02 奄美剣星 著 スーツケース 『藪睨みの男』
挿図/Ⓒ 奄美剣星 「妄想探偵」
首都圏K電鉄の対面式になった駅ホームだ。
日本の線路を挟んだ向こう側に、スーツケースを足元に置いた、藪睨みの男が立っているのが見えた。
私が、男を、食い入るように見つめていたので、横にいた娘の紗理奈が怪訝そうに、「どうしたの」聞いてきた。
――奴だ! 奴は人を殺しているかもしれない!――
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私・奄美は、東北の田舎町I市に住んでいる。だが平成のまん中ごろの私は、単身赴任続きで、家を空けることが多かった。
ゴールデンウィークに合わせて、家内が娘を連れて、私の住むアパートを訪ねてきたので、最寄り駅から上り列車に乗って、浦安市のディズニーランドへ行くことになったのだ。
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――男はクレーマーだった――
アパートに越して来た朝七時過ぎだ。藪睨みの男がアパートの一階から出てきたので、私は儀礼的な挨拶をした。
「俺の奥さんがまだ寝ているんで、静かにしてくれ」
七時といったら、最も忙しい時間帯だ。私もライトバンの荷物を部屋にぶち込んだら、とっとと出張所へ行って、たまった書類を片したいと思っていたところだ。
アパートは、木造モルタル二階だ。昭和四十年代につくられたもので、上下階に、四世帯分の部屋が並んであった。私の部屋は外付け階段を昇った二階にある。真下が例の男の部屋だ。私は男の話など無視して、部屋に荷物を運びこみ、それから出張所に車を走らせた。
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それから数週間が経過した。
私は、残業で遅くにアパートへ帰ったのだが、早く寝たくて、思わず小走りして階段を昇った。このとき、カンカンと自分の足音が聞こえた。――木造モルタルはよく響く。そのあたりの配慮が足りなかったのは認めるところ。――だが、テレビとか音楽とは、かけない。
部屋に入るなり、下の部屋から、ガンガンと激しく襖を柱へぶつける音がした。
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翌日、大家が訪ねてきた。
「いやあ、実は、奄美さん部屋の下の階にいる部屋の人から、不動産屋を介して、電話があって様子を見に来たんですよ」
私はこっちの言い分を述べた。
それからまた、数日後、大家が訪ねてきた。
「上の階の奄美さんが、そんなにうるさいって言うんなら、確かめる必要があるから、中へ入れてくれないかって言ったら、駄目だって答えたんだ。――それじゃあ、話にならない。問題があるのは、奄美さんじゃなくてアンタだ。――そんなに音が気になるなら、出って貰うしかないねえって言ってやったよ」
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翌週、藪睨み男は部屋を出て行った。
ところで私は、アパートに入居してから、男の奥さんという人に、一度も会っていない。
線路の向こう側にある下りホームに、電車が入線して来て、男が乗った。その際、やたら重たそうに、スーツケースを運び入れた。
――藪睨みの男の引っ越し先は市内なのだろうか。すでに引っ越したというのに、あんなスーツケースを持ち歩くのは、どうみても不自然だ。……こう考えてはどうだろう――奥さんは私が引っ越してきたとき、すでに殺されていた。大家さんが部屋に入ろうとしたとき、入室を拒んだのは、奥さんの死体が部屋にあったからだ。殺害の動機は、神経質で暴力的な男の性格からくる一時的な激情。妻殺しのニュースでよく聞く、妻に何か言われて、カッとなって首をしめたってヤツに違いない。
「――なるほど、それでパパはあの小父さんが、奥さん殺しの犯人で、スーツケースの中にはバラバラにした死体が詰まっている。下り列車に乗ったのは、街から離れた森に埋めるためってわけね」
娘がそう言うと、妻と一緒に首をすくめてみせた。
私は、嫌いな奴を殺人犯に仕立て上げたり、完璧なトリックで完全犯罪を遂行したりする。
――もちろん、私が嫌いな奴は実際のところ殺人犯ではないだろうし、私自身も犯罪など冒さない。
遊園地のアトラクション前は、数百メートルにもなる行列になっていた。私は、妻や娘と一緒に並んでいるとき、そんな話をして暇つぶしをしていた。
妻は私を「妄想探偵」と呼んでいる。
ノート20190430