第九話 敗走・前編
『女王アリ』の死によって、アリたちは離散し始めていた。統制を失い、彼らは散り散りになっていく。それらを追いかけ、殺してまわらなければ餓えた彼らは見境なく人々を襲い、食料にしようとするだろう。だが、それを止める手立てはなかった。ギゼンガーもスカーレットも、すでに全身に傷を負い、まともに戦える状態ではなかったからだ。
レッドアイの乱入により、彼女とも激闘を繰り広げたギゼンガーは疲れ果てて全く動けなかった。おまけに背中の羽や額に巻いていた鉢金も失い、ズタズタの身体をアリたちの『巣』になっていたアパートの壁にもたせていた。そこへ、戦い終えたスカーレットが戻ってきた。数え切れぬほどの『アリ』と戦っていた彼女の身体には噛み傷や引っ掻き傷が無数についており、あちこちから体液が漏れている。羽もところどころ痛んでおり、激闘の凄まじさがうかがえた。
「ずいぶん、手こずったみたいだけど」
「ああ」
ギゼンガーは短く返答した。何か話すことさえも億劫だったからである。しかし、何があったのかは伝えておくべきであった。
「レッドアイが現れた。あちらから仕掛けてきてな」
「レッドアイが」
羽をたたみ、ギゼンガーの隣に腰を下ろしながらスカーレットは訊き返す。ここに来るように言ったのは、レッドアイなのだ。それなのに、なぜそのようなタイミングで彼女が仕掛けてくるのだろう。
「どういう狙いがあったのかな」
「俺と戦いたかったのだそうだ。邪魔の入らないタイミングで。実際に『女王アリ』を始末したのは、レッドアイだ」
ギゼンガーは『女王アリ』との戦いの最中にやってきたレッドアイと戦い、撃退したことを説明する。スカーレットはその説明で納得いかないようだったが、深く突っ込んだ質問などはせず、ただ傾聴していた。ギゼンガーの言葉が終ってから、彼女はため息のように言葉をため息にのせた。
「レッドアイは、一体何のために戦っているんだろうね。ギゼンガー」
つまり、納得のいかない原因は、そこにあるようだった。『混乱者』と呼ばれ、ただ『食べる』という行為のみをもって、世に混乱を振りまく蜘蛛の怪物レッドアイ。彼女の本当の狙いは一体、どこにあるのだろうか。
「さぁな。本人に訊いてみなきゃわからんだろ、俺たちがあれこれ推測して何かプラスになるとも思えん」
「そうだけど、ギゼンガー、あなたと戦っても何のプラスにもならないってこと、わからない? もし本当に『食べる』ことだけを考えて自分の欲求に素直にしたがって、戦っているのなら、『殺し』にきたはず。わざわざ『戦う』意味なんて全くないじゃない」
「それはいえる。あえて考えるなら、同族嫌悪かもしれんがな。破滅の道を行く者、なんて言っていたから」
確かに、レッドアイが今さらのようにギゼンガーに挑んできた理由は不明だった。彼女は秩序安寧を重んじる者などでもないし、むしろ混沌を望んでいるふしがある。にもかかわらず、混沌をふりまく『女王アリ』を自分の手で殺し、その上でギゼンガーに挑んできた。まるで一貫性のないように見えるその行動に、ギゼンガーたちはその意味を理解しかねるのであった。
「まあ、そのあたりは次に会ったときにでも訊いてみよう。と言っても頭半分砕いてやったから、しばらく現れないだろうが」
「頭半分! 死んだんじゃないの?」
「いや、信じがたい話、脳髄を腹部に移植したらしく、まだ生きている」
そのような話をしていると、ふと気配を感じた。
ギゼンガーはここがアリたちの『巣』であったことを思い出し、すぐさま飛び跳ねるようにして立ち上がり、構えた。スカーレットも何者かがそこにいる気配を感じたので、起き上がって構える。
だが、『アリ』ではないようだった。
ギゼンガーとスカーレットは顔を見合わせた後、『巣』の中へ入ることにした。慎重に、歩みを進めてみる。
『巣』は、すでに廃墟同様となっているアパートで、崩壊が進み、植物に飲まれようとしていた。薄暗い、今にも落ちそうな屋根の下に入る。気配は、逃げ出さずにそこにいた。
新たな改造戦士がやってきたか、と覚悟を決めるギゼンガーだったが、闇の中に白く浮かぶ影は、敵意のかけらも見せていない。
なんだ? 一体こいつは、なんなんだ?
その気配は、小さな白い影となり、やがてこちらに近づいてきたのである。小柄な影、スカーレットよりも背の低い、白い姿の女だった。
「か……」
スカーレットは絶句した。あまりにも、その姿がギゼンガーに似ていたからである。
背中に伸びた羽、頭部から生えた二本の触覚、長い髪。違う点といえばその白いギゼンガーは華奢で、顔つきも女性らしかった。何よりも色がほとんどなく、目以外は白一色である。
「蚕?」
印象的に、すぐさま思い浮かんだのは『カイコ』だった。よくよく見てみれば口元もおかしかった。唇の造形だけはされているが、器官が存在していない。つまり、『口がない』のだ。唇があるのに、口がないのである。
『蚕』は、よたよたとギゼンガーに向かって歩いてきた。ほとんど敵意がなかったので、スカーレットは迎え撃つのもバカバカしく、相手にしない。寄ってこられたギゼンガーにしても、表情もほとんどなくふらふら歩いてくるこの女を攻撃するなど無理な話である。何もしなかった。
ある程度まで近寄ってくると、『蚕』がギゼンガーの顔を見上げる。先ほどの戦闘で鉢金が吹っ飛んだギゼンガーだが、今は代用に手ぬぐいを巻いている。その手ぬぐいの下から、彼の大きな左目がのぞく。右目は毒でほとんど潰されている。
「ギゼンガー、その子あなたに似ているけど。知り合い?」
スカーレットはついに口を開き、訊ねた。
「いや、まったく知らない相手だが。まるっきり、『蚕』だなこの子は。口もないのか、喋れないんだな?」
『蚕』が遠慮なくギゼンガーの顔を見上げているので、ギゼンガーも遠慮なく『蚕』をじろじろと見て観察している。
「そうみたい。蚕は根本的に、人間が世話をしないと生きていけない虫だよ。成虫になったら何も食べないから口がないんだよ」
「ああ、幼虫は桑の葉しか食べないってやつか。しかし、そんな虫のコピーをとって改造したところで、なんの役に立つんだ? こいつは一体、何の目的で改造されたんだろう」
「知らない」
スカーレットは肩をすくめた。しかし、これは嘘である。彼女には大体の予想がついていた。
だがギゼンガーはそれ以上、この『蚕』についてはスカーレットに訊ねなかった。彼は、スカーレットが少し目を離したスキに『巣』の奥のほうへと入っていってしまい、彼女の前から姿を消してしまったのである。
「あっ、ちょっと! ギゼンガー!」
スカーレットの声を背に受けて、ぼろぼろに朽ちた『巣』の中を歩いていく。
すぐに行き止まりだった。小さな部屋の中に、掃除用具入れのようなロッカーがあり、トビラは開いていた。中にはやや濃い茶色に変色した繭があり、内側から一部が溶かされて開かれている。ここから『蚕』は出てきたのだと思われる。一度蛹になって変態したのだろう。
ギゼンガーが振り返ると、きょとんとした表情の『蚕』がこちらに視線を向けていた。よたよた歩き、こちらに近づいてこようとする。何故かは知らないが、懐かれてしまったらしい。とはいえ、必要以上に親しくする必要もない。ギゼンガーは彼女のわきを抜けて、スカーレットのいる場所まで戻った。
「何をやってたの?」
壁に背をもたせて座っていたスカーレットは、戻ってきたギゼンガーを見るとそう訊ねた。
「奥まで見てきただけだ。こいつが出てきたらしい繭が一個あったぞ」
「羽化したてだったのね」
スカーレットはギゼンガーの背後に立っている『蚕』を見つめた。すると、何を思ったのか『蚕』はとてとてとスカーレットに近寄ってくる。一瞬身を固めてしまったが、その顔には何の悪意もない。
『蚕』はじっとスカーレットを見ているだけで、何も言わない。言えない。
「よく人の顔を見つめる子だね、なんだか、決まりが悪いよ」
照れたように後頭部を掻き毟った。だが、それでも『蚕』はスカーレットを見つめ続ける。
「親だと思っているんじゃないか。生まれたてのひよこみたいに」
「『刷り込み』だっていうの? 冗談じゃないよ、幼虫ならまだしも成虫じゃない、この子」
思わず立ち上がり、ギゼンガーの無責任な論に反論するスカーレット。しかし、ギゼンガーもそれに応じる。
「ありえなくはないぞ、蚕はもともと人間に世話されなければ生きていけない存在なのだから。『主人』を求める気質があったとしてもおかしくない」
「……敵の罠だっていう可能性は?」
一応訊ねてみるスカーレットだったが、彼女自身の予測と同様、ギゼンガーはその可能性を否定した。
「ありえん。アリの『巣』から見つかった『蚕』が敵だとは思えない。ましてやこいつに戦闘能力があるとでも?」
「確かに。というか、ちょっと待ってよ。その子、連れて帰るつもり?」
重要な質問が抜けている気がしたスカーレットは、その質問をギゼンガーにぶつけた。今の状況で空を飛べるのが自分しかいないということもあるが、それ以上に警戒心というものが敵のアジトから発見した改造戦士を自分の家に連れて帰るという行為を咎めている。
「放っておいたら死んでしまうだろう、この子は」
「別にいいじゃない、運がなかっただけの話よ」
蚕は飼育下でなければ生存できない。放置すれば死ぬ、というギゼンガーの意見は当を得ている。彼女に口がないのがその証拠ともいえる。だが、スカーレットのいうことも一理ある。餌を食べることのない蚕の成虫はもともと十日ほどしか生きられない。今ここで死ぬことになってもさして変わりないし、運がなかったということで片付けられてもそれは彼女の宿命として仕方がないことなのである。
「しかし、かわいそうとは思わないのか」
「あれだけ殺してきておいて、今さら同情するわけ? あなたも変なところで義理堅い……」
『蚕』は会話を理解していないらしく、その間もずっとスカーレットの顔を眺め続けていた。隣に腰を下ろし、まじまじと彼女の顔を見ている。さすがにそれを迷惑だと思ったのか、後ろからギゼンガーが『蚕』を抱きかかえて、引き離した。『蚕』はそれにもなんらの抵抗を示さず、されるがままになっている。
「かわいいもんだろ」
「『蚕』だよ、その子は。餌も食べられないし、本来なら子供を作ったらすぐに死んじゃうはずの! 情が移ったらすぐに寂しい思いをするよ、ギゼンガー。どうしてそんなにその子にこだわるのさ」
「この子は『誘いに乗った』のではないだろう。すぐに死ぬにしても、ここにおいていくことはできない」
「どうして」
スカーレットは、『蚕』を抱えたギゼンガーを見つめた。『蚕』はギゼンガーを一回り小さくして白くしたような、そっくりな姿である。
「なんとなく」
ギゼンガーの返答はスカーレットを納得させない。だが、まるで親子のようにそっくりなギゼンガーと『蚕』を見るうちに、なぜか確かに、『蚕』を放り捨てていくことが残酷な仕打ちに思えてくるのであった。
「それに、死ぬとは限らないだろう。口はなくとも、心肺機能は俺たちと同じようにある。しっかり世話してやれば生きていけるかもしれない」
「そうかもしれないけど、その子があなたにとって、なんの役に立つの」
訊ねながら、スカーレットは指を『蚕』へと近づけた。途端、『蚕』は猫のようにぴくりと反応した。触覚を耳のようにぴくぴくと動かし、においを嗅ごうとするようにスカーレットの指へ顔を寄せる。
「何の役にも立たないな。だが、俺たちはしょっちゅう怪我をする。もし、動けなくなってもこいつがある程度助けてくれる、と考えればここで助ける意味はあると思う」
「ああ、それは確かに」
理由を得たスカーレットは、結局『蚕』を連れて帰ることに同意した。子供か、動物のような仕草をするこの小さくて白いギゼンガーを、元々彼女が好かないはずがなかったのである。ギゼンガーはそれを知っていて利用した、とも言える。
もしもこの三人で並んでいたら、この子が私とギゼンガーの子だと言っても、信じられるだろうか。
『蚕』を連れて帰ることを決める頃には、彼女はそんなことを考えるまでになっていた。
スカーレットが『蚕』を抱きかかえて飛んで帰り、ギゼンガーは偽装を施せるまで体力が回復するのを待ち、電車で戻ることになった。
「じゃ、先に戻ってるから。そっちも気をつけて」
羽を開き、スカーレットが『蚕』を抱える。ギゼンガーは少年の姿に偽装し、それを見送る。
『蚕』は何にも抵抗することなく、スカーレットに抱かれて少年の顔をまじまじと見つめていた。少年はその不思議そうな顔をしている『蚕』の頭を撫でて、
「ああ、飯の用意もしておいてもらえると助かる」
そう言った。その言葉に、なんだか新婚夫婦みたい、とスカーレットは思う。が、もちろん恥ずかしいのでそんなことは口に出さなかった。
「わかったよ、ところでギゼンガー。この子の名前、どうする?」
「名前?」
「いつまでも『蚕』じゃ可哀想じゃない?」
「そうだな。スカーレット、お前の名前はなんていうんだ」
「は?」
スカーレットは眉を寄せた。あまりにも意味のわからない質問だったからだ。
「『誘いに乗る』前の名前だ。どういう名前だったんだ」
「もう、そんなこと聞いてどうするのさ。この子につけるつもり?」
「うむ」
迷いなく少年が頷く。捨てたはずの自分の本名を引っ張り出されて、しかも『蚕』につけるなどと言われて、スカーレットは怒りを通り越して、どうでもよくなった。ため息とともに自分の名を告げる。
「佐藤、京子だよ。平凡でしょ」
「平凡な名前というのは、幸せなことだと思うぞ。佐藤、からとって『サトコ』というのはどうだろう」
「発想が貧困すぎるよ」
「別にいいだろう、それが嫌なら違う名前を考えていてくれ」
少年が困り顔でそう言うと、スカーレットは羽を動かし、離陸しながらこたえた。
「嫌とは言ってないけど。とにかく、あなたも早く帰ってきてね」
「母親気取りか」
スカーレットは苦笑し、その場から飛び去っていった。少年はしばらくその姿を目で追っていたが、彼らが夕闇に飲まれて消えてしまうと、自分も駅に向かって歩き始めた。
だが『巣』を離れて数歩もいかぬうちに、彼は再び足を止める。
知っている気配がしたからである。
このざらつくような妖艶な空気は、レッドアイ。間違いなかった。
「レッドアイ」
機先を制し、ギゼンガーはその名を呼んだ。だが、返答は非常に小さなものだった。
「こっちよ」
『巣』の陰に隠れるように座り込み、レッドアイはじっと傷を癒している。
蜘蛛の女は、先ほどギゼンガーに砕かれた身体を包帯で無理やりに形成し、痛々しいまでの姿をしていたが、なんとか偽装を施していた。今は長身のスーツ姿の女となっている。ところどころから体液が漏れ、荒々しく巻かれた包帯を濡らしている。
「やられたりなかったか」
今なら止めを刺せる。どう考えてもこの状況で圧倒的に不利なのはレッドアイである。なぜこのような状況で、自分の前に姿を現したのかわからなかった。
「あのカマキリが連れ去った子、『アリ』たちが飼育していた『蚕』でしょう。あんなの持っていって、どうするつもり」
レッドアイは立ち上がらずに訊ねた。
「かよわい命に情けをかけるのが、おかしいと思うか?」
少年は横目でレッドアイの姿を見つめて、それからそう言った。質問を質問で返されたレッドアイは、目を細めて、ゆっくりと立ち上がった。どろどろの体液が彼女の身体から滴り落ちていく。
「アリたちが安定した食料供給を目指して育成していた、『蚕』をね」
「あれは、アリたちの食糧だったのか?」
「そう。人間だって繭を煮た後のお蚕様を食べてるとこあるじゃない。まぁアリたちは幼虫だけでも十分食糧にしちゃうでしょうけど。残酷だと思うかしら。でも、人間がひよこを育ててニワトリを食べるのと同じよ」
レッドアイの顔は半分、前髪を下ろして隠されていた。恐らく砕かれた部分がまだ修復されていないので、隠しておかないとまずいのだろう。
「どうせ、あの子だって長くは生きられないでしょう、口もないはずだしね。ここに放置されて死ぬか、あなたに飼い殺しにされて死ぬか、どっちが幸せなのか。ねぇ、図々しい」
「なんとでも言っているがいい。俺は、俺の思うとおりにやるだけだ」
悩まない少年は、きっぱりとレッドアイに告げた。己のしていることを偽善と呼ばれても、彼は心を痛めたりしない。自分がこうしたいから、こうする。それのどこが悪いのか、という信念が彼にはある。善悪の判断は、誰にされるものでもなく、自分がするものなのだと思っている。したがって、彼は悩まない。
「そうも言っていられないかもしれない。二、三日もすれば、あなたも考えが変わるんじゃない」
少年は何も答えなかった。
レッドアイは、その少年の視線を受けながらも臆せず、強気に飛び上がった。一気に『巣』の屋上まで上った彼女は、そのまま次々と跳躍を繰り出し、たちどころに少年の視界から消えてしまう。
あとには彼女の身体から落ちた体液が、コンクリートの上に染みを作っているだけであった。
少年が自分の部屋に戻ってドアを開くと、奥のほうから足音が迫ってきた。
やや控えめな足音は、やはり『蚕』であった。サトコと名づけられた彼女は、戻ってきた少年に近寄ってきて、その傍へ寄ってくる。邪魔ではあるが、悪い気分ではない。
「ただいま」
出迎えてくれた『蚕』の頭を撫でる。奥ではスカーレットがテレビを観ているらしかった。
『蚕』が出迎えてくれたのにお前は何をやっているのだ、と言いたくなるのは何故だろう。別にこいつとはそういう関係ではなかったはずなのに。
少年はどうも調子が狂うなと思いつつ、奥の部屋に戻ってベッドに腰掛けた。
「おかえり、ギゼンガー。ご飯できてるけど食べる?」
「ああ」
スカーレットの問いに答えつつ、テレビ画面を見た。どうやら何か虫の生態か、と思いきや、蚕の飼い方講座だった。しかも、テーブルの上には少年の本棚から引っ張り出してきたらしい百科事典が広げられ、「カイコガ」の項目に線が引かれている。
「熱心だなお前」
関心半分、呆れ半分で少年は言う。テレビから離れてお皿にご飯をよそりはじめたスカーレットは、「まぁね……」などと曖昧な言葉を呟く。照れくささを誤魔化しているらしかった。
確かに、『口がない』というこの『蚕』に対して栄養を補給させるには通常の方法では不可能である。注射するか、気管から流し込むか、なんにしても手荒な方法に頼らねばならない。スカーレットは少しでも負担をかけない方法を探そうと、カイコガの生態や身体の仕組みを調べていたに違いなかった。
「ほら、できたよ」
そんなことを考える少年の前に、てんこ盛りにされたカレーライスが置かれた。てんこ盛りのご飯の頂上の辺りに、乱暴にさじが刺してある。
「ご飯に刺すなよ、縁起でもない」
少年は眉を寄せたが、顔の下半分は小さく笑っていた。
さじを取り、食事を始める。が、食事の用意が終ったスカーレットはベッドに転がって百科事典のページをめくり始めた。
「お前はいいのか?」
「あとで食べるよ。この子の前で食べるの、なんか悪い気がしてさ」
そう言われると、突然少年も食べづらくなる。
「俺も食いづらくなるだろ、そういうこと言われると」
「ギゼンガー、あなたはボロボロにされてたじゃない。食べとかないともたないよ」
確かにそうなのだが、なんだか自分が薄情者のような気がしてきた。しかし、そんな彼のこころは露ほども知らず、『蚕』は興味深そうに少年がカレーを口に運ぶのを見つめている。
食べられるはずもないのににおいを嗅ぎに来たり。猫かお前は。
食欲をそがれた少年はさじを置き、こちらを見つめている『蚕』の頭を撫でるのだった。




