色褪せて、朽ち果てるのを待つだけ
霧香はベッドの上から動けないので、家の中で何が起きているのかは、気配でしか知る事が出来なかった。
夜のうちに、母親は宮川由紀子の母親をバスルームに運んで、なにかをしていた。
なにをしているのかは、あまり、想像したくなかった。
今朝は、暴れるコテツを買ってきたバスケットに押し込んでいた。悲鳴のような鳴き声が続いていたので、手は傷だらけになったに違いない。そんなことをするのは、怪しまれたくないからだ。コテツを返さないと、クラスメートが訪ねてくるかもしれない。
ほとんど、手も足も動かせないので、おむつをしなければいけなかった。飲みこむことが難しいので、点滴で栄養を補給していた。
二人の生活には、どうしても収入が必要なので、しぶしぶとではあるけれど、母親は仕事に出かけている。
霧香は清潔なベッドで、静かに横たわっているだけだ。
いつの間に手に入れたのか、母親は本格的な医療用の生体モニターを霧香に繋いでいた。
ネット経由で分析して、簡単な診断を表示してくれるようになっている。
霧香のバイタルは安定状態で、グリーン表示だった。
モニターは輸液の状態もコントロールしていて、母親のプログラムで、死なない程度に麻酔が効くようになっていた。
ほんとうなら末期がんの患者に使う、緩和ケアのプログラムだ。
夢見るような状態が、ずっと続いていた。
体には力が入らず、なにもする気がしない。
まるで、人形だ。
色褪せて、朽ち果てるのを待つだけ。
なにも望まないし、なにも感じない。
キッチンの壁にあるインターホンから、呼び出し音がした。ぼそ、ぼそっと回線の繋がる音がして、スピーカーから少年の声が聞こえた。
『美薗…そこにいるの?いるなら、返事してよ。守衛は中には入れてくれない』
あゆむだった。
誰かが、霧香を気に掛けてくれているのが、奇跡のような気がした。
『みんな、心配してる。学校に来いよ。この間は…ひどい事を言って、悪かった』
あゆむは、ガードマンに頼んで、インターホンをつないでもらったのだ。
『美薗…聞いてる?』
聞いているよ。わたしはここにいる。あゆむくんの、すぐそばにいるんだよ。
『美薗。助けが必要な時は、なにかサインを出すんだ。なんだっていい。ぼくは気付くよ。ちゃんと見てる』
あゆむは、異常に気がついていた。
あゆむくんは、ただ者ではないのだ。
『ごめん…もう行くよ。またくるから』
あゆむが行ってしまうと思うと、心臓が止まりそうな気がした。
この世で本当に怖いのは、死でも、痛みでもなくて、「孤独」だ。
霧香は、まだ息をしているのに、打ち捨てられていて、自分で自分の命を絶つことすら出来ない。朽ち果てるまで、永遠に、一人きりだ。




