第八話・軍隊 中編
隣町は、今のところ平穏を保っているように見える。偽装を解き、大きな羽を広げたギゼンガーとスカーレットは、駅前に並ぶビルの中でも一番大きなものの屋上に立ち、町の様子を見ている。
果たして、『アリ』たちはあらわれるのだろうか。一度出現してしまえば、際限なく巣穴から湧き出てくる怪物。何度となくそういったモノが出現したこの隣町は、外出する人も少なく静かな空気に包まれている。わずかに出歩いている人を見てみても、木刀や金属バットで武装しているか、あるいは怯えたような目で恐々と歩いているといった調子である。大多数の人は避難しているのかもしれない。
「ギゼンガー、本当にこの町に出現する『アリ』たちを一掃するつもりでいるの」
スカーレットは、ただじっと立って、下を見つめつづけるギゼンガーに問う。彼女は屋上の貯水タンクのへりに腰を下ろし、ギゼンガーを見ている。ギゼンガーは二本の長い触角をふわふわとそよ風になびかせ、下を見ている。
「そもそも、レッドアイが持ってきた情報を簡単に全部、信用してしまうことに問題を感じていないの」
「全てを信用したわけではない」
ギゼンガーは淡々と答える。
「レッドアイは俺たちにこの戦いを回避しろ、と言いに来た。あの女は、俺たちが多分ここに来ることをわかっていて、それでも忠言をしに来た」
ギゼンガーは下を見たままでそんなことを言う。彼は、考えながら話していた。
「そうすることで、俺たちがここに来る時期を早めるか、知るか、どちらかができるとでも。いや、こんなことは考えるだけ無駄だな」
「わけのわかんないこと、言ってないで」
スカーレットは腕を組んだ。ギゼンガーの思考についていけないのだろう。そこでギゼンガーは話を変えた。
「俺は、手がつけられなくなるくらい数が増える前に、彼らを倒す必要があるとふんだ」
「もう手がつけられないんじゃない?」
「どうせいずれは脅威になるのだから、少しでも戦力の少ないうちに戦うほうがいいだろう」
「うん、まあそれは」
「このまま、夜を待とう。多分、昼間からはさすがに活動しないだろう」
ギゼンガーは腰を下ろして、頬杖をついた。
「だったらあわてて出てくることなかったんじゃない」
スカーレットは文句を言ったが、結局彼に従う。それを悪いとも思わず、横目にちらりと見ただけですまし、ギゼンガーは目を閉じた。
しかし、ギゼンガーの予測ははずれた。
彼は、建物の下から聞こえてくる激しい喧騒によって目覚めた。どうなった、何があった。
下を覗き込んだ彼の目に、アリがうつった。蟻だ。高いビルの上にいるのに、どうして地面に入るアリなどが目に見えるのか。
少し考えて、そしてわかった。アリが巨大なのだ。だから見えるのだ。あれこそが、例の殺人アリか。
「まさか、なぜこんなに早くから」
アリたちは次々とそこにいる人々に襲い掛かっていく。どうやら帰宅ラッシュの時間であるらしく、駅の周辺は大勢の人がいた。彼らはアリに気付き、逃げ去ろうと努力しているが、その途中で敵に追いつかれて端から噛み砕かれていく。
「起きろ、パーティが始まったらしい」
ギゼンガーは近くで寝ていたスカーレットを起こした。眠そうな目をこすりながら起き上がるスカーレットだが、悲鳴がひとつ聞こえた途端、がばりと跳ね起きて下を見下ろす。
「ああっ……あれかぁ。でかいアリって感じだね」
「見ただけで何匹といるな。手のつけようはあるのか?」
そう思うのだが、放置しておけば彼らの数は増えるだけだ。打ち倒さねばならない。意を決して、ギゼンガーはビルから飛び降りた。羽は開かない。
重力加速度に引かれて、彼の体は一直線に落下していく。地面から吹き上げるように襲う風圧を足の裏で切り裂きながら、地面へと吸い込まれていく。
着地の瞬間に両腕を開き、地面にいたアリたちを何匹か吹き飛ばした。完全なる不意打ちであり、真上から襲い掛かられたアリは外骨格を破裂させられ、体液を噴きながら飛ぶ。
その衝撃と仲間が吹き飛んだことで、アリたちは即座にギゼンガーの存在に気付いた。
群れの中心に飛び込んだギゼンガーに注目が集まる。もちろん好意的な目ではない。しかしギゼンガーもまたアリたちを見る。こうして近くで見て、なるほど、確かに強化服を着込んだ人間に見えなくもない、と思う。だが、彼らは誘いに乗った人間が生み出したもの。いうなれば、生物兵器だった。
彼らは黒く、そして太い。しかも強靭な肉体を持ち、獰猛だ。人間よりは大きいサイズ、体長は個人差が見られたが、おおよそ2~2.2m程度であろう。人間らしい部分はあまりなく、アリが二足歩行している姿という表現がもっとも合っているような気さえする。
ギゼンガーを敵と認識したアリは、タイミングを合わせて一挙に襲い掛かってきた。
気がつくと周囲は完全に取り囲まれていた。着地と同時に落下速度を利用して何匹かは倒したが、ほとんど意味をなしていないようである。どうやらのんきにアリたちを観察している間に退路を絶たれたらしい。
いかにギゼンガーが『スズメバチ』をも撃破した豪傑であっても、これほどの数を一度に相手するのは無理だ。そこで彼は羽を開いて、飛んだ。まずは囲まれている状況から脱さなければならない。足を踏み切って、真上に飛ぶ。
飛び上がったギゼンガーに対して、アリたちは攻撃の手段を持たなかった。飛び道具など彼らは持っていないため、苦し紛れに地上で飛び跳ね、なんとかギゼンガーに切迫しようとするばかりである。勿論、上空のギゼンガーにその攻撃は届かない。十分な高度を保ったまま水平方向へ移動し、素早く彼らの輪の外に飛び出した。
途端、甲高い、きんきんと響くような声がした。鼓膜をつらぬくような悲鳴。ギゼンガーは上空でそれを聞き、そちらに目を向ける。するとアリに襲われている女性がいるのが見えた。会社からの帰宅途中らしく、クリーム色のスーツを着ている。
彼女は片足をアリに捕らえられ、今まさにそこを大きなアゴでかじられようとしている。生きたまま端から食われようというのでは、悲鳴をあげるのも無理はない。なりふり構わず、涙目になって女性は叫んでいた。しかしそのようなことは意に介さず食事をしようとするアリがいる。
「くっ」
素早くギゼンガーはそこへ飛んだ。
アリのアゴが閉じられて、女性の右足が噛み切られようという寸前、そのアリの頭部は切断されて吹っ飛ぶ。まるで花火のように空にふわりとあがり、重く地面に落ちて、川原の石のように転がった。
「ひ、ひっ……」
首のなくなったアリがふらふらと女性にもたれかかり、そのまま崩れ落ちる。その体液を浴びてはいるが、彼女はまだ五体満足のままだった。それを確認し、ギゼンガーは彼女に声をかける。
「どこか、建物の中に入っておいたほうがいいと思うが」
しかし、彼女は腰が抜けているのか、立てないようだ。涙目のままで、がたがたと震えてギゼンガーを見上げている。だが、ギゼンガーはいちいちこのアリによる被害者を救ってまわるつもりなどなかった。目の前の一人の人命よりも、彼にとってはアリの駆逐が優先された。
この女性に対しては、すでに救出もしたし、避難勧告もだした。あとのことは、こいつの責任でいいだろう、と判断したわけである。
つまり、彼はそこに腰を抜かした女性がいるにもかかわらず、放ったらかしにしてアリの駆逐を開始することにしたのである。少し前まで彼を包囲していたアリたちが続々とやってきて、再び彼を取り囲もうとしてくるさまが見えていたからでもあった。この女性のような、邪魔な荷物を抱えて大立ち回り、などできない。
今倒したアリの背後にも、すでに何匹か迫っていた。次々と周囲から黒い影がやってくる。
「まずい」
ギゼンガーは舌打ちをした。
彼は、こんなにも敵が多いとは思っていなかったのである。まるで、波だ。黒い波のように敵が蠢いている。一対一でやるのならば負ける気遣いなどない。相手にはならない。だが、ここまで敵の数が多いとそのような、兵一人の力量など問題ではなくなってくるのだ。
このような状況では、レッドアイも退却を余儀なくされるだろう。彼女がこの街から逃げ出したのも、納得だ。
「元を断たないと、話にならない」
ギゼンガーは女王アリを探し出し、排除しなければならないと考えた。だが目の前には波がある。ふと気がつくと、その波は背後にまで及んでいた。またしても、退路を絶たれてしまったらしい。
いかん、囲まれた?
彼は飛んで脱出しようとした。が、それよりも、敵が包囲の輪を縮める速度のほうが速かった。
無理だ。飛び立つ前に組み付かれて、もみくちゃにされる。それほどにアリたちは速い。もう考えている暇もないのではないか。
今度は飛んで脱出することは不可能のようであった。アリたちも学習をしたのか、それとも今さら女性に情けをかけて助けるなどという真似をしたせいだろうか。
が、彼が消耗戦を覚悟で戦いを開始しようとした瞬間、彼の隣に何かが落ちてきて、周囲のアリたちを粉砕した。
ばっ、と落ちてきた何かが両腕を開き、羽を開く。白いカマキリのような姿、スカーレットだった。
「引き受けるよ、ここは」
彼女はそう告げた。同時に両腕のカマを振り、アリたちを地面に沈めていく。
「早く、行って。女王を探して、終らせて」
言われるまでもなく、ギゼンガーはスカーレットがアリたちを粉砕しているスキに、その場から離れた。
それを見届け、『ハナビラカマキリ』は周囲を取り囲むアリたちを見据えた。スカーレットの力量はギゼンガーに勝るとも劣らないだけのものがある。工夫次第ではこの黒波を相手に一時間くらいは粘ることが出来るであろう。少なくともスカーレット自身はそう考えていた。
そこから飛び去ったギゼンガーにしても、そうした計算はあった。だが、いかにスカーレットとはいえ、あの黒い波を相手にして実際、どれほどの時間、持ちこたえることができるのだろうかという懸念は残る。何しろ敵は利口で、そしてあまりにも数が多い。うまく工夫して一度に相手をする数を減らすことができればよいのだが、その工夫がどれほどの時間、相手と自分の体力とを騙し続けられるのか。
だがギゼンガーがいくら心配したところでスカーレットの負担が軽くなるものではない。自分が今すべきことは、彼らの大将を叩き、指揮系統を壊滅させることだ。飛び上がり、上空に浮かんだギゼンガーは黒い波の動きをよく見た。彼らはどこから出現しているのか、ということがわからなければ話にならない。その波の根源に向かって、移動をはじめる。
アリの群れの相手を引き受けたスカーレットは、まさに一人だけだった。
そこに彼女の味方はなく、周囲は全て敵という状況である。いくら両腕を振り、敵を倒しても、まるでキリがない。終らない。
自ら倒した敵の死体の上に乗り、味方の死体を乗り越えてやってくるアリを倒していく。時々飛び上がり、羽を広げ、数に押しつぶされてしまわないように気を払ってはいるが、限度があった。すでに何匹敵を倒したのか、数えられなくなっているが、それでも黒い波は減らない。
「くぅ」
スカーレットは呻いた。
しかし、彼女は逃げずに敵を地に沈め続けた。ここで彼女が敵をひきつけていれば、それだけギゼンガーは仕事がしやすいはずである。逃げるわけにはいかなかった。
あえて狭い道へと逃げ込み、一度に相手をする数を減らしてはどうだろうか、と一瞬考えた。しかし、彼らの死体の大きさを考えて、その戦法は自らの首を絞めるだけだと思いなおした。
そのような子供だましの戦法をとるよりも、正面から彼らにぶつかったほうが、敵が多くこちらにひきつけられるに違いない。スカーレットはそう思うことにした。つまり、このまま真正面から黒い波に立ち向かい、自分の体力が尽きて殺されるまで、戦い続ける道を選んだということになる。
アリは、巣から出るときに地面に道しるべフェロモンを撒いていく。小学生でも知っていることだ。ギゼンガーはそれをたどった。地面に触覚を垂らし、においをたどっていく。道しるべフェロモンは駅前の、ビル街から少し離れた位置へ向かっている。
ほどなくして、高いビルとビルの間に囲まれて、遠景ではほとんど見えない小さなボロボロの建物が見えてきた。もともとはアパートだったらしいそれは、半分植物に囲まれて、今まさに廃墟にならんとしているところである。
どうやらここが、アリたちの巣であるらしい。あれほどの人数全てがここにいるというわけではないだろうが、少なくとも出張所のような場所である可能性はある。ギゼンガーは地面に降り立ち、慎重にそこに近づいたが、アリたちの気配はなかった。
どうやら狩り時だということで人員は出払っているらしい。この上ないチャンスだった。
「ようこそ、フール」
突然、そんな声がしたので植物だらけになっている建物を凝視する。誰が、どこにいる!?
『女王アリ』だった。
彼女は逃げも隠れもしないで、そこに立っている。ギゼンガーは一目見て、彼女が『女王アリ』だと判断した。
聖母のように慈愛に満ちた表情を浮かべ、美しいかたちの胸も隠さずに両手を広げる上半身は、まさしく人間のものである。だが、下半身は無骨な外骨格に覆われ、巨大なアリの姿を見せていた。アリの胸部、腹部をそのまま巨大化したような下半身に、頭部だけが女性の上半身という奇妙な姿。また、両腕を持ちながら、同時に脚は左右に3本、昆虫の特徴とも言える6本足を備えていた。レッドアイによく似た姿だともいえる。
女性はやはり、改造後も人間らしい姿をしていたいと望むものなのだろうか。そう考えて、これに似ない女性もいたことを思い出した。レッドアイに似ているのはただの偶然であろう。
「なんの御用でしょうか」
『女王アリ』は両手を胸の前に組み、ゆったりとギゼンガーを見た。
「保険のセールスに来た……」
ギゼンガーは、周囲に気を配りながら『女王アリ』を見つめる。よくよく、善良で愛に満ちた笑顔を浮かべている。だが、彼女の子供達が人々を襲い、脅威となっている。
「ふふ、面白い方。でも、保険が必要なのは私ではなく、あなたでは?」
「自信があると? それとも何人か、しっかり伏兵を置いてあるのか」
「そんなこと、しません。わかってはいても、目の前で子供達が死ぬのを見たい、とは思わないのですから」
では、自信があるということであろう。直々にギゼンガーを倒し、子供達に安寧をもたらそうということらしい。
「だが、ここで俺を倒してもいずれは同じことだ。警察や機動隊によって、いずれは敗れ去るぞ」
「警察屋さんに拠らずとも、いずれ確かに私たちの家族は滅ぼされるでしょうね。けれど、私はもともと、それが狙いなのです」
「どういう意味だ?」
『滅ぼされることが目的』だという『女王アリ』の言葉が、ギゼンガーには理解できなかった。
「それはまた、いずれお話しましょう。あなたは私の命が目当てで参ったのでしょう? そろそろ行動にかかられてはいかがでしょうか」
「何を考えている? 何が」
そう言いかけて、ギゼンガーは質問するのをやめた。ここで考えるのは、よくない。そもそも、既に敵が目の前にいるのに、のんきに考え事などをしている場合ではない。
「おいでなさい、ギゼンガー。私たちはまだ生きねばなりません。恐らくあとほんの数日、それだけの間生きることができれば我らの目的は達せられます。それを邪魔されるわけにはいかないのです」
「わかった、手合わせ願う」
彼らの目的が何であれ、それを達成されるわけにはいかない。そう心を決め、『女王アリ』に向かって駆け出した。
迫ってくるギゼンガーを見るや、『女王アリ』は素早く両腕を振り上げ、その偽装を解いた。たくましく、黒い外骨格に包まれた両腕があらわとなり、このうちの右側の腕が接近するギゼンガーをとらえようとする。これをかわして尚も接近するギゼンガー、狙いはやはり見かけを気にしてか外骨格に包まれていない上半身である。偽装の可能性も高いが、とにかく弱点に見えているのだから狙ってみる価値はあった。
しかし、繰り出した攻撃は、敵の左腕によって防がれる。まるで盾のように平たく、大きな外骨格がその腕についているのだった。この面積の広い外骨格によって、ギゼンガーの一撃は、完璧に防がれている。
この両腕に装備されている盾にも似た外骨格はかなり重量があり、打撃武器としても侮れない威力があると見えた。しかし、二の腕から肩にかけては華奢な女性のそれである。そんな細腕でよく振り回せるものだと感心せざるを得ない。
その後もギゼンガーは何度となく攻撃を仕掛けてみたが、ことごとく両腕の盾によって防御されてしまう。
「甘いのです、ギゼンガー……。ギゼンガー?」
何度目かの攻撃を受け止めた後、『女王アリ』はギゼンガーに微笑みかけた。なぜ名を知られているのか、ということは不思議に思わない。裏切り者として有名になっていてもおかしくないからだ。
「ちっ」
ギゼンガーは狙いを変えて、大きな腹部を攻撃しようとした。背中側から大きく後ろに伸びたその不恰好な腹部を攻撃すれば、あの盾は届かない。そこで彼は素早く『女王アリ』の背後に回りこんだ。
だが、その瞬間に『女王アリ』の腰部分が180度回転、背中側から回り込んだはずのギゼンガーを、『女王アリ』が正面から見つめる。ギゼンガーは目を見開いた。
「残念です、残念」
人間ではありえない関節の曲がり方をしている。
あの腰、背中まで回転させることができるのか。
この状態になれば背後から腹部の先端を攻撃しようとしても、腕を伸ばせば十分に対処することが出来る。彼女に死角はない、ということらしい。
ギゼンガーはクッ、と息を漏らして一度背後に下がり、『女王アリ』と距離をとった。
どこを攻撃すれば彼女を倒すことができるのだろう。




