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婚約破棄の前に、契約書を差し出したら溺愛が始まりました  作者: swingout777


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包囲の逆手(最後の裁き)

「あなたの実家は、もう包囲しています」


補佐官の声は、丁寧だった。

丁寧なまま、刃を差し込む。


私の血が冷たくなる。

実家。

父と母。使用人。領民。

私だけの戦いではないと分かっていたのに、心が一瞬で揺れた。


――脅しは、効く。

守りたいものがあるほど、効く。


だからこそ私は、息を吸った。

怖いまま、手順に戻す。


「……包囲の目的は何ですか」


補佐官が目を細める。


「奥様が握っている“鍵”――

それに繋がる資料の回収です。

国家反逆の証拠として、押収します」


「反逆の証拠?」


私は笑った。

乾いた笑い。

でも今度は、はっきりとした嘲笑だった。


「あなたはずっと、“証拠は王宮で提示する”と言いました。

でも結局、証拠が欲しいのはあなたでしょう」


補佐官の笑みが薄くなる。


「言葉遊びです」


「言葉遊びではありません。記録の話です」


私は淡々と言う。

そして視線を議長へ向けた。


「議長。

実家の包囲は、私への圧力であり、証人妨害です。

貴族院の審問中に行うのは、手続きの侵害です」


議長の目が鋭くなる。

貴族院の権威を侵された形になるからだ。


「補佐官。事実か」


補佐官は一拍置いて答えた。


「王宮の治安維持の一環です。

貴族院の権威を侵す意図は――」


「意図ではなく行為だ」


議長が冷たく切り捨てた。

場の空気がさらに硬くなる。


エイドリアンが私へ、ごく小さく頷いた。

――合図。

ここで“逆手”を打つ。


私は、懐から小さな封筒を取り出した。

無地。封蝋は薄い。

だが、そこに押された印は――神殿の印章。


「すでに“外”へ出しています」


補佐官の目が、初めて大きく動いた。


「何を……」


「鍵の内容の写しです。

昨夜、神殿で宣誓し、分割した告発文を保全しました。

さらに今朝――貴族院・監査局・神殿の三者に、分割した写しが届いています」


私は言い切った。

回収不能。

もう戻らない。


補佐官の笑みが消えた。

消えると、顔に“素”が出る。

苛立ちと焦り。

そして、怒り。


「虚偽だ」


「虚偽なら、照合できます」


私は短く返す。


「分割した三通を揃えれば全体像が完成します。

一通だけ奪っても意味がない。

実家を包囲しても、もう遅い」


補佐官の拳が震えた。

彼は、初めて“負け”を認めかけている。


議長が監査局の代表へ目を向けた。


「監査局。写しは受領しているか」


監査局代表が頷く。


「受領済み。

内容は重大。関係者名を含む部分について、すでに照合を開始している」


神殿の立会人も言う。


「神殿も、全体像部分を保全済み。

奥様の宣誓記録は台帳に残っている」


補佐官は、もう“否定”だけでは足りない。

ここからは“責任の押し付け”に切り替えるしかない。


彼は、ゆっくりと立ち上がり、視線を私から逸らして言った。


「……全ては殿下の善意です」


来た。

善意。

間違った善意。

責任を霧散させる魔法の言葉。


「殿下は国のために、混乱を鎮めようとした。

奥様が感情で暴走し、国家を揺るがせた。

欠番回収箱も、秩序維持のための――」


「秩序維持なら、なぜ封印を貼り直した」


エイドリアンが静かに問う。

そして続ける。


「秩序維持なら、なぜ偽証人を連れてきた」


補佐官が口を開く。

だが言葉が出ない。


議長が槌を打つ。


「補佐官。

封印照合の結果、あなたの印章が“貼り直し”に関与した可能性が高い。

虚偽証言の手配も疑われる。

――ここで確認する。あなたは誰の命令で動いた」


補佐官の目が動く。

逃げ道を探す目。

しかし逃げ道は、もうない。


「私は……」


「命令者の名を」


議長の声が低い。


補佐官の唇が震えた。

それでも彼は、最後の抵抗を選んだ。


「私は、王宮の秩序のために独断で――」


「独断ではない」


その声は、扉の外から届いた。


入ってきたのは、文書庫管理者だった。

顔色は土のように悪い。

しかし目は決まっている。

背後には監査局の者がいる。


「……私は、補佐官殿から命じられました。

欠番回収箱の扱いを“整えろ”と。

そして……殿下の名を出されました」


場が凍る。


補佐官の顔が青ざめる。


「黙れ」


「黙れません」


管理者の声は震えていた。

震えながらも、言葉ははっきりしている。


「昨夜、箱を移管する文書に押印するよう迫られました。

拒否すれば“反逆に加担した”と――」


反逆のラベル。

それを、脅しに使っていた。


議長が冷たく言う。


「――よろしい。

監査局、補佐官を拘束。

事情聴取を開始せよ」


騎士が動く。

補佐官が一歩退こうとする。

だが逃げられない。


補佐官は私を睨み、最後の刃を投げるように言った。


「奥様。

あなたが勝っても、失うものはありますよ」


「あります」


私は答えた。

短く。

そして、続ける。


「でも、失う前に――残します。

記録も、名も、選ぶ権利も」


補佐官が連行される。

場の空気が、一気に軽くなる。

けれど、まだ終わりではない。

本丸は――王太子だ。


議長が宣言する。


「本件は、王太子殿下の責任も含め再調査とする。

欠番処理の指示系統、及び“反逆”の乱用について――」


その瞬間、扉が開き、王宮の使者が飛び込んできた。


「議長!

殿下より通達!

本審問は王権を侵害するため、即時停止を――」


議長は目もくれず、槌を打った。


「却下する。

貴族院の審問は、王権を侵害しない。

王権を“合法”に保つためにある」


使者が言葉を失う。


私は、そこで初めて深く息を吐いた。

勝った。

完全には終わっていない。

でも、流れは変わった。


エイドリアンが私の耳元で低く言った。


「ここからは政治だ。

君の名誉は回復する。

だが……君はどうする。契約の期限を、どうする」


契約。

一年。更新は双方合意。

自動更新なし。


私は、胸の奥を見つめた。

この人は合理で始めた。

私は盾として始めた。

でも、ここまで来たら盾だけではない。


私は顔を上げ、エイドリアンを見た。


「期限は――」


言いかけて、私は笑ってしまった。

泣き笑いではない。

少しだけ、温かい笑い。


「……“期限なし”に書き換えたいです。

ただし、条件があります」


エイドリアンの眉が上がる。


「条件?」


「対等でいること。

私が犠牲にならないこと。

私が選べること」


エイドリアンは一拍置き、ゆっくり頷いた。


「いい。

俺も条件を出す」


「何ですか」


彼は、珍しく言葉を選ぶように口を開いた。


「君が怖い時は、怖いと言え。

――契約書に書かなくてもいい部分で、俺に言え」


胸の奥が熱くなった。

契約では守れないところを、言葉で守る。

それは、少しだけ怖い。

でも、選べるなら。


私は頷いた。


「……はい」


エイドリアンが私の手を取った。

公の場で。

でも、誰のためでもない形で。


「帰ろう、リュシア」


初めて、私の名を呼んだ。


「君の名は、もう消えない」


数日後。

欠番回収箱は貴族院の監査で解体され、封印の貼り直しは“記録改竄未遂”として公式に残った。

王太子派は勢いを失い、破棄劇は“未遂”として記録に刻まれた。


私は、公爵邸の机で、新しい契約書に署名した。

期限欄には、ただ一言。


「期限なし」


そして、その下に私の手で付け足す。


「対等として選ぶ」


エイドリアンが笑って言った。


「なら、毎日選び直せ」


私は答える。


「はい。今日も」

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