最終話・復活 中編
「いつからそこに?」
「たったさっきだ。そっちのハイブリッドとお話しているところからな」
レッドアイとハイブリッド・インセクトを見下ろすギゼンガーは階段室の屋上に座り、避雷針によりかかるようにして座っている。その彼の身体を支えるように、小さな白いギゼンガーもいる。『蚕』であるが、レッドアイはその存在を知らなかった。
「わざわざ見に来たの、どうしてこのカマキリを助けなかったの」
「何分にも動けなかったし、スカーレットは俺たちにもお前の手紙のことは黙っていた」
「それと、そっちの小さい白いのは何なの。まさかとは思うけど、あんたたちの子供?」
レッドアイは実のところそれが一番気になっていた。改造戦士たちは基本的に生殖能力を失っているはずだからだ。ギゼンガーにそっくりの姿をしている小さな姿は、気にならないはずがない。
「違う。拾っただけだ」
ギゼンガーは即座に否定したが、レッドアイは(やっぱりそうよね)と頷いただけである。妊娠期間や成長期間から考えても、ギゼンガーたちの子供ということはありえない。
「カイコの子だな。実験的に、生殖能力を持たせてみたが戦闘能力は大きく低下した。植物を食わせて育て、食糧とする利用価値を『アリ』たちに試させていたところだった。それをお前たちが見つけたのだろう」
ハイブリッド・インセクトが『蚕』をちらりと見て、そのような解説をした。
「まるで家畜ね、その言い方。まぁカイコは家畜だけど」
「利用価値の問題だ。そして、お前たちの利用価値はもうなくなったんだよ。ギゼンガー、そんな身体で一体ここに何をしに来たのかね。私の前に姿を見せれば殺されることくらいはわかっていると思っていたが」
闇の中に座るだけのギゼンガーを見上げ、ハイブリッド・インセクトは問う。
「スカーレットが殺されるかもしれないというのに、家の中で寝ているわけにはいかなかった」
「『ハナビラカマキリ』と心を通い合わせたから?」
「俺はね、自分に手を差し伸べてきたヤツを見捨てるほど、冷酷じゃないつもり。それと、スカーレットがいなくなったら、この子の母親役がいなくなるからな」
『蚕』はほぼ無表情のまま、闇の中に転がるスカーレットを見つめていた。
「それなら、どうして私がこいつにかかるのを止めるわけ」
先ほど、ギゼンガーが「待て」と言ったことをレッドアイは忘れていない。自分がこのハイブリッド・インセクトに攻撃を仕掛けようとしたのを止める意味を、彼女は訊いていた。
しかしギゼンガーは首を振り、直接的にはその質問へ回答しなかった。
「レッドアイ、恒久的なものでなくていい。同意してくれないか」
その問いは、レッドアイに正しく伝わった。が、彼女は首をひねる。すぐには同意できなかった。
「やるなら、勝手にやればいいじゃない。私の足を引っ張るつもりがないのなら、私だってそっちに干渉しないから」
「違う」
ギゼンガーは羽を開き、膝を立てた。
「相互不干渉じゃダメなんだ。俺とお前が協力するという明確な意思表示が欲しい。でなければ俺は戦力にならん」
「どういうつもり、それ」
レッドアイがそう答えた途端、ギゼンガーは飛び掛っていた。何をするつもりか、と思ったが、彼は意外な場所に降り立つ。そこは、レッドアイの背だった。
「どこに座ってるの、降りなさい!」
不意を突かれ、背中に乗られたレッドアイは怒る。だが、ギゼンガーは『蚕』も引き連れてレッドアイの背中に腰をすえている。降りそうな気配がない。
「ヒーロー同士、合体かね?」
ハイブリッド・インセクトが冷ややかにそんな言葉を吐いた。そう言われても仕方がないが、レッドアイはまだ同意したわけではない。しかし、ギゼンガーはそのようなことを気にしない。
「そうだ! 今、お前の夢は潰える!」
「!?」
自分の背中から勝手にそんなことを言うギゼンガーに、レッドアイはさらに驚く。こいつは全ての決着を、今ここでつけるつもりなのだ。
同時に、背中側から何か温かい締め付けが感じられる。何をしているのか、と様子を窺う。
自分の背中に乗っているのはギゼンガー。そのギゼンガーの背後にも、『蚕』がくっついている。彼女はギゼンガーの身体をこのレッドアイに押し付けるように手を伸ばし、固定している。さすがに三人も背中に乗られると重みがある。
「あなたたちはさっきから何をしているの、私はまだあんたたちと協力するなんて一言も」
「下がれっ、レッドアイ!」
文句をつけようとしたレッドアイだが、それより早くギゼンガーは警告を発した。
ハイブリッド・インセクトが言い争っているスキを突いて、突撃を仕掛けてきていたのだ。しかし、レッドアイは下がらない。スカーレットとの戦闘で傷ついた身体を引き摺り、正面から『亡霊』を迎え撃った。
「かぁっ!」
突き出される中足を同じ中足で迎え撃つ。正面から突き出されてくるその攻撃を跳ね上げるように防御し、下側の中足を繰り出す。ロング・スピアは簡単にハイブリッド・インセクトの身体にめり込んだが、同時にレッドアイは頭をつかまれていた。
「!」
ハイブリッド・インセクトは肉を切らせて骨を断つような、少々の犠牲に目をつぶる戦い方となっていた。彼はレッドアイの中足を食らっているが、委細かまわずに相手の頭部を右腕につかみこむことに専念し、そしてそれに成功したのである。だが、レッドアイは頭部を捉えられたことにはかまわなかった。『そこ』は抜け殻だからだ。レッドアイの脳髄は頭部から腹部に移植されているから、頭部を潰されても問題ない。だが、ハイブリッド・インセクトの身体には中足が入っている。そこからは消化液を吐き出すことができるのだ。相手の体の中に消化液を送り込めるこちらの方が圧倒的に有利。
だが中足の先から消化液が噴出そうとしたその瞬間、中足は斬られた。レッドアイが中足を切断されるのはこれが初めてではないが、この状況下では致命的な傷である。
何よりもレッドアイが恐怖したのは、その速度であった。相手が突進して中足を突き出してから、まだ2秒も経っていない。にもかかわらず相手は自分が反撃に繰り出した中足を斬った。どれほどの動体視力を持っているのか、また判断力にすぐれているのか。四つも『目』を持っているのは伊達ではない、ということか。そう思いながらレッドアイはつかみこまれた自分の頭部が砕けるのを待った。
だが、レッドアイの頭部はまだ破壊されない。自分のものではない体液が落ちてくる。
その手の力が緩んだことを知り、あわててレッドアイは身を退いた。そこで初めて、彼女はハイブリッド・インセクトの右腕が斬られていることを知った。
「しっかりご協力体制ではないか。強大な敵を相手に結束する、なるほど」
ハイブリッド・インセクトは両眼視可能な二つの目で、レッドアイを見つめる。自分の右腕にはもう目もくれていない。
「何が言いたい」
背中から、ギゼンガーが声を出した。その右肩から、何かが伸びているのがわかった。不審に思ったレッドアイが振り返ると、ギゼンガーの『右腕』が、『カマ』になっていた。
いや、そうではない。あれは、スカーレットの腕だ。レッドアイが散弾銃で千切った、スカーレットの右腕なのだ。どうやってそんなものをくっつけたのかという疑問は今、口にするべきではないが、ただそれを使ってギゼンガーがハイブリッド・インセクトの右腕を切ったということは間違いないようである。
「いや」
『亡霊』の声は落ち着いている。
「争いばかりしている矮小な人間でも、外敵がやってくればまとまる。そういう話はよく聞くが、実際こうして目の当たりにするとは。そう思っただけだよ」
「ご感想は?」
ギゼンガーが背中から声を出して『亡霊』と会話する。レッドアイはそれを邪魔しようとしなかった。もうどうでもいいと思い始めていたのである。実際、背中は重いが先ほどのようにフォローがあるのならばよかろうというところであった。それに、ギゼンガーの性格からいって最後に裏切り、背後から自分を刺すということはないだろう。
「水に水を足しても、水だろう」
ハイブリッド・インセクトは笑う。彼の自信は、ギゼンガーの身体も、レッドアイの身体も知り尽くしているところから生まれている。彼らが何を出来るのか、どこまでできるのか、全て知っているのだ。敵を知り己を知れば百戦して危うからず、そう思っている。
それは当然ギゼンガーも知っている。自分達を改造した本人なのだ。何もかもを相手は知っている。知らないとすれば、自分達の頭の中くらいだ。つまり何もかもを知られているのであれば、戦略でなんとかするしかない。目指すのは、作戦勝ちという奴である。だから、『水に水を足しても水』という侮辱に近い言葉を受けても、ギゼンガーはさしたる反応を示さなかった。言わせておけ、という態度である。背中にいる『蚕』に至っては相手の言葉もまともに理解していない。
だがレッドアイは違った。彼女は指先を自分の右目のあたりに持っていく。
「じゃあ、水で溺れなさい。『カスパー・ハウザー』」
ぶちり、という小さな音と共に、レッドアイの顔面の皮膚が裂けた。彼女は怒っていたのである。怒りに燃える彼女の指先が、目元の皮膚を裂き、涙のような体液を流させた。
「どこから来たかもわからない、身勝手なことしか考えない、あんたのような存在が、私たちを侮辱するなんて」
彼女が怒っているということは、より明確に『亡霊』に対する敵意を表明したことになる。ギゼンガーにとってはありがたいことであった。レッドアイとの同盟は彼にとって命綱に等しいからだ。
「私はバカが大嫌い。あんたはここで死なすっ」
「弱者の言葉は覇者には届かぬよ」
ぎらりとレッドアイの目が燃えた。こいつは何もわかっていないまま、自分が持っている力と知識を無駄な方向に使おうとしていると思った。愚劣なことだ。それを、レッドアイは許せなかった。
「レッドアイ、一先ず下がれ」
「嫌だね!」
背後から声をかけてくるギゼンガーに、レッドアイは焼けるような声で応じた。
「あいつは私が食い殺す!」
ついに、はっきりと宣言を下した。しかし、彼女よりは冷静なギゼンガーはこの事態をあまりよく思わない。相手は何もかもこちらのことを知っているのだ。正面からかかって倒せるとは思えない。一度引き下がり、相手の虚を突けるだけの余裕を持ちたかった。
しかし、これ以上言い争うと自分自身の生命線であるレッドアイとの同盟が破棄される可能性がある。それに、この同盟が保たれなければ自分がここにいる意味がまるでない。どうやら自分が折れねばならないようだ。
仕方がない。こいつの作戦に合わせた上で、出来うるだけのサポートをする。
ギゼンガーは自分の行動方針を決定した。
「わかった、なら行けレッドアイ!」
「あんたは黙って見てなさい!」
今度はレッドアイが突進をかけた。ハイブリッド・インセクトは余裕の表情で背後に跳躍し、それを回避する。瞬間、背中から声が聞こえた。
「ターンしろっ!」
「ターン?!」
何事か、と思ったものの。レッドアイはギゼンガーの助言に従った。突進直後の勢いを殺さぬままに、その場で右回りに旋回する。途端、何かが聞こえた。
顔だけで振り返ってみると、何かが『亡霊』に一撃を加えている。吹っ飛んでいくハイブリッド・インセクト。
「一体どうやったの」
「サトコが散弾銃を振り回した。上手い具合に命中したらしいな」
どうやら『蚕』が散弾銃を撃ったらしい。至近距離からの一撃に、流石に立ってもいられなかったようだ。
「クリティカル・ヒットじゃない。大ダメージってとこ?」
「まだだろう。あの外骨格相手に至近距離とはいえ、これ一撃で勝負がつくとは思えない」
「なら追撃でしょう!」
もう一度ターンし、レッドアイは再びハイブリッド・インセクトに向けて突進をかけた。銃撃を受けた彼は何とか体勢を立て直そうとしているものの、足元もおぼついていない。一気に押しつぶしてしまうつもりで、レッドアイは突っ込んでいく。
だがその一撃は回避される。レッドアイから見て左に飛び、彼は攻撃を避けた。右側に飛べばギゼンガーの『カマ』にとらえられると考えたからだろう。しかし、左側には『蚕』の散弾銃が狙いをつけている、はずだった。
しかし『蚕』の散弾銃は発射しなかった。彼女は引き金を引くことは知っていたが、弾丸の装填も、ポンプアクションも、全く知らなかったのである。テレビを観ていて引き金だけは知っていたが、それ以外は教えられていないのだ。かちり、という空しい音を聞いてギゼンガーはそれを察したが、もう取り返しがつかない。左側からハイブリッド・インセクトがこちらに向けて突っ込んできている。『カマ』と中足を振るって、一気にこちらを仕留めるつもりだろう。
「やばい!」
レッドアイが叫ぶ。諦めの叫びというよりも、ギゼンガーたちに注意を促すための叫びだった。『カマ』は、明らかに『蚕』を狙っている。散弾銃を持っている彼女が一番戦力としては未知だったからかもしれない。
自分が襲われている、ということは本能的にわかってしまったらしい。『蚕』は身を縮め、恐怖を持って自分が切り裂かれる一瞬に備えた。
だが、そうはさせない。
僅かな間の判断で、ギゼンガーは四肢の中でも最後に残っていた左足を伸ばし、ハイブリッド・インセクトの『カマ』を弾いた。これによって『蚕』は救われたが、直後にギゼンガーの脚は敵の中足につらぬかれる。
その痛みを、彼は食いしばって耐える。幸いにして中足から消化液を送られる寸前、レッドアイが中足を伸ばして敵を牽制したため、彼の足は溶かされることはなかった。
だが勝機を見たハイブリッド・インセクトは一度引き下がった後、すぐさま攻撃を仕掛けてきた。息を吐く暇もない。
「返してもらうよ」
それでも僅かな攻撃の間にレッドアイは手を回し、『蚕』から散弾銃を取り上げてポンプアクションを行った。じゃこん、と綺麗にアクションが決まり、次の弾丸が撃てる状態になる。
その銃を背中に戻す頃には敵が眼前に迫っている。敵の攻撃は振り下ろすような『カマ』の攻撃らしい。これを回避するのは無理だ。レッドアイは防御を捨てて攻撃に転じることにする。
腕を開き、四本の中足を全て攻撃に回す。ニードル・キャノンを繰り出すのだ。一本欠けてはいるものの、その破壊力は折り紙つきである。
「死ねっ!」
ハイブリッド・インセクトが迫った瞬間、レッドアイは中足を全て前方に突きこんだ。
しかし、それは全て外れた。『カマ』の一撃を背中から『カマ』を伸ばしたギゼンガーが防いでくれたのは見えた。だが、その後は?
『亡霊』はどこに行った?!
周囲を見回すが、レッドアイも、ギゼンガーも彼を見つけられない。一体、彼はどこに消えてしまったのか。
「上だっ!」
攻撃を食らう直前、ギゼンガーは真上から降りてくる気配に気付いた。瞬間、ゲジのような素早さでレッドアイは背後に下がったが、完全には回避できない。振り下ろしの一撃だったのか、肩のあたりを裂かれた。
しかし痛がっている暇は全くない。地面に着地すると同時に、ハイブリッド・インセクトはまたしてもこちらに突撃をかけてきている。
「生意気な」
迎え撃つように再び中足を構えようとするレッドアイ。
だが、構えるよりも先に中足が切断される。吹っ飛んだ足が体液を吐き、宙に舞う。
何たる機動性。全く話にならない。重戦車が飛行機を相手にしてどうするのだ。
「そりゃあ!」
肩から、ハイブリッド・インセクトがぶつかっていく。その威力は尋常でなく、レッドアイの身体は浮いた。視界が揺らぎ、口元から何かが噴出す。無茶苦茶な強さだと思った。
「くそ」
毒づきながらレッドアイは体勢を整え、後ろに下がる。少しでも時間を稼ぐ必要があった。
背中に乗っていたギゼンガーと『蚕』は振り飛ばされて、床に転がっている。
ハイブリッド・インセクトはレッドアイよりもギゼンガーを重視しているらしく、彼に近寄っていった。最後に残っていた左足も傷を負い、まともに動かないであろう彼をつかみ上げる。
「ギゼンガー、潜伏しているかと思ったら、このようなところに現れる。やはり、お前は感情の男だったのだな」
スカーレットの右腕も動かす気力がないのか、ギゼンガーは胸倉をつかまれたような格好で、ハイブリッド・インセクトの両目を見つめていた。
「そうでなければ『誘いに乗る』ことなどないだろう理知的な人間なら、改造など受けん」
「そうかな?」
ギゼンガーをつかみ上げたまま、『亡霊』は歩いた。階段室の扉の前まで来ると、腕を振り出し、ギゼンガーの背中をそこへ叩き付けた。
ドアが揺れ、ギゼンガーは体液を吐いた。腕や足の傷口も開いたらしく、そこから液体が漏れ出す。
何度かその動作を続けると、ギゼンガーはぐったりとして動かなくなった。『蚕』が心配そうな目をして走り寄ってくるが、何も出来ない。その傍らに跪いて彼を見ることと、意味もなく傷口に触れて彼にすがりつくことしかできない。
そのような無意味な行動をする『蚕』にはかまわず、ハイブリッド・インセクトはレッドアイに目を向けた。今現在、最も抵抗する力を残しているのはレッドアイである。やはり、仕留めなければならないという思いがあるのだろう。
「カスパー・ハウザー」
レッドアイは、『亡霊』をもう一度その代名詞で呼びつけた。19世紀のドイツに出現した謎の少年の名である。誰が彼を育てたのか、何の目的でそこに送られたのかまるでわからないままに若くして亡くなった少年、カスパー・ハウザー。レッドアイはどこから何の目的でやってきたのか不明なこの『亡霊』を、彼と並べていたのである。
「そいつは自分が何者なのか知らずに死んでいった男だろう。俺は違う。何も出来ずに死んでいった男とは違う。俺はこの国を変革していくのだ。それに、お前たちにはできないことができる」
どうやら『亡霊』はカスパー・ハウザーと並べられるのが嫌らしく、そのように反論した。
「何ができると仰るつもりか」
レッドアイは切断された中足のぶんを気合でカバーし、足を踏ん張って構える。同時に、敵の論に応じた。
「お前たちには、残る改造戦士の居場所もわかるまい。俺は全て把握しており、しかもそいつらに確実に勝つことができる。わかるか? 今の段階で世の中に平和を呼び戻せるのは俺しかいないんだよ」
「だけど、この世の中に混乱を呼び込んだのもあなたでしょう。自分で召喚したものを、自分で駆除しようなんてこと認められるとか思ってないでしょうね。フリテンだよ」
「お前にわかってもらうつもりはない」
「だったらこう言い直しましょうか、カスパー・ハウザー」
心理的な余裕だけは失わなかったレッドアイは、消化器官から溢れてくる体液にむせそうになりながらも、最後の言葉をかけた。
「『裸の王様』、とね」
一瞬だけ、レッドアイの顔が残酷な笑みに歪んだ。
直後、怒りに燃えたハイブリッド・インセクトの中足が二本、レッドアイの身体に突き刺さる。回避のしようもなかった。『オニヤンマ』の飛行能力それと『ホウジャク』の俊敏性も備えていたというところか、とレッドアイは思った。何か重要な器官を砕かれたらしい。視界が急速に狭まっていく。
「所詮、お前たちは夜の住人。『ヒール』だ」
その言葉に言い返そうとしたレッドアイではあるが、消化液を送り込まれたらしく、もはや意識を保つことさえもつらかった。脳髄の近くまで消化液の作用が達している。ぐにゃりと視界が歪み、世界が紫色に包まれた。
それでも口の中にある異物、恐らくは自分の体液を吐き捨てて、レッドアイは口を開く。
「バカには見えないものなんて、この世界にはいくらでもある。セキュリティ・ホールもその典型。あなたの計画にその穴がないということをわからないから、あなたは『裸の王様』、はだかの」
言いながら無意識にか、彼女は散弾銃を握っていた。しかし、狙いをつける余裕ももはやなくなっている。
「馬鹿には見えないなら、問題はない。俺はそれがないことを知っているから余裕なのだ。疑心暗鬼にかられるのは、馬鹿の役目だからな。やはり、悪役にはそれがお似合いだ」
『カマ』を伸ばし、意外にもしぶとく生きているレッドアイに止めを刺すべく、腹部に突き刺そうとするハイブリッド・インセクト。だが、その瞬間にレッドアイの目が燃えた。
「がっ! スカーレット!」
何かやるつもりか!
そう判断した『亡霊』は急いでレッドアイの脳髄を破壊した。しかし、寸前で彼女は行動を終えていた。散弾銃を投げたのだ。その武器は、唯一『亡霊』の手によるものではない兵器である。残しておいては厄介なことになるかもしれない。
最後の行動を終えた『アシダカグモ』は、その場に崩れ落ちた。どう、とその巨体を横たえ、中足も千切られ、身体は内側から消化されての無残な姿をさらしていく。最後の一欠けらの命までも使ってしまった彼女は、全く命の炎を感じさせない、朽ちた姿となっていた。
レッドアイを完全に殺した『亡霊』が振り向いてみると、そこに立っている者がいる。頭を撃たれたはずの、『ハナビラカマキリ』スカーレットだ。彼女は、散弾銃を手に、こちらを見ていた。
「まだお前は動けたのか、だが遅いぞ。それは確かに俺の手にかからない武器だが、至近距離から食らっても致命的なダメージを負うことはなかったのだ。そいつで俺に直接的なダメージを与えるのは不可能と知れ」
「私は戦わないもの」
荒い息をついて、スカーレットは散弾銃を杖のように床についた。
「諦めたか?」
「私、王子様に守られてるから」
「は?」
あまりにも突拍子のないことを言い出したスカーレットに、さすがの『亡霊』もまともな言葉を返せなかった。
「王子様が、そこにいるから。私の王子様は、無敵なんだから」
「ついに狂ったか。まあいいがな。そのほうが苦しまずに死ねる」
圧倒的な力を前にして、恐怖のあまりに精神が押しつぶされたのだろう、と『亡霊』は解釈した。そして哀れな彼女に止めを刺すために、ゆっくりとそこへ近づいていく。
そのため、彼はすぐ近くで起こっている奇跡に気がつかない。
「死ね、スカーレット!」
『カマ』の届く範囲まで歩み寄ったハイブリッド・インセクトが彼女に死を与えようと右腕を振り上げた。それを振り下ろそうとした一瞬、背後から鋭い声が闇を貫いた。
「王子様になったつもりはないが」
それは、『蛾』の男の声であった。同時に何かが飛んできた!
振り上げていた『カマ』で、飛んできたものを切り裂く。
今の物体は、ギゼンガーだったように見えたが。振り返って、自分が切り裂いたものを見てみる。左足しか残されていない哀れで弱々しい姿に見える。間違いなく、ギゼンガーだ。
最後の力でとび蹴りでも仕掛けてきたのか、と思った。だが、丁度月が雲間から顔を出した。
白い姿が見える。誰だ、と一瞬考えてしまうほどの姿。
「何が起こったのだ」
こいつの体のことは隅々まで知っているはずだった『亡霊』は、驚愕に顔を歪ませる。まるで今生まれてきたような完璧な姿をしたギゼンガーが、そこに立っていたのだ。
鉢金も、そして毒液を浴びて以来失っていた右目も、両腕も、右足も、五体満足に揃った『蛾』の男がいる。こちらに敵意を向けて。




