01 奄美剣星 著 教育 『伯爵令嬢シナモン マダム・カリオストロの謎』
挿図/Ⓒ 奄美剣星 「レディー・シナモン」
レディー・シナモンは、十歳のときに、マダム・カリオストロのマジック・ショーを初めて観た。それは、第一次世界大戦が終わって間もない一九二〇年のことだ。シナモンの父親は、駐仏英国大使であったため、休日、一家とともに、パリの劇場ムーラン・ルージュを訪れたのだった。
開演まで、まだ間がある。
両親が近くのカフェで時間を潰している間、シナモンは、家庭教師の手を引っ張って、劇場とその周辺を探検した。
改札口前には、折畳椅子とテーブルとがあり、魔法使いのような尖り帽子を被ったお婆さんが陣取っていた。お婆さんがシナモンに、声をかけた。
「ちっちゃいお姫様、私の手品をご覧にならない?」
皺だらけのその人は、ワンピースにコートを羽織り、深縁帽子を被っていた。目の前のテーブル上には、赤と緑の賽子が二つ置いてあった。――お婆さんが続けた。
「お姫様、アタシが後ろを向いて、テーブルの上を見ないでいるから、賽子を振ってみてね」
お婆さんがウィンクした。
シナモンは、黄金の髪を短く刈り揃えた、青い瞳の童女だ。リボンのついたフェルト帽を被り、ボンボンのついた外套を羽織っていた。その童女が、テーブル越しに、老婆と向かい合った格好で、椅子に腰掛け、二つの賽子を転がした。
「お嬢さん。二つの賽子の出た目を足してみて。――ここではまだ、答えを言わなくていいんだよ」
――赤三、緑一。三+一=四。
「じゃあ、赤の出た目の裏側の目を足してみて」
――赤三の裏は四だから、四+四=八。
「もう一回、赤の賽子を振ってみて」
――赤六。八+六=十四。
そこで……。
「さあ、お姫様が出した賽の目の合計を当ててみるわね。ズバリ、十四でしょ?」
テーブルの賽子は、赤六、緑一になっている。最後の状況だけを見たとしても、お婆さんが数字を当てたのはなぜだろう?
シナモンのお供をしていた家庭教師のミス・ジェシカは、横で見ていて、頭がこんがらがってきた。
*
開演時間となった。
ステージには、シルクハットにレオタード、タイツ姿の女性たちがずらりと並んでいた。スポットライトを浴びていたのは、ロングヘアにした金髪のマダム・カリオストロだ。マスカラ、アイ・シャドー、銀色のルージュ……。マダムは細身で、二十代前半のようだった。
立った格好になった車輪付棺箱が、レオタード女性たちによって、ステージ中央に運ばれて来た。――マダム・カリオストロが仰々しく、観客にお辞儀をして中へ入る。――蓋が閉じられ、取り巻きの女性たちが棺をクルクル回し、再び、扉を開けた。……するとどうだ。マダム・カリオストロが姿を消したではないか!
ルブランの怪盗ルパン・シリーズに『カリオストロ伯爵夫人』という作品がある。カリオストロ伯爵は、実在の人物で、錬金術師とも詐欺師とも呼ばれている。――対してカリオストロ伯爵夫人は架空の人物だ。――アルセーヌ・ルパンにとって彼女は「運命の女」として、悩まされる存在だ。……一九二四年発表作品なので、マダム・カリオストロの芸名は、同作品とは無関係である。
*
一九二九年に世界大恐慌が起こり、「一九二〇年代、狂騒のパリ」と呼ばれたバブルが弾けた。――敗戦国ドイツでは、ナチスが台頭し、世界は次の戦争に向かっていく。――オクスフォード大学マーガレット・ホールを卒業した、レディー・シナモンは大英博物館から、フランス・サン=ジェルマン国立考古博物館に派遣されていた。一九三〇年代後半のことだ。
サン=ジェルマンの町は、パリ近郊の都市で、同名考古博物館は、ブルボン王朝時代の離宮を転用したものだ。シナモンは、博物館に近いアパルトマンに住んでいた。
シナモンが、フランス暮しを初めて間もなく、家庭教師のミス・ジェシカが訪ねてきた。そして久しぶりに、連れ立って、パリの劇場ムーラン・ルージュを訪れた。
*
女性考古学者と元家庭教師の二人は、ショーを楽しんだ後、近くのカフェで食事をとった。
「姫様、それにしても変です。マダム・カリオストロのデビューは、普仏戦争があった一八七〇年ごろだったと伺っています。そのとき、マダムが十五歳だったとして、一九三〇年現在、七十五歳になっているはず。――いくら若作りだといっても無理があるとお思いになりません? ……現在、ステージに立っているマダムは、どう見たって二十代のままです」
ミス・ジェシカは、シナモンが寄宿学校に入った時点で契約が切れた。――と同時に、シナモンの母親の紹介で、さる富豪令嬢付家庭教師に収まった。――以降、ジェシカは、シナモンの友人として交流があった。
棺箱のトリックは古典的なもので、底板が動き、女性マジシャンが棺箱の裏側に隠れるというものだ。――このあたりの仕掛けは、ミス・ジェシカでも見破ることができた。――しかし、マダム・カリオストロがその若さを維持していることについては、ミステリアスに映った。
シナモンは、ミス・ジェシカの問にこう答えた。
「ミス・ジェシカ、貴女が私の家庭教師をしていらしたころ、私と初めてあの劇場にきたとき、改札に手品をするお婆さんがいらっしゃいましたよね。――彼女は、最近お亡くなりになったそうだけど、実は、マダム・カリオストロ一座の興行主だったのだとか」
「彼女がマダム・カリオストロだとでも? あのときすでに六十歳は越していたわ」
「こんな仮説はどう? あのお婆さんが、初代のマダム・カリオストロで、今のマダム・カリオストロは、初代マダム・カリオストロの体型に似た女性が引き継いでいる。恐らくは三代目くらい……」
「娘さんやお孫さん? ……確かに似ているでしょうけど、顔とか髪、声とか、微妙なところは違うはずよ。周囲は気づくはず」
「たぶん、周囲は秘密を知っている。歴代マダム・カリオストロは、比較的容姿の似た若い女性を跡継ぎにする。髪型、アイ・シャドーやルージュの色を同じにして、スポットライトを浴びせれば、遠目には同一人物のように見えてしまう」
「声は?」
「マジシャンには、舞台で声を出さない人がいます。座長のマダム・カリオストロもそのお一人。――マダム・カリオストロは、少なくとも三人いた。歴代マダムは、お化粧の仕方とか仕草とか、次代マダムを指導していたというわけです」
――なるほど、辻褄は合う。
ミス・ジェシカが、もう一つ、シナモンに質問した。
「ところで、あのお婆さん、初代マダム・カリオストロの手品ですけれど、賽子の出た目の数合わせ……あれの種明かしをして下さらない?」
一般に、貴婦人と呼ばれる女性は珈琲を口にしない。レディー・シナモンは、伯爵令嬢だが、パリの自由な空気に馴染んだせいか、カフェ・オレがお気に入りになっていた。彼女はひと口飲むと、ミス・ジェシカに答えた。
「お婆さんの方法で、赤と緑の賽子の出た目を足していった合計値は、二つの賽子が最後に出た目の合計値に七を加えた数に等しい。――つまり、等式が成立する。――あのときの合計値は十四。最後の出た目は、赤六、緑一だから、これに七を加えればやはり十四になる。……六面体の賽子は、表と裏の目を足すと七になるように、作られている。等式は、そのことで生じる特性です」
ミス・ジェシカは、判ったような、判らぬような顔だ。
二人がいる、カフェ・ウーベア(オープン・カフェ)の前を、ルノー車が横切っていった。
ノート20190220