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自作小説倶楽部 第18冊/2019年上半期(第103-108集)  作者: 自作小説倶楽部
第105集(2019年3月)/「蝶々」&「編み物」
13/26

02 らてぃあ 著  蝶 『赤い蝶』

挿絵(By みてみん)

挿図/Ⓒ 奄美剣星 「赤い蝶」



 伯父に初めて会ったのは私が二十歳になった一月後でした。私の懇願に対しての返答が「この屋敷で働かせてやろう」でしたから印象は最悪でした。しかし両親が借金を残して他界した天蓋孤独の身では伯父を頼らざるおえませんでした。母が駆け落ちして実家を勘当されたことも弱味でした。母を勘当したのは私の祖父に当たる人間のはずですが伯父はそれすら私をさげすむ理由としたのです。私がなんとか生活できたのは老いた家令が憐れんでくれたからです。それでも女中の三分の一くらいの給金でした。

 守銭奴かと思うと伯父は己の趣味のためには惜しみなく金をつぎ込みました。それがあの部屋のコレクションですよ。そう。蝶々、ただの昆虫なのにいくつかのバイヤーと取引をしていました。珍しい蝶を手に入れると伯父の機嫌は俄然よくなりました。

 だから、その時も随分希少な蝶を入手したのだろうと思っていました。だから女中が伯父に女の客が来ているらしいと聞いた時は耳を疑いました。伯父に秘密の客はよくありました。蝶のバイヤーはもちろんいろいろと怪しげな取引で儲けていたようです。お茶の用意を命じられることはありましたが、そうした客が来ている時に使用人はみんな伯父の部屋から裏口までの通路には近づかないように教えられていました。女性の客は珍しい上にその女は伯父の部屋の周辺だけでなく中庭から食堂の付近に幻のように現れたというのです。

 それから私もすぐ件の女性を見掛けました。階段の途中ですれ違ったのです。私は階段を上がり彼女は音もなく階段を降りて来ました。異国の血が混じっているのか目鼻立ちがくっきりした琥珀色の肌の美女でした。ひと昔前のドレスのようなロングブラウスを着ていました。私が唖然と彼女の顔を見つめていたのに彼女は私に目もくれず重力を感じさせない動作のまま階段を下り姿を消しました。彼女は伯父の書斎から出て来たのだとわかりました。私は階段を駆け上がり書斎に飛び込みました。そこでは伯父が難しい顔をして分厚い本のページをめくっていました。

「何だ」

 伯父は視線を上げると不機嫌そうに言いました。

「あの、ここに居たお客様は?」

 本に戻ろうとした伯父はますます不快そうな表情になり私に「出て行け」と言いました。こうなっては二人の関係を聞き出すのは不可能です。私は彼女の後を追わなかったことを後悔しました。

もう彼女に会うこともないと思っていました。ところが彼女のほうかた接触して来たんです。たまに一人で行く店で飲んでいて気が付くと隣に彼女が座っていました。私に向って「こんばんわ」と赤い唇で微笑みました。

「こんばんわ。君の名前は?」

「そんなことはどうでもいいわ。話をするのはわたしとあなたの二人だけよ」

「君は私の伯母になるかもしれないから、ぜひ知りたいんだ」

「ならないわ。わたしとあなたの伯父様はそういう関係ではないのよ。わたしは伯父様に赤い蝶をどうしても返していただかなくてはならないのよ」

「蝶? 君はコレクターなの?」

「赤い蝶」というと思いつくのはひとつしかありませんでした。一年前に入手した血のように真っ赤な蝶です。私も少しは蝶のことを勉強しましたが翅全体が赤い蝶なんて図鑑にも記録にも載っていませんよ。私は彼女の申し出に危険を感じましたが、どういうわけか店を出る時には蝶を盗みだす約束をしていました。正常な判断力を失うほど飲んでいたはずはありません。でも帰宅するとすぐに鍵を失敬してコレクションルームに忍び込みました。

 部屋はもとはかなり広いもののようでしたがコレクションを飾るために仕切りを付け足し、そこに厚い額を取りつけたわけですから幅はかなり狭くなっていました。ガラスの中の蝶は恨み言をささやいているようで、まるで骸骨を積み上げたカタコンベのような不気味さでした。

 赤い蝶は部屋の一番奥、ひときわ豪華な額に入れられていました。乏しい照明の下でそれを改めて見た時、その翅が少し震えたような気がしました。驚いて目を凝らします。標本だからそれは死骸であるはずです。自然ともう一歩。足を踏み出した時、背中に鋭い声が刺さりました。

「何をしている」

 部屋の入り口に立っていたのはガウン姿の伯父でした。伯父は突っ立ったままの私を押しのけると赤い蝶を隠すように私の前に立ちふさがりました。

「ふん。お前も魔女にたぶらかされたというのか?」

 手にした懐中電灯の光を私の顔に向けて伯父は言いました。

「魔女? 何のことです?」

「原住民はこの赤い蝶を〈魔女の魂〉とか〈魔女の蝶〉と呼ぶそうだ。男をたぶらかして悪さをするんだとよ。そのせいで魔封じの札までセットで買わされた」

 私はもう一度蝶を見ました。すると翅がまた、動きます。今度ははっきりとわかりました。そして蝶が私に助けを求めていることを知ったのです。赤い蝶を助けなくてはならない。強い衝動が私の内からこみ上げて来ました。

 美しい彼女を伯父の汚れた手から解放しなくてはならない。

 いいや。あの美しい生き物は私のものだ。

 気が付くと伯父が何かをわめいて懐中電灯を握り、私に向って振り下ろそうとしていました。それを避け、伯父の身体を思いっきり突き飛ばしました。伯父は脇のガラスケースに衝突しましたがすぐに起き上がり、私につかみ掛かって来ました。割れたガラスでどこかを切ったのでしょう。真っ赤な血が私の顔にも降りかかって来ました。私は両腕で伯父の手を封じると右足で思いっきり伯父の腹を蹴り上げました。うめいてひるんだ身体の下から抜け出し、手がつかんだ置物で伯父を殴りました。伯父がやっと動かなくなると私は赤い蝶の額を壁から外して床に叩きつけたのです。赤い蝶はうれしそうに、ひらひらと私の周りを飛び回っていました。

 この事件が終わったら私は彼女と一緒になるんです。彼女が私を待っています。


 現場検証を行った監察官は赤い蝶の残骸が見つからないことに首をひねったが平凡な捜査官たちはこの事件を伯父の遺産を狙った犯行として片づけた。

 もちろん赤いワンピースの美女の行方はようとして知れない。

          了

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