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男の娘はキッチンでどきどきする

 翌朝、詠流はあてがわれた一室で目が覚める。持ってきていたバッグには着替えをいれてきていたし、屋敷にも身の回りのものはだいたい揃っていたので生活には特に問題がない。


 部屋は二階にあって内装は華美でもなく質素でもない、そんな落ち着いて過ごしやすそうな空間。ベッドはそこそこ上質なようで久しぶりに目覚めのよい朝を迎えた詠流。


 ちなみに昨夜は愛莉がコンビニで弁当を買いに行ってみんなでつつくという詠流にとって予想外のディナーだったりする。水琴も愛莉も料理が出来ないらしい。


 水琴はともかく、なんでも完璧にこなしそうな愛莉が料理できないのは詠流にとって少し意外だった。


 ディナーの後は、詠流にメイド服を試着させようと襲ってくる水琴から逃れるために、早々自室に逃げ込み、室内に備えつけられていた風呂を借りて身体を温めると、さっさと寝た詠流だった。確かにそこらのホテルに負けない設備だ。


 時計を見れば朝六時前。この時間がこの屋敷にとって早いのか遅いのかわからないが、詠流はとりあえず身支度を調え、一階に降りる。もちろん自分が持ってきている私服でだ。


 一階に下りれば電気はすでに付けられていて、人が活動しているようだった。それに鼻をくすぐるおいしそうな匂い。誰かが朝ご飯を作っているらしい。


 もしかしたらまだ詠流が一度も会っていない埜依だろうか。


 匂いを辿ってキッチンまでたどり着いた詠流は鼻歌を歌いながらフライパンをかき回している少女を見た。


 髪は栗色で肩にかかるかどうかあたりのボブヘアー。おでこにはかわいらしいカチューシャを付けて前髪をまとめている。


 ゆったりとした水色のブラウスにチェック柄のスカート。その上にかわいらしいデザインのエプロンを付けていた。そしてそのエプロンの上からでもわかる二つの大きな膨らみ。


「おはよーございます。まだ朝ご飯出来てないですよ」

「あ、うん。おはよう」


 詠流の気配に気づいたのか、菜箸でフライパンの中身が焦げないようかき回しつつ、顔だけキッチンの入り口の方に向ける。詠流も自然に挨拶を返したが内心かなりきょどっていた。


 とてもかわいらしい女の子だったのだ。水琴や愛莉とはまた違うタイプの美少女。


 あどけなさの残った顔立ちで純真そうな笑顔。カチューシャをつけていることで全体的にかわいらしさを増している。


 詠流はこの少女が埜依なんだろうとほぼ確信した。


 少女は細腕にも関わらず片手でフライパンを持ち上げ、振り混ぜ、額には強火の熱のせいかうっすらと汗がにじんでいる。


 詠流は何か手伝ってみたくなった。これをきっかけにこの少女と打ち解けられたら、という下心も持って。


「何か手伝うことありますか? 埜依さん?」

「お手伝いですか? それじゃ焦げつかないようにこのフライパンをかき混ぜてくれたらうれしいです」

「わかった。それぐらいならできるよ。まかせて」

「ありがとうございますー」


 詠流は埜依から菜箸を受け取る。その時に埜依の手をほんの少し触れて詠流はドキッとしたが、埜依は気にした様子もなく次の料理に移る。詠流もフライパンの中身を焦がさないように菜箸を動かすことに集中することにした。


「あれ?」


 詠流の隣で、まな板の上でキャベツを千切りにすべく包丁を動かしていた埜依の手が突然止まる。


「どうしたんですか?」


 詠流が気になって声をかける。


「うん。なんかおかしいなーって。このお屋敷でお料理手伝ってくれるような人いないはずなんだもん。水琴さんも愛莉君もお料理はからっきしだから。……えっ?」


 埜依が身体を動かして詠流の方を向く。その際に胸の双丘がたゆんと揺れたが詠流はそれどころではない。埜依の身体と同時に包丁の切っ先まで勢いよく詠流の方に向いてきたのだ。

 詠流はあわててのけぞってなんとか避ける。


「あなた誰ですか!?」

「今さらかよ!」


 埜依の驚きの声に詠流が正直な感想を叫ぶ。顔も見られたはずだし会話も交わしたのに、隣にいる詠流の事を認識していなかったらしい。


「もしかして泥棒さんですか!!」


 今度は意志をもって包丁を詠流の方に構える埜依。切り刻むのはキャベツでなく詠流だ、と包丁の切っ先が光る。


「違う違う! 今日からここで働く九十九詠流です! だからその包丁おろして! お願いだから」

「あっ、そうなんですか」


 詠流の悲鳴に似た訴えで埜依はすんなりと納得したのか包丁を下げる。まだ手に持っているとはいえ危険度は格段と下がって詠流は胸を撫で下ろした。


 けれど、詠流は埜依がこんなにあっさりと鵜呑みするのも大丈夫なのだろうかと不安になる。


 本当に泥棒だったとしたら今頃埜依はきっと大変なことになっているだろう。

 と、詠流がそんな事を考えている間に漂ってきた焦げ臭い匂い。匂いの発生元は焦げて白い煙を出しているフライパンの中身たち。


「わっ!? 大変です!」

 埜依が慌ててフライパンにまでかけよった。


 そして中身をかけ混ぜるために菜箸を握ろうとして、手に持っていた包丁を手放した。


「はい?」


 詠流はその光景を疑った。埜依の手から放れた包丁が放物線を描きながら詠流の方にくるくるとやってくるのだ。


「うわっ!?」


 詠流はしりもちをつくように後ろへ飛び退く。


「ふう。ギリギリセーフなのでしょうか? この焦げ具合は? お焦げがおいしいお料理もありますが、炒め物でのお焦げはあまり聞きません。詠流さんはどう思いますか?」


 ガスコンロの火を止めて埜依が意見を聞くために、詠流の方を向いた。


「だ、だいじょうぶですか!?」


 詠流のすぐそばに包丁が床に刺さっている。間一髪のところだったのだ。あと少し逃げるのが遅れたならきっと包丁は床にでなく詠流の身体につきささっていたことだろう。


 とはいえ、包丁を投げてしまった埜依としては心配である。すぐに謝らなければとしりもちをついた状態から身体を起こしつつある詠流の元にかけよろうとする。


 が、エプロンの紐がフライパンの把手にひっかかり、熱々のフライパンが宙を舞って、半分焦げた具材も宙を舞う。


 しかも埜依はなぜかつまずいて詠流の方に倒れ込んでくる。


 身体を起こしたばかりの不安定な体制で埜依の身体を詠流は支えようとして、やっぱり失敗して後ろに再び倒れ込んだ。


 詠流は思った。この子とてつもないドジっ子だ、と。


 幸いなことに詠流がクッションになって埜依には大したケガはない、と埜依に完全にのしかかられる形となった詠流は、まず埜依を起きて貰うことにした。


 それで手を動かそうとしてふにゃりとした感覚に詠流は気づいた。一般的にいって今詠流が偶発的に触ってしまっているのは非常によろしくないところだ。


 紳士ジェントルマンを目指す詠流にとって、淑女レディーに最大限配慮するのは使命なのだ! と理性を最大限に働かせる。だからできるだけ刺激を与えないように手を抜くべきだと詠流は判断した。


「いたたっ……て、お料理が大変!」


 しかし埜依は下敷きにしてしまった詠流を気遣うよりも謝るよりも怒るよりも先に、宙を舞っていったフライパンと料理の安否を心配して飛び起きて行ってしまった。


 女性の胸を触ってしまったことでそれなりに怒られるかなー、と思ってた詠流にとって拍子抜けのような安堵とともに言い知れぬがっかりとした想いがよぎった。


 今度こそちゃんと詠流は身体を起こして、床に落下してしまった料理を眺める埜依の元にまで歩いて行く。


 埜依の落ちてしまった料理を眺める瞳はとても真剣で、詠流はどう声をかければいいかわからなくなった。


 そんな埜依を詠流はしばらく眺めていたのだが、何か思いついたのか手をポンとしてから、埜依は床に落ちてしまった料理をフライパンにまで拾い集めていた。


「よし。これでよし」


 やがて埜依は拾い集め終わった料理の入ったフライパンをガスコンロの上に持ってきて、そして火をつけて再び炒め出した。


「って、床に落ちた物料理しちゃだめじゃん!」


 成り行きをじっと見守っていた詠流は埜依のこの行動に思わず声を荒らげた。


「だいじょうぶです。世の中には三分ルールてありますから! 三分以内に拾えばだいじょうなのです! お料理は鮮度が一番! さらに高熱を通せばよりおいしく安全に!」


「いやいやいや! だめだからそれ! そもそもこの場合三分じゃなくて三秒ルールだし。熱通しても安全になるかわからないし……。てか元々半分焦げてる料理にさらに熱を通してもよりおいしくなると思わないし」


「うーーん。言われてみればそうかもです。これ以上焦げちゃったら食べられなくなっちゃうかもです」


「いや、焦げてなくても食べられないから」


 かわいらしく首をかしげている埜依を見て、詠流は朝なのにどっと疲れを感じた。


 その後詠流はなんとか埜依にその料理を作り直すことに同意させて、一緒に料理を作ることにした。埜依が隣で包丁を持ってる時は胸が高鳴りまくりの詠流である。もちろん、隣にかわいい女の子がいるからというよりも命の危険を感じるという理由の方が大きい。


 ドジっ子で天然な女の子に刃物を持たせると危険である事を詠流は学んだ。


 水琴も愛莉もこれだけ騒いでも出てこないということは、埜依のこうしたことには慣れっこなのかなー、と詠流は想像した。


 キッチンにやってきたらとばっちりをうけると知ってたならば、普通の人は好きこのんでやってこようとはしないのだから。


   *


「こら、寝ないでください。零西さん」

「寝たいよ。でも埜依ちゃんのご飯も食べたいよ。そうだ。夢の中でご飯を食べれば――」

「何寝ぼけたこといってるんですか」

「痛いよ! 愛莉ちゃん」


 朝からどこかに出かけていたらしい愛莉が、今だ半分寝ている水琴の頭をはたく。


 こんな光景が先から続いているのだが、水琴はすぐに夢の世界に旅立っていこうとする。


 水琴をこの場にとどめているのは愛莉による物理攻撃と、埜依の朝ご飯から漂うおいしそうな匂いによる精神攻撃のおかげである。


 こんな水琴のことだから、キッチンで詠流と埜依が騒いでいた声もちっとも気づいていないのだろう。特技寝坊というのは本当なんだろうなー、と詠流は愛莉の紹介文に納得した。


「ところで愛莉さんは朝からどこに出かけていたのですか?」


 この屋敷の決まり事で朝ご飯は決まった時間に全員同時に食べ出すということで、食事の準備は出来ていたがまだ箸をつけることは出来ない。


 詠流が手伝ってしまったことで、いつもよりも少し朝ご飯を作り終わるのが早くなってしまって、微妙な空白時間を作り出してしまったのだ。


 こういう事に遭遇すると、やっぱり自分は新参者なんだなー、と詠流は改めて思い知った。


 微妙な空白時間を埋めるためにも、詠流の純粋なる興味からも、愛莉に早朝家にいなかった理由を聞いてみる。


「あぁ、運動も兼ねて新聞配達のアルバイトをね」

「新聞配達のアルバイトですか?」


 今の愛莉は黒いジャケットを脱いでいるワイシャツ姿だ。


 出勤前のサラリーマンの出で立ちのようで、しかしそんな姿でも余裕を感じられるのだから、愛莉はすごい。愛莉のすぐそばではティーポッドが冷めないように厚地の布をかぶせてあった。


「そうだよ。このお屋敷は規模も小さいし部下もいないしお客も少ないからね。執事が朝にする仕事も少ないんだ。だからたまに新聞配達のアルバイトしてるんだよ」

「はぁ、なんかすごいですね」

「そんなことないさ。本当のお屋敷にでもいけば、早朝から晩までアルバイトどころではない忙しさだよ。執事というのはね」

「もう! 愛莉ちゃん! ここだって一応立派なお屋敷なんだからね!」

「はいはい。起きましたね。そろそろ時間ですよ。朝ご飯を戴くとしましょう」

「むっ、なんかごまかされた気がするけどまぁいいわ。いただきましょう」

「「いただきます」」


 埜依の作った朝食は期待以上のおいしさだった。キッチンでの出来事は大変だったが、料理の腕前はそこらのホテルのシェフと同等以上じゃないのだろうか、と詠流は自分で作った朝食を頬張っている埜依を眺める。


「詠流君。埜依君を熱心に眺めるのはいい、ボクだっていつまでも眺めていたい愛らしさだからね。でも冷めないうちに紅茶を一口ぐらい飲んどくことをおすすめするよ。今日のモーニングティーには詠流君の歓迎の意も込めてアッサムのオレンジペコーを選んでみたんだ。濃いオレンジ色に柔らかな飲み応えのあるコクでね。ミルクティーの代表格だ。お好みの量のミルクをいれて飲んでみるといい」

「別にそういうつもりで見ていたわけじゃないです!」


 詠流は照れ隠しも兼ねて、愛莉の用意してくれた紅茶を慌てて飲んだ。


 口の中で広がる香りに濃厚な味わい。


 ミルクを少し足してみて、見慣れたあのミルクティーの色になる。


 愛莉の配慮でミルクもあたためてあったようで、紅茶の温度を下げることもなかった。ミルクを足すことで、マイルドな味わいになり舌触りがよく、アッサムの濃厚なコクと香りが打ち消されることもない。


「おいしいですね。ミルクティー」

「そうだろ? 砂糖もあるから、今度は砂糖ありも試してみるといい」

「わかりました。ありがとうございます」


 これまででこんなにゆったりとした優雅な朝食があっただろうか、と詠流は思った。朝食といえば朝の慌ただしくバタバタとした、パンをコーヒーで流し込むような時の方が多い印象の詠流だった。


 この屋敷での朝食は文化の違いともいえるカルチャーショックに似た衝撃を詠流に与えた。


「そうそう。今のうちに詠流くんの仕事用の名前を決めちゃいましょう」

「仕事用の名前ですか? オレは詠流のままでいいんですけど」

「ダメよ。やっぱり名前は変えとかないと」

「九十九詠流。エルといえば、そうね。エルバート、エルマー、エルヴィスあたりかしら」

「しかし、それは男性名だ。メイドとして店に出るなら女性名の方がいいのではないか?」

「別にオレは男性名で――」

「そっか。女性名のほうがいいわね。となるとエルシー、エルヴィラあたりかしら」

「エルザとかエルゼとかエルメンヒルトとかエルナとかとかもいいのではないか?」

「愛莉ちゃんはドイツ語ね。エリッヒもドイツ語だからね。埜依ちゃんはノエルだから英語よね」

「埜依はどうなんだ? 何かいい名前はあるか?」

「私ですか? そうですねー。エルにこだわりすぎじゃないでしょうか?」

「こだわりすぎ?」

「そうです。名前からじゃなくて名字も使うのです。例えば両方から一字ずつとって、モエとかどうでしょう」

「えっ――」

「いいわね! それ! 日本語での女の子の名前になるわね!」


 会心の笑みで名前を提案した埜依。まったくの悪気はないことが、その表情からうかがい知れた。しかし詠流としてはそんな名前付けられたらたまらない。ヨーロッパの方の名前の方がまだましだ。モエとエルザを天秤にかけなければならない己の境遇に涙する。


「反対反対! オレやだですからね、そんな名前」

「えー、日独英三つの名前が揃って他文化なイメージになってくれそうだよ。きっと世界征服できちゃうよ!」

「伊よりは頼りになりますが世界征服は、って違います! モエなんてストレートな名前は勘弁してください」

「そう。それじゃこうしましょう。モエルにしましょう。これならなんとなくヨーロッパ的になったような気もしなくはない名前だわ」

「えぇぇーー」

「よし、決定だな。これからよろしく。モエル」

「モエルちゃん顔赤くしちゃってかわいいー」

「よろしくお願いしますね。モエルさん」


 順に愛莉、水琴、埜依である。


 詠流は天を仰いだ。メイド服を着るだけでも抵抗が大きいのに、名前までも望まぬものになってしまった。


 こうなったら、出来るだけ早く女心を理解して立派な紳士ジェントルマンになって愛莉たちと同じ執事になってやる、と詠流は再度肝に銘じた。

一度プロットにした道筋。執筆中にあふれ出る違和感を無視して、速度優先で書ききったのがこの小説。

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