第七話・麻酔 前編
右腕の再生はゆっくりとだが、進んでいるようだった。体液が少しずつ固まり、腕の形にギプスのようなものをつくっている。それがすっかり完成すれば、多分左腕が砕けたときと同じように再生されるだろう。
少年はそれに満足していた。正直なところ、ずっと右腕が欠損状態になるのはまずいと思っていたのだ。右目はどうやらもう再生されないだろうと思っているが、左目が残っているのでまだなんとかなる。しかし、利き腕がなくなったことはかなりつらい。日常生活に関してはアレコレと世話を焼いてくれるスカーレットがそこにいるのでどうにでもなるが、戦闘となるとこれはさすがに彼女に任せられない。
と、そこまで考えて、スカーレットが未だに自分の部屋から出て行こうとしないことに気がついた。この怪我について自分にも一端の責任があるからとここにいるスカーレット。だがもう四日も過ぎている。それほど献身的なのか、それとも何か狙いがあるのか、それは不明だ。
身体についていた亀裂は、すっかり塞がろうとしている。右腕の欠損以外はほぼ回復したと言っていい。少年はベッドに転がって本を読んでいる。古書専門店で見つけてきた、前々から読みたかった本だ。スカーレットはと言えば彼のベッドにもたれかかるように座り、漫画を読み漁っている。十年ほど前の漫画で、少年が集めていたものだった。彼女の好みにどうやらあっていたらしく、今朝からずっとそれを読んでいる。もう昼になろうというのに昼飯のことも忘れているらしい。
やがて、すっかり読み終わったらしくスカーレットは伸びをひとつする。読み終わった漫画の最終巻をテーブルに投げて、少年の方を向いた。
「いい話だったなぁー、やっぱり最後はハッピーエンドでないといけないね」
「あ、そう」
少年は興味がないようにそう言った。左手だけでページをめくり、本を読み進める今の彼に何を言っても無駄である。本に集中すると周囲のことには鈍感になるのだ。
が、その次の言葉は例外だった。
「ギゼンガー、あなたはハッピーエンドになるつもり? デッドエンドでも構わないの?」
「俺自身のことか」
「そう」
少年は本を閉じた。レッドアイから言われたことであるが、彼は破滅の道を歩んでいる。
「レッドアイが言ってたことか。お前が気にすることじゃないだろ」
「そうだね。けど、気になる。本当にどうでもいいと思ってるの」
「死にたくはないな」
上体を起こし、ギゼンガーはこちらを見上げてくるスカーレットと視線を合わせた。涼しい室内であるが、しっかりとセーラー服を着ている彼女がおかしかった。
「死にたくないならそれなりのことを考えているのでしょうね。私はね、ギゼンガー、あなたが殺されたら何のためにこうしてわざわざ部屋まで押しかけて、世話を焼いているのかわからなくなるじゃない」
「お前、俺の敵なんだろ?」
「うーん。どうだろう」
「おい」
曖昧な返答に、少年はあきれた。
「以前に、はっきり俺とは敵だと言ったじゃないか。レッドアイにだって、裏切ったわけではないと言っていたし」
「私だって死にたくないもの。あなたやレッドアイと同じレールに乗っかるのは正直言って嫌。でも、なんだか、ここ最近あなたの傍にいたせいか、その、死なせたくないと思うようになっちゃってね」
「情が移ったのかな」
「そう言われても仕方ないけど。困ったことになっちゃったな」
スカーレットはコップからスポーツドリンクを飲んだ。テーブルの上には2リットル入るスポーツドリンクのペットボトルが置いてあるが、空になっている。
「おかわりないの」
かなり飲んだのだが、まだ飲み足りないらしい。
「お前が全部飲んだんだろ」
「ちぇっ、買ってくる」
制服のまま、スカーレットは立ち上がる。そのまま伸びをひとつして、服のシワを簡単に払い、少年を見下ろした。
「何か他に買ってくるものある?」
「晩飯の材料」
「蜂蜜でいい?」
悪い冗談だ。少年はため息をつきかけた。
「そんじゃお前はコオロギでも食ってろ」
「げっ、気持ち悪い。あんなの食えるわけないじゃない」
肩をすくめて、スカーレットは部屋を出て行った。自分から冗談を仕掛けてきておいて、この有様である。やれやれと言いたくなってしまう。
しかし、スカーレットが自分の護衛をしてくれていることは間違いない。彼女には感謝をすべきだろう。
奇妙なことに、スカーレットは戻ってこなかった。
あれほど傍に居ついて、部屋から出ようともしなかった彼女が戻ってこない。ここ数日、部屋の中で勝手にごろごろして迷惑極まりなかったが、いなくなってみると随分と落ち着く。
少年はゆっくり本を読んでいた。しかし、目は文字を追っていても、中身が全く頭に入らなかった。
すでに何時間も経っている。外は暗くなり、部屋の中も灯りをつけた。スカーレットはどうなった。
「何かあったか」
少し心配になった。
怪我をしてからというもの、ほとんど部屋にこもっていた少年であるが、スカーレットを探すために外に出ることにする。右腕の再生は肘関節の少し先のあたりまで終っている。じわじわと腕が戻っていこうとしているのだ。先端部分は余計な体液が流れ落ちないように包帯を巻いているが、あまりきつく締めすぎないようにしている。
探しに行くといっても、どこにいく?
その質問に、真っ先に出た答えはコンビニだった。ここから一番近くにある店舗へと急ぐ。途中で、少年は自分が走っていることに気がついた。どうして走っているのだろう。そんなに急ぐ必要があるのか。
だが、コンビニに向かう途中で、少年の足は止まった。
燃えていたからだ。
コンビニが、ではなくてその隣にあるビルが燃えていたのだ。このビルは既に借り手もなく廃墟同然だったが、そこが燃えている。一体何が燃えているのかは謎だ。壁紙か何かだろうか。
「あの火事は」
すでに野次馬が集まりだしている。消防車はまだのようだが。
どうせ無人だろうということで、誰も消化しようとはしていない。延焼する可能性はあるから、それでも消防車は出動せねばならないが。
が、屋上を見上げた瞬間、少年の目は見開かれた。
大きな外骨格を持つ生物が、そこに立っている。二本の触覚と、硬い両腕。そして尻尾のように伸びたその先にある太い針。針を持っている。恐らくは毒針だろう。
『誘いに乗った連中』だ。
少年は、そのシルエットに『ジガバチ』のイメージを見た。狩り蜂の一種である。
見上げた少年と、その『ジガバチ』の目が一瞬、ぴたりと合ってしまう。途端、彼は少年を指差し、そして燃えているビルの中に入ってしまった。これは『入って来い』という誘いなのだろう。
状況から考えて、スカーレットが帰ってこないことと無関係とは思えない。
行くしかないようだ。野次馬たちを掻き分け、少年は走って、燃えるビルの中に突入した。階段を上ると同時に、偽装を解いた。金色の髪、額に鉢金、そして背にたたまれた土色の羽、『蛾』を思わせる姿へと変わる。ギゼンガー本来の姿だった。
雑居ビルだったらしいそこは、すでに中はほとんど引き払われていた。故に燃えているものも限られていたが、それでも壁紙や僅かに使われている木材がめらめらと燃えている。
スカーレットはどこだ?
炎と燃焼ガスに巻かれないように気を払いながらギゼンガーは階段を上った。外から見た限りでは『ジガバチ』は4階建ての建物の中でも3階に入っていたからだ。3階をまず捜索する必要がある。
3階は防火シャッターが下りていた。階段の隣には大きくシャッターが下りていて、それ以外には何もない。ギゼンガーはなんとかこじ開けようとしたがかなりしっかり閉まっていて、持ち上がらない。渾身の力を左手に込め、腰と足の踏ん張りで気を入れ、シャッターをこじ開けた。バリバリとシャッターが折れ曲がり、無理やりに開いた格好である。
シャッターの奥には『ジガバチ』がいた。その奥にスカーレットが倒れている姿も見える。
「ようこそ」
ガスが充満しかけていたはずの部屋だが、『ジガバチ』は平然とギゼンガーに話しかけてきた。
「あんたがギゼンガーだな。俺が誰で、何をするためにこんなことをしているのか、なんてことは説明しなくていいな」
「ああ大体わかる。説明いただかなくて結構だ」
熱のこもった部屋だった。ギゼンガーが汗を流せるとしたら間違いなく肌が湿っていただろう。
『ジガバチ』は自分について何も語らなかった。必要がないと思っているのだろう。ギゼンガーも彼の目的くらいは大いに察した。
「俺を殺しに来た、それも『亡霊』の指示で」
「確信を得たいなら死んでから地獄の閻魔様にでも尋ねてくれ。俺は、そんなことどうだっていい。依頼されれば、俺は誰にだって挑むさ」
『ジガバチ』は淡々とした調子だった。本当にそのあたりのことはどうでもいいらしい。
しかしギゼンガーにとっては重要なことだ。これまでは裏切り者のギゼンガーを殺そうとする連中もいたが、それらは自主的に挑んで来たに過ぎない。彼らの倫理観によって、赦せないギゼンガーを亡き者にしようとしたというだけのことだ。しかしこの『ジガバチ』は依頼されてやってきた。どうやら『亡霊』にとって、本当に目障りになってきたらしい。
破滅の道。その途上。レッドアイの言葉がよみがえる。
とはいうものの、そうそう簡単にくたばってしまうわけにはいかない。それに、『蝶』の女を殺したとき、一番最初からそのようなことはわかっていたのだ。自分が選んだ道に、逃げ道がないことなどは。
「で、そこにいる姫様は何のつもりで?」
ギゼンガーは倒れているスカーレットを指差した。
「お前さんを呼び出すためのもんだ。ちょいと麻酔針で眠っていただいたがな。本当なら卵を産みつけて、幼虫の餌になってもらうわけだが」
「火をかけてしまっては何の意味もないだろう」
「そうだな」
『ジガバチ』はするりと組んでいた腕を解き、ギゼンガーに向かって構えた。
「燃焼ガスは待ってくれん。はじめないか」
階下から熱が吹き上がる。炎の赤いゆらめきが見えた。
スカーレットの救出はともかく、今はこいつを倒すしかない。
「『ギゼンガー』、勝負だ」
そして勝負は開始された。ギゼンガーは突進し、彼につかみかかる。『ジガバチ』はそれを待ち受ける格好だ。
先手必勝、と見せかけておいて、突進しながら彼の行動を注意深く見つめる。何しろ今のギゼンガーは片腕なのだ。殴りかかるにせよ掴みかかるにせよ、両腕のときよりもずっとパターンが読まれやすい。そこで、それを逆手にとって自分の突進に対する相手のカウンター攻撃を、カウンターにかける。
『ジガバチ』はギゼンガーの突進に対して、いきなり尻の麻酔針を持ち上げた。これを食らったら終わりだ。彼はギゼンガーの拳を右腕で防御しつつ、その反対側から麻酔針を打ち込もうというところらしい。ギゼンガーはそれを見た瞬間、突進の勢いを全く殺さないままで右回りに自分の身体を回転した。
左手で麻酔針を止める。
そして回転の勢いはそのままに、左足を軸として右足を振り上げる。ほとんど後ろを向いた状態になりながら、ギゼンガーの右足は『ジガバチ』の横面を叩いた。
しかし、『ジガバチ』はその蹴りにもよく耐えた。吹き飛ばされたりはせず、突っ込んできたギゼンガーの身体を両腕でがっしりと拘束したのだ。
「甘いっ!」
彼はギゼンガーに毒針を抜く暇も与えず、その身体をビルの内壁に叩き付けた。治っていた外骨格に衝撃が走り抜ける。ギゼンガーはグッ、と口から息を吹いたが倒れはしない。そこに『ジガバチ』は尻をむけ、麻酔針を打ち込もうとする。さすがに、一撃必殺の武器だけはある。それに、何度だって使えるのだ。
ギゼンガーは足を振り上げ、麻酔針を蹴りつけてかわした。同時に、自分も毒針を抜く。麻酔針のように相手を行動不能にするわけではないが、激痛を与える毒針だ。屈強な戦士であれ、この神経毒を受けてまともに動ける者はないだろう。この毒針と、相手のもっている麻酔針。リーチはあちら側に圧倒的な分があり、加えてこちらは片腕という致命的なハンデもある。だが、一発当てればそれで勝ちも同然だ。十分こちらにも勝つチャンスはある。
「く……」
『ジガバチ』は後退した。ギゼンガーは無理にそれを追わず、彼と距離を置く。
熱は高まっていく。炎は確実にこのビルをなめてきている。そしてギゼンガーたちにとっては熱よりもガスが怖かった。燃焼した後の劣化した空気は彼らをとりまいていた。ここから早く抜け出さねばならない。しかし、『ジガバチ』はただ飛び出して逃げ出せばいいであろうが、ギゼンガーはスカーレットを見殺しにできない。ここでもハンデがあった。




