男の娘は女性用の給仕服を手に入れた
おいしい紅茶飲みたいです
「見苦しいところ見せたね。紹介するよ。これ《・・》がうちの家令、零西水琴。特技は寝坊、苦手な物はピーマン、三度の飯と同じぐらい酒が好き。そんな二十二歳だ」
「ピーマンは食べられるよ! 嘘はいけないよ。愛莉ちゃん。それにいくら容姿が子供のようだからって私立派な大人だもん!」
「立派な大人は真っ昼間まで寝間着のまま顔も洗わずお酒を飲んでません。あと今晩は埜依に頼んでピーマンのフルコースにしましょう」
「いくら愛莉ちゃんでも度が過ぎてると思うな!! 私は愛莉ちゃんを解雇できるんだよー。愛莉ちゃんを雇ってるのは家令の私なんだからね! あと埜依ちゃん今夜は帰ってこないよ」
「わかりました。明日にでも埜依も誘って独立でもします。今までお世話になりました。どうか飢えてくたばりやがってください」
「ぐっ、埜依ちゃんを人質にするとは卑怯な」
「転職も使用人の正当なる権利ですから、卑怯でもなんでもないですよ」
この家令餌付けされやがってる、と詠流はただ二人のやりとりを眺める
しかなかった。話に食い込む隙間がないのだ。
「愛莉ちゃん。ここは手打ちにしましょう」
「いいですよ。条件はどうします?」
「私は三日間地下に行かない。愛莉ちゃんは夕食時にワイン一本私によこす。これでどうよ」
「それはいささか零西さんに有利すぎではないですか。ボクはいつだって埜依を連れて独立できるからね」
「ぐぬぬ。なら三日間でワイン一本だけ! これだけはお願い! 三日もお酒断ったら私死んじゃう」
「わかりました。それで手打ちにしましょう」
水琴とエリッヒが握手を交わす。契約が成立したようだ。
なんか非常にどうでもいい交渉だった気がしたが、詠流は、アットホームな職場だなー、と思い込むことにした。
「それはそうと、よく来たわね。待ってたわよ」
「はい。こちらこそまた会えてうれしいです」
目の前で待ってました、とは言わない。詠流は紳士を目指しているのだ。淑女への配慮を忘れてはならない。
「さてと、少し面接みたいなものしよっか。九十九ちゃんはここで働いてくれるよね!」
「そのつもりではありますけど、その前に詳しい話を聞かないと。……それとオレ――」
「よーし。まずここは喫茶店。紅茶を出すのが主な仕事。給仕して時には女性たちの話相手になってあげるんだ」
「はい」
「従業員は住み込みで働くの。部屋は一室使えるよ。そこらのホテルには負けないんだから。埜依ちゃんのお料理三食付き!」
「とても素敵だと思います」
「あっ、お部屋はあるけど、気に入った女の子がいてもお持ち帰りしちゃだめだからね! 誘われてもほいほいお持ち帰りされちゃだめだからね!」
「お持ち帰りて人をテイクアウトのように形容するのはどうかと思いますよ」
「だって九十九ちゃんかわいいんだもん。心配してあげたっていいじゃない。まぁ、この屋敷に常識のないお客さんはこないからだいじょうぶかな」
外観からも、本棚の中身には目を背けるとしてこの書斎からも、この屋敷はとてもよさそうだと詠流は思う。雰囲気がよいのだ。
類は人を呼ぶとは少し違うけど、集まってくるお客さんもきっと気品のいい人ばっかりなんだろうな、と詠流は考えた。
それに先から何度も名前があがっているもう一人の人物、家令の水琴を餌付けしているのだからどれぐらいおいしいのか、と詠流は会うのが楽しみに思う。
「九十九ちゃんは住み込みでもかまわないよね? まぁ、私の目から九十九ちゃんは問題ないてわかるんだけどね。ずばり家出っ子」
「以前お会いしたときも思いましたけどなんでわかるんですか? それとオレおと――」
「そうだねー。なんかわかるの。こう『私問題を抱えてます!』ってオーラーが出てるんだ」
「零西さんは人を見る目だけ《・・》はもってますからね」
「だけはいらないよ。愛莉ちゃん」
話が途切れたところで詠流は確認のために口を開く。
「ところでエリちゃんてエリッヒさんのことでいいんですよね?」
「そうだよ」
「やっぱり。零西さんは『ちゃん』付けで人を呼ぶんですね。エリちゃんとかノエちゃんとかオレの事もツクモちゃんとか」
「ん? 愛莉ちゃんは愛莉ちゃんだもん。一色愛莉。名前の愛莉からエリッヒという仕事用の名前を決めたんだよ」
「仕事用の名前ですか」
「そう。その方が男の子ぽくて執事っぽいでしょ? 愛莉て女の子の名前だし本名そのまま使うのも避けた方がいいしね」
「なるほど……」
「九十九ちゃん。詠流ちゃんの方がいいかな? でも詠流ちゃんて男の子みたいな名前だね」
「いや、オレ男ですし」
「……詠流ちゃんて男の子みたいな名前だけど女の子だよね! だってそんなにかわいらしい顔してるんだから!」
「…………男です」
「……………………」
書斎に沈黙が満ちた。とても居づらい空気に詠流は飲まれた。非常に場違いなところにいる気がした詠流は隣にいるエリッヒに助けを求めるためにそちらを向いた。
しかし当のエリッヒは詠流の方を向いて固まっていた。まるで信じられないものを見るかのように。
「あ、あの……」
詠流がかすれた声を出して沈黙を破る。
「えーと、詠流ちゃんて詠流くん?」
「たぶん。オレ男ですから」
「まさかこんな展開、私は予測してなかったよ。ここ全員女の子の方針なのに。といか男子禁制なのに」
「……途中から薄々気づいてましたけど、エリッヒさんて女の子ということですよね……」
隣で固まっているエリッヒ、つまり愛莉の方をチラチラ見ながら詠流は口に出した。
「うん。エリッヒは愛莉ちゃんで女の子だよ。執事やってもらってるけど。そこらの男の子よりもよっぽどかっこいいよね」
「そうですか……」
「詠流くんはそこらの女の子よりもよっぽどかわいいよね……」
「……それは言わないでください。オレ男らしくなりたくて……。紳士らしくなりたくて、それでこの執事喫茶に零西さんから誘われた時はとてもうれしくて……。でも実はそこは女の子が執事で男は禁制で……。オレ帰りますね……」
「あわわ、待って! 帰る前にもう少しお話していかない? このまま帰られると私後味悪いし。だって家出した子を放り出すことになっちゃうし……」
「でも……」
「いいからいいから。エリッヒ。いつまでも固まってないで紅茶を頼むわ。三人分ね」
「わ、わかりました。少しお待ちを」
動揺を隠せていない愛莉が書斎から出て行く。書斎には詠流と水琴二人だけになった。
「さて、まずこの店の説明というか目的というか、成り立ちのようなものを話すね」
「はい」
詠流は素直に話を聞くことにした。
愛莉が紅茶も持ってきて、それを飲み終わるまで帰れない。
水琴が愛莉に紅茶を入れさせにいったのは、詠流を帰りにくくさせるという理由もあるのだ。
「私は家令。この屋敷の使用人の最高責任者。だけど、
この屋敷の持ち主は私の幼なじみなの。その子が私の主人だし、愛莉や埜依の主人になるの」
「そうなんだ」
「まぁ、留学してて滅多に帰ってこないんだけど、それは置いといて、留守の間にこの屋敷を有効活用することにした。それがこの喫茶店」
「なるほど。だからこんないい屋敷でおいしい紅茶を飲めるんですね」
「そう。ただ普通の喫茶店と違うのは採算を度外視してる点。この店は赤字前提で運営されてるのよ」
赤字前提の喫茶店など詠流は聞いたことがないし、ここ以外にもあるとはそう思えなかった。
「それは何故ですか?」
「簡単な理由よ。黒字運営が不可能だから。お屋敷て維持するだけでもお金がかかるものなの。喫茶店ごときでそれを穴埋めすることは出来ない。でもただ遊ばせておくのはもったいない。というわけで、私の主人はここをある目的で使うことにした」
「それは……?」
「私の主人の言葉をそのまま引用すると、『私の最終目標はハーレム計画! かわいい女の子に甲斐甲斐しく尽くされることさ! がはは』だよ」
「ハ……ハーレム計画!?」
「それを私なりに翻訳するとこうなるの。『問題を抱えた女の子を集めて癒やしてあげて、それでかわいい女の子と仲良くなれるかな……なれたらいいな……』というのよ。私の主人素直じゃないからオーバーにいっちゃうのよね」
その翻訳はあってるのだろうか、もし水琴の言うとおりならこの屋敷の主人はすごく変わった人間に違いない、と詠流思ったが、金持ちは考える事が違う、という言葉を思い出してもいた。たぶん意味が違うが。
「そういうわけで、ここはただの喫茶店じゃないの。悩みや問題や不満を心の中に抱え込んでいる女の子を現実から解放してあげる空間。迷える女の子が頼りに駆け込むところ。駆け込み喫茶といったところね」
「駆け込み喫茶ですか」
「そう。だから究極的目的はただ一つ。女の子に癒やしを与えることよ」
そう語った水琴は、詠流をこの喫茶店で働かないかと誘ってきた時と同じ瞳をしていた。
あのときの誠実そうだった水琴と同じ人物だ、と詠流は思う。先のおちゃらけた姿の水琴も、この真面目モードの水琴もどちらも本当の水琴なのかもしれない。
ノックが三回なり、愛莉が陶器の紅茶セットの載った盆をもって入ってくる。
「ありがとうね。エリッヒ」
「アフタヌーンティーの時間でしたので、甘くて爽やかな香りに少し刺激的な渋み、赤身を帯びたオレンジが特徴的なウバの紅茶、軽食としてクッキーもお持ちしました」
愛莉はテーブルに三つのティーカップを置き、ティーポットから紅茶を注ぎ分けていく。そしてそこから漂ってくる甘い香り。
詠流は一口飲んでみる。香りも味も先ほど飲んだ紅茶と違う。先のはコクが主張してくる味わいだったが、今度のはしつこい味わいだった。
そのしつこい味わいも甘いクッキーを食べればいい具合に中和されていく。単独で飲むなら先ほどの紅茶の方がおいしかったが、クッキーを食べながら飲むにはこれぐらい味がしつこい方がおいしいのかもしれない、と詠流はなんとなく思う。紅茶の素人である詠流に詳しい違いはわからないが、紅茶と一括りされているけど、実際は味も香りも全然違うのだ。
「どうやらウバは大丈夫なようだね」
「はい。少ししつこい気もしますけど、クッキーと一緒に食べるとおいしいと思います」
愛莉が一安心といった風にそう詠流に語りかけた。
「ウバは豊かな香りと渋みが特徴的でね。好みがわかれるんだ。初心者がストレートで飲むにはあまりおすすめしない紅茶さ。初心者には先ほどのダージリンやニルギリの方が無難だよ。まぁ、ミルクティーにすれば今度はこのウバの渋みが甘さを引き立てるんだけどね」
愛莉も紅茶を入れている間に落ち着いたようで、先ほどの動揺はなくなっていた。
「そういうわけで詠流くん。女の子に癒やしを与える。頼りがいのある男の子が悩みを聞いて相談にのってあげる。私はこれが一番女の子に癒やしを与えると思ってるの」
「なんとなくわかる気がします」
「そう。でも女心がホントにわかるのは女の子だけとも思っている。それに男の子に悩みを話すのはやっぱり抵抗がある人もいると思うの。だから女の子が執事になって給仕してるの」
女の子が執事してるのにも、ちゃんとした理由がある。
「まぁ、ボクはこの執事の仕事は性に合っているからね。気楽に仕事させてもらっているよ」
愛莉はそういってからゆったりとティーカップを口に持っていて紅茶を飲んだ。
「詠流くん。家令として確認します。女の子に癒やしを与えられるような存在になれるなら、私はあなたを雇用します。今はそんな自信がないかもしれない、けど、これからそうありたいと思えるなら、私は是非詠流くんにここで働いて欲しいと思うわ」
「ホントですか! ……でも、本当の女心をオレが理解することはできるのかなぁ」
紳士は淑女を気遣える存在だ。そうなら詠流の目指すべきところと違いはないし、話を聞いたあとではますますここにいたい、と思うと同時に不安になる詠流。
「だいじょうぶよ。きっと。そのためのプランも私は考えてある。まずは女心の勉強からになるけど、詠流くんなら成し遂げてくれると信じてるわ」
水琴が真剣な表情で詠流を見つめる。
「わかりました。是非ここで働かせてください」
「ありがとう。これで契約は成立ね。今日から詠流くんは私たちの仕事仲間だよ」
「よろしく。わからないことがあったらボクを頼ってくれればいい。サポートするのも執事の仕事だからね」
「ありがとうございます。零西さん。愛莉さん。これからよろしくお願いします」
詠流は深々とお辞儀した。執事となるための第一歩を踏み出すのだ。容姿は無理でも精神は立派な紳士となる、と詠流は改めて決意した。
「そうそう。詠流くんの制服にちょうどいいのがあるの」
零西がクローゼットの近くまで歩いて行く。
「もう少し変化が欲しくてね。昔注文してみたのがあるの。特製の制服。サイズもきっと合うと思うんだ」
「特製の制服て、今の愛莉が着ているようなスーツじゃないんですか?」
「違うよ。そもそも今愛莉が着ているの制服じゃないし。まぁ、愛莉はその服で給仕に出てたりするけどね」
水琴の言葉に詠流は戸惑う。愛莉が着ている黒いスーツは男性用のデザインだし、シャツもパリッとアイロンがけしてあって、爽やかな雰囲気なのだ。これが制服でないという。
詠流は愛莉にどういうことか、と視線を投げかける。
「ボクのこのスーツは私服だからね」
「し、私服!?」
「そうだ。似合っているだろ? スーツて堅苦しいように思えるかもしれないが、このスーツは伸び縮みする軽い素材で出来ている。かなり快適なんだよ」
確かに今日は営業日ではないと聞いていたが、私服にスーツを用いる人など詠流は聞いたことがない。愛莉の言うように伸び縮みして軽い素材のスーツだとしても休みの日に好んで着るなど詠流からすると変わった習慣にしか思えない。
「えぇ、そりゃ似合ってますけど……」
「ボクにとっては私服で仕事しているようなものさ。とはいっても、一般的なスーツはあくまで略礼服なんだ。正式な礼服じゃない。だから必要な時は礼服、つまりタキシードを着る感じだね。それ以外の時はこのスーツですましてしまうことも多いよ」
「なるほど……」
よくわからないが納得はした詠流。
詠流と愛莉が話している間に目的のダンボールを見つけた水琴が、そのダンボールを机の上にまで持ってくる。
「あったよ。詠流くん」
水琴がそういいながら、ダンボールを開封して中に入っていた服を取り出す。それは黒と白の布で出来ていた。
「はい?」
水琴がおもむろに広げたそれを見て、思わず詠流は疑問の声が口からこぼれた。
「そういえば、そんなのも買っていたな。懐かしい」
愛莉はそれに見覚えがあった。
「買ったのはいいけど、愛莉ちゃんは背丈があわないし埜依ちゃんが着るには窮屈だったし、私はこの服着られる立場じゃなかったからねー。お蔵入りならぬダンボール入りだったこの服もついにお披露目できるよ」
うれしそうな笑顔で解説する水琴。彼女の手にあったのは給仕服だった。もう少し詳しくいうと女性用の給仕服。一言で言えばメイド服といわれるものだった。ちなみに膝丈は短い。
「いやいや、それメイド服ですよ!? オレ男! 着られませんから」
詠流はおもいっきり頭を振る。ネタだとしても否定の意をしっかりと伝えとかないといけないのだ。女装させられるなど、詠流からするとはなはだ不本意だ。
「ダメだよ。詠流くんの制服はこのメイド服だから」
「なんで!?」
「私は詠流くんに早く立派な紳士になって欲しいと思っているの。そしてそれには女心を理解する必要があるよね。なら詠流くんが実際に女の子になってみて、女の子の視点で物事を見て、女の子を体験してみるのが一番の近道だと思っているんだ」
「わからないこともないですが、だからといってメイド服着るなんてやっぱりやだですよ!」
「詠流くんが早く女心を理解したらいいんだよ。もしかしたら三日でメイド服を卒業できるかもしれないよ? 詠流くんならできる! だから一緒に頑張っていこう!!」
水琴のよくわからないハイテンションに流されてしまった詠流は、そのメイド服を押しつけられてしまったのだった。
テーマは、男の娘が執事喫茶でメイドするというコメディ。
それに、イギリス使用人制度への理解と紅茶への造詣をサブテーマとする説明文をコメディ感を損なわずに記述することを目指していました。