第五話・限界 前編
登校日。
少年は偽装した姿のままで、素直に学校へ行った。ギゼンガーになったとはいえ、それまでの生活を捨てきれないのである。友人の少ない生徒である少年は、教室に入っても誰とも話さず、本を読んで過ごしていた。
「おーい、席に着けぇ」
担任の教員が教室に入ってきた。それでそれまで騒がしかった教室内も秩序を取り戻し、それぞれの席についた。
そこで少年は気付いたが、人数が足りない。このクラスは34人編成のはずだ。どういうわけか、どう見ても25人くらいしかいない。数えなおしてみると、ここにいるのは自分を含めて24人だった。まさか10人も同時に風邪をひいたとか、田舎で不幸があったとかいうわけでもあるまい。
非常に嫌な予感がする。何か、絶望的な!
その後、体育館において全校集会があったが、やはりそこにいる人間も三分の二くらいに減っているように思えて、ならない。なぜこんなにも人がいないのか。
少年は腑に落ちなかったが、とくに教員からその事実に関する話はなかった。
とにかく事件が多いので気をつけるように、という言葉があった以外は、何もない。それに触れることが禁じられているかのようだ。
多分、あまりにも事件に巻き込まれた人間が多いので、不安をかきたてないようにしているのだろう。
「では、教室に戻ってください」
その言葉がマイクにのって全校生徒に届くと、けだるそうに全員が出口に向かって歩き出す。少年もその中の一人だ。
しかし、彼は誰かに肩を叩かれたことに気がついた。振り向くと、そこには見慣れた顔が歩いている。スカーレットだ。偽装の女学生姿であるが、今日は制服が少年の学校のものになっている。一体どうやってここに紛れ込んだのか、謎だった。
だが、そんなことはどうでもいい。少年はため息をつきかけた。
またこいつか! こいつとかかわると毎回ろくな目に遭わない。
そういった思いがあるからであろう。左腕の怪我も、右目も回復しないままの状態で誰かと戦わされるのはごめんだ。
「スカーレット。なぜここにいる」
「しっ、周囲に気付かれる。そのままの歩調で、トイレへ行くの。私も男子トイレに入るから」
「豪胆だな」
少年は軽く驚いたが、彼女の言うとおりそのままの歩調で、何気なく体育館入り口にあるトイレに入った。すると、本当にさりげなくスカーレットも男子トイレに入ってきたではないか。
「こっち」
彼女は迷うことなく一番広い、障害者用の個室に入り、少年を招き入れると素早くドアを閉じ、カギを下ろしてしまった。
「ちょっと急ぎの用事でね、ギゼンガー。悪いけど話を聞いてくれる」
腕を組み、壁にもたれ、スカーレットは少年を見やる。だが、少年はこのままスカーレットの話など聞ける状態ではない。
まず、幾つか彼女に質問をしなければならない。
「その前に、こちらからいくつか訊ねたいことがある」
「重要なこと?」
「いや、お前のことだ」
「私のこと?」
ポニーテールの女学生は、眉を寄せた。そんなことを訊いてどうするんだ、と言いたげな顔である。だが、少年にとっては重大なことなのだ。
「答えられることなら、答えるけど」
「そうか、では訊ねるがここはどこだ?」
「男子トイレでしょ」
「その姿で入ることに抵抗は感じないのか? それとも誘いに乗る前は男だったのか?」
「……」
スカーレットは目を閉じ、人差し指を一本立てて、自分の額に押し当てた。果てしのない怒りをおさえているようでもあった。
「私は、女だよ。改造を受ける前まではね」
「今はどうなんだ?」
「そうだね、まぁ、意識と染色体くらいは女だよ」
生殖機能など、必要がないのでたぶん削除されているはずである。そうなっては女も男もなかった。これはギゼンガーにも同じことがいえる。
「わかった。それともうひとつ訊きたい」
「時間がないから、お早く」
「お前、俺を監視しているのか?」
「そんなわけない。あなたの行動パターンを少しだけ把握しただけ。居場所なんてすぐにわかる」
「ストーカーだな」
「なんとでもどうぞ」
呆れたような少年の皮肉にも、寛容な態度でこたえるスカーレット。自分の用件をすませたいのだ。
「もう私の話をはじめてもいいかな? ギゼンガー」
「ああ」
スカーレットは頷き、深く息をついてから話を始めた。
「生徒の数が足りてないことにはお気づき?」
「それは、わかってる。要因はある程度推測できるが」
「あらそう。私の知っている限りだと、『亡霊』の『誘いに乗った』方々は、私やあなたみたいな若い人が多い。ひょっとすると、『スズメバチ』や『カマキリ』の被害にあっただけじゃなくて、『そちら側』に行ってしまった人もその中に多数いるのかも」
「それは予想できる。家族もちが世の中を破壊しようとするというのは考えにくいからな」
いなくなった生徒が、ただ単にサボってやってこないだけなのか、それとも死んでしまったのか、あるいは『誘いに乗った』のかは判断できないが、それなりの数があるとは思う。
「そう、わかっているのなら、いいのだけれど。ギゼンガー、『誘いに乗る』ということは、世の中を破壊することに賛同するということなんだよ、あなたのような人は別にしてね。つまり、『蝶』の女がやったみたいな大量殺戮も許される、ということ」
「そうらしいな。それで?」
「もし、あなたがお友達を物凄く憎んでいるとしたら、こういう全校生徒の集まる、登校日を逃すと思う?」
「む」
少年は左の眉を上げた。
「つまり何か? ここに『誘いに乗った』誰かが乱入してきて、殺戮をするっていうのか」
「可能性の話だよ。でも、用心するに越したことはないんじゃない」
「そうか」
少年はトイレの扉を開けようとして、やめた。外に誰かがいるのを感じたからだ。
「誰かいる」
人差し指を立てて口元にあてた。スカーレットも了解し、息を潜める。
扉の外にいる誰かは、障害者用の個室の、すぐ隣の個室に入った。だが、服も脱がないし、腰を下ろした様子もない。何をしているのだろうか。
「おい、隣にいる奴二人、お前らも殺しに来たのか?」
低い声が飛んできた。ここに少年達が潜んでいるのは、隣に入った者にはばれているようだ。少年はスカーレットの目を見たが、彼女は首をかしげているだけだった。仕方がなく、少年が返答する。
「なんのことだ、何をしようとしているんだ?」
「ははっ、知らないのか。さては新参だな? この学校の登校日を狙ってな、5人も集まったんだぞ」
「5人?」
「お前らも『誘いに乗った』んだろう? いくら偽装したって無駄無駄、俺にはわかるぜ。この学校をまずは血祭りにあげてやろうぜってことで意見が一致して、校門前あたりに集合してるんだ。もうしばらくすれば、パーティータイムなんだが」
先ほどいなかった生徒達のうちの、少なくとも5人は、『誘いに乗って』『母校を襲撃する』ためにここにやってきているということらしい。恐らく、下校しようとする生徒達を襲うのだろう。
これを放っておいていいわけはないが、さすがに少年も一度に5人相手にしてなんとかなるとは思えない。
「いや、俺たちはいい。5人いれば十分だろう、別の方法で俺たちはやる」
「そうか、まぁ連れ合いがいれば考えも違うモンだろう。デートの邪魔して悪かったな」
隣の扉が開いて、その男は去っていく。
トイレから彼が出て行ってしまうと、息を潜めていたスカーレットが大きくため息をついた。安堵したのだろうか。
「くだらないことを考えている連中も、大勢いるみたいだね。予想以上に、登校日ってイベントを利用する方々がいらっしゃったみたいで、難儀なこと」
「他人事みたいに言うのか、あんたが。そもそも、あんただって世の中を混乱させようと思って『誘いに乗った』んじゃないのか。なんであいつらのことが難儀なんだ。混じってくればいいだろう」
少年は辛辣なセリフをスカーレットに向けた。当然である。彼にとって、スカーレットは信頼できる存在などではないのだ。ハッキリと彼女自身が『ギゼンガーの敵である』と発言していることもあるが、それ以上にこうした不可解な行動を繰り返すことが少年を混乱させていた。敵であるとも、味方であるとも、断じることができない状態が続いている。
「私はこんなところで無抵抗の方々をいじめて楽しもう、という気にはなれない。世の中を混乱させたいのなら、もっと他の方法があるし、彼らの行動は、ただの私怨によるもので醜い」
「それでも構わないのだろう、『亡霊』は『何をしてもいい』って言ってたんだ」
少年は腕を組みなおし、壁にもたれかかった。
「それじゃもっと率直に、私が参加しない理由を申しましょうか?」
「ああ」
「面倒だからだよ」
スカーレットは人差し指で少年を指差し、そう言った。さすがにもう少年も反論できなかったが、その彼にスカーレットは質問をぶつける。
「で、あなたはどうするつもり? 彼らのこと」
「俺か? 俺は……どうするんだろうな」
さらに質問を重ねられる前に、少年は扉を開き、トイレから出て行ってしまった。その背中を追うこともできたのだが、スカーレットはそうしなかった。代わりに、自分の両腕を見下ろし、その手を少しだけ握って、小さくため息をついたのだった。
少年は教室に戻らずに体育館を横切って、校門に近づいていった。用心深く、息を潜めながらだ。そこには学生服姿の男たちがいる。全員が男で、いずれもが『誘いに乗った』連中なのだろう。彼らは談笑しながら、多分下校してくる生徒達を待っている。
左から順に、小柄な男、大柄な男、少年と同じくらいの背丈の者、力士のような体型の者、最後のひとりはまるで女のように小柄で、背丈も低かった。だが、学生服は男物なので多分男なのだろう。
さて、本当に5人いるではないか。
もし少年がここから走りこみ、彼らに奇襲をかけてみたとしてもそのうちの何人を倒せるかわからない。今頃教室では夏休みだから浮かれるなとかそういう話をしているに違いないのだが、それが終ると全校生徒はここにやってくる。それまでに彼らを倒せなければ、ここにきた生徒は殺されてしまう。
しかし、焦っても仕方がない。あれほどの数、少年ひとりで何とかできるわけはないのだ。どうにかして1対1にもちこみ、一人ずつ片付けるしかない。
「あぁ、俺ちょっと、トイレいってくらぁ」
ついに、まるで力士のような体型の者が動いた。相撲部にでも入っていたのか、ただ脂肪が厚いだけでなく、かなり力強さが感じられる歩き方である。もっとも、その姿は偽装であるわけだが。
行き先は、体育館横のトイレのようだ。
これこそ、チャンス!
少年は急いで、体育館横のトイレに走った。そこで待ち伏せし、彼を仕留める。仕留めそこなうことは許されない。
すでにスカーレットはそこにいなかった。少年は中に入ると、壁に背をつけて、そこから外の様子を窺った。ターゲットはこちらにやや急ぎ足で歩いてくる。
トイレまで、あとほんの数メートルというところまできた瞬間、少年は自ら偽装を解いて奇襲をかけた。脂肪の厚い腹部や胸部はさけ、思い切り彼の顔面を殴りつけた。何事かわからず、まともに攻撃を受けた相手はひるみ、頭を背後にゆすぶられる。
鉢金、長い髪、触覚、羽をさらしたギゼンガーは、追撃の手をゆるめない。さらに走りこみ、相手の背後をとった。そこから一気に、まるで跳躍するかのように伸び上がって、かなり高い位置からのバックドロップを決めた。
「げぶっ」
地面に叩きつけられた相手は、首の骨でも折れたような方向に首をかしげ、血の泡を吹いている。体重が重いだけ、威力があったのだろう。ギゼンガーが彼に触覚で触れて確認したところ、やはりその姿は偽装であり、正体は黒い外骨格に肉食性の口と、偽装に見合わぬ長い身体をもつ、『マイマイカブリ』をイメージさせる姿であった。
ギゼンガーは意識を失っている『マイマイカブリ』の首を踏みつけて止めを刺し、その死体をトイレの個室の中に引きずり込んだ。扉を閉めておく。
これで、あとは4人。全員が今のように奇襲で死んでくれるとは思わないが、なんとかしなくてはならない。
ギゼンガーは先ほどの位置に戻り、再び校門前に集結している残りの4人を見つめた。彼らは『マイマイカブリ』が戻ってこないことを心配しているだろうか。様子を見てくる、とでも言って一人ずつ来てくれれば好都合なのだが。
だが、20分待っても彼らが動く気配はなかった。仲間意識は希薄なのかもしれない。
仕方がないのでギゼンガーは『マイマイカブリ』の身体をトイレから運んできた。
これは、賭けだった。彼らを挑発し、素早く飛んで逃げる。その結果、自分を見失った彼らが『手分けして』自分を探そうとしてくれることを祈る。首尾よく彼らがバラバラになってくれたなら、一人ずつ挑んで仕留めるといった具合だ。
この作戦を実行するため、ギゼンガーは運んできた『マイマイカブリ』を、残る四人の前に放り投げた。そして、素早く逃げた。
彼らは事態を把握するのに十秒ほどの時を必要としたが、すぐに『何者かが自分達に危害を加えようとしている』ことに気がついて、さらに『その犯人が自分達を挑発した』ことにも気付き、その犯人を探して殺さねばならないという考えに至った。彼らは校門前から離れ、ギゼンガーを追ってくる。
あとは、ギゼンガーが彼らに適当に追われてから、彼らを撒き、手分けして探すことになるのを待つだけだ。
だが、彼らの口から予想外の言葉が飛び出した。
「あそこにもいるぞ! 敵は二人だ!」
思わずギゼンガーは振り返り、そして驚愕した。小柄な男が指差すその位置には、偽装も解かないままの、スカーレットが立っていたからだ。
ギゼンガーは舌打ちをした。あの小柄な男は、最初にトイレにやってきてここのことを教えてくれたあの男なのだ。つまり、自分とスカーレットが『連れ合い』であると思っているに違いない。
まずいことになった、とは思った。しかし、スカーレットも『ハナビラカマキリ』である。そうそうたやすくやられたりはしないだろうし、彼女は彼女で自分の身を守るだろう。こういう事態になったことは予想外だが、自分は作戦を予定通り遂行する。
ギゼンガーはそう思って、本当に予定通り逃げ出した。だが、途中でちらりとスカーレットの様子を見てしまい、考えは変わった。
スカーレットに襲い掛かろうとしている二人は、小柄な男と大柄な男の二人。偽装を解いた彼らは、大きな角をそれぞれ二本と一本もち、非常に強靭な体躯をしていたからである。
つまり、『クワガタムシ』と、『カブトムシ』だ。
あんなの、ありかよ!
別にスカーレットのことが好きだとか、情報をくれたからだとか、そういうわけではなかった。ただ、彼女を見捨てて逃げることができなかった。それだけの理由である。
それだけの理由で、ギゼンガーの足が止まった。
彼女の元へ、行かなくてはならない。




