01 奄美剣星著 青葉 『田舎暮らしの若葉さん』
挿図/Ⓒ 奄美剣星 「若葉さんの午後」
――立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花――
それは美女を表す言葉だ。
芍薬は判るとして、牡丹は座らないし、百合は歩かない。
若葉さんの家の百合は、見ごろを終えていた。先日、牡丹が咲いて、今は芍薬が咲いている。ここのところの若葉さんは、その芍薬の前のブロンズ椅子に腰かけて、紅茶を飲むのが日課になっていた。
芍薬は、大輪で深紅の花びらは美しいのだが、茎の上に大輪の花が載っている様が、他の花と比肩して、際立つというほどのことはない。先週は大雨で、雨粒を受けた。こういうときに大輪だと、重たくて、横倒しになってしまう。
雨の中、倉庫から、園芸用のついたて二つを持って来て、二本の柱をつくり、そこに細い竿を横にして通した。
気休めかと思っていたら、意外と花は持ちこたえ、一週間楽しめた。
五月連休のころ、周辺の里山は、モフモフの黄緑色だったのが、月末になったら濃くなった。
下旬になった先週末、芍薬と紫草の花との間を、今年初めて見るクロアゲハが往来していた。
――クロアゲハは浮気なモダンガール――
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若葉さんは、会社時代、「文学少女」と呼ばれていた。月二十冊のペースで本を読む。猫の本、料理本、歴史書、そして小説。小説はミステリーや恋愛ものを読む。ラノベも嫌いな方ではない。――というより、会社時代の同僚たちはラノベ系恋愛小説を読んでいた。親友は、いわゆる「腐女子」で、異世界を舞台にしたBLものばかり読んでいた。
――「文学少女」は文豪作品を読まなくてはいけない――
トルストイ『罪と罰』『カラマゾフ兄妹』、ゾラ『獣人』、ジュペリ『星の王子さま』『戦う操縦士』『城塞』、マルロー『王道』『アルテンブルクのくるみの木』、モーム『人間の絆』『女ごころ』、スタンダール『赤と黒』、ヘミングウェイ『武器よさらば』
先日、若葉さんは、ネットで、「五分間解説『老人と海』!」と題したヘミングウェイ作品の書評を目にした。――あれって、短編だから五分あれば作品自体が読めてしまうじゃない。そんなツッコミを思わず入れた。
若葉さんは、欧米の文豪作品を好むのだが、日本の文豪作品も読まないではない。夏目漱石、森鴎外、中島敦、太宰治、堀辰雄、川端康成、そして谷崎潤一郎だ。
少し前に『細雪』を読了した。
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谷崎潤一郎の『細雪』は、大阪の古い商家出自の四姉妹が織りなす、ホームドラマだ。
四姉妹は、会社役員の婿をとった本家の長女・鶴子、会計士の婿をとり分家した侍女の幸子、良縁待ちで長女と次女の家を行き来する三女の雪子、そして一人暮らしをしている奔放な末っ子の妙子からなっている。
戦前の、東京・大阪間を舞台に、上・中・下巻とやたらに長いこの物語は、三人称で描かれているのだが、エピソードに従って、視点者は、大きく長女と次女の間をゆれ動く。当時の縁談は、お見合いだ。「アラサー」の三女・雪子に長女・次女の姉夫婦が、つぎつぎと縁談を持ちかけるのだが、お相手は、ことごとくハズレのダメ男さん。その間に四女は、ふわふわと自由恋愛を楽しみ、未婚のまま孕んでしまうのだが、死産となった。そして、日本が、第二次世界大戦に参戦する前夜、雪子の縁談が決まり、物語は突然のように終わってしまう。
他方で、谷崎潤一郎は、戦前『陰翳礼賛』というエッセイを書いて、戦後直後の欧米日本研究者たちに影響を与えたのだそうだ。――桃山文化の黄金茶室は豪華絢爛さをアピールしたものではなく、奥まった部屋に到達した僅かな陽光を反射させる装置――だと述べている。かつての日本人は、洋風の明るい部屋ではなく、暗がりでぼんやりとゆらめく弱い明かりが好きであったという主張だ。……これが、この人の全作品におけるコンテンツとなっているらしい。なんて深いんだ! ……とはいえ、あの変態な小説『痴人の愛』や、『卍』、さらにはデビュー作『刺青』の根幹だなんて、今一つ咀嚼できないでいる若葉さんであった。
腐女子さんは案外と文豪作品を読む。そこが共通のネタで、退社後も「メル友」をしている理由だ。彼女に理由を尋ねると、「昔の作家って、変態じゃん」という答えが返ってきた。
?????
腐女子さんによると、谷崎潤一郎は、戦前に流行った「モダンガール」という、ぶっ飛んだ若い娘に蹂躙されるのが好きな「マゾ男」なのだそうだ。
――そうだったのか!――
言われてみれば、全作品に共通して、変態なヒロインが登場する。『細雪』の場合は四女の妙子で、三女の雪子はその対極にある。だから、崩れ行く日本、第二次世界大戦直前で物語が終わり、古き良き時代の象徴だった、雪子が、汽車旅の中、下痢になるという変な一文が入るというわけなのか。そんな解釈ができた。
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若葉さんは四十歳になる独身女性だ。学校を出てから東京の会社に就職し、「デキル女」と呼ばれ、部長まで昇進したのだが、母親の介護の関係で退社して田舎に引っ込んだ。実家は旧家で、アパート・借家・土地に株といった資産があり年収一千万になった。これに自分の退職金と預金一億円を加えると、切り詰めればではあるが、働かずとも食べていくことができた。家事と介護は面倒といえば面倒なのだが、週一度、ヘルパーさんが掃除を手伝いに来てくれる。会社勤めほどの煩わしさはなかった。
昨今、若葉さんは小説を書いている。ネット講座で、とある作家の弟子となって、長編を書き、五大出版社の公募に投稿しだした。先生は慇懃に振舞うのだけれども、辛口だ。
「若葉さんは読書量が足りないですね。作家は膨大な本を読まないといけないのですよ」
プリントアウトした投稿作品の控えを、関西にいる先生宅に送った三日後に、講評のメールが送られてきた。いったい、どれほど読まなければいけないのか。
「一つのカテゴリについて一千冊読んでください。先生はこう続けた。ミステリー作家は一千冊読めばいいのけれども、恋愛小説とミステリー小説のカテゴリの双方をやる作家は、それぞれ一千冊読まなくてはなりません。それとね、若葉さん、ネットの『青空文庫』に出てくるみたいな『古典』ばっかり読んでちゃ駄目ですよ、現代第一線の作家作品を読まなくちゃいけません」
――なのだそうだ。先生は、その上で、速読の入門書を紹介した。ちなみに、先生の読書速度はというと、十五秒で一冊なのだとか。
ド変態!
庭先・牡丹前のブロンズ椅子に腰かけた若葉さんは、スマホを閉じ、紅茶を口にしてから、そう呟いた。
ノート20190531