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The Flapper Stories:少女ヴェラの物語集  作者: サキ(原著) 着地した鶏(翻訳)
4/6

マルメロの木

「ベッツィー・マレンお婆さんのところに行ってきましたわ」


 ヴェラは伯母のビバーリー・カンブル夫人に向かってこう語る。


「あの方、ずいぶん困ってるらっしゃるみたいなの。お家賃を十五週も滞納して、それも支払う当てがないんですって」


「家賃のことでベッツィー・マレンが困ってるのはいつものことよ。それに他人ひとが助けても、心配事が無くなるのは束の間でしかないんだから」と伯母は答えて、こう続ける。


「これ以上は援助するつもりはありませんよ。そもそも、今住んでるお屋敷よりもね、もっと小ぢんまりした田舎の安いお民家に引っ越せばいいのよ。村の外れの方に行けば、今払っている家賃より……いいえ、払おうとしている家賃の半分もあれば借りれる家がいくつもあるのに。一年前にも言ったのよ、引っ越した方がいいんじゃないかしら、って」


「でも、他のお家にはあんな素敵なお庭はないでしょう?」とヴェラは口を挟む。


「庭の隅に植わっているマルメロの木なんて華やかで素敵ですわ。教区のどこの家を探してもマルメロの木はあそこにしかないんでしょ? それにお婆さんたら、マルメロの木があるのに決してジャムは作らないんですよ。マルメロの木があるのにマルメロジャムを作らないなんて、なんて意思の強い方なのかしら。ええ、そんな人が、あの庭のお家を離れるなんて不可能ですわ」


「十六歳になると誰だって、単に気に食わないという理由だけで『不可能』って口にしたがるものなのよ」とビバーリー・カンブル夫人が厳しい口調でたしなめる。


「ベッツィー・マレンがもっと小さな家に引っ越すのは不可能どころか、そっちの方が理想的なのよ。家財道具にしても、あの大きな屋敷に満ち溢れるほどは無いんですから」


「でも、あの屋敷の価値は十分にありますわ」と、少し間を置いてからヴェラは語る。


「ここら数マイル四方にあるどの家よりも、高い価値がベッツィーお婆さんの家にはありますの」


「冗談はよしなさい。骨董の陶磁器だって、もうずいぶん前に手放してしまったのよ」と伯母。


「私が言ってるのはベッツィーお婆さんの持ち物のことじゃありませんわ」と、ヴェラは曖昧な感じで続ける。


「ですけど、私が何を知っているかは伯母さまも当然ご存知ありませんし、わざわざ教えてさしあげる理由もありませんものね」


「言うことがあるならハッキリと言いなさいな」と伯母は声を荒げる。


 まるで、退屈な微睡まどろみに落ちていたテリア犬が突如、目を輝かせながらねずみ狩りに向かおうとするような切り替えの早さで、伯母の感覚も研ぎ澄まされているようだった。


「伯母さまに教えていけないのだけは確かなんですけど……でも『しちゃいけないこと』って、したくなりますわよね」とヴェラ。


「その『しちゃいけないこと』をそそのかすは、これが最初で最後だから、ね、お願い……」


 ビバーリー・カンブル夫人が抽象的な言い草で口火を切った。


「ああ、私って直前に話した人の言葉に左右されるんですよね」とヴェラはひとちる。


「だから、『しちゃいけないこと』ですけど、伯母さまに話してさしあげますわ」


 ビバーリー・カンブル夫人は許しがたくも激しい苛立いらだちを心の奥底に押しやって、焦りながらも少女に説明を求めた。


「ベッツィー・マレンの家にあるって言う、あなたが大騒ぎするほどのものっていうのは一体なんなのかしら?」


「大騒ぎした、という言い方は適切じゃありませんね」とヴェラは続ける。


「これを話すのは今日が初めてですけど、あの一件にまつわる問題事や謎、新聞屋さんの憶測というのは後を絶ちませんわ。あ、でも、報道屋さんが書く推測記事や、警察や探偵さんが、国内外の至るところで『アレ』を探しているっていうのに、その秘密を、何の変哲もない小さな民家が握っていると考えると逆に滑稽ですよね」


「も、もしかして、二年も前に行方不明になったルーヴル美術館の『ラ・ナントカ』っていう、笑った女の絵のことを言ってるんじゃないでしょうね?」


 興奮冷めやらぬ面持ちで伯母が声を上げる。


「うふふ、違いますわ」とヴェラは一蹴してみせる。


「ですけど、それと同じくらい大事で、本当に謎をはらんでいるものですわ……どちらかと言えば、もっと外聞の悪いものですの」


「ま、まさか、ダブリンであった盗難事件の……?」


 ヴェラは首を縦に振った。


「まるごとそのまま全部ですわ」


「それが、ベッツィーの家に? 信じられないわ!」


「もちろん、『アレ』の正体は、ベッツィーお婆さまもご存知ありませんの」とヴェラ。


「お婆さまが分かっているのは『アレ』が高価なものであること。そして誰にも言ってはいけないこと、それだけですわ。『アレ』の存在や、『アレ』がお家に運ばれた経緯いきさつを私が知ったのは本当に偶然ですの。そうですね、『アレ』を手に入れたやからが、どこに隠せば一番安全か考えあぐねていて、たまたま車で立ち寄った村で寂れた小綺麗な民家が目に入りるなり何か惹かれるものがあって『ここなら丁度いい』と思い付いたんですわ。実のところ、今回の一件は、ベッツィーお婆さまと一緒にランパー夫人が手配して、人知れず『アレ』をお家に運び込んだんです」


「ランパー夫人が?」


「ええ、ご存知の通り、あの方は教区で色々な仕事を受け持ってますからね」


「あの人が貧しい民家にスープや毛布フランネルや啓蒙書なんかを持っていったりしているのはもちろん知ってるけど……。でも、盗品の処分となると全く別物だわ。あの人も『アレ』の経緯いきさつくらいは知ってるはずでしょう。新聞を読んでる人なら、流し読み程度でもあの盗難事件のことは知っているはずですし、『アレ』に気づかないなんて逆に至難のわざじゃないかしら。ランパー夫人は昔からとても誠実な人だって評判なのに」とビバーリー・カンブル夫人。



「もちろん、あの人は他の誰かをかばってるんですわ」とヴェラ。


「この一件で興味深いのは、異常なほどに多くの立派な名士の方々が複雑に絡まり合うように関わっていて、皆さん、誰かをかばおうとしている、という一点に尽きますの。事件に絡んでる人の名前を聞いたら、伯母さまも吃驚びっくりするでしょうね。でも、誰も真犯人が誰か分からないんですわ。そして、私も今、あのお家の秘密を打ち明けて、伯母さまをこの一件に巻き込もうとしているんです」


「まだ巻き込まれたわけじゃありませんからね」とビバーリー・カンブル夫人は憤然としながら言い放ち、そして続けてこう告げる。


「誰だってかばうつもりはありませんし、警察の耳にもすぐに入ることになるわ。誰が絡んでようと窃盗は窃盗。立派な名士が盗品の受け子や処理人に身をやつす道を選んだとしても、ええ、それは立派な名士じゃなくなるだけのことです。それだけのことよ。すぐに通報しなくちゃ……」


「あぁダメよ、伯母さま。カスバートさんがこの外聞の悪い一件に巻き込まれてしまったら、聖堂の律修司祭さまは胸が張り裂けるほどお嘆きになるでしょうね。伯母さまもよくご存知でしょう」と恨めしそうにヴェラが告げる。


「カスバートも関わっているの? なんでそんなこと言うの! 私たちがあの子をどれだけ大事にしているか、あなたも知ってるでしょう?」


「ええ、伯母さまたちがカスバートさんのことを大事に思っているのも、ベアトリスお姉さまと婚約しているのも知ってますわ。ものすごくお似合いの二人ですもの。その上、伯母さまが願ってやまない理想の婿殿むこどのなんでしょう。ですけど『アレ』を民家に隠そうと考えたのはカスバートさんなんです。その上、『アレ』を車で運んだのもカスバートさんなんですもの。でも、カスバートさんがやったのはそれだけ。ご友人のペギンスンさんのお手伝いだったです。ペギンスンさんは、ええと、クエーカー教徒で、いつも海軍軍縮について熱弁を奮ってるらしいんですけど……この件にどういう経緯けいいで噛んでるのかは忘れちゃいましたわ。でも私、忠告しましたよね。立派な名士の方々がたくさん絡んでるって。ベッツィーお婆さまがあのお家を離れるのは不可能だと言ったのは、そういうことなんです。部屋のかなりの部分を『アレ』が占めてますから、他の家財道具と一緒に『アレ』を持ち運ぼうにも人目を引いて仕方ありませんもの。もちろん、お婆さまが病に倒れて亡くなったら、それはそれで不幸なことですけど。母親が九十以上も長生きされたって仰ってましたから、ちゃんとお世話をして余計な心配事がなければ、お婆さまも少なくともあと十二年は長生きするはずですわ。その頃までには、きっと厄介な『アレ』の処分先が見つかってるんじゃないかしら」


「カスバートと話し合うわ……結婚式が終わってからね」とビバーリー・カンブル夫人は告げた。



 ******



「それで、結婚式は来年までありませんの」


 この一連の話を、ヴェラは一番の親友に語っていた。


「その間、ベッツィーお婆さまはタダであのお家に住んで、週に二回のスープを貰って、指が痛くなると伯母さまの主治医がいつでも診て下さるの」


「でも、いったいどうして、あんなこと知ってたのよ」と驚き感心しながら親友は尋ねる。


「不思議ですよね……」とヴェラ。


「そりゃ不思議なのは分かるけど、皆が困惑するようなミステリでしょ。私が気になってるのは、どうしてあなたがそれを知ったか……」


「ああ、宝石のことですか? あれは私の創作ですよ」とヴェラは種あかしをする。


「私が不思議って言ったのは、滞納した家賃をベッツィーお婆さまがどこから捻出するつもりだったのか、ってことですわ。だって、あんな素敵なマルメロの木を手放すのは嫌に決まってますもの」

原著:「Beasts and Super-Beasts」(1914) 所収「The Quince Tree」

原著者:Saki (Hector Hugh Munro, 1870-1916)

翻訳者:着地した鶏

底本:「Beasts and Super-Beasts」(Project Gutenberg) 所収「The Quince Tree」

初訳公開:2022年8月28日

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