レアとクロノス
「狭い...」
真っ暗な空間の中でボソッとした呟きが聞こえた。
「仕方ないだろう、隠れているんだから」
それに呼応したのはいかにも不機嫌そうな低い男の声。
「もう少しそっちに寄ってくださいな」
高いソプラノの声の語気が僅かに強くなる。
「無茶を言うな。これでも限界まで詰めている」
それに比例してさらに低くなる男の声。
「大体誰のせいでこうなったと思っている」
「それは貴方が仕留め損ねるからです」
「お前が余計な動きをしなければ確実に仕留めていた」
「余計な動きとは失礼な。私はあくまで貴方のその大きな体が邪魔で避けようとしただけですわ」
「それを余計な動きと言うんだ。大人しくじっとしていれば良かったものを」
「なっ...!!」
ソプラノの声の主が暗闇の中で思いっきり立ち上がる。その拍子にガタッ!と大きな音を立てて外れる巨大な甕の蓋。急に明るくなって視界が真っ白になった。パシパシと何度か瞬きをして漸く周囲の物が見えてきはじめてから立ち上がった少女レアは同じ甕の中に身を隠していた男を見下ろす。
「いちいち煩いです、クロノスは!仕方ないじゃありませんか」
「何が仕方ないんだ?言ってみろ」
クロノスも立ち上がったことで細身のレアと筋肉隆々のクロノスが二人して甕の口から上半身のみを出すというなんとも言えない姿になってしまっている。
「貴方が邪魔で私の獲物が見えなくなっていたのだから見えるよう体を動かすのは当然でしょう」
「何がお前の獲物だ、レア。どうせお前の相手は低級の悪魔だったろう。逃したところで何の問題もない!」
「そもそもあれを取り逃がしたからこうなってしまったのでしょう!?」
そう、今二人は大量の悪魔達の中心にいるのだ。しかも下半身が甕の中という状態で。
ケヒヒ、と全身真っ黒でいかにも弱そうなツノが生えた悪魔が嗤う。
わかっていると思うが決して良好な関係ではなくむしろ互いに相手を滅ぼそうとしているほど仲が悪い。いや、もともと絶対に相容れない関係なので仲も何もないが。
何故この様な状況になったか。それはそもそも二人がここに来たことが理由なのだった。
時を遡ること3時間。レアとクロノスは祖母であるガイアに呼ばれ彼女の自室である大地の間に来ていた。かつては勝るものなしというほど美しかった彼女の姿は見る影をなくし髪は伸び放題、肌はカサカサ、そしてかなりふくよかな体型でニコニコと笑っている。
「あのー、ご用というのはなんでしょうか」
彼女がニコニコッと笑うときはいいことがあった試しなどない。断言する。
「二人をここに呼んだのは他でもないのよ。実はタルタロス軍が、手下の悪魔達を各地に放って戦争を起こしているそうなの」
ほら来た。
「そこで二人には戦争が起きる前に悪魔達を駆除して欲しいの」
「あの、二人っていうクロノスと私、てことですよね」
レアはちらりと隣に立つ仏頂ずらの男を見る。もともと強面のクロノスの顔がさらに悪くなっている。
「ええ、詳しいことはエレボスに聞いてちょうだいな」
「はい...」
非常に軽い口調で言われたがよく考えればかなり重要な任務だ。しかもパートナーはあのクロノスだ。はぁ、とレアは盛大にため息をついた。
そして二時間前、現地に着き早速悪魔の駆除を始めたのだがいかんせん、数が多い。タルタロス軍が作った悪魔達の出入り口を見つけたのはいいがあっという間に囲まれた。悪魔は人の心に取り憑き憎悪や嫉妬、つまりは負の感情を増幅させる。幸い周囲に人はおらず余計な気を回す必要はないがそれでも油断は出来ない。そして騒ぎを聞きつけ少し上級の悪魔まで出てくる始末。仕方なく一時撤退をするために敵をバッタバッタと薙ぎ倒し退路を作った。そして見つけた民家の中に隠れていたが偵察に来た悪魔数匹に見つかり応戦。そのうちの1匹を取り逃し今に至るのだ。
「おい、レア。先にお前がここから出ろ。お前が邪魔で武器を振り回せん」
「わかりました」
内心イライラとしながら甕から飛び出すとすぐさま悪魔達が向かってきた。そして悪魔の爪が服に引っかかりそうになった瞬間、ギャッ、という耳障りな悲鳴をあげて悪魔が消滅した。
「危ないじゃないですか!」
「お前がチンタラ動くからだ」
そうやっていがみ合いながらも次々に悪魔達を倒していく。暫く言い合いをしながら戦っているといつの間にか辺りにいた悪魔達は1匹もいなくなっていた。
ふぅ、と息を吐きクロノスが武器を降ろす。
「やっと終わりましたわ」
「俺一人ならもっと早かったさ」
「貴方が余計なことをしなければもう少し早く終わりましたわ」
「まあ、いい。とにかく城に帰るぞ」
「ええ」
レアが頷き、踵を返したとき首筋にピリッとした視線が突き刺さった。バッ、と振り返るが何もいない。ただ荒廃した大地が広がっているだけだ。
「レア?何をしている」
レアの身長ほどありそうな大きな斧を軽々の肩に担いだクロノスが声をかけてくる。
「いいえ、なんでもありませんわ」
ザァと吹く風が嫌に乾いていてレアは少し急ぎ足でクロノスの隣に並んで歩き出した。
誰もいなくなったそこに降り立つ影が一つ。全身真っ黒な格好をしたその男はぐるりと辺りを見回すとすぐに大きな鴉に姿を変え夕日が沈む地平線に向かって飛び立った。
目を留めていただきありがとうございます。
なお、この作品に登場する神様たちは全てギリシャ神話の神様ですがストーリーはほとんどギリシャ神話とは関係ないので実際の話と異なることが多々あります。どうか温かい目で見てやってください