三日ぶりの学校
三日ぶりに登校をした霧香は、人だかりの中にいた。
教室はまだエアコンを入れていないので、空気は少し肌寒い。休み時間のクラスメート達は、身を寄せ合うようにして、雑談に興じている。
クラスの女の子達は、霧香を押し包むようにして、会話を交わしている。
まるで、パンダかクリオネを見物しているようだ、と霧香は思う。
かまわれるのは、嫌いではなかった。たとえ同情でも、他人の注目を集めるのは心地よい。人間は、気にかけて優しくしてもらわないと、死んでしまう生き物なのだ。病気の振りをして、入退院を繰り返す人の気持ちが分かるような気がした。
秋山茜は、クラスメートのリーダー格だった。いつも綺麗な服を着て女の子らしくしているが、クラスへの影響力は大きい。カールした毛先を指に巻きながら言う。
癖なのだろう、ちょっと微妙な質問をする時は、いつもその仕草だ。
「発作はどんな感じ?息がつまっちゃうの?」
うん、今ちょうどそんな感じだよ。ちょっと息苦しい。
とは、とても言えないので、霧香は当たり障りのない返事をした。
「うん、心臓がどきどきして苦しくなるの。へんな汗が出たり、指先が冷たくなったり、その時でいろいろだね」
「えーこわい。それって誰でもなっちゃう可能性って、あるのかな。わたしも一回、過呼吸になっちゃったし」
秋山茜は、以前過呼吸の発作になった時の事を言っている。神経性の病気というと、デリケートで繊細な印象があるので、秋山茜はその事を自慢にしているのだ。霧香との共感を得たいという気持ちもあるのかもしれない。逆に言うと、霧香と秋山茜の共通点はそれぐらいしかなかった。
「秋山さんは大丈夫だよ」
「それって、どういう意味?」
「どうって……友達が多いから、発作になっても平気だよ」
癇に障ったようなので、霧香は微妙な言い回しでごまかした。ちょっと面倒くさい、と霧香は思う。
「ふーん、ま、いいけど。でもほんとに美薗さん大変ね。このままじゃ卒業できないんじゃ――」
他の女の子達が、顔を強張らせた。霧香はそれほど気にかけているわけではないが、クラスメートの間では、すでにこの話題はタブーになっているようだ。
「ごめん……ごめんなさい」
「……いいよ。病気だもん。誰のせいでもないし、寂しいけど仕方ないね」
「まだ、決まったわけじゃないんでしょ」
「うん、まだ諦めてないよ」
今のは霧香の嘘だった。霧香は奇跡を見た事などない。都合のいいハッピーエンドなんて、信じてはいなかった。
気まずい様子で俯いている秋山茜の向こうで、粂川あゆむはゲームに熱中していた。
いつもと同じように、三谷よしはると一緒だった。
特別仲がいいというわけではなさそうなのに、二人はいつも一緒に行動していた。生活習慣も趣味も全然違うので、その距離感が居心地いいのかもしれない。
ゲーム機を手に、こめかみに指を当てて考えているあゆむは大人びて見える。もしかしたらケットシーと話をしているのかもしれない。
女の子達の会話には、あまり関心がないようだった。
視線に気づいたのか、粂川あゆむがゲーム端末から顔を上げた。
霧香と目が有った。あゆむは見透かすように霧香を見つめる。大人みたいな顔だった。
霧香は少しむかついた……あれは疑いの目だ。
「どうしたの? 美薗さん?」
秋山茜は、霧香の視線の前で、小さな手をひらひらさせた。霧香の視線の先にあゆむがいるのを確認して、少しだけ、顔を曇らせる。
やばい、この子、思ったより敏感だ。
視線を秋山茜に戻して、霧香は微笑んだ。
「なんでもないよ、あの二人は仲がいいな、と思って」
秋山茜は、あゆむに気があるのだ。霧香には興味のない話で、面倒に巻き込まれるのはごめんだった。自分の体の面倒も見きれてないのに、恋だの嫉妬だのは荷が重すぎる。
携帯の着信音が鳴った。デフォルトのまま使っている味気ない電子音は、霧香のものだった。
「ごめん、メールみたい」
霧香は、人だかりを抜け出して廊下に出た。背中にクラスメートのがっかりした声を聞いた。
メールの差出人は『通りすがりのお人好し』だった。あゆむとアドレスを交換した記憶はない。まあ、誰かに聞けば分かる事だ。それ程のミステリーではない。
あゆむがわざわざメールをよこすのは何事かと思って、少し気が焦った。
霧香は、あまり前向きではないので、よくない事ばかり想像する。
具体的にどう、という事ではないけれど、霧香のせいであゆむが傷ついたり、不快な思いをしたりする想像だ。
寒い廊下で、携帯を取り出して、メールボックスを確認した。
『これでよろしいですか姫』
メールには、そう書いてあった。確かに、ちょっと助かった。女の子達の好奇心は遠慮がない、あのままだと窒息死だった。
あゆむくんは、わりと気の利いたことをする。
霧香はあゆむに返信を打った。
『大義であった。ほめてつかわす。褒美についてはおって沙汰するぞよ。所望があれば申せ』
すぐに返信があった。
『コテツを探すのは放課後だ。時間と場所は、君が指示しろよ』
本文は、それだけだった。
約束もしてないのに、律義な少年だった。
あゆむは、コテツの名前を憶えていてくれた。
霧香にも、関心を持ってくれる男の子はいるのだ。