第四話・情報網 後編
空に浮かび上がった巨体が、やがてはっきりとギゼンガーの姿をとらえた。目標を定めるように顔をゆっくりとこちらに向けて、そして突撃を仕掛けてくる。
『カミキリムシ』の羽は巨大で、その分だけスピードもあった。ギゼンガーはスカーレットのいる方向とは逆に横っ飛び、それを回避しようと試みる。だが急降下をしかけてくる『カミキリムシ』のスピードはかなりのものだった。回避できるかどうか、微妙だ。
上空から一直線にギゼンガーを狙った『カミキリムシ』の一撃。なんとかそれの回避に成功した。ギリギリのところで、ギゼンガーの左隣を彼は通り過ぎていったのだ。
しかし、なぜか強烈な打撃を受け、ギゼンガーは吹っ飛ばされた。直後、鉄柵も『カミキリムシ』の一撃でひしゃげて吹っ飛んだ。おそらく、『カミキリムシ』はギゼンガーの動きに気付いて、右腕を振り払ったのだ。その攻撃に、とらえられたのだろう。吹っ飛んだギゼンガーは、今度は建築途中の家屋に突っ込んだ。二階建ての集合住宅になるらしいその家屋は簡単なつくりで、鉄骨の支柱の間にスチロールのような防火素材をはめ込んでいるところだった。ちょうど、そのスチロールを突き破るような形でギゼンガーはそこに突っ込み、倒れてしまう。
「ハハハ、正義のヒーローが器物損壊とはいけないじゃないか。そいつは俺の仕事なんだぜ」
『カミキリムシ』はそんなことを言い、吹っ飛んだギゼンガーを追って、建築途中の家屋に近づいてくる。これほどスピードがあるのなら、逃げても無駄だろう、とギゼンガーは思う。既にあちこちが壊されていたその家屋は、ギゼンガーが突っ込んだことでますますボロボロになっている。
そこで彼は飛びあがった。鉄骨の支柱の、その最上部分に飛び乗ったのである。羽を開いてバランスをとり、そこに立った。『カミキリムシ』も彼を追って、鉄骨の支柱に飛び乗ってくる。二人はやや距離を置いてそれぞれ鉄骨の上に立ち、互いに睨み合う。足場は悪くなったが、羽を持つ二人にとっては大した問題ではないように見える。だが、ギゼンガーは飛びながら攻撃をしかけることは苦手である。やはり足場のあるところで軸足をしっかりついていなければ、威力のある攻撃はしかけにくいところだ。
「わざわざこんなところを選ぶなんて、どうかしているんじゃないのか」
『カミキリムシ』も羽を開き、腕を伸ばしてギゼンガーと睨み合った。ギゼンガーの羽の構造からして、彼が勢いをつけて飛行をするのは苦手であるということは明白である。にもかかわらず、あえて足場の悪いところに位置した彼を、『カミキリムシ』は頭が悪い奴と評した。
「御託はいいだろ」
それでも強気な口調で、ギゼンガーは突っぱねた。彼の二本の触覚はその緊張を示すようにぴんと逆立っている。
「観念したか」
ひょい、と気軽に『カミキリムシ』は飛んだ。そのままギゼンガーに向かってくるのか、と思ったが、違った。彼は真上に飛び上がって、真下に落下した。その巨体でもって、鉄骨を踏み潰したのだ。
「うっ!」
強烈な踏み潰しで、鉄骨が飴のようにぐにゃりと曲がった。足場がぐらつき、ギゼンガーはあわてて羽を動かし、バランスをとろうと試みる。だが、その瞬間を狙って『カミキリムシ』が飛びかかってきているではないか。自分の首元を狙いすました突き刺すような片足蹴りだ。
これを食らったら、ギゼンガーの首から上は吹っ飛ぶだろう。何とかそれに反応し、右腕を伸ばして手の平で『カミキリムシ』の足を受け止めようとする。
だが、『カミキリムシ』の体重は想像以上だった。その重量が蹴りの威力にもしっかり反映されている、ギゼンガーの羽では支えきれるはずもない! 彼は鉄骨の上からたたき出され、地面に向かって飛んでいく。『カミキリムシ』の圧倒的なパワーで、重量の軽いギゼンガーはゴムマリのように簡単に吹っ飛んでばかりだ。地面の上に散らばされた、資材の中にギゼンガーは突っ込んだ。
背中から強烈に叩きつけられたが、まだギゼンガーに意識はあった。資材の中に倒れこんだ自分を狙って、さらに鉄骨の上から飛び降りてくる『カミキリムシ』が見えている。今度は、頭から突っ込むような動作で、このギゼンガーに向かって吸い込まれるような勢いでやってきているではないか。
なんとか避けなくてはと思ったが、予想以上にダメージは大きかった。肩も腰もぎりぎりと痛んだ。全身が鉛のように重い。だが、避けなくては死ぬ。ここは動かなくてはならない。そうしている間に、眼前に敵の大アゴが迫ってきている。死が目前に見えていた。
力を振り絞り、ギゼンガーは飛び上がった。瞬間、一瞬前まで立っていたところに『カミキリムシ』が突っ込み、資材をバラバラに吹っ飛ばす。
ぐっ、と右足に嫌な感覚。
読まれていたか。
ギゼンガーは覚悟した。突っ込んできた『カミキリムシ』は右手を伸ばして、飛び上がったギゼンガーの右足首をつかみこんでいたのだ。
もちろん、次の瞬間にはそのまま地面に向かって振り下ろされ、ギゼンガーは再び地面に打ち据えられることになる。だが、それを許してはいけない。まずいことになる。
「ウオオオッ!」
叫び声をあげながら、彼は毒針を抜いた。そして自分の足首をつかんでいる敵の右腕の、外骨格の隙間を狙ってそれを差し込んだ。ブスリ、と針は『カミキリムシ』の身体につきこまれる。それを確認する余裕もなく、急いでその針の先から神経毒を送り込む。
瞬間、ギゼンガーは投げ出された。毒が効いたらしい。敵はあまりの激痛に、右手を握っていられなくなったのだろう。だが、まさにギゼンガーを振り回そうとしていたためにその勢いで、彼は振り飛ばされていた。
なんとか空中で羽を広げて、体勢を整える。
「畜生、小賢しい!」
『カミキリムシ』が毒づいた。そして彼は自分の右腕を左手で打ちすえ、切断してしまった。肘関節の少し先から切り落とされた右手がボトッ、と地面に落ちる。毒によって直接与えられる激痛に耐えかねたと判断された。
「おおっ、毒蛾! 貴様を殺してやるぞ!」
「これでやっと五分」
と言いかけて、ギゼンガーは口をつぐんだ。左手を損傷した自分と、右腕を切断した相手。一見これで対等に見えるが、受けているダメージの量がまるで違う。加えてウェイトが段違いだ。
ギゼンガーの武器は毒針と鱗粉くらいのもので、あとは際立った装備はない。敵の大アゴのような、必殺技に欠けている。だが、そんなことは気にしていても仕方がない。今、片腕でできるだけの攻撃を仕掛け、敵を殲滅しなくてはならないのだ。
だが、相手の外骨格は強力だ。毒針を刺すにはその隙間を狙わなくてはならない。鱗粉を撒いても、あの巨体にどれほどの威力があるか。そこまで考えて、ギゼンガーは今しがた崩れ去った、建築途中の家に目をやった。
武器が必要なのだ。
だが、片手で扱えるのか?
そう思って左腕を確認した。すると、驚くべきことに包帯のはがれた左腕が、何か厚い瘡蓋のようなものに覆われている! 肘関節から先、全て、『カマキリ』に傷つけられたところがまるで、衣をつけてこれから油で揚げるような状態だ。触ってみるとカチカチで、言うなればそれは、天然のギプスのようだった。
多分、外骨格を体が治癒しようとしているのだろう、とギゼンガーは都合のよいように解釈することにして、左手のことはもう忘れた。
『今すべきことは、とにかく相手を倒すことだけだ』
考えて、彼は『カミキリムシ』を見下ろした。彼は降りてこないギゼンガーに業を煮やしたのか、自ら羽を開いて、空に舞い上がろうとしている。そこでギゼンガーは後退し、先ほど『カミキリムシ』によって捻じ曲げられた鉄骨の上に戻った。
「またそこか! 死地がお好みらしいな」
どうとでも、言うがいい。相手を待ち受けるには、ここが最適なのだ。
そしてギゼンガーは、対戦相手である『カミキリムシ』を待ち受けた。しかし、ただ漫然と彼がかかってくるのを待っているだけではない。人間というものは、一度成功した攻撃に頼るものだ。つまり、『同じ行動を繰り返す』。予期できるのだ。
この場合、『カミキリムシ』がどういう行動にでるか。
彼は、突撃を仕掛けてきた。ギゼンガーの乗る鉄骨に向けて、地面を大またに走り、勢いをつけて突っ込んできたのである。そのまま途中で一挙、残った左腕を振り上げる。
ギゼンガーはそれを見て、鉄骨から飛び降りた。
『カミキリムシ』は鉄骨の上にいるギゼンガーの足場を崩す作戦だった。勿論、それは前に鉄骨を踏み潰して行ったときに、成功しているからである。だが、それを予期していたギゼンガーは、彼の予想の先を行った。
膝を立て、一気に落下してくるギゼンガーの狙いは『カミキリムシ』の腕である。
果たして、『カミキリムシ』の左腕が強烈に鉄骨に叩きつけられ、それを捻じ曲げる。
だが、その一瞬。ギゼンガーのニードロップが、伸びきって鉄骨と接触していた『カミキリムシ』の肘関節に叩き込まれていた。
「なっ?」
彼の左腕は砕けた。予想もしなかった一撃だった。ほんのわずかな動作で、彼の残された左腕は、使い物にならなくなったわけである。
「ギっ」
現実、その激痛よりも、その事実が『カミキリムシ』の動きを止めた。つまり、『自分が両腕を失ったこと』が彼の思考をわずかな時間であるが、完全に停止させた。
「しんじられない」
言葉には出さなかったが、彼のこころはそれだけで満たされた。まさしく、今自分に起こったことが、全く信じられなかったのだ。また、信じたくなかった。
その間だけが、ギゼンガーにとってのチャンスだった。たとえ両腕を失っていても、大アゴと外骨格を持つ『カミキリムシ』は強敵であるのだ。彼は、渾身の力を込めて『カミキリムシ』の両脚を二本とも払った。両腕と片足で地面をつかみ、残った右足に力をこめて払い込んだその蹴りは、見事に『カミキリムシ』を転倒させた。
「『ギゼンガー』!」
「とどめだ!」
ここで一気に仕留めなければ、まずい。攻勢にでてしまったら、そのまま最後まで仕留めきらなければならない。チャンスがまためぐってくるとは限らないのだ。そこで彼は急いで走り、今しがた『カミキリムシ』が殴った鉄骨を、背後から叩きなおした。立っていたその鉄骨は、すでに『カミキリムシ』によって基礎がボロボロにされていたため、ギゼンガーの一撃でもはやバランスを失った。
鉄骨が、倒れてくる。
「なっ!」
自分に何が迫っているのか理解して、『カミキリムシ』は叫んだ。
彼に向かって倒れてくるのは、何百キロもの鉄の塊なのだ。ギゼンガーがその上に飛び乗り、倒れる方向を調整している。まかり間違っても、自分の上以外には落ちるまい。
「ぎっ……『ギゼンガー』!」
「アイアン・スタンプ!」
地響きと砂煙をあげ、鉄骨は地面に倒れた。その上に乗っていたギゼンガーにもその衝撃は直に伝わったが、外骨格で直接味わった『カミキリムシ』に比べればたいしたことではない。
体液と脳髄を噴出し、鉄骨の下で『カミキリムシ』は、完全にぺしゃんこになっている。生きているとは、考えられなかった。
砂煙が多少はれて、足の痺れもとれた。ギゼンガーは天然ギプスに包まれた左腕を気にしつつ、鉄骨の上から降りた。
「お疲れ様、ギゼンガー」
彼に声をかけたのは、スカーレットだった。女学生の偽装を解かず、ゆったりと笑っている。
「あんたか。次は君が俺の相手をするっていうのかい」
ギゼンガーは素っ気無く挨拶した。
「そうね」
「今から?」
「そうね」
スカーレットの笑みは、暗かった。こころからゆったりと笑っているわけではないのだ。奥に悲しみや嘆きを含んだ辛い笑みだ。
「それもかまわないけど」
彼女は、そっと手を差し出した。たったいまここで死んでしまった『カミキリムシ』には目もくれていない。ギゼンガーはその手の意図がわからないので、黙っていた。
するとスカーレットは近寄ってきて足を伸ばし、女学生の手のまま、ギゼンガーの頬に触れた。
「もう少し、あなたを見ていたい。あなたは他の人にはない何かを持っている。きっと、あなたがこの世界を救うヒーローなんだって、私は思ってる」
「そう思うのか」
「今は、まだ違うみたいだけど」
スカーレットは手を離し、一歩下がった。ギゼンガーは、無防備なその体勢を攻撃することはしない。
「この世界には」
返答する義務は感じなかったが、彼はスカーレットの言葉に答えた。
「この世界には、ヒーローはいない。俺がヒーローだと思うのなら、勘違いだ。敵の敵は味方とは限らない」
「あなたがそう思わなくても、あなたに救われた人は言うでしょう。『ギゼンガーは、正義のヒーローだ』とね。誰か一人でもそう言ってくれるものがあるのなら、あなたはヒーロー。それを忘れないで」
「勝手な理屈だ」
自分をヒーローに仕立てようとするスカーレットに不快感を覚えたギゼンガーは、そう言って彼女から目をそらした。
「でも、あなたはもう、正義の味方・ギゼンガー。裏切らないで」
同じ言葉を繰り返すスカーレットに背を向け、ギゼンガーは羽を開いた。これ以上彼女の言葉を聴きたくなかったからだ。
そのまま飛び去っていくギゼンガーを、スカーレットは目で追っている。
「あなたを、羨望の目で見るものだっているのだから」
小さく呟いたその言葉は、誰にも聞こえはしなかった。




