訳者のあとがき
冷たい笑いを含んだ短編小説で知られる「サキ」こと、ヘクター・ヒュー・マンロー(Saki, Hector Hugh Munro, 1870/12/18-1916/11.16)をご存知だろうか。彼が生涯で150近くの短編小説を書き残し、本邦では1942年から2017年という半世紀の時をかけて、現在ではそのほとんど全てが翻訳出版されている。十数年前までは選集という形でしか翻訳がまとめられてこなかったが、2015年から2017年にかけて白水Uブックスから刊行された和爾桃子訳のシリーズはオリジナルの短編集に沿った形で出版されているため、昔に比べてサキの全作品像を掴むのが容易になってきている。
サキの小説は、ほとんどの場合、その短編の中だけで完結するため、同じ人物が複数の作品に登場するということはあまりない。ただ、いくつかは例外はある。代表的な例としては第一短編集「Reginald」や第三短編集「The Chronicles of Clovis」の表題にもなっているレジナルドとクローヴィスだ。二人とも冗談好きで辛辣な語り手であるが、特に後者のクローヴィスは人気が高く、サキのシニカルさを投影したような人物である。そして、サキ愛好家の中でクローヴィスと同じくらい人気のある人物がもう一人、お転婆娘と評される「ヴェラ」である。ヴェラは第四短編集「Beasts and Super-Beasts」に登場し、クローヴィスよりも登場頻度は高いが、とりわけ頭の回転の速い少女として印象的に描かれている。しかしながら、一口一口は美味しい珍味でも一気に食べると食傷気味になってくるのと同じように、ヴェラも一作ずつだと心から楽しめるが、一気にまとめて読んでしまうとその性格の凄まじさに圧倒されてしまいそうである。やはりサキの短編は枕元に置いて時折少しずつ読むものなのだ、と思った。
さて、ということで今回は、昔からサキ愛好家たちの間で上がっていたであろう「ヴェラが登場する話を色々と読みたい」という深層心理の声を具現化すべく、第四短編集「Beasts and Super-Beasts」から四作品(「The Open Window」「The Lull」「Touch of Realism」「The Quince Tree」)と単行本未収録の「The Almanac」を訳して一つにまとめたわけである。これらの翻訳は過去に個別でアップロードしていたものを改稿して再編集したもので、「読書」というのを優先して過去の個別翻訳に載せていたような背景情報や固有名詞の解説は全て取っ払っている。ご興味のあるかたや原文読解の参考にしたい方は、そちらの方も目を通していただければ幸甚である。
2022年12月18日 着地した鶏