勝手に破滅すればいい
よしはるは、リフティングの記録更新中だったので、すぐには返事できなかった。
あゆむの様子は普通ではなかった。
走ってグランドまでやって来たのだろう。肩で大きく息をしていた。運動しているあゆむを見るのは初めてだった。
「よしはる」
息を切らせながら、あゆむはよしはるを呼んだ。
よしはるは、ボールから目を離すわけにはいかない。うわの空で返事をした。
「なに、あゆむ。いま、忙しいんだけど」
「大人の手助けがいるんだ。よしはるのお母さん、友恵さんに連絡取れないかな」
「どうしたの? なにかあった? おっとっと」
バランスを崩した。でも大丈夫だ。まだいける。
「美園が――」
ボールは、土の上を転がっていった。もう、リフティングへの興味は失せた。ゆっくり話を聞こう。
「美園さんが、なに?」
なにか言いかけて、あゆむは口ごもった。
「なんだよ。はっきり言わないとわからない、あゆむ」
「まだ、なにも起こってない。はっきり言える事はないんだ。誰も子供の言う事なんか聞いてくれない。よしはる、友恵さんに説明して欲しいんだ」
「なにを説明するのさ」
「友恵さんは、病院での美園のことを知ってる」
「それが美薗さんに必要な事なのかい?」
あゆむにしては、曖昧でよくわからない話だった。たぶん、よしはるには知られたくないのだ。それにしても緊迫した感じは伝わってきた。内容を伏せられているのは気分がよくないが、美薗霧香のためだと言われれば、断る理由はなかった。
「ちょっと待ってて」
よしはるは、ボールを拾って、グランドの隅に歩いた。体育館のひさしに荷物が置いてあった。緑のネットをくぐり、スポーツバッグから、携帯を取り出す。そこで思い出した。今日、母親は空町市にいない。
「あゆむ、母さんは研修で、今日は県外だ。思い出した」
「……今日、帰ってくる?」
「帰るよ、もちろん、夜遅めになるけどね」
「帰ったら、電話欲しいって伝えて。他に、味方になってくれそうな大人いないんだ」
あゆむは、なにも説明しないまま背中を向けた。
そんなのってフェアじゃない。
「待てよあゆむ! そんなの訳がわからない! 説明しろよ。美園さんになにがあったんだよ」
「説明……できないよ。まだ確証がある訳じゃないし」
そういうあゆむは、大人の声で、大人の口ぶりだった。
「由紀子先生が居なくなったのと関係あるのかい? 美園さんのお母さんが学校に来たのも変だ。母さんも同じだ。美園さんの事をきくと、なにも話さない。どうなってるんだ」
よしはるは、美園霧香の姿を思い浮かべていた。
あゆむと話している時の霧香は、いつもとはちがって弾んだ声だった。人形のようだと思っていた霧香にも、ちゃんと感情があるのだとはっきりわかった。
よしはると話す時の霧香は、礼儀正しくて遠慮がちだ。
べつに、美園霧香とどうにかなると思っていたわけではない。むしろ、触れられないから、憧れるのだとも思う。
でも、心配をするくらい、よしはるにも認められていい。子供あつかいはたくさんだった。
「あゆむ、ぼくはあゆむみたいに頭がよくないし、まるっきり子供には違いないかも知れないけど、美園さんを心配しているのは、嘘じゃないんだ」
「わかってるよ」
「わかってるなら教えてよ。このまま、会えないまま、美園さんがいなくなったりしたら……ぼくは……」
あゆむは苦しむような顔で、何かを考えていた。
いま、起こっているなにかは、宮川由紀子がいなくなった事や、美園霧香が学校に来ない事と関係があるのだ。
「手伝うよ。あゆむ。一人より、二人の方がいい」
「……わかった。着替えてきて。ここで待ってる。説明するよ、一緒に行こう」
「ほんとうかい? すぐに準備するよ」
あゆむはよしはるを信じて、認めてくれたのだ。声が弾むの押さえられなかった。
よしはるは、コーチに説明して、早めに練習を切り上げた。
何事かとチームメイトが見守る中で、普段着のジャージに着替え、靴を取り換え る。水筒をバッグに放り込んで、校庭の方へ急ぎ足で戻った。
そこに、あゆむの姿はなかった。
よしはるは、小さく呟いた。
「これは、許されないよ……あゆむ」
これは、裏切り行為だ。あゆむは、よしはるの気持ちと、覚悟を裏切った。
あゆむは、一人で背負う気だ。
よしはるを子供扱いして、勝手に保護したつもりで、なにも教えずに、馬鹿にしたのだ。
ひどく、仲間はずれな気分だった。
勝手にすればいい。勝手に抱え込んで、勝手に傷ついて、勝手に破滅すればいいんだ。
よしはるは、なにもできない子供だった。
校庭では子供たちがボールを追いかけていた。
こんなになにもできない自分がここに立っているのが、ひどく場違いな感じがした。




