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婚約破棄の前に、契約書を差し出したら溺愛が始まりました  作者: swingout777


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8/10

反逆の要件(門前の逆転)

「罪状は“国家反逆”」


朝の光の中で、その言葉だけが黒かった。

神殿の門前に並ぶ騎士たちは、動かない。

動かないまま、圧だけを押しつけてくる。


私は、ゆっくり息を吸った。

怖い。

でも、怖さはもう“手順”に変わっている。


エイドリアンが一歩前へ出る。

外套が風を含み、背中が大きく見えた。


「誰の命令だ」


先頭の騎士が答える。


「王命。

王宮より発せられた正式な命令である」


「文書は」


騎士が言葉を詰まらせた。

ほんの一瞬。

だがその一瞬が、観客になりかけている者たちの心を揺らす。


神殿の門前には、すでに人が集まり始めていた。

早朝の祈りに来た民。

神殿の使用人。

通りかかった商人。

噂は夜明けと同時に走る。


「文書は後ほど――」


「後ほどでは遅い」


エイドリアンが切る。


「拘束は“今”だろう。

なら命令書も“今”だ。

理由、署名、証人、罪状の要件。

それがない拘束は誘拐と同じだ」


騎士の目が揺れる。

“誘拐”という単語は、剣より刺さる。

記録になった瞬間、騎士団は責任を背負う。


その時、神殿の聖職者が門内から出てきた。

年配の男。

昨夜、私の宣誓を台帳に記した人だ。


「神殿は、この女性の保護を宣言しています」


聖職者の声は静かだった。

静かだからこそ、門前の空気を支配する。


「この場での拘束は、神殿への侵害となります」


騎士は眉をひそめた。

彼は“命令”を遂行する者だ。

だが、神殿へ踏み込めば政治が揺れる。

それも彼の首が飛ぶ種類の揺れだ。


騎士が声を固くする。


「彼女は反逆の疑いがある。

神殿といえど、王命を妨げることは――」


「妨げていない」


私は口を開いた。

声は震えなかった。

不思議と、呼吸が整っている。


「確認しています。

反逆罪の要件を満たす証拠があるのか、を」


騎士が私を睨む。


「疑いは十分だ。

王家に対する告発、記録の流布、秩序の破壊――」


「秩序の破壊は、反逆ではありません」


私は短く言った。

説明しない。

提示する。


「反逆は、国家権力の転覆、または敵対勢力への加担が要件です。

私は何を転覆しましたか。誰に加担しましたか。

――“敵”の名を言えますか」


門前が静まった。

民衆の中に、息を呑む音が走る。

“敵の名を言え”は、強い。

言えなければ、反逆はただのラベルになる。


騎士が詰まる。


「……それは、調査中だ」


「調査中なら、拘束は越権です」


エイドリアンが淡々と追い打ちする。


「調査のために拘束するなら、拘束理由と期間と手続きを示せ。

それがない拘束は、合法ではない」


騎士は歯を食いしばった。

そして、次のカードを切る。


「では――王宮へ“招致”する。

拘束ではない。任意だ」


任意。

便利な言葉。

けれど私は、首を横に振った。


「任意なら、拒否できます」


きっぱり言うと、周囲がざわついた。

“拒否できるんだ”という空気。

民衆は、権力が万能ではないことを見たがっている。


騎士が苛立ちを隠せなくなる。


「なら、なぜ神殿に籠もる。

やましいからだろう」


その言葉に、私は笑ってしまった。

乾いた笑い。

でも嘲笑ではない。

諦めの笑いでもない。


「神殿に来たのは、昨夜、私の寝室に侵入者があったからです」


ざわっ、と空気が反転する。

“侵入者”。

“寝室”。

それは誰にとっても分かりやすい危険だ。


騎士が目を見開く。


「そのような話、聞いていない」


「当然です。

記録は消されるから」


私は言った。

そして、聖職者を見る。

聖職者が頷く。


「神殿の台帳に記録しています。

奥様は昨夜、命の危険を訴え、宣誓のうえ証言を保全しました」


“台帳に記録”。

その言葉が、門前の空気を決定づけた。


騎士は、明らかに揺らいだ。

ここで強引に拘束すれば、神殿の台帳に“王宮の越権”が残る。

残った記録は消しにくい。

消せば、神殿と王宮の対立になる。


騎士は視線を動かし、背後へ合図した。

すると、別の騎士が前へ出てきた。

王宮の印のついた封筒を持っている。


「……命令書だ」


先頭の騎士が言った。

遅すぎる。

でも、出してきた。

つまり、門前の空気が“必要”を作った。


エイドリアンが封筒を受け取り、封を切る。

紙が擦れる音。

彼の目が走り、止まる。


「……罪状は反逆。根拠は“王家への虚偽の告発”」


エイドリアンが紙を軽く持ち上げた。

民衆に見えるように。

見せるだけで、力が変わる。


「証拠は?」


騎士が硬い声で言う。


「証拠は王宮で提示する」


「なら王宮へ行けば、口を塞がれる」


私は思わず言った。

そして、言ってしまったことを理解する。

でも遅くない。

ここは神殿の門前。

証人がいる。


エイドリアンが私の言葉を拾うように言った。


「王宮でしか提示しない証拠は、証拠ではない。

提示の自由がない。反論の自由がない。

それは裁きではなく、処理だ」


処理。

その単語が刺さる。

人を“処理”する。記録を“処理”する。

同じだ。


騎士が声を荒げた。


「公爵様!

王命を侮辱する気か!」


「王命を守るために言っている」


エイドリアンの声が冷たい。


「王命が合法であるために、証拠と手続きが必要だ。

それがないなら、王命の信用が死ぬ」


騎士の拳が震える。

その時、遠くから馬蹄の音が響いた。

別の急使だ。


「貴族院より通達!」


急使が門前に駆け込み、声を上げる。


「昨夜届いた写しに基づき、

“欠番記録の保全”と“関係者の出頭命令”を発する!

王太子補佐官、文書庫管理者、監査局担当者――今すぐ貴族院へ!」


門前が、どよめいた。

写し。

届いた。

回収不能。

貴族院が動いた。


騎士の顔色が変わる。

反逆で拘束している暇ではない。

貴族院が動いたら、騎士団は迂闊に動けない。

動けば“妨害”の記録になる。


私は胸の奥で、静かに息を吐いた。

勝ち筋が、目に見える形になった。


エイドリアンが騎士へ言う。


「聞いたな。

今、国の正式な手続きが動いた。

君がここで彼女を拘束すれば、貴族院の命令に背くことになる」


騎士は歯を食いしばり、剣の柄に触れた。

しかし抜かない。

抜けば終わる。


聖職者が静かに言った。


「神殿は、彼女の身柄を守ります。

貴族院の場で、合法な形で真実が示されるなら――それでよい」


門前の空気が、ゆっくりと決まる。

王宮騎士団は、動けない。


先頭の騎士が、悔しそうに吐き捨てる。


「……本日は、引く」


引く。

その言葉に、私は肩から力が抜けそうになった。

でも、ここで緩んではいけない。

相手は“引いた”だけで、“諦めた”わけではない。


エイドリアンが私の耳元で低く言う。


「ここからが本番だ。

反逆のラベルを貼った時点で、相手は引けない。

次は――貴族院で、決定的に折る」


私は頷いた。

怖い。

でも、怖いまま前へ進める。


騎士団が退いた直後、神殿の影から一人の男が現れた。

王太子補佐官――あの丁寧な笑みの男。


彼は拍手するように指を鳴らし、にこやかに言った。


「素晴らしい。

では次は、貴族院で“奥様の証拠が偽造だ”と証明しましょう。

――証人も、もう用意してあります」


用意してある。

“偽証”の準備が。


私は、冷たく笑った。


「なら、こちらも用意します」

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