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婚約破棄の前に、契約書を差し出したら溺愛が始まりました  作者: swingout777


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3/10

悪役の証拠棚卸し

侍女の声は、扉の向こうで震えていた。

その震えは、恐怖よりも“興奮”に近い。


「殿下が……奥様の過去を皆の前で語ると……!」


舞踏会場の方から、どよめきが立つ。

拍手はない。代わりに、期待のざわめき。

人は正義よりも、他人の転落を見たいのだ。


私は椅子から立ち上がった。

胸の奥が冷える。

けれど、足は止まらない。


「行きます」


口から出た声は、驚くほど落ち着いていた。


エイドリアンが私の前に立つ。

背中で扉を遮るようにして、低く言った。


「行くのはいい。だが、条件がある」


「条件?」


「君は“説明”するな」


私は瞬きした。


「説明、ですか」


「弁明も、釈明も。

相手の土俵に乗る行為だ。

今夜、君がやるのは“提示”だ。記録を出し、矛盾を示し、終わらせる」


彼は契約書を一枚抜き取り、折らずに胸ポケットへ入れた。

まるで剣を差すみたいに。


「そして、言葉は短く。

観客に理解させるのは俺がやる。君は証拠だけ出せ」


「……分かりました」


分かった、と言った瞬間。

私は気づく。


この人は、私を守るために前に立つのではない。

私が倒れないように、私の“勝ち方”を整えている。


扉が開く。

廊下の空気が冷たい。


「奥様……!」


侍女が泣きそうな顔で頭を下げた。

彼女の視線は、私の胸元――鍵があった場所へ向く。

鍵はもうない。

けれど、私はそれで良かった。

持っているだけでは、武器にならない。


舞踏会場に戻ると、視線が刺さる。

扇の陰、グラスの縁、宝石の光。

それらがすべて“目”になって、私を値踏みしている。


そして中央。

王太子が高い壇の上で、勝利の顔を作っていた。


「皆、聞いてほしい!」


その声はよく通る。

この場を劇場だと信じている声だ。


「リュシア・アルフェンは、長年にわたり私の婚約者としてふさわしくない行いを重ね――」


“ふさわしくない”。

便利な言葉。何でも入る。証拠がいらない。


王太子の隣には、あの取り巻き令嬢が立っている。

涙を浮かべ、胸元に手を当て、被害者の型を完璧に演じていた。


「彼女は私の善意を踏みにじり、周囲を傷つけ、無辜の者を陥れた!」


どよめき。

同情のため息。

もう一歩で拍手が起こるところだった。


「昨年の春、学院の寄付金が失われた事件――犯人は彼女だ!

彼女が、私の名を――」


「殿下」


エイドリアンの声が、会場を切り裂いた。


王太子が言葉を止める。

観客が息を止める。

舞台の中心が、王太子からエイドリアンへ移る。


「続けるなら、条件を整えろ」


「条件だと?」


「証拠だ。今、殿下が語っているのは“犯罪”の話だ。

名誉の話ではない。罪の話だ。

ならば、証拠と手続きが必要だろう」


王太子は笑った。

笑ってしまえば勝てると思っている笑い方。


「公爵。これは婚約破棄の事情説明だ。証拠など――」


「必要だ」


エイドリアンは淡々と繰り返した。

その淡々が、会場の空気を冷やす。

冷えると、正義の熱狂は続かない。


「殿下が“罪”を語るなら、リュシアは“反証”を語る権利を持つ。

今夜は、その場だ」


王太子の目が細くなる。

彼は気づいている。

今夜の流れが、既に自分の想定から外れていることに。


「――リュシア。前へ」


エイドリアンが言う。

私は一歩、壇の下へ進んだ。

視線が集中し、喉が乾く。


けれど、私は“説明しない”。

私は“提示する”。


私は手元の小さな書類袋を開き、最初の一枚を取り出した。

白い紙。

ただの紙。

それが、今夜の命綱になる。


「学院寄付金事件。

殿下が今、犯人は私だと言いました」


私はそこで止める。

長く言わない。

エイドリアンの言いつけ通りに。


「はい、そうだ!」


王太子が被せる。

観客に“勢い”を取り戻したいのだ。


私は紙を掲げた。

見えるように。

誰が見ても“公文書”だと分かる形式。


「これは、学院の会計監査報告書です。

寄付金の出金は、私の名義では不可能でした。

出金権限は、会計責任者と理事長の二名に限定されています」


ざわめきが変質する。

期待から、疑いへ。


王太子が顔を歪めた。


「そんなもの、後から作れる!」


「作れません」


私は短く言い、次の紙を出す。


「監査報告書には、王宮監査局の印がある。

改竄すれば、印の台帳に記録が残ります」


私は“印の台帳”という言葉だけを置く。

説明しない。

理解したい者が、自分で理解する。


取り巻き令嬢が口を開いた。


「でも、リュシア様が裏で会計責任者を脅して――」


「証言者の名前を」


エイドリアンが即座に切った。


「今、誰が、どこで、何を見たと言った。

言えるな?」


取り巻き令嬢は瞬きをする。

彼女は“雰囲気”で勝つつもりだった。

具体を出せば、穴が見える。

だから言えない。


「……そ、それは……」


会場が静まる。

沈黙は、嘘を浮かび上がらせる。


私は次の紙を出す。

今度は、署名付きの申立書。


「会計責任者は、事件当日、私と接触していません。

これは本人の署名です。

そして――」


私は最後に、最も小さな紙片を出した。

受領票。

日付と番号だけが記された、無機質な証拠。


「事件当日、私は王宮の文書庫にいました。

受領票が残っています」


王太子の顔色が変わる。

彼は知らなかった。

私が“記録”を集めていたことを。


どよめきが、今度は私に向けて広がる。

拍手ではない。

もっと怖いもの。

人が“真実”に気づき始める音。


王太子が、声を荒らげた。


「そんな紙、いくらでも用意できる!

お前はずっと、私を欺いて――」


「殿下」


エイドリアンが冷たく遮った。


「“欺き”という言葉は便利だな。

だが証拠の前では、ただの泣き言だ」


会場に、息を呑む音が走る。


王太子が、怒りで唇を震わせる。

そして彼は、次の矢を放った。


「ならば、次だ!

リュシアは私の名を使い、商会から賄賂を受け取った!

この令嬢は――」


「商会の名前を」


エイドリアンの声が、また切る。


王太子が詰まる。

名前を出せば、その商会に問い合わせが飛ぶ。

記録が動く。

矛盾が露呈する。


「……っ」


私は、王太子の焦りを見て確信した。


彼は、台本を読んでいるだけだ。

実際に調べたことはない。

誰かが書いた“悪役令嬢の罪状リスト”を、舞台で読み上げているだけ。


なら――勝てる。


私は、静かに言った。


「殿下。

罪状は、いくつありますか」


会場がざわつく。

その問いは、彼の台本を暴く問いだ。


王太子が叫ぶ。


「数など関係ない! お前が悪だ!」


「数は関係あります」


私は、淡々と続ける。


「罪状が多いほど、証拠も多いはずです。

でも今夜、殿下が出した証拠は――ゼロです」


沈黙。

その沈黙が、会場の天井まで張り詰める。


エイドリアンが一歩前へ出て、低く告げた。


「今夜はここまでだ。

殿下が“罪”を語るなら、明日、貴族院の手続きに乗せる。

証拠を揃えて来い。

揃えられないなら――揃えられないと、国中に記録が残る」


王太子の顔が、白くなる。


私は最後に、短くだけ言った。


「殿下。

私の名誉は、口で奪えません。

記録が、私を守ります」


その瞬間。

会場の空気が、完全に反転した。


拍手は起こらない。

代わりに、貴族たちが互いの顔を見合わせる。

“どちらに付くべきか”を計算し始める顔だ。


私は、勝った。

まだ小さく。

でも確かに。


控室へ戻る途中、侍女が蒼白で駆け寄ってきた。


「奥様……文書庫の受領票が、今、消されたと……!

台帳から番号が――」


私は足を止めた。

消された。記録が。


――つまり、相手は“記録を消す力”を持っている。


エイドリアンが低く言う。


「やっと本丸が出てきたな」

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