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二の3

 いつ小屋に来たのだろう。

 本当なら、今のこの姿を最も見られたくない相手のはずだった。さっきまでの、浜を駆けって転び泣いていたときまでの私なら、今すぐ消え入りたいくらいに恥じて後悔し、狂ったように月光の中へ逃げ出していただろう。

 だが、私は平気だった。急になんでも出来る万能超人に生まれ変わったような自信が全身にみなぎっていた。彼からすれば、頭が完全にいかれた危ない奴に見えるだろう。そりゃそうだ、ジャージの女子高生が、こんな血まみれでチェーンソー持って死体の前にたたずんでるんだもん。

 それでも私は真剣だった。


「見て、私、この人を助けたんだ。解放してあげたの」と得意げに言った。「この人いま、すごく喜んでるよ」

「な、なに言ってんだ?! こんなの、ただの殺人じゃないか!」

 指さして激怒する。ああ、こんな私に、どこまで一生懸命になってくれるんだろう。彼にますます、自分の隅々までが、ずぶずぶはまっていくのを感じた。ああ矢崎君、好き。好きよ……。


「自首しよう」

 声のトーンを落とす彼。

「大丈夫、わけを話せば、きっと分かってくれる。俺も一緒に行くから」

「わけ?」

「そうだ」と、眼鏡の奥の瞳が優しくうるんだ。「わけがあるんだよな? わけもなく、こんなことをするはずがない。いや、今は言いたくなけりゃ、いいよ。あとで警察で……」

「この人を救いたかったの。それがわけ」

「死にたがってたのか、この人……?」

「そう」


 一瞬、理解してくれそうになった。ここでやめればよかったのだ。

 だが、バカな私は彼に甘えて、さらに自分の丸ごとを分かってもらおうとした。とびきりの笑顔を向けて説明する。

「人は死んだら魂が肉体から抜け出て自由になれるの。だから、この人を自由にしてあげた」

「す、須貝……?」

 彼の顔が急に引きつり、見たこともない妙なものを見る目つきに変わった。なにかを疑う顔。(こいつ、もしかしたら……)の表情。

 いやだ、そんな顔しないで。

 だが、彼は驚きで口があいたまま。


 それで私は、さらに続けて拍車をかけた。

「信じられないよね。でも事実だよ。ほら見て、死んだ人たちがあそこに浮いて、みんなにこにこ私に感謝してるでしょ?」

 彼は指さすほうを見た。

 そして、またこっちを見る。

 顔色がまるでちがう。


 もう、さっきまでの矢崎君じゃない。

 私の心は、一気に暗い絶望へと急落下した。


 この人には見えないのだ、分からないのだ。

 一気に孤独に染まった。

 やっぱり私は。

 この世で、ただ一人……。


 私の口元はぐーっと下がり、笑みは消えた。彼は目を見開いたまま後ずさりし、小屋のドアまで行く。完全にイカれた奴を見るときの恐怖の顔だ。

(待って、行かないで)(私を見捨てないで)

 頭が完全に沸いた。

(なんだよお!)(逃げんなら、最初っから来んなよおお!)

 涙がどっとあふれた。


 考えてみりゃ、血染めの顔で笑いながら幽霊の話をする奴なんて、誰が相手にするだろうか。だが、そのときは考えられなかった。なにも考えられなかった。


 彼が小屋を出て走り出すと、私は狂ったようにあとを追っていた。

「助けてくれえええ!!」

 叫ぶ矢崎君の背に、私のソーの刃が猛烈に食い込む。

 ぶるるるるー!

「ぎゃああああー!!」

 泣き叫ぶ彼を押し倒し、血に飢えた回転ヤイバがその肉体をザクザク切り刻む。痙攣する手足、首。

 うつぶせに倒れたまま、やがて彼は動かなくなった。蒼白い月明かりが、砂を染める血流の海をどす黒く照らしている。


 私はソーを放り、膝をついてうなだれた。刃が止まり、エンジン音が消え、ただ湖のさざなみだけが、嫌味のようにきらきらと美しい。

(ごめんなさい、ごめんなさい。痛かったでしょう)(許して、ごめん)(ごめんね。本当にごめんね……)



 しかし謝りながらも、汚い私は、心のどこかでひそかに、あることを期待していた。これはある意味、実験でもあったのだ。


 さっきは死にたがっている人を殺し、死んだ相手は感謝した。

 ではもし、全く死にたがっていない人を殺したら、果たしてどうなるのか?


 彼が死にたがっていたのかは知らないが、まあ、それはないだろう。いつもボジティブ、前向き、誰に対しても優しく、スポーツは出来るし、ほんと絵に描いたような模範青年。まじめだが陽キャなので孤立なんぞもせず、いつもみんなと溶け込んで談笑している。

 まあそんな人でも、腹の底ではもしかしたら分からないけれど、とりあえず、いま殺したこの人は、死の願望など特にない普通の人に見える。

 そういう、死ぬ気もない人が、このようにいきなり無残に殺されたら、いったいどうなるのか?


 もし怒ったり、泣いたり、かわいそうなことになったら、そのときは即座に私も死のうと決めた。あたりまえだ。人の命を消したら自分も消えねばならない。そうしなくてよいのは、相手が死後にそれを歓迎して喜んだ場合だけだ。

 特に彼は、私の最愛の人だった。それをこの手にかけてしまったのだから、本当なら、それだけで万死に値する。



 私はソーを喉元に向け、膝をついたまま、じっと待った。果たして矢崎君の霊魂が肉体から抜け出てきた。

 ここまでは同じ。

 次の彼の反応で、私のこの先が全て決まるのだ。


 頭が出て腰が出て、足が体を離れたとき。彼の目が、うつろに私をじっと見た。

 ダメだ。死のう。

 彼を完全に壊してしまった。

 もう戻せない。もう……。


「すがい!」

 突然にっこりと笑って言い、彼は私に抱きつこうとしたが、すり抜けた。

(い、いったい、なにが?!)


 混乱する私の前にすうーっと戻ると、矢崎君は天使のような満面の笑みだった。思わず私の手からソーが落ちた。

 信じられない。

(彼は……彼は……)(喜んでいる!)


「ありがとう! 君のおかげで、僕は自由になったよ! 自由だ! 僕は自由だ!」

 叫びながら、そこら中を飛び回る彼を、さっきの三人の霊がにこやかに見上げている。

 私はまだ信じられず、彼に聞いた。

「ほ、本当にいいの? 痛かったでしょ? もう生きた人間じゃないんだよ? 後悔はないの?」

「そんなもの、ひとつもない!」

 両腕を広げ、楽しそうに言う矢崎君。

「君が殺してくれたおかげで、僕は生まれ変わったんだ! ああ、この気持ちよさ! 体が軽いんだ! もう、どこまでも飛べそうだ! 

 須貝、君のおかげだよ! ありがとう! 本当にありがとう!」


 あの女とまるで同じことを言う。


 そうか。

 これで、この世のからくりが全て分かった。


 今まで、人類が出現して以来、誰にも知られなかった、ある秘密があった。人は、死ぬと肉体を捨てて魂だけになり、なにものにも束縛されぬ、無限の自由を手に入れるのだ。

 そのことに気づいた者もいただろう。だが、おそらくは抹殺された。闇に葬られた。

 それはそうだろう。

 もしその事実が世間に知れたら、誰もがみんな自殺して霊になり、人類は滅んでしまう。だから、この陰気で胸糞悪くて残酷な人間社会という名のシステムを維持するために、誰もが嘘をついてきたのだ。我々をあざむき、だましてきたのだ。いや誰が、というより、誰もが無意識にその秘密に蓋をし、見ないようにした。考えないことにした。


 本物の霊能者なら気づいたろう。だが世間を見れば分かるとおり、霊が見えるとほざいて金をもらうような奴はことごとくインチキであり、この真実を知るような能力など屁も持っていなかった。きっと本物の霊能者は自分くらいしかいないのだ。私には分かる、人が死んだらどうなるか。人は死ねば救われる。誰もが救われるべきなのだ。死ねば永遠の自由を手にできるのだ。


 そうだ、人間はみんな死ぬべきなんだ! 

 あなたも!

 あなたも!

 あなたも!


 そうだ、こんな社会なぞというくだらない殺人工場で、出来損ないとして隔離され、ゴミの山で処分を待っている場合ではない。

 人々を救うのだ。

 私には、それが出来る!

 この、チェーンソーで!



 私は立ちあがって蒼白い月に向かい、赤い血糊で固まったソーを勇者のように振り上げていた。いつしか私の後ろには霊たちがわんさと集まり、虚空で手を叩き、声をあげ、私を讃えている。いまや私は彼らの英雄だった。

 私は真に自由を手にした同志たちに向かい、拳をあげて高らかに宣言した。

「私は全人類を解放する! 皆さんのように、永遠の自由と幸福を得られるように、最後まで戦うぞ!」


 怒号のような歓声の中、奇跡が起きた。血で固まっているはずのソーの刃が、とつじょ勝手にぶるぶる回りだしたのだ。エンジンすらかけていない。

 見れば、無数の霊魂たちは真昼のように白くまばゆい光に包まれ、それが私とソーに雪のように降り注いでいる。これが霊たちの発するパワー、「霊力」というやつだった。

 たちまちすさまじい力が全身にみなぎり、私も白く光り輝いた。霊のパワーを受け、私は走り出した。後ろに積雲のような霊たちを引き連れ、ほとんど飛ぶように浜を車よりも速く駆け抜けた。

 まずはホテルだ! ホテルの奴らから解放してやる!


 窓を破って飛び込んだ私を見て、みんなあんぐりと口があいた。夕飯の時間らしく、広間の食堂にうちの生徒がわんさとひしめき、箸でなんかをつついてたようだ。これだけの人数なら、途方もない数の魂を救えるぞ。先生はいないようだが、おおかた私と矢崎君がいないので、探しに出てるんだろう。

 私はソーをフル回転させて、奴らを襲った。

「須貝さん?! なに考えてんの?! やめて! ぎゃあああー!!」と叫んで切り刻まれる女。思い出した、同じ班の鳥居だ。喜ばしてやるんだから、そう嫌がるなよ。

 殺すと、案の定、魂が抜け出て、「ありがとう。殺してくれて、とっても嬉しいわ!」と手をあわせて喜ぶ。


「ふざけんなてめえこのやろう!」と憎悪むき出しでわめく男子も、ぶっ殺してやると、とたんににこにこして「ありがとう、ありがとう」と感謝してくれる。

 殺せば殺すほど喜ばれ、お礼を言われ、そのたびに嬉しくて、顔をしわくちゃにしてぼろぼろ泣いた。

(うう、こんなに人から感謝されたの初めて……!)(なんて嬉しいんだろう、楽しいんだろう)


 もっともっと、もっと殺しまくってあげなくては!



 うちのクラスを含め、食堂にいた生徒全員が私によって救われた。みんな恐怖と苦痛の悲鳴をあげ、首を切られ、手足をもがれ、広大な血の海でつやつやの内臓を撒き散らして無残に事切れたが、霊になると感謝、感謝の嵐である。

 霊のパワーはさらに強大になり、いまや宙を滑って移動できるほどだ。そのうち彼らと同じに空さえ飛べるだろう。

 しかし、京都へは行かなかった。でかいことは東京でやるのだ。



 私は国道を駆け、車を見れば追いついて、ガラスを割ってドライバーを切り殺し、あるいはタイヤを刻んで事故らせて殺した。山肌に突っ込み爆発する車内で泣き叫び、火だるまになる家族連れも、次の瞬間には、霊になって大喜びで外に出てきた。


 白バイが来ても、どうってことない。銃をぶっ放そうが、身を包む霊力ではね返すだけだ。かっこつけたグラサンの生首がすぽーんと飛び、でかいバイクがきゅるるると横転し炎を吹く。

 道を走れば走るほど死人の山が出来る。こうして東京に着くまで、背後の霊の仲間は雪だるま式に増えていった。



 走りながら、ふと思い出した。そういや、如月弥生を殺してない。クラスの奴らは全員解放したのに、あいつだけ休みやがって、せっかくの親切が台無しじゃん。


 まあいい、どうせ東京のどこかにいるのだ。いずれは解放してやる。そのとき、てめえがマジな霊能者かどうか、はっきり見極めてやるよ。

 待ってろよ、如月!

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