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自作小説倶楽部 第18冊/2019年上半期(第103-108集)  作者: 自作小説倶楽部
オープニング
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00 オープニング/奄美剣星 著 『百年戦争英雄譚 エドワード黒太子』

挿絵(By みてみん)

挿図/Ⓒ 奄美剣星 「黒太子エドワード」




 紳士淑女の皆様、当一座の劇場へようこそ。

 今宵語ります英仏百年戦争の英雄は、エドワード黒太子(1330.06.15‐1376.06.08 *1)殿下でございます。この方が、なぜ「黒太子」と呼ばれるのかと申しますと、黒い鎧を着て、颯爽と戦場を駆け抜け、向かうところ敵なし、瞬く間にフランスの半分を占領した英雄で、王位に就く前にお亡くなりなりましたがゆえのこと。

 百年戦争期間中、イギリスの王朝は、プランタジネット朝、同朝断絶によって分家のランカスター朝とヨーク朝が対峙する薔薇戦争期三十年を経て、両家の女系男女が結婚することで統合したチューダー朝と変遷いたしますが、黒太子殿下は、プランタジネット朝の出自です。また、プリンス・オブ・ウェールズ(*2)という王太子の称号を初めて使うようになった方でもあります。

 数々の武勲をお立てになった方ですが、ジョーン妃殿下とのロマンスが面白い。絶世の美女であらせられる妃殿下は二歳年上の従姉で、一緒の宮廷でお育ちとなりました。当時としては超珍しい恋愛結婚をなさっております。

 それではエドワード黒太子殿下が最も輝いたポワチエ会戦に焦点を当ててみましょう。

          *

 一三五六年八月八日、エドワード黒太子殿下は、父王エドワード三世陛下の勅命により、対フランス戦の足場となるアキテーヌに派遣され、そこから騎士隊を率いて北に出撃し、フランス軍拠点を襲撃して物資を奪います。殿下は、父君がクレーシーで考案なされた長弓戦術を採用します。

 総勢八千が布陣した場所は、ポワチエの南、ヌアイエ=モーペルテュイ付近の平野部で、V字に展開させた隊形の左翼が渓谷、右翼が街道、そして背後は森林となっておりあました。右翼側には、敵から奪った物資を積んだ荷車を置いて障壁としました。騎士は下馬して徒士とともに矛槍を持ち、左右に長弓隊を配置。背後の森林には、別動隊として騎士二百を潜ませます。

 迎え撃つフランス国王陛下 (*3)率いる軍勢一万五千は、トゥールのロワール川近辺を機動力に優れたイギリス軍に翻弄された形で追い駆け、ようやく待ち構えるイギリス軍と対峙します。同軍の陣容は、四戦列から構成されており、このうち第一戦列は元帥(*4)麾下の弩隊と槍歩兵で備えます。以下の戦列はフランス王太子(*5)殿下麾下の軍勢、王弟殿下(*6)麾下の軍勢、そして国王陛下の軍勢となります。

 黒太子殿下麾下のイギリス軍が左翼を後退させたところ、フランス軍第一戦列騎兵が誘いに乗って突撃、イギリス長弓兵の一斉射撃を浴せかけられます。この際、イギリスの弓矢はフランス騎士の甲冑のために彼らを傷つけることはなかったのだけれども、馬を狙い撃ちにされ潰走しました。続いてフランス軍は第一戦列、第二戦列を前に出しますが、いずれも長弓の餌食となり、第三戦列は戦わずして兵士が逃亡し隊伍が崩壊、第四戦列はパニックになった第三戦列が正面を塞いでいたので、正面から攻めることが出来ずもたもたしていると、背後からイギリス騎士隊がフランス軍の背後を奇襲します。イギリス軍本隊がフランス軍を両翼で囲い、背後に回ったイギリス騎士隊が蓋をした格好となり、掃討戦である包囲殲滅戦に移行。フランス国王ジャン二世陛下はこれで捕虜となりました。

 黒太子の父君の国王陛下(*7)がクレーシー会戦で身代金を取り損ねたのですが、今回は臣下によく言い聞かせて、捕虜を殺すことなく、ごっそりと頂くことに成功します。このとき、フランス国王陛下お一人にかけられた身代金だけでも金貨三百万エキュありました。フランス国王陛下は、後でこれを支払うことを条件に釈放されたのでありますが、払いきれないという理由でご自分からイギリス側に出頭し獄死なさいます。――よっ、男前!

          *

 以下は黒太子殿下の経歴でございます。

 一三四六年、十六歳、父君とともに、フランス・クレーシー会戦に参加して初陣を飾り、勝利。

 一三五五年、フランス・アキテーヌ地方で領土を拡大。翌年、ポワティエ会戦でフランス国王ジャン二世の軍勢を撃破して捕虜に。その十年後、アキテーヌ公爵叙任。

 一三六七年、カスティリア王国の内戦に介入し、スペイン・フランス軍をナヘラ会戦で撃破。戦費負債でアキテーヌ公爵領に重税をかけ、フランス国王シャルル六世の怒りを買って、一三五五年、ポワティエ会戦以後フランスとの間にあった和平状態が崩れて、百年戦争が再燃します。また公爵領では、住民への重罪、現地貴族を軽んじたことから反乱が勃発。しかもスペイン介入時に患った赤痢が治らず、指揮が執れないため、フランスに家領の大半を奪回されてしまい、その最中、奪還した町リモージュの住民三千人を虐殺なさりました。

 一三七一年にイギリスへ帰国。一三七六年、ご自分が外征をしている間に国内を牛耳ってしまった弟君(*8)を失脚させ実権を握りましたが、同年に没します。お子様(*9)が跡を継ぐのですが、絶対王政を敷こうと画策なさったため、諸侯の反発を招きます。そして弟君のお子にあたる方が反乱を起こし、同国王陛下を廃位・幽閉します。これでプランタジネット朝は断絶、弟君のお子が国王(*10)に即位してランカスター朝をお開きになります。

 黒太子殿下、喧嘩はお強かったのですがねえ、残念なことですよ……。

 それでは紳士淑女の皆様、当一座の劇場にまたご来場のほどを。

          ノート20190129

注釈

*1 オックスフォードシャー ウッドストック宮殿に生まれ、ウェストミンスター宮殿で没する。家族は、父エドワード三世、母フィリッパ・オブ・エノー王妃、妻ジョーン・オブ・ケント、子供エドワード・オブ・アングレーム、リチャード二世。弟ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント。

*2 ほかに、アキテーヌ公爵、コーンウォール公爵、チェスター伯爵などの称号がある。

*3 ジャン二世。

*4 ジャン・ド・クレルモン。

*5 シャルル。

*6 オルレアン公フィリップ。

*7 エドワード三世。

*8 ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント。

*9 リチャード二世。

*10 ヘンリー四世。

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