偽証の崩し方(記録で折る)
貴族院の回廊は、石の冷たさがそのまま権力の匂いになっていた。
高い天井。響く足音。
誰もが言葉を選び、誰もが相手の立場を測っている。
私はエイドリアンの隣を歩きながら、胸の奥を押さえていた。
怖い。
でも、その怖さはもう“逃げたい”ではない。
“見落としたくない”になっている。
「視線を上げろ」
エイドリアンが小さく言った。
「俯けば“罪人”に見える」
私は頷き、顔を上げる。
前方の扉が開く。
審問の場。
そこは劇場ではない――記録の場だ。
席にはすでに人が揃っていた。
貴族院記録官、監査局の代表、神殿の立会人。
そして――王太子補佐官。
彼は今日も、丁寧な笑みをまとっている。
まるで昨夜の文書庫での攻防など存在しなかったかのように。
「奥様。
お会いできて光栄です」
私は答えない。
説明しない。
提示するだけ。
議長が槌を打ち、審問が始まった。
「本件は、王宮文書庫における欠番記録の存在および保全。
ならびに、当該欠番に関わる権限行使の適法性について――」
議長は淡々と読み上げた。
淡々だからこそ、逃げ道がない。
「まず、王宮側の説明を」
補佐官が立ち上がり、滑らかな声で言う。
「欠番回収箱は、文書管理上の内部手続きです。
改竄ではなく整理。
また奥様の主張は、私怨に基づく虚偽の告発であり――」
「待て」
エイドリアンが短く遮った。
「“内部手続き”なら、規定文書を提出しろ。
規定の条文、制定日、署名。
口頭で済む話ではない」
補佐官の笑みが微かに揺れる。
だがすぐ戻る。
「もちろん、提出します。
ただし――本日は証人をお連れしています」
証人。
偽証人。
用意してあると言っていた“切り札”。
扉が開き、一人の男が入ってきた。
平民の服。
目は泳ぎ、しかし“言うべき台詞”だけは覚えている顔。
「昨年の学院寄付金事件の件で、証言します」
男はそう言い、私を指さした。
「この女が会計責任者を脅し、金を動かしたのを見ました!」
ざわ、と場が揺れる。
民衆向けの劇なら、ここで拍手が起きる。
でもここは貴族院。
拍手は起きない。代わりに、記録官のペンが動く。
議長が問う。
「証人、名を名乗れ」
男が名乗る。
私はその名を心に刻む。
名は、記録される。
記録されれば、逃げにくい。
補佐官が丁寧に言う。
「彼は当時、学院の倉庫係として勤務していました。
事件の日、奥様が――」
「証人」
私が口を開いた。
補佐官ではなく、男に向けて。
「事件の日付を言ってください」
男が一瞬止まる。
だがすぐに答える。
「去年の春、三月の終わりだ!」
「具体的に」
「……え?」
「日にちです。
三月の何日ですか」
男の目が泳ぐ。
用意した台詞に“何日”はない。
「……二十、二十六日……だ」
「時間は」
「夕方……」
私は頷いた。
ここまで聞けば十分。
「では記録を提示します」
私は書類袋から一枚の紙を取り出し、議長へ提出した。
貴族院記録官が受け取り、全員に回覧する。
「その日付の夕方、私は王宮の文書庫で受領をしています。
受領票番号――」
私は番号は言わない。
だが、受領票の写しがある。
そして神殿の宣誓記録もある。
「受領票は欠番として消されました。
しかし“消した側”が、欠番回収箱にメモを残しています」
補佐官の笑みが、一瞬で消えた。
議長が眉をひそめる。
「欠番回収箱のメモ?」
私は続ける。
「貴族院へ届いた写しの中に、欠番メモの写しが含まれています。
そこにこうあります――
『欠番27―4―(リュシア)/事件日に文書庫受領あり。存在を削除』」
場が静まる。
男が、顔を青くした。
彼は知らない。
自分が言った日付が、既に詰んでいることを。
私は男へ視線を向けた。
「証人。
あなたは“私が夕方に倉庫で脅した”のを見たと言いました。
でも私は同時刻、王宮の文書庫にいた。
――あなたは、どちらを見たのですか」
男の口が開閉する。
言葉が出ない。
補佐官が割り込もうとする。
「奥様、受領票は改竄された可能性が――」
「改竄ではない」
エイドリアンが冷たく言う。
「改竄なら“改竄痕”が出る。
だが欠番処理は“正規権限”で行われている。
つまり、改竄ではなく権限乱用だ」
補佐官の眉が動いた。
彼は、言葉を選び直す。
「……では証人は、日付を勘違いしていたのでしょう」
「では、別の記録を」
私は二枚目を出した。
今度は“証人の勤務記録”。
「証人と名乗った方の学院勤務記録です。
事件の年、彼は倉庫係ではありません。
――前月に解雇されています」
空気が凍る。
記録官のペンが止まらない。
男が青ざめ、膝が震える。
補佐官の笑みは戻らない。
議長が低く問う。
「証人。勤務記録に反論は?」
男は口を開いた。
だが、声が出ない。
出せば、嘘が確定するから。
その瞬間、私は理解した。
偽証人は“崩す”のではない。
“自滅させる”。
問いを重ね、記録を出し、逃げ道を塞ぐ。
最後に、本人に沈黙させる。
議長が槌を打つ。
「証言は信用に足らない。
虚偽証言の疑いとして、身柄を監査局へ引き渡す」
男が崩れ落ちた。
泣き叫ぶでもない。
ただ、終わった顔をしている。
補佐官が口を開く。
その声は丁寧だが、硬い。
「……議長。
欠番回収箱の存在があったとしても、
それが即ち不正の証明には――」
「ある」
私は短く言った。
そして、三つ目の紙を出す。
「封印の矛盾です」
議長が眉を上げる。
「矛盾?」
「欠番回収箱には、複数の封印が重ねられていました。
昨夜、補佐官が“保全のため”と新たに封印を追加しました」
補佐官の目が細くなる。
「それが何だと?」
私は答える。
「封印は順番が重要です。
“最後に押した封印”が、最後に触れた人間を示す」
私は神殿の立会人へ視線を向けた。
彼が頷く。
神殿は、昨夜の出来事を台帳に記録している。
誰が何をしたか。
私は続けた。
「貴族院が回収箱を保全するために、本日朝、封印確認を行ったところ――
補佐官が押した封印の下に、“新しい封蝋”がありました」
場がざわつく。
議長が鋭く問う。
「つまり、封印後に開けられたと?」
「はい」
私は淡々と言う。
「封印が“増えた”のに、さらに“新しい封蝋”が下にある。
これは、封印の順番が入れ替わっている。
つまり――誰かが封印を剥がし、開け、貼り直した」
補佐官の顔色が変わった。
一瞬だけ。
だが、ここは記録の場。
一瞬の変化が、致命になる。
エイドリアンが追い打ちする。
「箱を開けた者は、欠番の束を動かした者だ。
動かした者は、記録を消そうとした者だ」
議長が、補佐官を見た。
「補佐官。
封印の順番の矛盾について、説明せよ」
補佐官の喉が動く。
彼は、今まで“丁寧な笑み”で逃げてきた。
だが逃げられない。
ここには神殿の記録官も、監査局も、貴族院もいる。
説明すれば嘘が残る。
沈黙すれば疑いが確定する。
補佐官は、ゆっくりと笑みを作った。
しかし、その笑みはもう薄かった。
「……私の封印が“最後”とは限りません。
文書庫管理者が、その後に――」
「管理者は今、出頭命令中だ」
議長が冷たく言う。
「そして、封印の印章照合も行う。
――虚偽があれば、王宮全体に波及するぞ」
補佐官の目が、初めて私を“殺す”目になった。
その目が、私の背中を刺す。
でも、私は目を逸らさない。
証人だ。
消されるぐらいなら燃やす、と決めた。
私は最後に、短く言った。
「補佐官。
あなたは“記録を消す側”です。
なら、あなた自身も――記録に残ります」
議長が槌を打ち、宣言した。
「欠番回収箱を、貴族院管理下に移す。
封印照合と印章鑑定を直ちに開始。
関係者は全員、監査局の聴取に応じよ」
その瞬間、補佐官が微笑んだ。
微笑んで――静かに言った。
「では、次は“奥様の鍵”を回収しましょう。
――あなたの実家は、もう包囲しています」
実家。
包囲。
私の血が、冷たくなった。




