからな』と傍観の構え。


 レイチェルは詠流の耳元に口をよせてそっと呟いた。


「殺す」

「へっ?」

「これ以上里桜お嬢様に近づいたら殺す」

「ひっ」

「里桜お嬢様を呼び捨てにしてみろ。ナイフで串刺しにしてやるからな」

「は、はい」

「でも里桜お嬢様を悲しませてみろ。ナイフで磔にしてやるからな」

「わ、わかりました」


 そっとふれあう程度のやさしいハグなのに、詠流の感じる圧迫感は半端なかった。レイチェルから目に見えない何かがあふれ出ているのだ。


 詠流は女心についてはわからないが、これについてはなんとなくだがわかってしまった。


 嫉妬。そして殺気だ。『最初はそっとするから』という言葉通り物理的に圧殺されることはないだろうが次がどうなるかはわからない。


 詠流は最悪の事態を避けるためにも、ニヤニヤしてる里桜の女心を知る必要があると悟った。


「あの、そろそろ離れていいですか? 里桜お嬢様」


 詠流は里桜に離れる許可を求める。


「だから私のことは里桜でいいって。『里桜』と呼び捨てにしてちょうだい」


 少し不機嫌そうな顔をした里桜だが、詠流の選択肢は少ない。


『里桜お嬢様』と呼んで、里桜を不機嫌にさせるとレイチェルが懐に手を伸ばして、ナイフらしきものの柄をチラつかせ、『里桜』と呼び捨てにしようものなら、そのナイフらしきものの全貌が明らかになり、そしてそれが詠流の腹に突き立てられる事になるからだ。


「里桜さん」


 だから詠流はこう言うしかなかった。


 レイチェルが銀色の柄みたいなものを懐にしまい直す。


 そんな時だった。奥からドタバタ足音を立てて誰かが転がり込んでくる。


「こら! すぐにモエルちゃんから離れなさいよ! 大事な大事な私の部下なんだからね!」

「あら、珍しいじゃないの。ニートの水琴さんが表に出てくるなんて」

「ニートじゃないよ! なんか騒がしいと思って出てきたらなんでレイちゃんとモエルちゃんが抱き合ってるのよ! なんてうらやま……じゃなかった、なんてうらやましいの!」

「落ち着いてください。零西さん。言い直せてないですよ。あとドレスの裾がまくれてます」


 愛莉が冷静につっこみつつ、水琴の服装を正す。


「ありがとうエリッヒ。持つべきはいい部下ね」

「いつか下克上されさそうな残念上司ハウス・スチュアートしかボクにはいないけど」

「ここでまさかの裏切り宣言!?」

「そんなまさかですよ。ボクの忠誠を疑う気で?」

「疑いしかないよ! 一昨日も独立するとかいってたし……。いかないよね? エリッヒがいなくなったらと思うと私死んじゃうよ」

「大丈夫です。お墓参りはかかしませんから、死後も安心してください」

「ロマネ・コンティもお供えしてくれる?」

「しますよ。安心してください」

「そっか。ありがとう。私死んでくるね」

「はい。逝ってらっしゃい」


 その場で眺めていた詠流だったが、慌てて止めに入る。ついでにレイチェルの抱擁から逃れてようやく人心地がつく。


「零西さん。待ってください」

「追いかけてきてもロマネ・コンティはあげないからね」

「いりません! てかオレ未成年ですからお酒飲めません!」

「それもそっか。ところで里桜ちゃん。どういうつもりなのかな?」


 お酒を奪われないと安心した水琴が、今度は里桜に問い質す。本来の目的を思い出したのだ。


「どういうつもりもないわよ。モエルちゃんに紅茶一杯ごちそうしただけよ」

「そかそか。でもなんでレイちゃんがモエルちゃんを抱き締めてるのかな?」

「軽いハグよ、ハグ。嬉しいことがあったときハグしあって喜び合うでしょ」

「そういう風には見えなかったんだけど」

「相変わらず頭堅いわね。水琴さんは。どこかのニート探偵を見習ったらいいのに」

「だから私はニートじゃない! そういう里桜ちゃんだってまた引きこもってるでしょ! 私にはわかるんだからね!」


 水琴のその言葉を聞いた途端、里桜の表情に陰りが落ちたように詠流は思えた。


「私は引きこもってないわよ。今日だってここでお茶してるじゃない」

「ふん。どうせレイちゃんに強くおすすめされてようやく外に出てきただけだろうに」


 飲んでた紅茶のティーカップをソーサーに音を立てておく。中身はすでに無くこぼれることはなかったが、お嬢様である里桜らしくない行為だった。


「あいかわらず水琴さんは人がわかったように物言いね」

「ようにじゃない。わかってるの! 里桜ちゃん! もうわかってるんでしょ? そろそろ素直になってまた一緒に――」

「帰りましょう。レイチェル」


 里桜は水琴の言葉を打ち消すようにガタッと音をたてて立ち上がる。


「はい。里桜お嬢様」


 いつのまにか里桜の後ろで控え直していたレイチェルは表情一つ浮かべていない。


 レイチェルを連れて出て行こうとする里桜。


 水琴は苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。


 愛莉はやれやれといった達観した顔をしている。


 埜依がカウンターから不安そうな顔をのぞかせている。


 詠流はこのままではいけないと思った。


 でもどうしたらいいか、どう声をかけたらいいかわからなかった。


 レイチェルがドアを開けて、里桜はもうすぐ出て行ってしまう


「待ってください! 里桜さん!」


 詠流の声に里桜が振り返る。


「なにかしら?」


 でも相応しい言葉の出てこない詠流。だから、詠流は初めて自主的に店員らしいことをすることにした。


「……次のお帰りはいつですか!!」


 またこの喫茶店にきてくれますよね、という意味がこの言葉には含まれている。


「そうですわね。これは家出ですわ」


 でも里桜は詠流を見てぼそっと呟くと出て行ってしまった。


 家出。つまりもう帰ってくるつもりはないということだった。

紅茶好きの下克上、というタイトルを思いつく。

貧しい平民に生まれた少女が、(茶葉を手に入れるための)大航海時代と(茶葉をお茶にするための)工業化時代を切り開く物語。

書かないけど。

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