第一話・毒の風
戦闘描写、および敵役の残忍性を示すため、暴力的な表現が目立ちます。
ご注意ください。
少しでもお楽しみいただければ、幸いです。
なんとなく、流行についていけない自分がいる。流行り廃り、音楽、人気のあるテレビ番組、そのどれもこれもがくだらなく思えて仕方がない。何もかもが、そう、自分の目にうつるものは全てつまらないものに思えてくるのだ。
「この世の中にはつまらないことと、面倒なことの二種類しか存在しない」とさえ思う。
二十歳にもならないというのに、世の中の全てに飽きていた。どうせ、自分が知らない世界というのも、今自分が見ている世界とそう大して違いはないのだろうと勝手に思い込み、それを信じている。
学校の図書室の奥で、一人で本を読んでいることが多かった。その本は、哲学や宗教の関係の本であることもあったが、社会批判関係の書物であることの方が多い。
「こんなくだらない世界は、滅びてしまえばいいのに」
口癖のように、そんなことを言う。
そうしながらも歩いていた彼の元へ、何かが降り立ったのは夏休みの最中だった。
突然、真昼間の商店街でそれは起こった。
道行く人々が、ふと、咽喉元を押さえたかと思うと、次々と足から崩れ落ち、その場に倒れてゆく。何が起こったのか、それを確かめようとするものもまた、同様に倒れていく。異常に気付いた者があわてて逃げ出し、すぐさま警察、消防へと連絡を行ったが、その彼も目的を達することもできず、途中で意識を失って倒れた。咽喉元に走る激痛に耐えられず、そこを掻き毟りながら絶望的に手足を伸ばす。死の踊りだ。
そうした絶望的な舞踏祭が繰り広げられている。
警察も無能ではなく、毒ガスによるテロの疑いのある事件とし、ただちに現地に赴いた。
厳重な防護服に身を包んだ屈強な男たちが、現場に到着。被害者の救助に尽力しようとする!
そこに立っているものなど一人もなく、変わり果てた姿の人間がぶざまに地をなめているばかりだ。この惨劇の跡に顔をしかめながらも、救助隊は彼らの身体をそこから運び出していく。
その作業の様子を、商店街のアーケードの上から、眺め下ろす人影があった。
彼は、何の感情もなくその現場に倒れる人々と、それを助ける救助隊を眺めていた。いや、心中には何か深く思うところがあるのかもしれないが、少なくとも表情には表れていない。
しかし表情がないことなど、彼がアーケードの上にいるということと、彼らの奇妙ないでたちに比べれば、取るに足らないことであった。彼の姿は、およそ世間一般のファッションセンスとはかけ離れていた。というよりも、人間であるとは思えない。金の髪を伸ばした額には鉢金を巻いてその上、頭からはまるでシダ植物の葉のような触角が2本生え、風にさわさわと揺らいでいた。首から上をしてそれであるが、身体は昆虫の外骨格のような鎧につつまれ、背中からマントのように伸びているのは暗い土色を基調とした地味で、毒々しい色合いの羽であった。ファッションがどうのという以前の外見である。全体的に見て、外骨格を除いてみれば羽と触覚が目立つために、その姿は『蛾』のイメージを抱かせる。
彼は、鉢金の下からギョロリとのぞく大きな目をもって、救助隊がせっせと被害者を運び出す様子を見ていた。楽しんでいるわけでも、哀れんでいるわけでもなく、ただ見ていた。
「どう、自分が望んでいたことが、わずかでも実現した気分は?」
背後から、そんな声が聞こえた気がした。鉢金をした蛾の男は、触覚をふよふよと動かしてから振り返る。そこには彼と同じような格好をした女がいた。ただし、彼女の触覚はシンプルに細い線が一本飛び出しているだけで、羽も折りたたまれず大きく展開したままであり、全体的に黄色っぽい色合いで美しい。男が『蛾』であるのに対して、この女は『蝶』のイメージである。
そのような女の顔は意外にも美形であり、念入りに化粧されていた。ふとみれば、飛びつきたくなるような美人だ。
女に話しかけられたにもかかわらず、『蛾』の男は何も答えないで、再び眼下を見やる。無視された女はやや口調を強くして言葉を重ねた。
「気分がいいの? それとも、ご不満?」
少し低い声で問われ、面倒そうに『蛾』の男は振り返った。
「何を撒いた?」
生意気な声で、彼が問う。『蝶』の女は苛立って、ふんと鼻を鳴らす。
「毒! 言わなくたって、そんなことくらいわかるでしょうよ」
「猛毒なのか」
何の感情の起伏もなく、男は訊ねた。ただ単に、知りたいから訊いている。弱い毒だったらどうしよう、強い毒だったらどうしよう、などということは考えていない。大樹を見かけたときに、「樹齢はどのくらいなのだろう」と思うくらいの程度だった。
しかし、その質問には、質問を質問で返されて不機嫌だった『蝶』の女の機嫌を直す効果があった。
「そう。まぁ下の方々も色々と工夫してやられないようにしてるみたいだけど、これは強力。トラでもサイでも、一発であの世へご招待できるくらいのね」
喜々として説明する女。恐らく、毒は彼女が作ったのだろう。
「俺たちはその毒に耐えられるのか?」
「ある程度はね。あなたもその身体になっていれば、常人の5倍くらいの致死量になら耐えられる、かも。ただ、いくら抵抗力があるって言ったって、死ぬときはあっさり死ぬんだから、近寄らないほうがいいかな」
「そうか」
『蛾』の男は、動かない。
「で、どうするの」
『蝶』の女が訊ねる。胸のふくらみの下で腕を組み、男を見つめている。男は、やはり面倒くさげに答えた。
「さぁな」
「何よ、それ。全然興味ないって感じじゃない。それなら、もう少しあなたの好みの風景を作ってあげる。もっと人の通りの多いところでね」
呆れたような、しかし後半は少し笑みを含んだ声で女はそう答え、そのままアーケードの上から姿を消した。背中の羽で飛翔したのか、それとも何かまやかしの術を使ったのか、それはわからなかったが、『蛾』の男はそのようなことに興味がなかった。
ただ彼は、女が去って少し経ってから、変わらず眼下に広がる地獄絵図を見続けながら
「違うような気がする」
と、小さく呟いたのだった。
『蛾』の男は、この光景に不満を抱いていた。
『蝶』の女は、上空から狙いを定めると、そこへ落っこちるような速度で向かっていった。真昼のビジネス街だった。
商店街よりも人が多いかもしれない。ただ、外に出歩いている人間は少ないだろう。商店街のように毒を撒いてもその影響はどのくらいだろうか。
だが問題はない。窓ガラスを砕いてしまえばそれですむ話だ。それだけで建物に守られている人々にも毒の影響を与えることができる。それに、窓を開けているところも多い。
どしゃっ、と。
四車線の道路が交わる、大きな交差点のど真ん中に、『蝶』の女は着地した。その着地の衝撃だけで、周囲にいた車が吹っ飛び、横転してしまう。アスファルトに大きな亀裂が走り、砕けた。
だが『蝶』の女はそのような瑣末なことは気にしない。膝を伸ばし、立ち上がって、例の『蝶』の格好のままで大きく手を挙げた。
周囲は騒然としている。何が起きたのかわかっていない者、映画の撮影かと戸惑う者、少数だがいち早く危険を察知して逃げ出す者、負傷者を助けなければと思う者、それらに囲まれて、『蝶』の女は動じない。
予想に反して、昼時ということで昼食をとるために会社の外に出ている者が多かった。好都合ではないか。
『蝶』の女の背にある羽が、ふわり、と動いた。その度に、彼女の羽から何かが漏れた。鱗粉がこぼれているようにも見える。
その女へ、近づいたものがある。車を吹き飛ばされて、負傷したものを手助けしようとした、勇気ある若者だった。憤怒の表情をおさえ、彼は女へとほとんどつかみかからんばかりの勢いで接近していった。
「おい、あんた、一体何をやっているんだ!」
「うるさいよ」
かみ合わない返答とともに、女は腕を薙ぎ払った。外骨格に包まれたその腕の一撃は、勇気ある若者の首と胴体を切断し、そこに赤い噴水をひとつ形成する。瞬間、パニックとなった。
「異常者だ! 通り魔だ!」
そんな思いがそこにいる人々の心をつらぬいた。
「あははは、逃がさないよ」
口元に手をやって、『蝶』の女は笑った。蜘蛛の子を散らすように逃げていく周囲の車や人間を見て、可笑しいのか、それともこれから自分が行う殺戮に期待をしているのか。
「ほら、毒だよ」
羽を大きく動かし、再び何かをそこに散布し始める。紛れもなく、それは毒だった。
散布とほぼ同時に、逃げていた人々が突然膝を折り、血を吐いて倒れていく。発症から絶命まで、ほとんど間をおかなかった。
それらを見て、女はけらけらと笑いながら逃げ足の速い者たちを追った。蝶の羽から逃げられる者はおらず、まるで幼児の三輪車をバイクで追うような、あっけない追いかけっこになる。そういうわけで、そこにいる者は次々と首を吹き飛ばされるか、血反吐を吐いて倒れるかの二択となってしまった。
ほどなくして、警察がやってきた。先ほどの惨劇の現場からいくらも離れていないからだ。救助活動を行っていた警察の一部が、この騒ぎを聞きつけたに違いなかった。だが、同じこととなる。
防毒マスクをかけた警官が、何十人もやってきた。そのときには、すでに『蝶』の女は窓ガラスを割る作業を始めていた。これの影響で室内にいる人々も、多く犠牲となり始めている。
「警察だ! 武器を捨てて、投降しろ!」
その言葉を聴いた『蝶』の女はうるさげに振り返り、彼らを睥睨した。無論、そのような睨みだけでたじろいでしまうような惰弱な者は警察官のなかには存在せず、彼らは勇気の名の元に、怪人へと銃口と法の権力を向けたのである。
だが、『蝶』の女の圧倒的な腕力と外骨格の前には無力であった。振り返った彼女は警察官の群れへと一足飛びに舞い込み、両手足を振り回す。それだけで、勇敢なる警察官が千切れとんだ。
もはや人外ともいえるほどの膂力で警官を吹き飛ばし、血の海を作る。ただの一撃で勝負が決められてしまうため、警官はもはや手の出しようがなかった。こちらの一撃は効かず。あちらの一撃が決まれば即死なのだ。盾を構えて突進をかけても、女の一突きで盾に穴が開き、それを持っていた警官は絶命する。
警察は時間を置いては次々とかけつけるが、ただ見守ることしかできない。これはもはや機動隊か、自衛隊かというところになり、彼らが防毒マスクをかけて遠巻きにこの惨劇の現場を見やっていたとき、何かが彼らの背後に出現した。
土色の羽を綺麗にたたみ、ふわふわと触覚をなびかせる『蛾』の男だった。
『蛾』の男は、パトカーが何台も止まり、警察が立ち入り禁止のテープを張っている中に、強引に割り込んできたのだ。
それを見た『蝶』の女は、遠くからもでもよく聞こえる声で言った。
「あら、ギゼンガー。手伝いに来たの?」
妖艶な瞳と唇でそう言いながら、女はギゼンガーと呼んだ『蛾』の男に向かって手招きした。本当は違う名前なのかもしれないが、そこにいた警官らには確かに「ギゼンガー」と聞こえたのだ。
「やってみると、楽しいものね。血って、こんなに赤くって美しいものだったなんて。自分の血なんて見慣れてるけど、他人の血って何か違うのよね」
微笑を浮かべて、『蝶』の女は足元に倒れている少女の頭を踏んだ。その頭はあっけなく砕けて、まるで果物のように中身を噴出す。
「毒を撒いたわ。消えるまで、それ以上近寄らないほうがいいと思うけど」
ギゼンガーに忠告し、女は再びガラスを割る作業を再開しようとした。しかし、ギゼンガーはそれを制する。
「よせ、さっきわかった。俺が望んでいたのは、これじゃない」
「はぁ? 今さら何を言っているのかねぇ。望んでいないものなのだったら、ここから消えてよ。私、これが気に入ったんだから、続行するわ。完成したらまた呼んであげる。気乗りしないのなら休んでいなさい」
「よせ、って言ってるだろ」
やや苛立ったように答えた『蝶』の女と同様、やはりイラついた声でギゼンガーも応じた。
「止めてみなさいよ、まだ毒はここに」
「くっ!」
先ほどから自分を引っ込ませようと身体にまとわっている警官たちを振りほどき、羽を開いてギゼンガーは飛んだ。毒の舞う中に飛び込み、道路の真ん中に突っ立っている『蝶』の女へと飛び掛ったのだ。
しかし、『蝶』の女はそれを軽く片腕で受け止めて、もう片方の腕でギゼンガーの腹部を強烈に殴りつけた。衝撃で彼は浮き上がり、横転している車のあたりまで吹き飛ばされてしまう。羽から鱗粉がこぼれて、周囲に散らばった。
「ぐはっ」
「くだらない心根を振りかざさないこと、ギゼンガー。あなたは勇者になる資格なんてないんだから。それでもそんなふうに私の邪魔をするようなあなたは、偽善者」
ギゼンガーは、倒れたまま動けなかった。腹部は外骨格に覆われていなかったからである。甲虫の大半がそうであるように、ギゼンガーの腹部もまたやわらかいままなのだ。しかし、それでも刺し貫かれなかったことと、彼が即死しなかったことは、彼自身の身体が非常に頑丈にできていることを物語っていた。
だがこの頑丈で、強靭な肉体と引き換えに、彼は『正義』の心を失っている。
そうした取引だったのだ。
怠惰で、世の中全てがくだらないと思っていた少年の下に現れたのは、悪魔の使い。思念体だった。手っ取り早く言えば亡霊で、そいつは少年に問いかけたのだ。
「俺と一緒に世の中を破壊してしまおう、狂わせてしまおうじゃないか」
正義感のある普通の人間なら、相手にもしないだろう、この誘い。だが、世をすねて憎んでいた少年はこの提案を受けた。承諾したのだ。
すると亡霊は、にやりと笑う。まるで、相手が断らないことがわかっていたようだ。
「きっとそう言ってくれると思っていた。お前には、俺が故郷から持ってきたテクノロジーで強靭な肉体を与えてやるぞ。世を混乱させるためなら、『何をしても構わない』から、破壊の限りを尽くせ」
そのような言葉を受け、何日かかけての肉体改造をされた結果、彼は『蛾』の男となってしまった。これで別に構わないんだ、と少年は思った。正義のヒーローに幼い頃は憧れたこともあったけれども、今は悪役となってしまったわけである。
「だが、一つだけ懸念がある。その強い身体を得た慢心と、余計な正義感から、我々を裏切る者が出ないかということだ。そこで、改造するときに、君から感情を一つ消しておいた」
亡霊に改造された人間は、共通して感情を一つ失うことになっている。少年は、「それ」が自分にはいらない感情だと思っていたので、消されたことをなんとも思わなかった。
「そう、あなたには『正義』の心がない」
『蝶』の女はニヤッと笑った。
「世の中のため、平和のため、人類のため、大切な人のため、そんなふうな大義でもって悪に立ち向かう心。それが正義。誰しもが覚える悪への怒り。それが、『正義』の心。私にもそんなものはないけれど」
毒を撒き、逃げる人々を追いかけ殺しまわった『蝶』の女は両腕を広げて語る。
「だから、貴方が私を止めたいと思っているのも、周囲への見栄。うわっつらだけのことよ。つまり、偽善」
「そうだな」
ギゼンガーは否定しなかった。なんとか立ち上がり、腹部を右腕でおさえつつも『蝶』の女を見ている。
それから周囲を見回して、構えた。挑むつもりである。
「偽善を貫くつもりなのね、それは正義とは言わないのよ」
「そう、俺は『偽善』だからな」
彼は指を伸ばし、『蝶』の女を指差した。彼は『偽善』を行う『蛾』の男。
「だから、俺はギゼンガーと名乗る」
「えっ? 本気なの」
「もちろん」
ギゼンガーは陽気に答えた。そこに正義の怒りはない。これほどの血だまりの中にあって、殺戮を行った人物を目の前にしてなお、彼の心に正義はなかった。
「俺は世の中の何が嫌いだったのか、さっきわかったんだよ。わけもなく世を憎んでいた理由は、『退屈』だったからなんだ。つまらないことだらけで、疲れるばかりの世界は俺にとって『退屈』だったんだよ。ところが、こうして力を与えられて、お前みたいな明らかな悪が出てきて、俺はなんだか世界が変わっちまったような気がした」
「だったら、だったら私たちと一緒に悪をはたらけばいいじゃない! そっちのほうが道理よ」
「そうじゃない」
ギゼンガーは首を振った。
「俺は、世の中が憎かったんじゃない。俺に活躍の機会のない、『退屈』が嫌いだったんだ。お前らが出てきてくれたおかげで、俺は戦える。こうして、お前たちから戦う力ももらった。だったら、正義とか悪とか関係なく、どちらについたほうが面白いか、退屈が紛らわせるか、なんて考えなくてもわかるだろう」
「こっ!」
『蝶』の女は唖然とした。ギゼンガーの考えは、彼女の理解の範疇を超えていたからである。
「裏切り者!」
「裏切ってない。世の中を混乱させるために『何をしてもいい』って言ったのはお前たちだ」
そろそろ、ギゼンガーの身体にも毒がまわってきている。あまり時間がないが、しかしギゼンガーは焦らなかった。
「そんなことのために私を倒す、なんて、偽善もいいところだわ」
「そうだな」
「ふん、わかった。あんたがどうしても私を倒すって言うなら、相手になるしかないね」
毒を強く散布し、『蝶』の女は大きく羽ばたいた。
瞬間、たたまれてマントのように下がっていたギゼンガーの羽が大きく開いた! だが、『蝶』の女は毒がそろそろ効いている頃だと知っているので、それを意にも介さず、一気にギゼンガーの首を飛ばすべく、彼に飛び掛った。
ギゼンガーが迎え撃つように放った手刀のほうが、早かった。『蝶』の女の腕が届くよりも早く、ギゼンガーの片手が彼女の身体に食い込む。
ぼきり、とそんな音がして、『蝶』の女の体が真っ二つに折れた。
「やっぱりだ。俺はあんたより、ずっと強い。毒もそう大して効いていないしな。こうして雑魚をいびるだけで賞賛されるのなら、俺は喜んで悪を裏切るね」
「なんて」
『蝶』の女は、自分の胸部と腹部が折れて、完全に分離しているのを見てしまった。これはもう助からないだろうなという予想がつく。
「なんて、偽善。そんな戦い方、いつまでも続くものか! まやかしの正義、偽りの正義め!」
最期の瞬間だと悟り、『蝶』の女はそう叫んだ。ギゼンガーは許しがたい。
その女の頭を、ギゼンガーは空中で自分の足の裏に捕らえた。そのまま一気に地面に押し込み、踏み潰す。まるで虫のように簡単に、『蝶』の女の頭はくしゃりと潰れ、体液がもれた。
戯れのように『蝶』の女が踏み潰した少女を思い出し、ギゼンガーはゆっくりと足をどけた。『蝶』の女が死んでいることは、誰が見てもわかる。
「ふん。なんだ、ちっともいい気分にならないじゃないか。嘘をつきやがって」
それだけを吐き捨てるように言い、それからギゼンガーは毒の影響を避けるために、急いでその場から飛び去ったのだった。飛び上がるときに慌てたので鱗粉がいくらか落ちたが、彼の鱗粉に毒はない。
ギゼンガーが飛び去ったことで下は喧騒に包まれるが、後のことは知らないことだった。
しかし、いくらそうは言ってもやはり気になるのであって、夕方になってから駅前で新聞を買うことにした。ギゼンガーは肉体改造を受ける前の少年の姿に戻り、何食わぬ顔で新聞を買おうとした。しかし、その必要はなかった。号外が出ていたのである。
それに気がついたギゼンガーは一生懸命に配っている人からそっと一枚もらいうけ、人ごみを離れる。開いてみると、一面に大きく出ていた見出しは、『都市部で毒物散布』『被害者57名』といったものだった。犯人の容姿や、自分の活躍についてはまったく触れられていない。あまりにも現実離れした事件なので、報道規制でもかかったのかもしれない。
ちっ、と彼は舌打ちした。
名声、栄誉。欲しかったんだがな。
そんなことを思う。彼は、正義のために戦えない。自分のためにだけ、彼は戦ったのだ。それが全く自分には利益がなかったので、つまらないのである。
まぁいいさ、警察の皆様には俺がどういう存在か、わかっていただけたはず。次の機会を待てばいい。
思いなおして、ギゼンガーは自分の家へと向かって行った。この一件で裏切り者となったにもかかわらず、彼はそれをなんとも思っていない。
早く俺を消すための刺客がやってこないものかね。退屈なんだ、俺は。
正義なきヒーロー・ギゼンガーは、自分のためにしか戦えない。あくまでも、偽善のために。彼は戦う。