08. 二年生になって……
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春、桜が満開の頃、中学二年生になった。
私たちの中学は三年間、クラス替えをしない珍しい学校だった。
クラス替えをしないメリットは、三年という長い期間がよりクラスメート同士の友情の絆を深められるからと学校の方針だった。
せっかく一年で仲良くなっても、二年生でクラスが変わると、お互い離れてしまう場合もある。
三年間一緒に“釜の飯を食う”ではないが、学校行事を同じ者同士で毎年行うと、より人間関係が深まり若者のコミュニケーション能力や、お互い切磋琢磨して成長を促進させる、という大人たちの考えだった。
いずれにせよ、この十年くらいだがクラス替えをしなくなってからのA市立の第一中学校は、不登校の子供が大幅に減少したという結果が出た。
だが、メリットがあればデメリットもある。
クラスメートと馬が合わない生徒の場合、三年間の長さは最悪だ。
下手をすると、クラスでイジメの対象にされた子供は“地獄の三年間”となりかねない。
イジメはなくとも、一人ぼっちになり、孤独を抱える生徒が出る場合もある。
その対策として学校側は、三学期の二月から三月上旬中に、生徒一人一人の要望を保護者を交えた『三者面談』を行い、クラス替えを“希望する”又は“希望しない”を選択できる。
そして現クラス以外の、残りの五つのクラスの中で、希望するクラスを個人で選ぶことができる。
毎年、数人くらいのクラス替え変更者が出たが、各クラス人数も、殆ど同人数で心配することはなかった。
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今年度の一年四組は、誰一人クラス替えを希望しなかった。
当初、心配されていた転校生の北野俊一ことシュンちゃんも、四組のクラスメートたちは、その後、みんながシュンちゃんを好意的に受け入れてくれた。
かくいう私もシュンちゃんも、クラスのみんなと和気あいあいと遠足や臨海学校、学園祭、運動会など学校行事をそれなりに楽しんだ。
あれから委員長の堀口努ことツトム君とも、シュンちゃんは一応仲良くなった。
ツトム君は同じグループの仲間として受け入れてくれた。
元々彼はリーダーシップがあり、仲間を平等に接して差別をしないところに人望があった。
それでも一学期の最初は、私がシュンちゃんと、ベタベタと仲良くしてると舌うちしたり、突っかかったりしてたけど、二学期になるとツトム君はバスケのクラブ活動や、クラス委員長の活動でそれどころではなくなった。
なので私とシュンちゃんが、一緒に帰宅しても、ツトム君は文句を言わなくなった。
うちの中学のバスケ部は、全国大会へ出場できるレベルで、秋の大会練習が朝連も午後の練習も半端なくあって、ツトム君もそうとう必死に頑張ったようだ。
二つ年上の拓人兄は、「ツトムは一年なのに、レギュラー取ったからな。あいつはそうとう根性あるよ」とよく褒めていた。
そうそう拓人兄は、めでたくスポーツ推薦でバスケの有名な東京二十三区の高校へ進学した。
三人の兄たちは、全員スポーツ推薦で高校や大学に入学している。
お父さんとお母さんは、息子三人ともに有名校に行けて、推薦入学だから金銭的にも助かるし、とても嬉しくて仕方がないみたい。
──私はというと、中学二年になっても相変わらず。
スポーツは駄目だし、学習成績は中の上くらいだし、国語と美術が他の人より良いいくらい。
ごく平凡で何も取り柄はない。
その割には家族は妹一人だからか「姫」だの「セリカちゃん」とちやほやする。
なにか変だよね。
私は将来の夢もないし今はとりあえず、どこかの公立か私立の高校に入ればいいかなって思っている。
ツトム君の話に戻るけど本人も、練習の努力が実って意気揚々としたのか、ゼッケン七番のついたユニフォームを、これ見よがしに着て、私とシュンちゃんに見せつけてきた。
もしもツトム君が自慢たらたらする性格でなかったら、私も、他の親衛隊の女子みたいに、「キャーキャー」いって少しは好きになったのかも……なんてね。
いやぁ、ありえないわ~。