職業体験
別に雑談は禁止されていないので、クラスの生徒は勝手な話をしていた。
「はい、少しだけ聞いて。相談はそれから、静かに」
担任の宮川由紀子は、生徒達に身振りも交えて注意を促した。
さすがに授業中にゲームは出来ないので、粂川あゆむは窓の外を眺めている。今日も美薗霧香は欠席だった。
「職業体験は、卒業生の恒例行事なのよ。拒否権はありません。全員くまなく体験すること。例外はなし。分かった?」
誰も分かりました、と返事はしない。宮川由紀子は気にせずに続けた。
「どんな仕事でもかまわないわ。一般的な仕事であれば、学校が会社に連絡を取って予約を取り付けるから。出来れば、両親か知ってる人の仕事の方が、やりやすいから助かるけど、そうでなくてもなんとかするわ。以前に『アメリカ合衆国大統領』と書いた子がいたけど、ふざけてると本当に行ってもらうから、覚悟すること」
子供達は笑った。宮川由紀子の口調だと、冗談か本気か分からない。
「先生の体は一つしかないので、会社ごとの組にして、日を変えて順番に体験するよ。同じ職業であれば、学校の方で判断して、一つの会社にまとめさせて貰うから、希望の会社でなくても、それは我慢すること」
何人か不満の声を上げる。あまり苦労をしたくない生徒は、すでに自分の都合で根回しをしているのだ。
「それから、先生の体は一つしかないので、引率はできません。先生は送り迎えをするだけです。体験先に情け容赦なく放り込むので、そのつもりで。即戦力になる事を期待してるわ」
誰かが立ち上がって質問した。
「いつから始めるんですか?」
「決まった組から順番よ。待ちたくない人は、早く決めた方がいい。この用紙に――」
宮川由紀子は、A四の記入用紙を配った。
「希望の職業を書くこと。体験先に心当たりがあれば、それも書いて。例えば家族や、知っている人がその職業であれば、その人との関係も書くように。毎年、しもべ、とか、愛人とか書く人がいるけど、人間関係が壊れるといけないので注意すること。ではみんな相談して、なるべく先生に手間をかけさせないように決めてください」
そう一口で言い終えると、宮川由紀子はどっかりと椅子に座りこんだ。腕組をして生徒達を睨んでいる。こういう所は宮川由紀子は手を抜かない。一見、一息ついているように見えるが、ちゃんと困っている子供がいないか観察しているのだ。
用紙を貰った生徒達は、席を立って仲良しグループで集まった。仲がいい友達と組を作った方が気楽だからだ。あっという間にグループは分かれて、後に残ったのが秋山茜と、三谷よしはると、あゆむの三人だった。
「よしはるは友達が少ないな」
「言ってて、自分で悲しくならないか? あゆむ」
秋山茜は、たぶんどのグループにでも潜り込めた筈だ。教室の真ん中に残っているのは、なにか魂胆があるのだ。
「二人とも、どうするの? なにか決めてある?」
「ぼくは決めてあるよ。悪いけど、御一緒は出来ないね」と、よしはるが言う。
「よしはるのお母さんは、看護婦さんだったよね……どこの病院で働いてるの?」
あゆむは、校内で何度も、よしはるの母親を見かけている。よしはるの母親は教育熱心だった。眉が濃くて金太郎飴みたいな印象がある。美人でないという意味ではないけれど。優秀な看護師だと、他の母親に聞いている。
「空町中央病院だけど……どうしたの」
空町中央病院は、美薗霧香と出会った遊歩道から、いちばん近い病院だ。霧香が通う病院の可能性は高い。
何科の病棟で働いているのかは知らないが、世話好きの姉御肌の女性は、病院にいる息子の同級生を、横目で眺めて通り過ぎたりはしないだろう。きっと、なにか知っている筈だった。
「いや……病院をさ。紹介してもらえないかなって。看護師体験」
「いいけど。意外だな……あゆむはもっと、軽い仕事に行くと思った」
「楽な方にってこと?」
「まあ……そうだね。あまり熱心に取り組むとは思ってなかった」
「……ずいぶんだな」
近くで聞いていた秋山茜が、手を上げながら、割って入った。
「あたしも! あたしは、ほんとに看護婦志望です! お願い」
よしはるは、白けた目で、あゆむと秋山茜を見比べた。
「あゆむはいいね……いろいろ、かまってもらえて」
「いや、それはぼくの責任じゃないぞ。よしはる」
二人の空気には気づかずに、秋山茜は上目遣いにあゆむを見つめる。
「え? なに? なに?」
三谷よしはるは、深いため息をついて言った。
「わかったよ二人とも。ちゃんと根回ししとく」
「助かるよ、よしはる」
「ありがとう、お願いするね」
よしはるは、ただし、と前置きをして釘を刺した。
「でもぼくはスポーツトレーナーの体験をするように決めてる。一緒には行かないからね」
できたら秋山茜もそちらの方でお願いしたい、とあゆむは思ったが、嬉しそうにしている秋山茜を見て、その線は諦めた。
「提出は今週中にね。忘れた人は、空町小学校教師を体験してもらうわよ」
宮川由紀子が言った。




