古の文言と初彫刻
「ーーー彫刻部?」
高校に入った私は聞きなれぬその部活の名に妙に惹かれた。
だから放課後、その時彫刻部に体験しに行く事にした。
「失礼します」
中に入ると3人の生徒がいた。
3人とも生徒で、一人の男子生徒が残りの二人の女子生徒を指導しているようで、木の机に新聞紙を敷いてその上に長方形の暑さ1センチほどの木の板を置いて彫っているようだった。
集中しているのか、それとも無視しているのか。3人は入ってきた私に声をかけてくる様子もない。かと言って私の方も集中して木の板に何かを彫っている二人を目の前にしては声をかけるのも気が引ける。
……どうしたものか。
私は残り一人の座って彫っている二人を立って指導している男子生徒に目を向けた。
年上の男子にしては小柄なその生徒は厳しい目で女子生徒を見ていた。
「今日はもういい。お前ら全然駄目。また明日な」
ふと、指導していた男子生徒が口を開いた。
あっさりとしたその言葉に含まれる厳しい響きに私は思わず息を飲んだ。
ハッと思って女子生徒二人を見ると、二人は困ったように顔を見合わせ微笑みあうと後片付けを始めた。
小柄な男子生徒の暴言に、二人は慣れているようだった。
その様子にドン引きした私は、関わりたくないし気付かれていないうちに帰ろうと思った。
そろりそろりと足を後退させていると小柄な男子生徒がくるりと首だけをこちらに向けた。
「っ!?」
思わずビクッと肩を跳ね上げた私を目に留めた男子生徒は視線を冷たくさせ言った。
「お前、さっきから何してんの? 来たなら声かければいいのに何で声かけないんだよ。お陰でこっちは集中出来ないんだけど」
「…………すみません」
声かけにくい雰囲気作ってたのそっちじゃん …。
私はそう反論したくなったが、私に冷たい視線を送り続ける男子生徒を見ていると絶対に私が言った倍以上の暴言が返ってくるだろう事が予想できたのでここは眉を顰めるだけで留めることにした。
このまま何も言わずにここから逃げ去ってやろうかな… 。
半ば本気でそう思い始めた時さっきまで私に気付かずに後片付けをしていた二人の女子生徒のふわふわと髪の長い方が間に入ってきた。
「まあまあトウヤ落ち着いて。彼女はきっと集中していた私たちに遠慮して声をかけてこなかったのよ。…ね?」
ふわりと穏やかな笑みを浮かべてそう言った彼女に私は軽く頷いた。
男子生徒がこんな野郎だって知っていたなら、私だって入って直ぐに声をかけていた。そう思ったが、それももう過ぎた事だった。
男子生徒は厳しい表情で黙ったまま。
「こらトウヤ! せっかく体験入部に来てくれた女の子になにケンカ売ってんのよ!」
そんなトウヤの頭を背後からスパーン!と叩く女の子がいた。
さらりと落としたセミロングの長身の女子生徒だ。その身長はトウヤと呼ばれる男子生徒よりも頭一つ分高い。
「!? なにすんだよ!」
急に頭を叩かれ明らかに苛ついた様子で振り返った男子生徒にその女子生徒は絶対零度の冷たい視線を浴びせた。
「なにって、初対面の年下の女の子に失礼な発言をした馬鹿の頭を正気に戻そうとしただけよ。ごめんなさいね貴方。こんな馬鹿放っておいて大丈夫。私達だけで教えるから、とりあえずここに座ってもらえるかな?」
私の方を向いた困ったように微笑んだ彼女にそう勧められたが、私は首を横に振った。
( え…。こんな暴言野郎がいる部活なんて絶対イヤ )
心の中はそれだけで一杯だった。
「いや…。やっぱ、私は大丈夫です。今からでも他のとこに行くか帰るかしますので。……お邪魔してすみませんでした」
そう言って軽く頭を下げた私は今度こそドアから出て行こうとし…邪魔された。
「待って!」
と私の二の腕をふわふわ髪の女子生徒に掴んだからだ。
「…何か?」
私はウンザリしたような心地で仕方なく二の腕を掴む女子生徒を見た。
「今から他の部活に行くのは難しいと思うわ! それに入学したてで体験入部せずに帰ると先生方からの評判に響くと思うのよ。だからちょこっとだけでも体験した方が良いわ! トウヤが嫌なら私達が教えるし!」
凄く熱心に訴えかけてくる女子生徒に些か疑問を覚えるが、先生方からの評判に響くかもしれないと言われたら私も痛い。入学早々にこんなくだらないことで先生達に睨まれるなんて御免だ。
「……はぁ」
私は渋々頷いて再び部室の中に入った。
セミロングの彼女に勧められた椅子に座って二人の女子生徒が準備するのを眺めていると、背後から凄く視線を感じた。
チラリと横目で見てみると壁に背を預けたような格好の男子生徒が厳しい表情で目つきを鋭くさせながら私の方を見ていた。しかも、ふてぶてしく腕まで組んでいる。
(ほんと何なのこの人。視線も態度も全部がウザいなぁ…)
私がそう心の中で毒付いている間にも、二人の女子生徒はテキパキと準備を終わらせてくれた。
「今から少しだけ説明するから、その後に実際に彫ってもらうわね」
ふわふわの髪の女子生徒はそう言うと、彫るのは文字である事、そして心を込めて丁寧に彫る事が大事だとだけ言った。
「最初はまずこれを彫ってみようか。彫ってみたら色々分かるからさ」
あまりにもあっさりとあいた説明に拍子抜けした私にセミロングの彼女はそう言って小学校の時、図工の授業の時に使っていたような彫刻刀が入った入れ物と綺麗に色付けられた和紙を渡してきた。
それを受け取った私は諦めてその入れ物の中から何となく彫りやすそうな彫刻刀を手に取って薄い木の板に向き合った。
和紙に書かれた和歌っぽいそれを真似て、私は慎重にに彫刻刀を動かした。
「終わりました」
私は最後の一彫りを終えて彫刻刀を入れ物に片付けると、各々違う机でプリントを広げていた二人の女子生徒に声をかけた。そのついでに背後を確認したら男子生徒は相変わらず腕を組んでこっちを見ていた。
「早いね。どれどれ…」
セミロングの彼女はそう言って木の板を覗き込んだまま固まったように動きを止めた。
「どうしたの…って……」
少し遅れてやってきたふわふわの髪の女子生徒も私の彫った薄い木の板を目にすると、言葉を失ったように固まった。
(ん? 何か間違っていたのだろうか? きちんと心を込めて丁寧に彫ったはずなんだけど…)
もしかして、やっぱりそれだけじゃダメだったのだろうか。それとも私が彫るの下手過ぎたとか。自分では結構上手に彫れたような気がしていただけに、それは少しショックだった。
私は普通ではない二人の様子に何とも言えない不安に襲われて、思わず男子生徒のいる方を振り返って、後悔した。
「え…」
(何その顔!? 怖っ …)
男子生徒は大きな目をカッ、と見開いて私を凝視していたのだ。
( こっちもあんまり普通の反応じゃないじゃん…)
そう思ってしらーっと視線を女子生徒二人の方に戻しだけど、二人ともまだ時が止まったようにさっきと寸分変わらぬ姿勢を維持し続けている。
ーーーナニコレ気まずいんですけど…。
「あの…いくら出来が酷かったからってそんな皆して固まらなくても…」
私の口から思わずそう溢れると、背後から「違う」と声がした。 男子生徒の声だ。
男子生徒はコツコツと靴を鳴らして私の側までやって来るとジッと固まったままの二人を見た。
「見たらわかると思うが、こいつらは本当に固まっているんだ」
呟くと、今度は身を屈めて熱心に私が彫った木の板を見始めた。
「…本当に固まってるってそんな事ある訳ないじゃないですか」
急に近づいた男子生徒の顔に思わずビクリと肩を竦ませてしまった私はからかわれたと思って笑い半分にそう言い返した。
しかし、暴言を返してくると思われた男子生徒はただ静かに「嘘じゃない」と言った。
(なんなのこの人達意味分からない )
自分の眉間にシワがよるのがわかる。
だけどそうしている間にも、女子生徒二人が固まってかれこれ五分は経っていて、ちょいちょい二人を見ていたけれど、その間二人は一切瞬きも身じろぎも一切していない。
ーーーもしかして、本当の本当に固まってしまったのだろうか。
そんな事有り得る訳もないのに、男子生徒のあまりにも真面目そうな雰囲気の呑まれてそんな不安が頭を過ぎった。
「…二人は本当に固まっちゃったんですか? どうして固まっちゃったんですか? 正直意味わかんないですけど、なにか原因が…」
異様にも感じる状態が続き謎の焦燥に駆られた私が男子生徒に再び問いかけると、こちらを見た男子生徒の澄んだ瞳とぶつかった。
「お前が彫った和歌だよ。お前が彫った和歌がこいつらの時を止めたんだ」
低くもなく高くもない。そんな声で紡がれた言葉に私は思わず言葉を失った。
男子生徒が言っている事は現実的には到底考えられないし理解できない。でも、今の状態を目の当たりにしていると、ひょっとしたら有り得るかもしれないと思い始めそうになる。というか、現実問題有り得ているのだと、そう思わせるような、そんな、不確かな確証を秘めたような言葉だった。
男子生徒はただ真っ直ぐに私を見ている。その瞳から無性に逃げ出してしまいたくなって、私は後ろめたい事も何も無いのに少し俯いた。
「意味分かんないんですけど…。そんな事ある訳ないじゃないですか。なにそれ…本当に意味わかんない。何でそうなるんですか。…もしかして新手の嫌がらせですか?」
早口に捲したてるように言った私に、どこまでも無愛想な声が降って来る。
「あのな、嫌がらせでこんな手の込んだ事するかよ」
「…ですよね。すいません」
私は俯いたまま謝った。
そんな私の様子に呆れたのか、男子生徒は大きなため息を吐いた。
「はぁーー…。謝るのはこっちだ。こいつらも後一時間もすれば元に戻る。だから俯いていないで顔を上げろ。きちんと説明してやるから」
その言葉に私は弾かれたように顔を上げた。
「戻るんですか!? 」
隣に立つ男子生徒を見上げると、短い言葉で肯定された。
「ああ」
相変わらず男子生徒は無愛想だが、今はそんな些細な事は気にならなかった。
二人が元に戻る。その言葉に安心した。
あからさまにホッとしたように顔を緩めた私を見て、男子生徒は呆れたように説明してくれた。
男子生徒曰く、彼女達が固まってしまったの私が彫ったこの『時止めの詩』なるものが上手く作用したからで普通に人にはそれができない事。
彼女達は後一時間もすればその時止めの効果が終わりまた動き出す事。
そして、この事がバレると私の身に危険が及ぶのでこのまま男子生徒の家に行ってこれから起こるであろう面倒な自体に備えて然るべき対応を取らなければいけない事。
大体重要そうなのはこの三つだった。
その説明に私は概ね納得した。だがしかし一つだけ、声を大にして拒否したい。
どうしてこんな無愛想な男子生徒の家に行かなければいけないのだーーーと。
「本当にそこまでする必要あるんですか?」
あからさまに顔を顰めた私に男子生徒は冷たい視線を浴びせた。
「お前いい度胸してるな。死にたいのか?」
「………」
表情と相まった冷たい言葉が刃のようになってサクリと私に突き刺さる。
ーーーああ、めっちゃ嫌!!!
こんな奴の家に行くんなんて本当に勘弁して欲しい。最悪の気分だ。
でも自分の生死に関わる事らしい為、背に腹は変えられそうにないことも分かっている。
よって、私は男子生徒の言葉を黙殺した。
すると、男子生徒は黙ったまま私の彫った木の屑を片付け始めた。
私も手伝おうと椅子から立ち上がったが、男子生徒が「大人しく座ってろ」と言うので変に邪魔になるかもしれないよりはいいかと言われた通りに座っている事にした。
黙々と片付けている男子生徒の姿をぼんやりと眺めているとなんだか眠たくなってくる。
私の頭がうつらうつらと船を漕いでいると、その姿に気付いた男子生徒が片付けの手を止めずに言った。
「眠いんだろ? 寝てていいぞ。力を使った奴は大抵眠くなるんだ」
「いえ…だいじょうぶ、です…ーーー」
なんか悔しくて、途切れ途切れの意識の中そう言ったが、その言葉は男子生徒の耳に届いたはずなのに無視され、私の意識もあっという間に眠りの底へと沈んでいった。
お読みいただきありがとうございます!
亀更新になるかとは思いますが、完結まではなんとか書きたいと思っていますので、気長にお待ちいただけると幸いです。