05 深海 著 氷雪 『雪まつり』
挿図/Ⓒ 奄美剣星 「氷の巨人と青年」
扉を開けたら、そこは雪国――ではなかった。
「今年は全然、雪が降らなくて」
異常気象とか暖冬だとか。そんな言葉が緑の芝生にたむろする人たちから、ちらほら。宮殿の光熱費が激減してウハウハだったんだが、という声も聞こえてくる。紺のお仕着せを着たあの集団は、王宮の経理部に勤めている文官たちだ。赤服の侍従や、コック服の料理人。掃除夫や道化師もいる。
エティア王宮の左翼中央。使用人専用の中庭は本日、大にぎわい。
昼下がりの中庭は、ぽかぽか暖かい小春日和――どころではない。そびえる白壁に切り取られた空は真っ青で、お天道さまがカッと輝いている。
「避難完了だな。暑っ……」
脳天をじりじり焼かれた赤毛の青年は、我が身を隠すようにビロードのマントを頭から被った。
そばには、襟や袖の白いレースをひらひらさせ、しきりに揉み手している侍従長がいる。
「ええと、侍従長。ここで、使用人主催の催しをするはずだったと?」
「はい、蛇の守護卿。その予定であったのですが。何分今年は、異常に暖かくて、雪がさっぱり積もらなかったのでして」
「えっとそれで。有志が氷の巨人を連れてくるよう、手を打ったと」
「はい、ここでたっぷり巨人さんに雪を吐いてもらって、毎年恒例の雪祭りをやろうとしたのでございます」
「でも、巨人を連れてきた奴らが、ヘマこいたと」
すみません、ごめんなさい、この通り。侍従長が両手を合わせて頭を下げてくる。
「我が宮廷の予算はご存知の通りきっちきちですので、陛下に頼んで王立騎士団や常備軍を出してもらうわけにはいかず。あなた様も大変お忙しそうでしたので、使用人たちから少しずつ集金し、そのお金で王都の私立騎士団にお願いしたんです。でも、騎士とは名ばかり。実はほとんど、素人と変わらぬ集団だったのです。まさか交渉しないで、いきなり捕まえて檻に入れてくるなんて……」
「そりゃあ怒って当然。宮殿の門ぐらい、軽く踏み潰しますね」
「はい。莫大な修理費が……懲戒免職も給料天引きも、みな覚悟しております。ですので、」
すみません、どうかよろしくお願いしますと、侍従長は膝を折って赤毛の青年を拝み倒した。
「お手数をおかけしてしまいますが。暴れている巨人さんを、説得してください」
王宮勤めに戻った赤毛の青年は大忙し。蛇の女王の子供たちを護衛し、面倒を見るのが仕事だが、彼の役職は摂政位と同等。国王と共に、王国内のあらゆる問題を把握して解決し、宮廷をつつがなく運営し、宮殿の保全に務めなければならない。
会議でゆっくり決める案件もあれば、今回のように緊急性はなはだしいものもある。ジャルデ国王陛下は、青年の肩を叩いて励ましたものだ。
『政務は大変だぞ。一言でいえば、首が回らん。おまえという助手を得て、国庫が楽になるといいなと思っとる』
『〈一か月十スー節約生活!〉とか、〈あなたも今日から食費ゼロ〉とか、今ちまたで大はやりの雑誌参考にして、コスト削減な予算組めってことですか? ですが陛下、俺は会計とか金勘定とか、いまだかつてやったことないし、計算苦手です』
『いやいや、だからそれを読んでたらだな、おまえが働けば、いろいろな経費が浮くってことに気づいたんだわ。ってことで頼むぞ。その能力をフルに活かせ、金槌卿』
青年は血の中に潜む金槌遺伝子のおかげで、英雄の能力をそっくり自分のものとして扱える力を持っている。英雄殺しの突然変異種で、なんと剣聖並みの戦闘能力を持つ国王と、全く同じ力を発揮できるのだ。
「ええと。これから巨人をぶん殴って落ち着かせて、大結界に閉じ込めてから土下座してあやまって、全力で交渉……これを、俺一人でやれってか」
正規の手順を踏むと、宮殿の衛兵総動員に加えて、最寄りの駐屯地から魔導士隊入りの常備軍を呼ばねばならない。すなわち、莫大な経費がかかる。
「俺が処理すればあら不思議、経費はタダ。王都の下水道から出てきた突然変異ワームを退治したり王立牧場の猛牛が逃げたの追っかけたり、たしかに超忙しいけど。遠慮しないで、始めから俺に頼めばよかったのに」
「すみません。めちゃめちゃ働いていただいてるので、なんだか悪くて」
緑の芝生にひしめく人々から、申し訳なさそうなまなざしが一斉に飛んでくる。
青年はくすりと苦笑した。
「あの、うちの娘も、雪まつりできるといいなあって言ってたんで。ほんと遠慮しないでください。それでは、行ってきます」
「守護卿、ありがとうございます……!」
「おお、ご承諾くださった」
「さすがですな!」
「がんばってくださいー!」
期待と称賛の歓声を背に受けながら、青年は中庭を出た。長い回廊を足早に進むと、ぐるああぐるああと、異様な雄たけびが宮殿を振動させてきた。氷の巨人が暴れているのだ。
門から移動したのか。どこへ行ったのか。震源を探りつつ、急いで大広間を横切ったとき。青年は、ちょうどそこに入ってきた国王陛下とかち会った。
「金槌卿、俺の家族と廷臣たちの避難が済んだ。みな裏手の広場にいる」
「了解しました」
青年の娘は蛇の王妃の侍女となっていて、王妃の子たちの面倒を見ている。王の家族と一緒にいるから、何も心配することはない。
「表の庭園へ急げ。巨人はそこにいる」
「御意、陛下」
「俺は巨人を捕らえた馬鹿どもを速攻で尋問して、裁判所に突っ込んでくる。後は頼んだぞ。ま、俺の剣技を使えば造作もなかろう。殺神斬で一刀両断すりゃ――」
「陛下、殺しちゃだめなんです」
「おっとそうか。とにかく宮殿をこわされないようにな。これ以上修理費がかさむのはまずい」
青年は全速力で大理石の床を蹴り、庭園に出た。大きな噴水と広い水路が、はるか先にある正門までえんえんと連なっている。空気は暖かくカンカン照りだというのに、噴水も水路もすっかり凍りついていて、まばゆい白金色の氷が目を焼いてきた。
顔をしかめながら、青年は目をこらした。彼方の門はきんきんに凍った状態で粉砕されている。
ぐおああ、ぐおああ。巨人の叫びがすぐ横から――
そう思ったとたん、青年は巨大な張り手に吹っ飛ばされた。
「っ――!!」
内臓が飛び出るかのような衝撃。ぐしゃりと、体が宮殿の白壁に叩きつけられる。
危なかった。腕時計のボタンをとっさに押さなかったら、全身の骨が砕けているところだ。
ついこの前、ウサギの技師からもらった腕時計は、強固な物理結界を展開する優れもの。もらった当日から役に立っている。
「氷の巨人! さすがにでかいな」
ずしり、みしり。庭園に踏み下ろされる蒼い足。それはまるで、齢数千年の大樹のよう。
仰ぎ見ても、頭部が見えない。距離が近すぎる――
「く! またはたかれた!」
青年はゴムまりのように飛ばされて、地に叩きつけられた。腕時計のボタンを押して結界の強度を上げたから、衝撃はほとんどこなくなった。しかし巨体に似合わず、相手はとてつもなく敏捷だった。襲い来る張り手がまったくかわせない。
『こんにちは。ゆる神ピピちゃんが、午後三時をお知らせします』
何度も吹っ飛ばされるさなか。突然、腕時計から陽気な音楽が流れ出した。
「くっそ! こんなときに時報とかー!」
『みんなー! おやつのじかんだよ! 好き嫌いしないで、ニンジン食べようね。ニンジン、ブシャー☆』
「ちっくしょう、なんでこれ、消音機能ついてないんだよっ! ていうか全然、反応できない! この巨人速すぎる!」
青年はしゃかりきになって腕時計のボタンを押した。
美しい黄金色の、無数の歯車がぎゅるぎゅる回転する。時計の針が狂ったように回り出す――
すると。迫りくる蒼い巨人の手が、みるまにゆっくりな動きになっていき。ついには。
「よし、停止した!」
殴りかかる姿勢のまま、巨人が固まる。蒼い肌から飛び散る氷の粒も浮いたまま。ぴたりと宙に静止している。
『範囲10パッスース、高レベル時間停止膜展開。解除まで、5』
腕時計がカウントダウンを始めた。
『4』
赤毛の青年は腰の剣を抜いて思い切り踏み切り、
『3』
高く高く跳躍して。
『2』
冷気を放つ蒼い巨人の眉間を
『1』
峰打ちした――
『0』
どどうと、目を回した巨人が倒れる。巨体の上に、我に返ったように動き出した氷の粒が落ちていく。
「ふう、なんとかなった。聖剣じゃないからちょっと不安だったけど。あいつまた、寺院に入れられちゃったからな。普通の剣でがんばるしかない」
さあ魔法の結界で包みこもう。そして平身低頭謝って……
額の汗をぬぐいながら、青年は巨人をいかに説得するか考えた。
「おいしいかき氷でも、作ってあげようかな」
ぽぽん。ぽぽん。ひかえめな花火の音が青空に響く。
緑の芝生だった中庭は今日は真っ白。分厚い雪に覆われている。
何列にもなってずらりと並んでいるのは、雪の彫刻だ。鹿や獅子、竜といった動物。おとぎ話の英雄や騎士。国王一家や、神話の神獣。
雪まつりは、めでたく開催された。使用人たちは訓戒を受けたが、免職はまぬがれた。
陛下が巨人を暴走させた私立騎士団の私有財産を没収したので、宮殿の修理費を工面できたどころか、国庫がかなり潤ったからだ。
『怪我の功名ってやつだなぁ』
陛下は上機嫌。当分、お金に困ることはないだろうと喜んでいる。
「怪我人とか、全然出なくてよかったな」
見るも豪華な雪のオブジェの連なりの奥に、ひときわ大きな氷の像が建っている。氷の巨人が凍てついた息吹で作ってくれたものだ。
それは。にっこり満面の笑みで、大盛りのかき氷を差し出す青年の像――
「恥ずかしいからやめてくれって言ったのに……」
「パパ! ママが、パパはすごいって喜んでるわ」
狼のぬいぐるみを抱いた娘が、うなだれている青年の腕に飛びつく。娘はぬいぐるみの口に耳を当てて、うんうんとうなずいた。
「うん。うん。あたしもそう思う。あのお姫様の像が、とってもすてきよね。あと、龍王さまはかっこいい!」
狼のぬいぐるみの目がほのかに明滅している。目の中に入っている魂が、娘に囁いているのだ。
娘のはじけるような笑顔を見た青年は、自身も顔をほころばせた。
ウサギの技師のおかげで、娘は母親と話せるようになった。かすかな声だが、その囁きはまさしく、あの黄金の狼のもの。ウサギには、感謝してもしきれない……
『こんにちは。ピピちゃんが、正午をお知らせします』
腕時計が時を知らせてきた。
『みんなー! お昼のじかんだよ! 好き嫌いしないで、ニンジン食べようね。ニンジン、ブシャー☆』
ちらりら、にぎやかな時報の曲が流れ出したとき。あ、ウサギさんが来たと娘が手を振り、会場入り口の方へ駆けて行った。
「ピピ様―! わあ、なんて素敵なチョッキ! わかっこいい!」
「くへへへへへ。奥さんに編んでもらったのぉ。超ごく細の金属の糸で作られた、大陸最強の鎧兼上着でっす。どんな攻撃も寄せ付けないんだぜ」
でれでれ顔で耳がすっかり垂れているウサギの後ろには、銀髪の美しい人がついてきている。首から下げている銀時計の、なんと美しいことか。日の光を浴びるそれは、燦々と輝く太陽のよう。美女の胸で燃えている。
「ピピさんに、私が飼っている大精霊のお家を作っていただきましたからね。精霊たちったら、大喜びなんです」
「へへへ。カーリンちゃん、会場に屋台ある?」
「あっちの奥に並んでますよ」
娘がウサギ夫婦を案内する。青年もニコニコ顔で彼らについていった。
「お隣さんのくせに王宮に来るの久々だわ。陛下は元気か?」
ウサギの問いに、青年はこっくりうなずいた。
「大変お忙しいですけど。今日はお昼に、屋台の芋クーヘンを食べにくるそうです。そろそろおでましになるかと――」
胡椒の効いた香ばしい匂いが青年の食欲をそそってきたけれど。残念ながら、芋クーヘンどころか、昼食自体がおあずけになった。
――「守護卿! 蛇の守護卿―!!」
叫び声が雪まつりの会場をつんざく。
青年は我が前に駆け込んできた侍従長に腕をつかまれ、ぐいぐい引っ張られた。
「お、恐ろしいことが! 助けてください! 陛下が。陛下がっ!!」
「ちょ、ま、待って。落ち着いてください」
陛下は忙しすぎて、また自分にお株が回ってきたのか。今度はどんな案件だろう?
青年はそう思ったが。侍従長は今にも泣きそうな顔で、中庭へ至る回廊を指さした。
「陛下が! 血まみれになってお倒れになってます……!!」
「な……?!」
青年は呆然としつつ、その現場へ駆け寄った。
「陛下、そんな――!!」
倒れている人は、国王その人に間違いなく、まったく反応がなかった。
ただただ、鮮血が大理石の床を染めていく。ゆっくり、じわじわと……
「陛下ぁっ!!」
いったい何が。どうしてこんな。だれが、どうやって?
がくがく震えながら、青年は倒れた人を揺さぶり、何度も何度も、耳元で名前を叫んだ。
だが、返事は返ってこなかった。いくら待っても、王は目を開けなかった。
永遠に――
雪まつり ――了――