包囲の逆手(最後の裁き)
「あなたの実家は、もう包囲しています」
補佐官の声は、丁寧だった。
丁寧なまま、刃を差し込む。
私の血が冷たくなる。
実家。
父と母。使用人。領民。
私だけの戦いではないと分かっていたのに、心が一瞬で揺れた。
――脅しは、効く。
守りたいものがあるほど、効く。
だからこそ私は、息を吸った。
怖いまま、手順に戻す。
「……包囲の目的は何ですか」
補佐官が目を細める。
「奥様が握っている“鍵”――
それに繋がる資料の回収です。
国家反逆の証拠として、押収します」
「反逆の証拠?」
私は笑った。
乾いた笑い。
でも今度は、はっきりとした嘲笑だった。
「あなたはずっと、“証拠は王宮で提示する”と言いました。
でも結局、証拠が欲しいのはあなたでしょう」
補佐官の笑みが薄くなる。
「言葉遊びです」
「言葉遊びではありません。記録の話です」
私は淡々と言う。
そして視線を議長へ向けた。
「議長。
実家の包囲は、私への圧力であり、証人妨害です。
貴族院の審問中に行うのは、手続きの侵害です」
議長の目が鋭くなる。
貴族院の権威を侵された形になるからだ。
「補佐官。事実か」
補佐官は一拍置いて答えた。
「王宮の治安維持の一環です。
貴族院の権威を侵す意図は――」
「意図ではなく行為だ」
議長が冷たく切り捨てた。
場の空気がさらに硬くなる。
エイドリアンが私へ、ごく小さく頷いた。
――合図。
ここで“逆手”を打つ。
私は、懐から小さな封筒を取り出した。
無地。封蝋は薄い。
だが、そこに押された印は――神殿の印章。
「すでに“外”へ出しています」
補佐官の目が、初めて大きく動いた。
「何を……」
「鍵の内容の写しです。
昨夜、神殿で宣誓し、分割した告発文を保全しました。
さらに今朝――貴族院・監査局・神殿の三者に、分割した写しが届いています」
私は言い切った。
回収不能。
もう戻らない。
補佐官の笑みが消えた。
消えると、顔に“素”が出る。
苛立ちと焦り。
そして、怒り。
「虚偽だ」
「虚偽なら、照合できます」
私は短く返す。
「分割した三通を揃えれば全体像が完成します。
一通だけ奪っても意味がない。
実家を包囲しても、もう遅い」
補佐官の拳が震えた。
彼は、初めて“負け”を認めかけている。
議長が監査局の代表へ目を向けた。
「監査局。写しは受領しているか」
監査局代表が頷く。
「受領済み。
内容は重大。関係者名を含む部分について、すでに照合を開始している」
神殿の立会人も言う。
「神殿も、全体像部分を保全済み。
奥様の宣誓記録は台帳に残っている」
補佐官は、もう“否定”だけでは足りない。
ここからは“責任の押し付け”に切り替えるしかない。
彼は、ゆっくりと立ち上がり、視線を私から逸らして言った。
「……全ては殿下の善意です」
来た。
善意。
間違った善意。
責任を霧散させる魔法の言葉。
「殿下は国のために、混乱を鎮めようとした。
奥様が感情で暴走し、国家を揺るがせた。
欠番回収箱も、秩序維持のための――」
「秩序維持なら、なぜ封印を貼り直した」
エイドリアンが静かに問う。
そして続ける。
「秩序維持なら、なぜ偽証人を連れてきた」
補佐官が口を開く。
だが言葉が出ない。
議長が槌を打つ。
「補佐官。
封印照合の結果、あなたの印章が“貼り直し”に関与した可能性が高い。
虚偽証言の手配も疑われる。
――ここで確認する。あなたは誰の命令で動いた」
補佐官の目が動く。
逃げ道を探す目。
しかし逃げ道は、もうない。
「私は……」
「命令者の名を」
議長の声が低い。
補佐官の唇が震えた。
それでも彼は、最後の抵抗を選んだ。
「私は、王宮の秩序のために独断で――」
「独断ではない」
その声は、扉の外から届いた。
入ってきたのは、文書庫管理者だった。
顔色は土のように悪い。
しかし目は決まっている。
背後には監査局の者がいる。
「……私は、補佐官殿から命じられました。
欠番回収箱の扱いを“整えろ”と。
そして……殿下の名を出されました」
場が凍る。
補佐官の顔が青ざめる。
「黙れ」
「黙れません」
管理者の声は震えていた。
震えながらも、言葉ははっきりしている。
「昨夜、箱を移管する文書に押印するよう迫られました。
拒否すれば“反逆に加担した”と――」
反逆のラベル。
それを、脅しに使っていた。
議長が冷たく言う。
「――よろしい。
監査局、補佐官を拘束。
事情聴取を開始せよ」
騎士が動く。
補佐官が一歩退こうとする。
だが逃げられない。
補佐官は私を睨み、最後の刃を投げるように言った。
「奥様。
あなたが勝っても、失うものはありますよ」
「あります」
私は答えた。
短く。
そして、続ける。
「でも、失う前に――残します。
記録も、名も、選ぶ権利も」
補佐官が連行される。
場の空気が、一気に軽くなる。
けれど、まだ終わりではない。
本丸は――王太子だ。
議長が宣言する。
「本件は、王太子殿下の責任も含め再調査とする。
欠番処理の指示系統、及び“反逆”の乱用について――」
その瞬間、扉が開き、王宮の使者が飛び込んできた。
「議長!
殿下より通達!
本審問は王権を侵害するため、即時停止を――」
議長は目もくれず、槌を打った。
「却下する。
貴族院の審問は、王権を侵害しない。
王権を“合法”に保つためにある」
使者が言葉を失う。
私は、そこで初めて深く息を吐いた。
勝った。
完全には終わっていない。
でも、流れは変わった。
エイドリアンが私の耳元で低く言った。
「ここからは政治だ。
君の名誉は回復する。
だが……君はどうする。契約の期限を、どうする」
契約。
一年。更新は双方合意。
自動更新なし。
私は、胸の奥を見つめた。
この人は合理で始めた。
私は盾として始めた。
でも、ここまで来たら盾だけではない。
私は顔を上げ、エイドリアンを見た。
「期限は――」
言いかけて、私は笑ってしまった。
泣き笑いではない。
少しだけ、温かい笑い。
「……“期限なし”に書き換えたいです。
ただし、条件があります」
エイドリアンの眉が上がる。
「条件?」
「対等でいること。
私が犠牲にならないこと。
私が選べること」
エイドリアンは一拍置き、ゆっくり頷いた。
「いい。
俺も条件を出す」
「何ですか」
彼は、珍しく言葉を選ぶように口を開いた。
「君が怖い時は、怖いと言え。
――契約書に書かなくてもいい部分で、俺に言え」
胸の奥が熱くなった。
契約では守れないところを、言葉で守る。
それは、少しだけ怖い。
でも、選べるなら。
私は頷いた。
「……はい」
エイドリアンが私の手を取った。
公の場で。
でも、誰のためでもない形で。
「帰ろう、リュシア」
初めて、私の名を呼んだ。
「君の名は、もう消えない」
数日後。
欠番回収箱は貴族院の監査で解体され、封印の貼り直しは“記録改竄未遂”として公式に残った。
王太子派は勢いを失い、破棄劇は“未遂”として記録に刻まれた。
私は、公爵邸の机で、新しい契約書に署名した。
期限欄には、ただ一言。
「期限なし」
そして、その下に私の手で付け足す。
「対等として選ぶ」
エイドリアンが笑って言った。
「なら、毎日選び直せ」
私は答える。
「はい。今日も」




