表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/9

07

 少年は全力で走っていた。既に長い時間、ペースも気にせずに足を動かしている。つまりは、とっくに限界を超えていた。それで目的地についたとして、何も出来ないであろう事は、誰の目から見ても明らかだ。

 それでも、足を動かすのは辞めない。ちょっと地面が揺れただけで、転げ回るような状態でも。途中、何度ももつれて倒れそうになりながら、しかし気持ちが先走るのは止められなかった。

 運動はそこそこしていたとは言え、本格的とは言えない――寂れた町では、走る回る事くらいしか遊ぶことがなかった。鍛える為のものではない。

 手には重りを持っている。刃こぼれと錆の目立つ、どう考えても本来の役割は果たせないであろう剣。幾度か振るったことはある。が、そもそも体格に合わない上に、教える人間もいない。重量に振り回されて、倒れ込むばかりだった。武器は、扱える者が使わなければ、武器にならない。転げ回った際の怪我が軽微だったのは、そのためでもある。叩きつけられても痛いだけで済む。そんな刃物は、やはり武器というカテゴリに属すに憚られるだろうが。

(くそ……っ)

 泣きそうになりながら、スウィンスはそれでも走った。

 自分でも、そこについたからと言って、何かが出来ると思ったわけではない。目の前にそびえる巨大な甲殻生物。どんどん大きくなって行くのすら、彼の功績ではない。子供が百歩足を進めたところで、あれにとっては一歩未満だ。

 巨体が次第に大きくなるのを知って、恐怖が溢れてくる。だが、それを押さえるのに苦労はなかった。何年も脅かされ続けて、完全に麻痺している。あとは、絶望的な義務感もあった……自分以外に、誰もいない。あれに立ち向かおうという者は。

(誰も、頼りにならない)

 気を抜けば溢れそうになる涙。涙を流せば、足がすくむ。そうすれば、もう進めないかも知れない。今の距離では、どこに逃げても無駄だ。足に直接叩かれるか、それとも降り注ぐ土砂か。どうであれ無事には済むまい。

 唯一の希望だった、魔導師と思わしき二人組の客人。もっとも、予想――と言うよりは期待――は裏切られたが。彼らも頼りにならない。

 そんな義理はないのは、理性では分かっている。彼らは無関係だし、もし倒したとして、支払える対価も無い。やった、ありがとう、これで町は救われた――誰もがそんな言葉をかけて済ませようとするだろう。もしかしたら、復興の協力だってさせようとするかもしれない。なにしろ貴重な戦力だ。寂れた町に安全が確保されて、まず入ってくるのは悪党だと相場が決まっている――

 控えめに言っても、ろくな所ではなかった。諦めること、そして頼ること、それらに、町が慣れすぎている。

「そんな場所でも……」

 だが、少しくらい義憤に駆られて、力を貸してくれてもいいではないか。人と人は助け合うものだ。断じて、危機に面している者を無視する事に、正しさはない。

 唇を強く噛みすぎて、血が流れる。だが、スウィンスはその自覚すらない。

 とにかく必死に、歯の根が合わない事だけは避ける。

 土塊があらかた零れて、全容を表した巨虫。予想よりも遙かに硬質的で、大きく、そして禍々しかった。厄介な事に、それでもまだ距離がある。つまり、感情を押しつぶすような圧迫感は、まだ強くなる。

 それでも、やはり――スウィンスの心を折る事はできなかった。

「オレの故郷なんだ! お前なんかに、潰させてたまるか!」

 咆吼は、巨虫に届きはしなかっただろう。届いて居たとして、少しの影響もない矮小なもの。人間だって、蟻が叫んでいたとして、気にもとめない……

 ただでさえ無茶をしていた体に、絶叫などすれば、バランスは容易く崩れる。下半身から伝わる力が、腹のあたりで弾けた。

 また転げそうになり、咄嗟に剣を手放して、体を抱くようにして身を守る。また無傷で済むとは限らない。むしろ心配なのは、今度倒れてまた立ち上がれるかだった。地面が近づくのが、スローで見える……だが、接触する事はなかった。

「ぐえぇ!」

 酷く聞き苦しいうめき声、それが自分の発したものだと知ったのは、喉の圧迫感を覚えた後だった。

 空中で急激に制止する体。地面と剣に激突する危険を避けられたと思えば安いのか、それとも高いのか。宙づりになるようにして、スウィンスの体は引き戻された。

 地面に足がつくと、しかし立つことも出来ず、その場に尻餅をつく。そのままぜいぜいと呼吸を繰り返しても、全く楽にならない。半端に折りたたまれた足は、疲労に痙攣を続けている。いくら動かす意思を伝えても、答えようとはしてくれなかった。

「お前も無謀だな」

 座り込んだままのスウィンスに、声がかけられる。どこか掠れているが、威厳は感じない。むしろ、それをなくそうとしているようにも思えた。

 視線を上げると、そこには旅人の二人組がいた。走ってきたのだろうに、スウィンスと違って汗一つかいていない。特徴的な濃い赤毛と輝く碧の瞳は、この町の人間にはない特徴だ。

 彼らの格好は万全だった。つまりは、この町を出て行くのに。

「な、んだよ……止めるなら、あっちに行けよ」

 涙声でそう返す。視界も潤みだし、まともに見えていなかった。

 彼らが悪いわけではない。悪態をつける理由など、一つとしてないだろう。それでも、感情は満足できない。協力してくれれば、何かが変わったかもしれない。何がどうかなど、スウィンス自身も分からなかったが、とにかく何かが。

 泣き声など聞かせたくない。とにかく、こいつらには。

 袖で顔が痛むほどに拭い、手探りで剣を探す。なかなか見つからずに、ただ硬い土と乾いた砂だけを掻いている。

「とっとと町を出て行けばいいだろ! あんたらがそう言ったんだ!」

「お前は、まだあれに立ち向かうつもりなのか?」

 激情は受け流され、代わりに冷静な問いが帰ってきた。

 男の方がどこかを指した……が、スウィンスはそれを確認しない。確認しなくても、分かりきっている。

「当たり前だ」

「お前じゃどうにもならないぞ。なんでそこまでする?」

 質問の形式ではあったが、どこか期待しているようにも聞こえた。いや、どちらかと言えば、答えを確信しているような。

(なんでもいいさ……こんな奴ら、知るもんか)

 捨て鉢に言葉を吐いた。

 指先が丸く硬いものに触れる。剣の柄だ。引っ張り寄せようとして、改めてその重さを実感する。もしかしたら、ない方がマシなのかもしれない。そんな情けない考えだって浮かんでくるほどの重量感だ。

「あんた、本当にここがどこだか分かってるのか? オレの住んでる場所で、父ちゃんと母ちゃんもいる。それ以外に何があるってんだ」

 思い切り嫌みたらしく。相手に叩きつけるように、うめいた。

「故郷がなくなりそうだから命を賭けるのは、どこもおかしくない。それに、どうせ死ぬなら、逃げるよりも戦ってやる」

 歯を噛み締めようとして、じゃりっとした感触を味わう。口の中に入った砂を吐き出そうとして、唾液の出すら鈍らなのに気付いた。

 消えない不快感を諦め、改めてあごに力を入れる。上半身から徐々に筋肉の入りを確かめて、しかしやはり下半身で止まった。剣を杖代わりにしても、全く以て足は動いてくれなかった。力を入れれば入れるだけ、痙攣が増すばかり。

 こうしている間にも、巨虫は近づいてきていると言うのに。

「そうか……そうだよな。ああ、確かに……俺もそうだった気がする」

 男が、何かを呟いていた。本当に小さく、何かに浸かるような声音。

「お主よ、そろそろ余裕が無いぞ」

「ああ、そうだったな」

 女の言葉に男は頷き、そして――いきなり、スウィンスの足を払った。

 少しだけ持ち上がっていた尻が、再び地面に落とされる。不意打ちだったそれは、先ほどよりも何倍も痛い気がした。

 急な衝撃に、うめき声も出ない。ただ苦痛に顔を歪めて、尻を押さえた。涙の消えた瞳に、再び溢れてくるものがある。同時に溢れた怒りのまま、男を睨み、怒鳴りつけてやろうとして、また衝撃があった。今度は上からだ。

「ぐぅっ」

 落とされたのは、バッグだった。いつの間にか肩紐を外して、狙って落としたのだ。その場に落としたのなら、間違ってもスウィンスの上に、ましてやピンポイントで腹になど落ちない。

 こいつは、わざわざ邪魔をしている。怒りに頭が一瞬で沸騰した。

「お前っ――!」

「今回だけだ。あの巨虫だけ。もしその後に、他の理由でどうにかなったとしても、俺はしらない。最初で最後だ」

「……は?」

 激昂は一瞬で冷めた。男の淡々とした、あえて感情を作るまいとする語り。その内容はまるで――

「剣、借りるぞ。こんなのでも無いよりはマシだ」

 荷物に押しつぶされたスウィンスに見向きもせず、剣を手に取った。刃に手を当てて、ついでに軽く引く。当然、なまくらではその程度で傷つけられない。眉を潜めたが、結局剣は握ったままだった。

「あんた、やらないって……」

「だから、今回だけだ。ただの気まぐれ、そう思っておけ。お前は次はないって事だけ知ってりゃいい」

 剣を肩にかけ、つま先を蹴っている。隣では女も、男よりは少ない荷物を地面に置いていた。

 男の横顔。何もかもが疎ましげだった、暗いものはない。今はただ、鋭く尖っている。

「なんでいきなりやる気になってくれたんだ」

「――」

 すぐに答えは来なかった。一拍おいて口が開き、そこからさらに一拍おいて、やっと言葉が出る。

「お前には関係ない事だ」

 言いながら、男は顔を隠した。後頭部に隠れる表情。

「そこで荷物を見てろ。すぐ戻る」

「そこでって……」

 荷物の重さを確かめた。中身が詰まっているのは、見た目からして分かる。多分、足が無事でもよろめく程に重い。続いて、巨虫を見た。既に町との距離はない。いや、既に外周の旧市街地を踏み潰し始めていた。

「こんな所にいたら、すぐに潰されるだろ」

「言っただろ」

 男が、小さく膝を折って前屈みになる。弓を引き絞るような、強烈な力の収縮を感じさせる体勢。

「すぐ戻るって」

 そして――

 男は一瞬にして消えた。僅かに巻き上げた砂埃だけを残して、本当に影も形もなく。

 いや、とスウィンスは訂正した。道の遙か向こうに、小さくなった背中がある。それも、男が跳躍するとあっという間に距離を作り、見えなくなった。消えたのではない。ただ、目では追いつかないほど早かっただけだ。冗談のような身体能力。まるで、お伽噺の主人公を見ているような錯覚に陥った。

「小僧」

 まだ残っていた女が、声をかけてきた。話しかけられて、スウィンスはびくりと震えた。男の方は苦手だが、こちらははっきり言って嫌いだった。取り繕わずに言うならば、多少ならぬ恐怖を感じている。

「貴様のお陰で、クィンザーの目が覚めた。あれで中々、鬱気に毒される性質でのう。これで少しは、目に力が戻った様子じゃ」

 やたら尊大に、かつ胸を張って誇らしげに言う。

 そんな事を言われても、スウィンスには何の事かさっぱり分からない。首を傾げる事もできずに、女を見上げた。まあ、女も倒れ込んだ少年の事など見ていない。彼女の目は、まっすぐ男が向かった方を見続けている。

 言うだけ言って、女も跳躍した。こちらも男ほどではないが、一歩でいくつもの建物を飛び越えていく。

 どこまでも、現実離れした光景。少年はただ、座り込んだまま、見送り続けた。

 本当なら、何をするにしても、すぐに動き出すべきだっただろう。逃げるなら荷物を持って。立ち向かうならまず武器になりそうなものを探す。しかし、少年はどちらもしなかった。

 はっきりと、いけ好かない二人組だ。嫌な奴だと思う。でも。

 すぐ戻るというあの言葉だけは、何より信じられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ