No.13
「よし、完璧だ」
等身大の鏡の中に、お嬢様じゃない私が立っていた。
後ろでは、秋斗が満足そうに笑っている。
「...ねぇ、秋斗」
「ん?」
たったまま、秋斗に問いかける。
「秋斗、分家に行くの?」
「...もう言ったのか、あの人。ぎりぎりまで言わないって言ったのに...」
心底気分を害したとでも言うように、大きく舌打ちをかます秋斗。
表情は、さっきと打って変わって険しい。
「...もう、決定事項なんだよね」
「それ自体はな。だけど、俺は分家に行く気なんてないけど」
「でも、分家に移らないとクビでしょう?」
鏡の前に座り込めば、秋斗はこちらを向いて、鏡越しにおいでおいでして、
「床冷たいだろ。隣座れ」
促されて、秋斗の隣に腰掛ける。
秋斗の手がぽんっと、私の頭に置かれた。
「葉つめ家から離れるよ。ここで働かしてもらって、貯金もかなりあるし、一人暮らしでもしようかなって思ってる」
...現実的だなぁ、秋斗。
私も、見習わないといけないのかな。
...いけないのかな。
「そっか。うん、その方がいいよ」
私がただ普通に、肯定したからだろう。
秋斗は驚いて、黙ってしまった。
沈黙が、私たちの間を、ゆっくりと流れる。
「...外は明るいのに、あんなに楽しいのに、どうしてここは、こんなにも楽しくないんだ」
沈黙が怖くて、つぶやいただけなのに。
涙が、ひとつ零れ落ちた。
「私鶴...」
「なんで私、こんな家に生まれてきちゃったのかな...。私も、自由になりたいのに...」
すべてお母様に決められる人生を、私の人生だと言えるのだろうか。
今まであたえられた選択肢は、ドレスの種類のみ。
それ以外の選択肢は、一度もあたえられたことがない。
「なぁ、私鶴」
「なに...」
涙で滲んだ視界に、秋斗が映った。
...直後、時が、止まった。
「んっ...」
ゆっくり、目を閉じる。
また、涙が溢れる。
よくわからない感情が、私の心ではじけたような気がした。
__まるで、王子様のキスで、目を覚ました白雪姫の気分。
「あ、あき、と...?」
「私鶴、俺と一緒に、家を出ないか」
キスをして、優しく抱きしめられて、耳元で囁かれて。
もう完全に放心状態の私に、まだ追い討ちをかけてくるのか、こいつは。
...なんてやつだ。
「家を出る...?」
「あぁ。一緒に家を出て、2人で暮らそう」
冗談の声ではない。本気の、真面目な声音は、私の心に、痛いほどしみた。
「で、でも!!...でもね、秋斗。私、」
「花むろ財閥の息子と婚約しちゃった、か?名草から聞いた。明日顔合わせなんだろ?」
...名草さんは、いったい母と私のどちらの味方なのだろうか。
「...うん、だから結局無理なんだよ...」
どの方向を向いても、母がいる。
母という、大きな壁がある。
秋斗は、不意に立ち上がって、私のほうを向きなおした。
「じゃぁ勝手に出て行っちゃえばいい。だから着替えさしたんだ」
いとも簡単に、言い放った。
「え、え?!」
腕を掴まれて、強制的に立ち上がる形になった。
体制を崩して、秋斗によっかかる。
「ど、どうしたの?!」
「行こう。俺たちにはたくさん味方がいるんだ」
秋斗は、おもむろに携帯をいじってから、私に、出かける準備をするように指示をした。
意味が分からないまま、ただ言われた通り動く。
私がカーディガンを羽織った直後、ガチャッと、部屋の鍵が開く音がして、静かに扉が開いた。
入ってきたのは、春さんだった。
「失礼いたします、私鶴様」
「春さん...?」
春さんは、少し大きめの鞄とジャケットを抱えていた。
「春、ありがとう」
「気にしないで、秋。...あとは任せて」
「ああ」
秋斗はジャケットを羽織って、鞄を肩にかけた。
そして、私の手を握った。
「外へ行こう」
引かれるままに、家の廊下を歩く。
ところどころ、廊下の曲がり角に、この家で働いてる人達が立っていた。
『俺たちにはたくさん味方がいるんだ』
秋斗の言葉を思い出す。
やっと、意味が分かった瞬間だった。
玄関までくると、ドアの前には、父が立っていた。
「お父様...!」
「私鶴」
目を細めて、優しく笑う父。
「秋斗、私鶴を頼んだよ」
「はい。お任せください、燈波様」
秋斗は、深く頭を下げる。
「お父様、あの、」
「私鶴。...お前は、私の、愛する娘だ。世界で一番大切な人だ。...だから、私はお前が、幸せになってくれることを、一番に願ってる」
「お父様...」
父の手が、私の頬に触れる。
暖かくて、たくさん、愛のこもった、父の手。
「愛してる、私鶴」
「...私も、愛しています...お父様...」
涙が溢れ出す。
視界がどんどん、歪んでいく。
「...時間が無い、秋斗」
「私鶴、行こう」
父が扉を開けると、秋斗は私を引っ張って、玄関を飛び出した。
夏に近い秋の夜は、少しだけ肌寒い。
満点の星空の下、2人そろって、駆け抜けた。




