01. シュンちゃん
◇ ◇ ◇ ◇
子供の頃、喘息の持病があった。
「空気のきれいな場所で過ごしなさい」とお医者様に云われた両親は、おばあちゃんのいる信州の山奥の村に私を療養させた。
都会とは全然違った、山と谷と川に囲まれた小さな村。
おばあちゃんは一人で暮らしていた。
おじいちゃんは二年前に亡くなって、お母さん含めて子供たちも独立して別に住んでいた。
私は病気がちで良く寝込んだ。
喘息を心配する家族、特にお母さんたちとお兄ちゃんたちが苦手だった。
だから、おばあちゃんの村に一人だけ来れてとても嬉しかった。
本当は、お母さんは私と一緒に村に来たかったみたい。
兄たちのお稽古事の付きそいや、塾通いなどで来れなかった。
私には兄が三人もいる。
それぞれ野球、水泳、バスケットボールといわゆるスポーツエリート少年たちだった。
三人共まだ小学生なのに、びっくりするくらい大きな体をしていた。
それもそのはず、両親共に背がとても高い。
お母さんは元プロのバレーボール選手で、お父さんは野球選手で高校は甲子園決勝までいったらしい。
ちなみにお父さんのポジションはキャッチャー。
今、お父さんは高校の野球部の監督兼国語の教師である。
長男の大地は、お父さんの高校の野球部を目指している。
そこに行けば甲子園も夢ではない、野球では有名校だった。
次男の弘は水泳。平泳ぎと背泳ぎが得意らしい。
少年クラブチームにも入っていて、海外遠征とかして一年中泳いでいるから体中真っ黒だ。
三男の拓人はバスケットボール大好き。
ボールをぬいぐるみのように抱いて、毎日幸せそうに寝ている。
漫画も「貧民ダンク」の大ファンで、小二なのにバスケットボールが『命』といっている。
一番末っ子の私も……といいたいところだが、残念ながら前述したとおり、みそっかす子なの。
なぜ家族で私だけチビで病弱で、スポーツどころか走ることすらままならない、か弱き幼女なのか。
こうなると兄たちやお母さん、あ、お父さんは無口でそれほどでもないが、とにかく末っ子の妹として、家族は超がつくほど私に過保護だった。
過保護される身の私は、病弱なのに随分捻くれた子供で、苦しくても「苦しい」と素直に言わない性格だった。
本当は「ヒーヒーゼーゼー」と辛い呼吸の咳をするたびに、家族たちの心配する顔を見るのが辛かった。
子供心に「もうあんな哀しそうな家族の顔は見たくない!」という気持ちになった。
だから、我慢できなくなるまで、夜中に布団に潜って隠れて咳をした。
そういう意地っ張りな子どもだった──。
でも逆にそれで、喘息を悪化させてしまったのか、お医者様からドクターストップがかかってしまう。
お母さん、兄たち、私はひねくれっ子だ。
言葉にだしていえないから、その日は日記に“ごめんね”と書いた。
◇
私は村に来てから優しいけど優しすぎない、悪いことすれば叱ってくれる、普段はにこやかな自然体のおばあちゃんが大好きになった。
おばあちゃんは、私の喘息を知っていても余り心配を見せない。
最初、私が苦しそうに咳をしても「セリちゃん、薬飲み忘れたか? 忘れちゃいけんよ」と普通に接してくれるだけ。
それが私には、とても心地よかった。
ある日、おばあちゃんの隣の家の、シュンちゃんという少年が、両親と祖母と一緒に住んでいておばあちゃん家に遊びにきた。
シュンちゃんは同じ年で五歳だった。
私のおばあちゃんと、シュンちゃん家のおばあちゃんは仲良し。
「村人たちは、力を併せて生きていけんきゃダメさ」と、二人のおばあちゃんの口ぐせだった。
隣同士だから、しょっちゅう行き来をしていて、家族ぐるみのお付き合い。
だから、私もシュンちゃんとすぐに仲良しになった。
シュンちゃんは、とっても小さくて大人しい子だった。いつもニコニコしてて、笑うと眼がなくなっちゃう可愛い子だった。
ほっぺたが赤くてプルプルしてて、笑うと右だけエクボが出た。
私はシュンちゃんの、エクボがすごく気に入っていた。
「シュンちゃん、笑って!」
と私がおねだりすると、シュンちゃんは「えへへ!」と笑って、エクボを出してくれた。
「シュンちゃんのエクボ触ってもいい?」
「いいよ、ちょっとだけね」
右のほっぺたを私に近づけるシュンちゃん。
私は、そっとシュンちゃんのエクボを人差し指でつつくのが癖になった。




