05
森の中を歩くこと、その中を延々突き進むこと。そのどちらにも慣れてはいる。
だが、消耗を可能な限り押さえつつ延々周囲を警戒するのは、容易くない。ましてや、背中を見てくれる仲間はおらず、三日目ともなればなおさら。睡眠時間が短いのも問題だ。深く長く眠ってしまえば、その間に食い殺される。短時間ずつ寝るのを繰り返すのでは、期待するほどの回復は望めなかった。
正直に言って、これから強敵に望もうというコンディションではなかった。自殺をしに行くようなものだ。
が、それを言うならば、そもそも一人で竜に挑むのがおかしかった。
竜は気まぐれだ。そして、常に何かを望んでいる。慈愛と敬意を望みもするし、人と宝を求めたりもする。そして、それらは一定しない。昨日まで友のような関係だった竜が、ふいに牙を剥くことだってあり得る。そんな例は、世界中に枚挙にいとまがない。
(そして……)
クィンザーは可能な限り草木に気配を残さぬよう、慎重に歩く。指先は常に、腰の剣に触れていた。いつでも抜き打ちができる姿勢、というのは、挙動一つ分勝ることができるという事だ。
まあ、少しばかり優れたところで、竜に通用する訳も無かったが。
(今回の竜は、血と惨劇を求めた……それだけだ)
言い訳をするように――あるいは、言い聞かせるように――念じる。
竜は、村に生け贄を求めた。恐らくは、クィンザーがいた村だけではない。周囲にある、他の村も同様に。
連れて行かれた生け贄は、多分弄ばれて殺されたのだろう。正確に、どんな目に遭ったのかまでは分からない。ただ、竜はそう言って煽っていた。そして、次の生け贄を大量に奪っていく。
そして、クィンザーが派遣されるのが決定された。竜討伐の為に。
(まあ、それだって一つの生け贄だけどな)
誰も――クィンザー自身すら、負ける気はなくとも――勝てるとは思っていない。つまりは、これも竜の望みなのだ。人を奪い、挑発する。怒り討伐に来れば良し、戦も止むなしと戦士が挑みに来るも良し。どうであれ対応するつもりが見えれば、竜にとって損はない。なにしろ一番つまらないのは、そのまま泣き寝入りをされる事だ。そして、そう判断されてしまえば、竜は去るだろう。最後に一番の、それこそ今までなど比較にならない惨劇を振りまいて。
だから、クィンザーは派遣された。
村で最強の戦士である彼が向かった理由。それは、形だけでも竜と戦いになる者が他にいなかったから。そして、彼だけしか居ないのは、そんな事に貴重な戦士を何人も消費できないから。犠牲は一人で十分だ。
決定は村長が下した。恨むつもりはない。仕方のない事だ。
(それに、全く勝算がない訳じゃない)
踏み込んだ足――乾いた小枝を踏みそうになって、咄嗟に力を抜く。踏み込んだ所で、生まれるのは小さく乾いた音だ。どうという事はない。その程度で命取りになる事というのは、まず無いだろう、が、あるかもしれない。可能性がある以上、わざわざ挑む気にはなれない。
同時に、可能性があるからこそ、挑む気にもなれる。
(そうだ、負けると決まったわけじゃない)
竜の住処はもうすぐ。あと少しで森を抜け、植物の生えない小さな山の山頂部の窪地に構えている。
山が小さいのだから、当然山頂部の窪地も然程広さはない。手を伸ばせば届く距離、とは流石にいかないだろう。だが、走って接近すれば、剣の届く距離まで近づく事が出来るかもしれない。
(剣が届けば、攻撃になる。戦いの形になるなら、倒す余地が生まれる)
可能性はゼロに近い。近いが、ゼロでは無い。ならば、それだけで十分だ。例え、それが願望以上の何者で無くとも、自分を叱咤する役には立つ。
そして、都合三日の道を抜けて、クィンザーは森を抜けた。まるで線を引いたかのように、森が終わっている。
間違いなく竜の仕業だ。これにどういう意図があったのかは分からないが、人工的である事を疑えはしない。
山の中腹まで登って、最後の休憩を取ったクィンザー。竜の支配地だからか、山には動物一匹進入していなかった。寝入る前に、竜にも警戒すべきかと考えたが、すぐに放棄した。警戒したところで、こんな場所で――つまりは空から――襲われれば、抵抗などできずに死ぬだろう。それを求めているならば、それでよし。違うならば、ここで奇襲をしかける意味というのも見つからない。
まあ、散々挑発をして抵抗を求めたのだ。つまらない幕引きにはしないだろう、という信頼はあった。
しっかりと休む時間は得た。これで全力、とはいかないが、戦えるだけの体力と精神力は回復する。
持って行ったところで、役に立たない荷物。つまりは、置いていくしかないもの。その中から、手鏡を取りだした。と言っても、それほど上等なものではない。家にある大鏡の一部を切って、いい加減に枠をはめただけの粗末な品。
鏡に映る、自分の姿。黒い髪と白かった肌は、土に汚れている。唯一、灰色の瞳だけは、いつも通りの色合いだった。顔を服の袖で擦り、泥を落とす。顔色は悪くなかった。気付いていない不調も、なさそうだ。
……後は、挑むだけ。
山頂まで足を進めて。剣を握りしめそうになる指を、必死に制御した。
(落ち着け……俺。冷静になれ。興奮すれば、その分だけどこかが鈍る)
数多く経験した狩りと戦の経験から導き出した教訓。激情は、ある種の力を生む。しかし、それは所詮使い慣れない力だ。同時に、手に余るものでもある。
タイミング、技法、経験、あるいは連携。しわ寄せは、必ずどこかに生まれる。そして、感情に飲まれている時は、得てして自覚できないものだ。もし戦闘中に自覚できるとすれば、それは死ぬ時。
一歩一歩踏みしめて、それに反比例して制御を離れていく感情。
ついに山頂に足をかけて。それほど高低差があるわけでは無い、窪地を見下ろした。
そこには、当然のように竜が待ち構えていた。真っ黒の鱗に、どことなく赤が混ざっている気がする。翡翠の宝石のような瞳は、瞳孔が縦に割れていた。巨大で、強靱で、圧倒的で……誰もが想像する幻想の王。そのスケールを数百倍にした化け物が、そこに君臨していた。
同時に、クィンザーは見た。竜の斜め後ろにある。竜以外に何もないそこに、これ見よがしに置いてある。
肉だった。血だってぶちまけられている。脂肪の薄黄と筋肉の桃と、血液の赤黒が混じり合ったそれ。たまに突き出ている白は、骨だろうか。そんな所でしか、それがかつて生物であったと判断できない塊。
いや、もう一つある。肉塊の上に乗っているそれ。肉ではない、が、見慣れてはいる。当然だった。クィンザーの部族に伝わる、民族装束。その一部。
挑発だ。分かっている。だが、もう指から力を抜く気にはなれなかった。
『ようこそ、戦士。よくぞその矮小な力で挑みに来た』
そして、それもただの挑発だと分かっている。だが、もうクィンザーは、自分の感情を制御するつもりはない。
この感情を忘れるくらいならば、死んだ方がマシだ。ゆっくりと剣を引き抜き、それを構えた。
「よう、クソッタレ竜。お前をぶっ殺しに来てやったぞ」
剣先を竜に向かって突きつける。種族の違う竜の表情など、クィンザーに判断できるわけがない。だが、この時ばかりはよく分かった。
竜は笑っている。とても楽しそうに、にんまりと。
(気に入らない面だ)
足に強く力を溜めて、クィンザーは走り出した。余裕綽々の表情を、苦痛に歪めてやるために。
そして――
結果から言ってしまえば、彼の目論見は失敗した。
一瞬で懐まで踏み込む事には成功した。気付いていたのかいないのか、斬撃を繰り出す事にも。ただし、突き出した刃は鱗を割ることも出来ずに、刃こぼれしただけだった。全くの徒労だ。
そこから先は、一方的だったと言ってよい。クィンザーに出来たことは、とにかく逃げ回ることだけだったのだから。
分かっていた事ではあった。攻撃力、防御力、反応速度、火力、機動力。何一つとして、クィンザーが竜に勝るものはない。それどころか、足下にだって及ばないだろう。ハンデのつもりかは知らないが、高速で空を飛び回らない事だけが救いだった。竜がその気になれば、彼が三日かかった距離も、一秒かからず到達できる。クィンザーにも、対空能力がない訳では無い。しかしそれは消耗がかなり大きく、長時間使用できない。加えて言えば、彼のそれは空を飛んでいるのでは無い、走る事が出来るだけだ。自由自在に飛べる存在とは、間違っても比べられない。
どれほどの時間戦っていたのだろう。感覚など、最初の一合から失せていた。
全身が痺れている。広域攻撃の連発、直撃はせずとも、余波だけで甚大な被害だ。振り抜かれる腕は音より早く、魔導の一撃が数百の大木を根こそぎ消し去る。
左手に持つ剣は、とっくに折れていた。だが、もうどうでもいいことだ。なぜならば、左腕など、とっくに根元から千切れているのだから。他にも、左目も見えない。ただの失明か、骨ごとえぐられたか、そこまでは分からない。他にも、不調は全身にあった。恐らくは、無事な場所を探す方が難しかっただろう。死んでいないのが不思議なほどに。だが、その全てがどうでもいい。使えない道具の事など、思慮に値しない。少なくとも、命を賭ける戦場という場所では。
事実は一つだ。まだ戦える。例え次の瞬間に死んでも、今はまだ。
攻撃は少しずつ苛烈さを増した。少しずつ、焦れ始めているのかもしれない。良い傾向だ。竜が焦慮すれば、その分死が早まるだろう。その代わりに、隙が生まれる。そう期待はできる。
クィンザーに、英雄願望がなかったと問われたら、否定はしきれないだろう。竜殺しというのは、おとぎ話の類いだ。しかも、竜という存在がありながら、全く信憑性のない。
では、今もなお願望があるかと問われれば、それは明確に否だ。死にゆく体と精神、あとは過去にあった全て。それらを総動員して、ただ体を動かし、目の前の超生物へと備えた。勝つことすら、思慮の外に置きながら。
命は、時として理不尽に奪われる。あっさりと、儚く。
同時に、命は理不尽な力を発揮する。強烈に、ただ強く。
何が要因かと問われれば、恐らくはそれなのだろう。人生を賭して鍛えた技も肉体も、経験も勘も運も、全て決定打になり得なかった。精々が、今まで生きながらえる要因の一つになったという程度だろう。
だから、それは間違いなく命の力だ。
生涯にたった一度。人生に先など見出さない、究極の自殺。本当の意味で、全てを賭けた力。
道が見えた。わかりやすく一言で言えば、それだけ。
なぜかは分からないし、分かるようになれるとも思えないが。クィンザーは、竜に隙ができると確信した。確信した理由も、また分からない。ただ、そのどちらもが、これまでの何より信じられると思えただけだ。
踏み出した一歩は、今までと意味合いが違った。とにかく逃げるためのそれから、道を進むためのものへ。
口から吐かれる、それだけで小さな街が消し飛ぶような威力の魔導砲。ごく近距離を通過したそれは、また重要な何かを奪っていっただろう。だが、どうでもいい。道の先には、竜がいる。それだけで、何だって差し出せた。
次の一撃で、足を損傷した。具体的にどうなったかは分からない。だが、機動力ががくんと落ちたのだけを自覚する。それでもいい。次の一歩――最後の踏み込みさえできれば、あとは千切れても。
竜が眼前まで迫って、今度は腕が振られた。と言っても、見えたわけでは無く、そう感じただけだが。しばらく前から、竜の攻撃など視認できていない。全て感覚のみを頼りに回避している。それで、何を奪われたかすら、もう分からない。重要なものではあったのだろう。あった、それだけだ。
最後に残った僅かな命が、一気に溢れて流れる感覚。決定的な死が近づいた。もう何秒も持たない。
だが――一秒は残っている。決定的な、一秒が。
満身創痍で放たれた突き。そんなものが生涯で最高の技であった事は、疑いようがなかった。
切っ先は瞳に吸い込まれる。本来は、そんな所でも傷一つ付けられない筈の強度。しかし、剣はあっさりと目の中に食い込んだ。
房水が溢れるよりも早く剣は突き進み、奥の剣より遙かに硬度の高い骨をも切り裂く。僅かも止まらずに、さらに進軍を続ける刃。剣としてまともな形も残っていないそれは、しかし確かに、最後の役割を果たした。つまりは――脳という急所の蹂躙。
『ァァァァァァアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
強烈な咆吼で、クィンザーは一気にはじき飛ばされる。指先の感触がなくなったのは、腕がはじけ飛んだのと、剣から手が離れたのと両方。
重力に引かれて落下し、それを止めようという意思も湧かない。最後の一撃に、全てを使い尽くした。
薄れゆく意識と、僅かに残った視力。最後に見たのは悶え狂う竜と、未だ脳症を犯し尽くしたままの剣。
それを見ても、クィンザーには何の感慨も湧かなかった。竜を殺した達成感も、何もない。はじめには存在した、狂おしいほどの怨念、それすらも感じない。ただ、自分と同じように死にゆく様を漠然と眺める。
死とは全ての精算であり、その先に如何なるものも持ち込んではいけない――それが、彼の部族の言葉だった。聞いた当初は、それを実践する自信も無かったし、理解もしてなかった。だが、今ならば分かる。死ぬという事、精算するという事。その感触を、味わっている。この先に、何かがあっていい訳がない。
満足も何もない。ただうっすらとした充実感だけを感じて、クィンザーは墜落し。
そして、彼の命は終わった。
――終わった、筈だった。
どれほど経過してか、クィンザーの意識は唐突に覚醒した。一瞬にして目が覚めて、思わず体を起こす。
「なんだ……?」
それは何に対する疑問だったのか。無くしたはずの手足の事か、死んだ筈の事か、急に浅黒くなった自分の肌の事か。多すぎて、どれが一番気になるのかすら、思いつく事ができなかった。
「悩む必要なぞ全くないぞ」
ふいに、背後から声がかけられた。
殆ど同時に、クィンザーは弾ける様に前方へと転がり、すぐに反転する。少なくとも、分かることがある。ここはまともな場所ではないし、まともでない場所にいる誰かが、まともである訳もない。
警戒しつつ振り向いた先に居た相手を確認して――クィンザーはぎょっと目を剥いた。視線の先の少女は、なぜか全裸であり、かつ体を隠しもしなかった。脂肪が薄く、全体的に細い。それは胸や尻も同様であるのに、女性らしさを全く損なわない造形だった。
「なんじゃ、そう驚嘆してくれるな。お主にとって、悩むことなどありはせぬのだからな」
諭すように言う少女の声に、なぜかひかかりを覚える。本当に、なぜかは分からない。自分の感覚に疑問すら覚える――なぜ、彼女の声が竜のそれに似ているなどと思ったのか。
指を腰にやろうとして、慌てて制止する。剣を探る動作を見せれば、武器が無いと教えているのと変わらない。
構えながら、慎重に少女を睨む。
「……お前は誰だ?」
「その質問には意味が無いのう。何故ならば、お主はある意味、余よりも詳しくそれを知っている筈なのだ」
いいながら、誇らしげに胸を張る。
全く意味が分からないのだが、少女はなぜか、確信している様子だった。
少なくともまともな問答ができる相手でないと理解する。クィンザーは少女を警戒しつつも、当たりを見回した。そして、思わず眉をひそめる。
(これが……死後の世界か?)
そんなものが本当にあるかは知らない。だが、自分の現状を考えれば、それ以外の何も思いつかなかった。同時に、死後の世界だと言うならば――恐ろしく寂しい場所だ。遠くには、森らしきものがある。らしき、というのは、なぎ倒されて、破片しか転がっていないからだ。近場は本当に何もない。荒野ですらなく、無理やりえぐって更地にしたような無残な姿。
死後にすら安らぎなどない。そう思わせるような寂寥感が漂っていた。
「おお、忘れておったな。余の名はヴィクスフィオじゃ。女体であるからな、それっぽくフィオと呼ぶが良い」
無視されているとは分かっているはずだ。だが、少女はそれも気にせず言った。まさに唯我独尊という様子だ。
結局、何も分からない。自分よりはいくらかマシそうな、怪しい少女に頼るしかなかった。
「で、あんたは誰だ? あとここはどこだ?」
「だから、その質問には些かも意味在らずと言うておるじゃろう。何処も何も、何も変わっとりゃせん」
まあ、結局実のある――少なくとも理解できる――答えは返ってこなかったが。
それよりも、と少女が近づいてきた。クィンザーは思わず腰を落として、拳を固める。だが、そんな様子すらお構いなしに、少女は進み続けた。もしかしたら殴られるかも知れない、という恐怖すら感じられない。
「そう他人行儀にしてくれるな。余とお主の仲ではないか」
「俺とお前の……?」
手が差し出される、殺気どころか害意すら感じられない手つき。
咄嗟に拳を突き出しそうになったが、なんとか堪える。危害を加えられた訳ではなく、ましてや相手は少女。攻撃するには、抵抗感がありすぎた。
頬に触れる指先。なぜか、愛を感じる。
「そう。互いに命を燃やし尽くし、殺し合った。お主は勝者として、余は敗者としてここにいる。これを超える仲というのも、そうあるものではないぞ」
くすり、少女が悪戯っぽく笑った。
呼吸いくつか分、クィンザーは言葉の意味を探し――気付いて、触れていた手を強く払い落とした。そのまま二歩分引いて、再び警戒を強くする。
「何を言っているんだ、お前は人間だろうが!」
言葉に、説得力はなかった。本当にそう思っていれば、今更後退する理由はない。何より、彼は既に、彼女を竜のようだと感じていた。誰も信じていない言葉。そんなものに、力が宿る筈がない。
「竜の力とはつまり、森羅万象を総べる力ぞ。やろうと思えば、大地そのものになる事すら容易い。高々人になる程度、語るに及ばず」
それが当然である。僅かのブレもない態度のまま、少女は続けた。
「尤も、今の余にはそれほどの力は無いがな。今の余は、ただの人じゃ。余を殺したお主に合わせた、人間の雌よ。上手く成っておるじゃろう?」
体を左右に捻って、見せるように踊らせる。だが、クィンザーの脳には、全く入ってこなかった。
とにかく、武器を探す。剣なんて上等なものは求めない。何か、先端が尖っているだけでも――
「無意味じゃ」
気付かれないように探していたのだが。しかしヴィクスフィオは、あっさりと言った。
「何か武器になりそうなものを探しているようだが、見つけたところで使えん」
「そうでもないさ。お前の喉を裂くには、十分だ」
強がるように言って、半歩引く。まるで、少女から逃げるように。
どうとでもなさそうに、ヴィクスフィオは堪えた。
「そうではない。お主は際の間に、死の意味を知った。そして、よく分かっている筈じゃ。お主も余も、一度死んだのだと。心情はどうあれ、全て精算されたと感じておる。感情で余を殺すという行為、どれほど悩もうが実行できぬよ。少なくとも、感情が理性を凌駕せぬ限りはの。まあ、お主が余に死をくれるというのであれば、それも吝かではないぞ」
図星だった。
それを理解してしまえば、武器を探す事も諦めるしかない。
竜は相変わらず許せなかった。村の人を奪われ、遺体を辱められる真似までされて許せるわけがない。だが、それはもう、死という形で支払っている。これ以上支払いを強要する事は、どうしてもできなかった。
同時に、理解もする。彼女も、そして自分も、既に同じような別人なのだと。ヴィクスフィオがもう竜ではないように、ウィンザーも今までの自分とは別人だ。鏡を見てみなければ断言できないが、恐らくは浅黒くなった両腕と同じように、全身が影響を受けているはずだ。
何もできぬまま、ただうなだれているしかなかった。
そして。
これより先に語る事というのは、あまりない。
クィンザーとヴィクスフィオの二人の戦いは、いつの間にか村の近くまで来ていた。更地になった所に、村人が押し寄せて、彼の姿を確認する。そして、見事に否定された。
混乱した彼は、矛先をヴィクスフィオに向けて、危うく殺しかける。その事実にまた混乱し、彼は走った。村に押し入り、自宅から両手で抱えられるだけの荷物を持ち出し、急いで村から逃げる。二度と誰かに会わぬ事を願いながら。
目的もなく歩いていた所を、ヴィクスフィオが勝手に着いてきた。いくら引き離しても、絶対に追ってくる彼女。いつしか、クィンザーは諦めた。
二人の表現しづらい関係がここから始まり。
それから、どれほども経っていない。
未だに、ちぐはぐな二人のままだ。