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 夜、東京入りするときに検問があった。おまわりが国道をふさいでずらりと壁のように立ち並び、無数の銃を向けてきたが、弾丸なんぞ通じる曜さまではない。「止まれ、止まらんと撃つぞー!」と、アクション映画そのまんまの芸の無いセリフをかまし、いっせいに銃撃してきたが、霊たちの放つ霊波で(はじ)くわ(はじ)くわ、面白いように跳ね返り、数人のおまわりに当たってバタバタひっくり返った。


 びびって退こうとする警官の群れに突入、容赦なくズバズバ切り刻み、黒の制服はさらにぎらぎらとどす黒く、辺りは血の海、並ぶパトは、そのぶっといタイヤまでぬめった血に浸かった。まっかな血でざぶざぶ洗われるパトの白い柄は、とてもいい色つやをしていた。こうして泣き叫ぶ警官どもを徹底的にバラし、路上であふれんばかりの臓物の山に変えた。


 こう言うと悪気があったようだが、彼らに対して悪意などいっさいなく、むしろ尊敬していた。

(ああ、私なんかのために二十四時間、身を粉にして働き、職務を全うするおまわりさんたちの頑張りには、本当に頭が下がる)(偉いな、かっこいいな)(こんないい人たち、いないよね)(だから、解放してあげる!)


 こんなふうに、私は好きな人や愛する人しか殺さない。嫌いだったら、放っておく。死ぬまで肉体という牢獄に閉じ込められ、それでやれ自分は自由だの、好きなように生きるだのと社会に騙されて、奴隷の一生を終えればよい。私は世のため人のために、世を破壊し人を殺すのだ。おまわりさんたちを殺したのも、彼らに真の自由と幸せを手にして欲しかったからに他ならない。

 その証拠に、ほら、死ぬときは「逮捕する」だの「コノヤロー」だの言っていた人たちが、魂になると、こんなにも満面の笑みで感謝してくるじゃないか。この調子だと、そのうち警視総監賞くらいもらえそうだ。


 彼らの生前と死後のセリフの、このギャップを見てくれ。

(生前)「やめなさい、罪を重ねるな」→(死後)「やりなさい、善行を積みましょう」

(生前)「この人殺しめ! てめえなんか死刑だ!」→(死後)「あなたこそ救世主です! 長生きしてください!」

(生前)「やめろ、この糞ガキャア!」→(死後)「もっとしてください、大先生! はあはあ」


 あまりに誉められるので、こそばゆくてエヘエヘ笑った。もちろん、彼らもこれから私の配下に収まり、霊としてまばゆい光で私を護ってくれるのは言うまでもない。



 ちなみにこの戦いでは、チェーンソーを使ったいろいろな技を開発した。いちばん凄くて気に入ったのは、起動用の紐を持ってソーをすっ飛ばし、くるくる縦に回転させて相手を切り刻み、終わるとヨーヨーのように回りながら戻ってきて手に「がしっ!」と収まる、というものだ。成功すると、あまりのカッコよさに、自分に痺れた。

(くううっ、すごいぞ私っ!)(なんてイカしてるんだ!)(んもう、よだれ出ちゃうーっ!)

 そのたびに、大破したパトのフロントガラスに自分の勇士を映し、刃を振りかざして、決めポーズして惚れ惚れしていた。大バカである。


 だが実際、今の私は、まさにスーパーヒーローだったのだ。無数の人々が賞賛し、拝み、讃える英雄。その人々により、私もまた支えられている。そして、その支持者は雪だるま式に増えてゆく。






 だが、ヒーローにも休息が必要だ。霊のパワーがあれば睡眠なんかいらないのでは、と思ったが、矢崎君が「寝たほうがいい、寝てる間は見ててあげるから」などと舞い上がりそうなことかましてくれたので、そうすることにした。


 明け方、人気のない新宿の繁華街にでんと据えられた蟹道楽の看板の裏に入って寝た。はりぼてのまっかなでかい蟹で、店の入り口の上に手足を広げ、街のヌシのようにでんと貼り付いている。疲れなど微塵も感じなかったが、実はそうでもなかったのか、すぐ眠りに落ちた。



 目覚めると、懐かしい顔があった。電柱女だ。

 霊だからあたりまえだが、髪のふわっとした感じも、地味なフォーマルっぽい空色の服も、なにも変わっていない。そして笑顔も。

「……なに、じっと見てるの」

 私が聞くと、彼女は頬をぽっと染めて笑った。

「ごめんなさい、可愛い寝顔だったから」

 そっちもね、と言おうとしたが、寝起きでかったるいのでやめた。


 体重がないのをいいことに、奴は今、私の腹の上に正座し、猫みたいに背を丸めて顔を覗き込んでいる。これって、金縛りになるんじゃないのか、普通。寝てると急に体が動かなくなって、腹の上に幽霊が乗っているのが見えた、という心霊体験をよく聞くが。

 ああそうか、あれは恨みつらみを持った悪霊の場合か。こいつの場合、そんな心配は、まるでない。だって幸せなんだもん。

「……名前、なんていうの」

「言ってなかったわね。せつなよ」

「いい名前だね」

「ありがとう」


 言って足を崩すせつな。そこで私はやっと、しばらく彼女と会っていなかったことに気づいた。

「そういえば、どうしてここに?」

「ものすごいエネルギーの波動を感じて、引き寄せられたの。そしたら、蟹道楽があって、中にあなたが眠ってたってわけ」

「なにそれ」

 私が笑うと、せつなも目を細めた。

「だって、大きな蟹の看板の裏で、女子高生が血まみれで脇にチェーンソーを置いて眠ってるのよ。いったい、なにをやってるの?」

「人類を救う大事業だよ」


 今までの経路をざっと説明すると、せつなは少し寂しそうに目をそらしたんで、ちょっと笑えた。

「なーに? すぐ死んで欲しかった?」

「そういうわけでは、ないんだけど」

「死ぬ前に、することが出来たんだよ。どうせなら、人の役に立ってから死にたいじゃん」

 せつなは窓ガラスにふとカナブンでも見つけたような顔になり、ぽつりと言った。

「あなた、変わってるわね」

(よう)だよ、須貝曜」

「曜、普通なら死にたいと思ったら死ぬのよ。でもあなたは、死にたいのに生きようとする。なぜなの?」


「生きようとなんか、してない。もう死んだも同然だよ」と目をそらす。「誰にも理解されないし、いつ殺されるか分からないもん」

「ポジティブね」

「どこが。絶望のどん底だから、あきらめて生きてるんだよ。少しでも希望を持ったら、死ぬよ。だって死んだら、いいことあるんでしょ?」

 横目で見ると、せつなは微笑を崩さずに言った。

「そうよ。だから、あなたにも幸せになってもらいたいの。なにも、苦労してほかの人を幸福にする義務はないのよ」

「どうせ、すぐ死ぬよ。だからせめて、絶望の底を死ぬ気で泳ぐくらいさせてよ。いいでしょ、少しぐらい待ってくれても」


「分かったわ。でも一つ、覚えておいて」

 せつなは腕組みし、射るような視線で私の目を見据えた。

「負の感情に溺れてはダメよ。どんなにつらく、悲しいことがあっても、ね」

「ええっ、そんなの、ないよぉ」

 吹き出しそうになった。

 なにを言い出すかと思えば、この姉ちゃんは。

「だって、私は憎くて人を殺してるんじゃないんだよ? 愛してるからさ。みんなのことが大好きで、笑顔になって欲しいから、肉体から解放してあげてるんだ。そして実際、喜ばれてるしね。みんなに感謝されればされるほど、私も気分がいいし、元気が出る。

 前は……このソーを持つ前は、こんなことなかった」

 言って、そのとがった刃を感慨深く見つめた。暗いが、看板の隙間から入るわずかな街の光を反射し、低く笑うようにきらめいている。

「いつも愚痴愚痴この世を恨んでは、みんなをねたんで、その死を願い、呪ってた。だからいつも苦しくて、悲しくて、体調も悪くて。それで、ますますひねくれて、嫌な奴になっていった。

 でも今は、本当に人を殺しても、意味がまるで違う。嫌いだから殺すんじゃないんだ。嫌いだったら殺さない。肉の中に、ずーっと閉じこもっていてもらう。だから家族のことも好きじゃないから、殺す気ない」

 私は彼女の目を見ながら、にやっと笑って続けた。

「私はね、愛してるから殺すの。好きな人は、みんな自由になって欲しいんだ。永遠の命を得て、この空を思いのままに、いつまでも楽しく飛びまわって欲しい。

 だから、いま私、最高にハッピーなんだ。その願いを、こんなにも、たくさん実現できてるんだからね」

 私がにこにこと言うと、せつなは「そう」と目を閉じた。




 そこで周りが、がやがやとうるさいことに気づいた。明け方にここに入り、昼間はずっと眠って、今は夜。繁華街のかき入れ時だ。この足元の店にも、客がわんさと入っていることだろう。

 ……リア充、爆発しろ!

 ……はははは、おめえ声でけえって。


「酔っ払いだな」

「友達と酒飲んで騒いで、まだ自分がリア充じゃないと思ってるのね」と、ひじをぽんと叩いて立ち上がるせつな。

 こっちも同時に起き上がる。

「で、どうするの? 言わしとくの?」

「まさか」

 ソーに手をかけてニヤつく。

「黙らせるよ」


 ぶるるるるるうううー!

 紐を引き、炸裂するソーの猛りも、夜の街の喧騒は紙吹雪を飛ばす突風のようにかき消してしまう。いいや、このほうが好都合だ。下で隷属の行進を続ける哀れな子羊どもを逃がさないで済む。


 目の前の看板のネジを全て叩き切る。これで、こんな暗い壁ともオサラバだ。アディオス、自閉! ウェルカム、ハイパーアクティブ!(意味不明)





(週刊金星 十月六日号の記事より)

「それは土曜の夜七時を回った頃だった。新宿本町の繁華街をひしめく人々は、あまりのことに目を疑った。

 蟹だ。

 まっかな巨大な蟹が街を這い、逃げ惑う犠牲者にのしかかり、その体をぶちぶちと食いちぎっているのだ。蟹の口からは、おびただしい人間の手足、臓物、生首が次々に転がり、終われば、すぐまた別の生贄を求めて襲いかかる。繁華街は血の海になり、人々は巨大な蟹に引き裂かれ、肉片と化した。

 犠牲者の中には、蟹道楽から出てきた直後の客もいた。食われた蟹が人間に復讐した、大自然の怒りだ、と言う人もいた。

 しかし、その正体は、すぐに知れた」





 私は蟹の口からソーを突き出し、はりぼてを裂くと、外に躍り出た。コマのようにソーを横にぐるぐる振り回し、周りの若者やおっさんどもを次々に叩っ切り、顔をかち割り、バラして、ぐちゃぐちゃの汚物に変えた。超超超興奮した。

(いいぞいいぞ!)(もっともっと、死ね死ね死ね死ねえええー!)

 繁華街に血の川が流れ、足首までざぶざぶと血流に浸かった。ああ、この鋼鉄の匂い。いつ嗅いでもイイわぁ。って、変態か。


 例によって死者たちに感謝され、私は例により有頂天、血みどろのジャージでダンスのように跳ね回り、楽しく殺し続ける。

 血の大河の随所に目鼻を潰された生首がぷかぷか浮き、切断された無数の手足が、嵐に洗われる材木のようだ。ちぎれた胴体、引き裂かれた顔、胃袋、腸、心臓、そして鳥の足みたいな骨が、赤、白、青のネオンを受けて、まばゆく輝く。ああ、なんて美しい。うっとりしちゃう。

 見れば、足元からイボイボの顔した大怪獣がぬっと顔を出し……なんださっきの蟹か、脅かすな。



 しかしこの、世にも楽しい饗宴にも、終わりが来る。警官隊のおでましだ。

 だが捕まらなかった。再び蟹の中に隠れ、そのままマンホールから下水に落ちて、川に流れた。蟹は終いにはふにゃけ、汚水の底に沈んだ。


 泳いで上がった岸は、高架の下の広い河原。ホームレスがいたので、殺してあげた。死ぬとき、瑠璃のように暗い目で私を見た。予言でもしているようで、嫌だった。






 ところがそこで、おかしなことに気づいた。京都から東京までの間に二百人は殺しており、今夜は少なくとも五十人は殺ったはずなのに、霊たちをざっと見た感じ、人数はたいして変わっていないようなのだ。いまや私の腹心と化している矢崎君もそれを怪しみ、数えてくれたところ、やはり二百人足らずしかいないことが分かった。

 どこかへ行っているんじゃないか、と言うと、五十人もまとめていなくなるのは考えにくい、これは明らかに数が減っている、と言う。

 今、五十人増えた。ところが数えたら前と変わらない。ということは、どこかで五十人減っているということだ。もっと言うと、消えたのだ。


 だが生きた人間じゃあるまいに、怖くなって裏切って逃げる、というのはありえない。だいたい、霊が何を恐れるのだ。全てにおいて満足し、喜んで私に協力する仲間に、恐怖などあるわけない。死という最大の災いが、もはや永久にないのだ。何かを怖がる理由がない。死んでしまった者を、いったい誰がどうこうできるというのか。

(いや待てよ……)(霊が、恐れるもの……?)


 そうだ、彼らをこのうえ、どうこうできる者がいる。浄化と称して、せっかく自由を手にした霊たちを、無理やりこの世でない場所へ送るような、恥知らずの連中が……。



「い、いやだあああ! たすけてくれえええ! ぎゃああああ!」

 叫びを聞き、駆けつけたのは高架の向こう、工事車両が脇に並ぶ土手の裏だった。

 目が見開いた。

 バイクに乗った巫女が長い黒髪をなびかせ、空き地を砂煙たてて爆走し、高らかに掲げた右手の指先から、稲妻のような白い光を発して、次々に霊たちを破壊しているのだ。彼らは光に当たるとのけぞって悲鳴をあげ、掻き消えるように消え去った。


 これには、私も脳天に血が昇った。

「て、てめええ! なにやってんだああー!」

 思わず怒鳴ると、巫女はバイクを停め、無感情な目でこっちを見た。顔を見て分かった。同じクラスの如月(きさらぎ)弥生(やよい)。霊能者だ。霊たちをどうこうできる唯一の存在。そして……。

 我々、最大の仇敵!



「霊を抹消したの」

 なんでもないように言うと、険のある目になって私をにらむ。

「須貝曜、あなた、とんでもないことをしてくれたわね。どうして、まだ死ぬべきでない人たちを、こんなに大勢、殺してしまったの?」

「そ、そんなの、自由になるために決まってるじゃん!」

 私も負けじと怒鳴り返す。

「人間はねえ、肉体に閉じ込められている囚人なの。そこから解放される権利がある。だから、体を壊して自由にしてあげた。それの、どこが悪いんだよ!」


 如月はため息をつき、再び私を見据えた。

定命(ていめい)といってね、人の寿命の長さは決まっているの。それを神でもなんでもない者が勝手に決めて人を殺したら、この世の摂理が狂ってしまう。だから調節しなくちゃいけない。勝手に増えた霊は、消し去るしかない」

 あまりの言い草に、完全にぶちきれた。顔をゆがめきって、噛み付くようにわめきちらした。

「な、なに言ってんだよ! だいたい、てめえ巫女だろうが! 神に使える身で、よくそういう、ひどいことが出来るな!」

 そして、身を焼くような悔しさに大地へ膝をつき、歯噛みして拳を何度も打ち下ろす。

「せ、せっかくみんな自由になれたのに! みんな幸せになれたのに! 台無しじゃん! なんてことしやがったんだ!」


「なにが『幸せ』よ」

 変わらず冷たく言う巫女。

「あなたのしたことは、ただ成仏できない悪霊を増やし、自然界を滅茶苦茶にした暴挙。絶対に見過ごせない」

 そう言うと、バイクをふかして後輪を回す。

「そういうことだから、あなたの霊たちは全部消させてもらうわ」

「ま、待ちやがれえええー!」


 追おうとして、がく然となった。

 ソーが。

 私のソーが。

 血で固まって、ぴくりとも動かないのだ!


「あ、あれ、どうして……おかしい」

 あわてて紐を何度も引く私に、遠ざかるクソ巫女は声を放った。

「それでいいのよ! あれだけ人を殺しておいて、メンテもなしに、まだ使えるほうがどうかしてるわ! じゃあね!」

「ま、待て! てめえ、みんなにこれ以上手ぇ出したら、ただじゃおか……くそっ! な、なんで……」

 動かない。いくら引いても、うんもすんも言わん。


 せつなが来て、暗い顔で言った。

「みんなの霊力がなくなったからよ。今までいくらでも使えてたのは、私たちたくさんの霊が、あなたにパワーを注いでいたから」

「じゃ、じゃあ、またやってよ!」

 しかし彼女は首を振った。

「これじゃ、無理だわ」

 そう言って横目でにらむ先には、あの霊能者がバイクでみんなに襲いかかり、霊波で次々にその体を破壊して消し去っている、見るもおぞましい光景があった。


「や、やめろ! やだ……やめて……!」

 あまりの酷さに胸が苦しくなり、涙がぼろぼろ流れた。頬が焼けるように熱い。私は泣きながら訴えた。ただ両腕を広げ立ちすくみ、涙もぬぐわず、この気持ちを、世界中のすべての人に届けんとするように。

「どうして、どうして、そっとしておいてくれないの?! せっかく、みんな自由になれて、あんなに幸せだったのに! それを、なんで、ああも簡単に奪うんだよ! ちくしょう、なんでだよ!」

 そして虚空の暗黒をにらみ、絶叫した。

「なんで、そんなにしつこいんだよ! どこまで自由を奪えば気が済むんだよ、あんたらは!」

 恐怖におののき逃げる霊たちを追い、バイクは消えた。



 我々はずっと、死んだらこの世から消えるだけだと思っていた。だが、じつは死とは、肉体を脱ぎ捨て、魂だけになり、自由を謳歌できることを意味していた。

 ところが今度は、死は単なる「消滅」になってしまった。本物のデッドエンド。どん詰まりである。

 私のしてきたことは、全て無意味だった。誰も自由になんか、なっていなかったのだ。永遠の命や、不死の魂など、なかったのだ。

 幽霊も死ぬのだ。消されるのだ。死んだというのに楽にはなれず、また殺される恐怖に怯える。それで、いったいどこに救いがあるというのだ。

 私は膝をついて絶望した。


 しかし、そんな暇はなかった。せつなが、険しい顔で言った。

「逃げて、早く」

「えっ」


 思う間もなく、おびただしい霊たちが周りに集まってきた。みんなの顔は一様に激怒にゆがみ、口元はひん曲がり、憎憎しげに歯噛みしていた。特に先頭の矢崎君は、冷たい眼鏡の奥の瞳に、ぞっとするような怒りの閃光をきらつかせていた。

「須貝、よくも騙したな!」

 吐き捨てるように言う。

「お前のおかげで自由になれたと思ったのに、全然ちがうじゃないか! なにが永遠の命だ、幸福だ! 見ろ!」と指さす。「あのとおり、殺されてるじゃねえか!」


「そうだ、こんなのに感謝した俺らがバカだった」

 その横で毒づく男。さっき繁華街で最後に殺してあげたんで、覚えていた。あれだけ喜んでくれた満面の笑みが、嘘のようにきつく締まり、鬼の形相に変わっている。

「考えたら、俺らは別に死にたくなかったんだ。まだ人生に未練があった。それを、こいつが無理やり殺した!」

「そうだ、死んだとき、気分がとんでもなく良かったんで、完全に騙された」と矢崎君。「ずっとヤク漬けにでもなってた気分だ。だが、もう目が覚めた!」

 叫んで私を指す。

「こいつこそ、悪の根源だ! 全部こいつのせいだ! みんな! こいつにとり憑いて、バラバラに引き裂いちまえ!」


「ま、待って、みんな!」

 せつなが説得しようと、彼らを必死に押さえた。

「彼女も、ほかにどうしようもなかったのよ! 成り行きで、こうなってしまっただけなの! お願い、分かってあげて!」

 しかし、せっかく弁護してくれても、怒りに我を忘れている霊たちには届かなかった。動く民衆を押さえきれなくなり、私を向いて叫ぶ。

「逃げて! 急いで!」



 逃げろ、と言ったって、血に濡れそぼる体は死ぬほど重い。それでも、丘を転がるようにして私は駆けた。どこまでも駆けた。振り向けば、無数の発光する霊魂たちが、私を殺そうと虚空を束になって追ってくる。

 川を飛び越え、森を走り抜け、街道へ出たところで、まだソーを握っていることに気づいた。もうなんの役にも立たないはずだが、なぜか捨てられない。お守りのように固く握り締め、私は街道を月に向かって走った。

 すると道の向こうから、嵐のような爆音とサイレンが響いてきた。月明かりの下、ぬっと現れたのは、おびただしい数のパトカーだった。

「すぐに投降しなさい! 大人しくすれば、悪いようにはしない!」


 私は脇道に入って駆けた。背後では、パトカーの群れと霊の大群が合流し、一緒になって私を追ってくる。私は死に物狂いで駆ける。距離が縮む。息が切れ、景色がぶれ、月がバウンドして今にも落ちそうに見える。

 生者と死者の集団は、すぐ後ろに迫った。逃げてる私は、いったい、どっちなのだ?!

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