動かない日常 #1
長野県の静かな田舎町。山々に囲まれたこの地で、私の暮らしは静かで、平穏だった。少なくとも、ハシビロコウを迎え入れるまでは。
祖父が他界して、私に家を残してくれた。その家は、小さな庭と池がついた、どこか懐かしい雰囲気の場所だった。庭を見渡せるダイニングで朝食をとるのが、私の日課になった。
その日も、いつものようにコーヒーを片手にパンをかじりながら庭を眺めていた。そのときだった。
「……あれ?」
池の横に見慣れない大きな鳥の銅像が立っていた。灰色がかった羽、どっしりとした体躯、そしてどこか威厳のある表情。
「こんなのあったっけ?」
不思議に思いながらも、特に気にせず朝食を終えた。だが、翌朝になっても、その鳥の銅像は同じ場所にあった。
近づいてみると、鳥は静かに目を動かした。
「もしかして……これ、生きてる?」
それが、私とハシビロコウとの最初の出会いだった。
ハシビロコウが家に来てから、私の日常は少しだけ変わった。朝起きると、窓辺にじっと座っている彼。昼を過ぎても同じポーズ。夜になっても微動だにしない。
「ねえ、少しくらい動いてみたら?」
私がそう声をかけても、彼はただ静かにこちらを見つめ返すだけだ。動かない特性を活かして、彼を笑いのネタにしようと試みるけれど、その無表情が逆に笑いを誘う。
ハシビロコウが家に住みついてから数日が経った。最初はただの客人(?)のような気分だったが、そろそろ正式に「うちの子」として迎え入れるべきかもしれない、と思い始めた。
「ねえ、君はどうしたい?」
そう言いながら、私は彼の胸元を指でつんつんと突いてみた。もちろん答えは返ってこないだろうと思ったその瞬間、彼がそっと私の指先をくちばしで甘噛みした。
「いった! 何するの!」
驚きながらも、その行動がどこか愛嬌に思えて、私は慌てて謝った。
「ごめんごめん、悪かったよ。」
すると、ハシビロコウはゆっくりと一歩下がり、頭を下げる仕草を見せた。それは、どうやら彼なりの愛情表現らしかった。
まずは、名前をつけることにした。いろいろと考えた末、彼のどっしりとした姿と威厳のある雰囲気から「ハチ」と名付けることに。
「ハチ、これからよろしくね。」
次に、餌の問題が出てきた。調べたところ、ハシビロコウは主に魚を食べるらしい。近所のスーパーで生魚を買い込んでくると、彼はじっとそれを見つめ、ゆっくりと口ばしを開けて食べ始めた。
「おお……ちゃんと食べるんだ。」
ポトッ……
「え? 嫌いだった?」
ハチは再度魚を口に入れようとするが……
ポトッ……
「食べるのが下手くそなだけね。」
私が思わず苦笑しながらそう言うと、ハチは悪口を言われたのが分かったのか、私の手をくちばしで軽く噛み始めた。
「いった! ごめんってば!」
痛がりながらも、どこか憎めないその仕草に、私はハチへの愛着がますます深まっていくのを感じた。
さらに、ペットとして登録するために市役所に相談に行くことにした。
「すみません、ハシビロコウを飼いたいんですけど、登録できますか?」
窓口の職員さんは、一瞬きょとんとした後、笑顔で対応してくれた。
「うーん、ペットとしては珍しいですね。でも、動物愛護法の規定内なら問題ないですよ。」
こうして正式に、ハチは私の家族の一員となった。