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婚約破棄の前に、契約書を差し出したら溺愛が始まりました  作者: swingout777


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9/10

偽証の崩し方(記録で折る)

貴族院の回廊は、石の冷たさがそのまま権力の匂いになっていた。

高い天井。響く足音。

誰もが言葉を選び、誰もが相手の立場を測っている。


私はエイドリアンの隣を歩きながら、胸の奥を押さえていた。

怖い。

でも、その怖さはもう“逃げたい”ではない。

“見落としたくない”になっている。


「視線を上げろ」


エイドリアンが小さく言った。


「俯けば“罪人”に見える」


私は頷き、顔を上げる。

前方の扉が開く。

審問の場。

そこは劇場ではない――記録の場だ。


席にはすでに人が揃っていた。

貴族院記録官、監査局の代表、神殿の立会人。

そして――王太子補佐官。


彼は今日も、丁寧な笑みをまとっている。

まるで昨夜の文書庫での攻防など存在しなかったかのように。


「奥様。

お会いできて光栄です」


私は答えない。

説明しない。

提示するだけ。


議長が槌を打ち、審問が始まった。


「本件は、王宮文書庫における欠番記録の存在および保全。

ならびに、当該欠番に関わる権限行使の適法性について――」


議長は淡々と読み上げた。

淡々だからこそ、逃げ道がない。


「まず、王宮側の説明を」


補佐官が立ち上がり、滑らかな声で言う。


「欠番回収箱は、文書管理上の内部手続きです。

改竄ではなく整理。

また奥様の主張は、私怨に基づく虚偽の告発であり――」


「待て」


エイドリアンが短く遮った。


「“内部手続き”なら、規定文書を提出しろ。

規定の条文、制定日、署名。

口頭で済む話ではない」


補佐官の笑みが微かに揺れる。

だがすぐ戻る。


「もちろん、提出します。

ただし――本日は証人をお連れしています」


証人。

偽証人。

用意してあると言っていた“切り札”。


扉が開き、一人の男が入ってきた。

平民の服。

目は泳ぎ、しかし“言うべき台詞”だけは覚えている顔。


「昨年の学院寄付金事件の件で、証言します」

男はそう言い、私を指さした。

「この女が会計責任者を脅し、金を動かしたのを見ました!」


ざわ、と場が揺れる。

民衆向けの劇なら、ここで拍手が起きる。

でもここは貴族院。

拍手は起きない。代わりに、記録官のペンが動く。


議長が問う。


「証人、名を名乗れ」


男が名乗る。

私はその名を心に刻む。

名は、記録される。

記録されれば、逃げにくい。


補佐官が丁寧に言う。


「彼は当時、学院の倉庫係として勤務していました。

事件の日、奥様が――」


「証人」


私が口を開いた。

補佐官ではなく、男に向けて。


「事件の日付を言ってください」


男が一瞬止まる。

だがすぐに答える。


「去年の春、三月の終わりだ!」


「具体的に」


「……え?」


「日にちです。

三月の何日ですか」


男の目が泳ぐ。

用意した台詞に“何日”はない。


「……二十、二十六日……だ」


「時間は」


「夕方……」


私は頷いた。

ここまで聞けば十分。


「では記録を提示します」


私は書類袋から一枚の紙を取り出し、議長へ提出した。

貴族院記録官が受け取り、全員に回覧する。


「その日付の夕方、私は王宮の文書庫で受領をしています。

受領票番号――」


私は番号は言わない。

だが、受領票の写しがある。

そして神殿の宣誓記録もある。


「受領票は欠番として消されました。

しかし“消した側”が、欠番回収箱にメモを残しています」


補佐官の笑みが、一瞬で消えた。


議長が眉をひそめる。


「欠番回収箱のメモ?」


私は続ける。


「貴族院へ届いた写しの中に、欠番メモの写しが含まれています。

そこにこうあります――

『欠番27―4―(リュシア)/事件日に文書庫受領あり。存在を削除』」


場が静まる。


男が、顔を青くした。

彼は知らない。

自分が言った日付が、既に詰んでいることを。


私は男へ視線を向けた。


「証人。

あなたは“私が夕方に倉庫で脅した”のを見たと言いました。

でも私は同時刻、王宮の文書庫にいた。

――あなたは、どちらを見たのですか」


男の口が開閉する。

言葉が出ない。


補佐官が割り込もうとする。


「奥様、受領票は改竄された可能性が――」


「改竄ではない」


エイドリアンが冷たく言う。


「改竄なら“改竄痕”が出る。

だが欠番処理は“正規権限”で行われている。

つまり、改竄ではなく権限乱用だ」


補佐官の眉が動いた。

彼は、言葉を選び直す。


「……では証人は、日付を勘違いしていたのでしょう」


「では、別の記録を」


私は二枚目を出した。

今度は“証人の勤務記録”。


「証人と名乗った方の学院勤務記録です。

事件の年、彼は倉庫係ではありません。

――前月に解雇されています」


空気が凍る。

記録官のペンが止まらない。


男が青ざめ、膝が震える。

補佐官の笑みは戻らない。


議長が低く問う。


「証人。勤務記録に反論は?」


男は口を開いた。

だが、声が出ない。

出せば、嘘が確定するから。


その瞬間、私は理解した。

偽証人は“崩す”のではない。

“自滅させる”。

問いを重ね、記録を出し、逃げ道を塞ぐ。

最後に、本人に沈黙させる。


議長が槌を打つ。


「証言は信用に足らない。

虚偽証言の疑いとして、身柄を監査局へ引き渡す」


男が崩れ落ちた。

泣き叫ぶでもない。

ただ、終わった顔をしている。


補佐官が口を開く。

その声は丁寧だが、硬い。


「……議長。

欠番回収箱の存在があったとしても、

それが即ち不正の証明には――」


「ある」


私は短く言った。

そして、三つ目の紙を出す。


「封印の矛盾です」


議長が眉を上げる。


「矛盾?」


「欠番回収箱には、複数の封印が重ねられていました。

昨夜、補佐官が“保全のため”と新たに封印を追加しました」


補佐官の目が細くなる。


「それが何だと?」


私は答える。


「封印は順番が重要です。

“最後に押した封印”が、最後に触れた人間を示す」


私は神殿の立会人へ視線を向けた。

彼が頷く。

神殿は、昨夜の出来事を台帳に記録している。

誰が何をしたか。


私は続けた。


「貴族院が回収箱を保全するために、本日朝、封印確認を行ったところ――

補佐官が押した封印の下に、“新しい封蝋”がありました」


場がざわつく。


議長が鋭く問う。


「つまり、封印後に開けられたと?」


「はい」


私は淡々と言う。


「封印が“増えた”のに、さらに“新しい封蝋”が下にある。

これは、封印の順番が入れ替わっている。

つまり――誰かが封印を剥がし、開け、貼り直した」


補佐官の顔色が変わった。

一瞬だけ。

だが、ここは記録の場。

一瞬の変化が、致命になる。


エイドリアンが追い打ちする。


「箱を開けた者は、欠番の束を動かした者だ。

動かした者は、記録を消そうとした者だ」


議長が、補佐官を見た。


「補佐官。

封印の順番の矛盾について、説明せよ」


補佐官の喉が動く。

彼は、今まで“丁寧な笑み”で逃げてきた。

だが逃げられない。

ここには神殿の記録官も、監査局も、貴族院もいる。


説明すれば嘘が残る。

沈黙すれば疑いが確定する。


補佐官は、ゆっくりと笑みを作った。

しかし、その笑みはもう薄かった。


「……私の封印が“最後”とは限りません。

文書庫管理者が、その後に――」


「管理者は今、出頭命令中だ」


議長が冷たく言う。


「そして、封印の印章照合も行う。

――虚偽があれば、王宮全体に波及するぞ」


補佐官の目が、初めて私を“殺す”目になった。

その目が、私の背中を刺す。


でも、私は目を逸らさない。

証人だ。

消されるぐらいなら燃やす、と決めた。


私は最後に、短く言った。


「補佐官。

あなたは“記録を消す側”です。

なら、あなた自身も――記録に残ります」


議長が槌を打ち、宣言した。


「欠番回収箱を、貴族院管理下に移す。

封印照合と印章鑑定を直ちに開始。

関係者は全員、監査局の聴取に応じよ」


その瞬間、補佐官が微笑んだ。

微笑んで――静かに言った。


「では、次は“奥様の鍵”を回収しましょう。

――あなたの実家は、もう包囲しています」


実家。

包囲。


私の血が、冷たくなった。

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