89 年末年始
俺は家に帰ると何食わぬ顔で部屋に戻った。
出ていた時間も10分程度なので怪しまれることは無いだろう。
そして、席に戻り少しするとメノウとクリスが暖かい年越しそばを出してくれた。
「初めて作ったんだろ。出来はどんな感じだ。」
「思っていたよりも難しかったです。パスタの様にはいかなかったので次回までにもう少し練習しておきます。」
今回メノウが作ったのは中力粉が2にそば粉が8の二八蕎麦というものだ。
蕎麦にはパスタと違い卵などの繋ぎが無いためこねてまとめるのが難しい。
人によってはパスタマシーンを使うようだが初めてと言う事でメノウは手打ちに挑戦したようだ。
(楽しそうだったので今度は俺も混ぜてもらおう。)
そしてクリスも今回は興が乗ったのか出汁からツユを作っているのでどんな物になっているかが楽しみだ。
俺はこういう繊細な料理は苦手だが食べるのは好きなので早速いただくとしよう。
まずは器を掴み顔の前に持ってきて匂いを堪能する。
かけ蕎麦、かけうどんは麺とツユだけと言うシンプルな物だがその分、匂いと味がストレートに感じられて麺類では俺が一番好きな料理だ。
今回はかけ蕎麦で打ち立てと言う事もあり良い香りが鼻をくすぐる。
そこにツユに使われているカツオと昆布の出汁に加え濃い口な醤油の風味が食欲を更に高めてくれる。
俺は冷めないうちに箸で麺を掴むと口へと運んだ。
すると全ての味と風味が口内から鼻腔へと広がり脳髄へと突き抜ける。
そして食べる速度は次第に早くなり気付いた時には完食してしまっていた。
俺は満足の表情を浮かべ、メノウが入れてくれた茶を啜り一息つく。
「美味かったよ。」
「「ありがとうございます。」」
メノウはまだまだだと言っていたが家で食べるならこれでも十分な気がする。
ただ俺は個人の事にはあまり口を挟まないので納得するまで頑張ってもらおう。
(しかし、これだと俺の入り込む隙間が無い。これは完全に、キッチンはあの二人に取られてしまったな。)
そして、周りを見ればいつの間に来たのか精霊王たちとオリジンが同じく年越し蕎麦を食べていた。
呼ばなくても勝手に現れて飯を食って帰っていく。
まるで妖怪ぬらりひょんの様だが彼女たちは精霊なので妖怪の総大将ではない。
あくまで精霊の総大将である。
(やってる事は変わらないけどな。)
そして、メノウとホロにオリジンを加えて蕎麦の大食い大会が始まってしまった。
どうやら既に大量のかけ蕎麦を作っていたらしく三人は椀子そばの様に丼を空けている。
しかも今回は条件は同じと言う事で一心不乱に食べているようだ。
そういえば蕎麦は意外とカロリーが高いんだよな。
太ったりしないのかな・・・『ギヌロ』。
・・・メノウとオリジンに睨まれてしまった。
まあ、いつもあんなに食べても体形が変わらないのだから大丈夫か。
そして今回は三人の闘いはドローとなった。
どうやら在庫を食べきってしまい数が足りなくなった様だ。
(お前らどんだけ食べれば気が済むんだ。)
すると何故か三人揃って視線を逸らしてしまった。
しかしホロには何で俺の思っている事が分かったんだ?
「顔に食べ過ぎって書いてある。」
どうやらホロは俺の表情から思いを察したようだ。
昔は頻繁にオヤツをあげていたその時の顔と被っていたのかもしれない。
(しかしホロよ。何故その勘の鋭さをドリアンの時に見せてくれなかった。)
そして残りの二人は当然、俺の考えを読んで視線を逸らしたのだろう。
分かっているならもう少し遠慮とかしてほしいものだ。
最近はライラ、アリシア、アヤネもこの家の維持を金銭的に支えてくれるようになったが我が家の大食い2人。
それとこのオリジンは収入がない。
ホロは無条件で問題なく、メノウは所々で良い仕事をしてくれる上に家事をしてくれている。
しかし、オリジンに関して言っては何だが無職のタダ飯ぐらいだ。
未だまともに何かをしている所をこの目で見た事がない。
そろそろ甘やかすのを止めた方が良いだろうか?
そう考えた途端、オリジンは姿勢を正して「ゴホン」と咳払いをした。
雰囲気からして、どうやら何か情報をくれる気にでもなったようだ。
毎回こうして素直に情報をくれるのならこちらも文句は無いのだが。
「今からある啓示を与える事にします。」
「啓示?」
どうやら情報とは少し違うようだ。
それにしても啓示とは、また曖昧な事を言い出したな。
「ユウはこれからディスニア王国に行くつもりなんでしょ。」
占いなどは相手の勘違いなどを利用する手口もある。
それを考えればオリジンは人の考えが読めるので最強のペテン師になれる能力を持ち合わせている。
それに暇な時は俺を密かに観察しているそうなので俺があの国に行く事を知っていてもおかしくはない。
俺は素直に頷くとオリジンは目元を引き攣らせながら頷きを返して来た。
「なら、最初にその国の東にあるボルツという町を目指しなさい。」
「ん?それで終わりか?」
俺は何とも曖昧な啓示に聞き返すがオリジンからは「そうよ。」としか返って来ない。
(まあ、神ではないオリジンからの啓示ならこんな物か。面倒なら行かなければ良いしな。)
「行った方が良いわよ。ユウはともかく、あなたの身近な人がきっと喜ぶわ。」
「いったいどういう・・・。」
俺は聞き返そうとするがその時にはオリジンは既に席から消えていた。
これはこれ以上教えないという意思表示だろう。
今日、再び家に来ることになっているが、その時に聞いても無理そうだ。
ただ会社を辞め、親兄弟のいない俺に身近な人物は限られている。
その内の誰かが喜ぶなら少しの寄り道くらいはしても構わない。
そして、俺達は明日に備え出かける事にした。
年越し蕎麦は食べ、今は既に新年となっている。
うちの近所には大きな神社があるので今から初詣だ。
先日から年末年始に限定して広域版の結界石を設置してあるのでこの町は現在魔物が発生しない状態になっている。
もうじき、市がこの結界石を購入する事になっているので今月中には自警団の負担も軽くなるだろう。
それに彼らも年末年始は家族と過ごす時間が必要だ。
いつも町の平和を守ってくれているのでこれ位のサービスはしないと罰があたる。
ちなみに結界石を購入する費用は俺達の県に昔からある、伝統の樽募金で集められた。
しかし、市長が町の皆に呼びかけ人々を集めたがその時はあまりに人が集まったので臨時で警察が誘導員をしたほどだ。
世界が変わって数か月ほどだが多くの人々がしっかりと危機感を持っている様で安心した。
そして、俺達は人の少ない夜道を歩き神社の境内へと入るとやはり数人の人間しか既にいない状態になっていた。
ここは新年になっても深夜に訪れる人は多くない。
毎年来ているが去年は1000人もいなかったと思う。
今年は更に少ないだろうが神社内にはしっかりと神主や巫女が待機していた。
俺達はまず手水舎で手を洗い、最後に水を手に取り口を漱ぐ。
「変わった風習ですね。」
するとそれを見てメノウが声をかけてきた。
なんだか天使に言われると妙な感じがするが彼女は別に神に仕えている訳ではないらしいので神社にお参りしても良いらしい。
「神様の前に行く前に身と心を清めるんだ。」
「そんな事しなくても天使は清く可愛いので必要ないと思います。」
メノウの意見はもっともだとは思える。
彼女達は穢れるとデーモンとなるので天使である限り穢れていないと言っても過言ではない。
しかしメノウの場合、本当にそうかと問われた時に悩むのも事実だ。
そうなるとやはりここで形だけでも清めておいた方が良いだろう。
「郷に入っては郷に従えだ。素直に手を洗って口をすすげ。」
「なんだか納得できませんがそういう事にしておきます。新年会では余興でロシアンたこ焼きでも作りましょう。」
そう言って笑うメノウの顔は見た目に沿った可愛らしいものだった。
しかし、言ってる事はとても笑って過ごせるものではない。
今日は我が家に悲鳴が量産されそうだ。
(しかし、そういう所が清める必要があると言っているんだがな。)
「テヘペロ。」
するとメノウは舌を出し自分の頭を小突いてみせた。
それを見て俺は溜息を吐いて苦笑を浮かべる。
(いつもながらにあざとすぎる奴だ。)
そして社の前に行き、俺は二回お辞儀をして10円を入れる。
別にケチっている訳ではなく去年は十分といっていい程の良縁があったからだ。
なので、十分な縁があったので今年はお手柔らかにという思いを込めている。
そして最後に一度だけ頭を下げてからその場を離れた。
そして全員が揃うと俺達は周辺にある露店に目を向ける。
そこには達磨屋に縁起物などが売っている店。
その他にもたい焼き、綿飴、たこ焼き、いが餅などが売られている。
それを見てホロはさっそく目を輝かせると俺の傍に駆け寄って来た。
そして俺を見上げる様に見つめると手を引いて走り出す。
「あれ、あれが欲しい。」
そして、ホロが引いて行った先はいが餅のお店だ。
ここはこの町の和菓子屋が出店する露店で、餡子がとても美味しい。
俺は粒餡が好きだが人によって好みが分かれるだろう。
しかも店先で蒸して作っているので、作りたても食べられる。
「分かったよ。俺もいが餅は好きだから多めに買って帰ろう。」
「うん!」
俺の言葉にホロは頷いて答えるが今にも涎が垂れそうだ。
これは露店の醍醐味として食べ歩きも良いな。
「すみません。これを10パックください。それと単品1つ。」
「あいよ。少し待ってな。」
「おじさんもう一つ追加で。」
すると俺とホロの後ろからメノウも飛び込み、1つ追加となった。
その様子に露店のおっちゃんは苦笑して「良いのかい?」と俺に聞いて来る。
「それじゃこの娘達の分を二つ下さい。」
「あいよ、それとそっちの嬢ちゃんの分はどうするんだ?」
俺はおっちゃんの言葉に溜息をつくと三つ目の指立てる。
するとおっちゃんは苦笑のまま、いが餅を3つ皿にのせて差し出して来た。
それをホロは大口で嚙り付き、メノウは味わうように食べている。
そしてもう一人は。
「ありがとうパパ。これ食べてみたかったの。」
そこには先ほど消えたはずのオリジンが俺の服の裾を掴んでいる。
しかも再び俺の事をパパと呼ぶが外では常にそう呼ばれるのだろうか。
オリジンは嬉しそうに俺と手を繋くと暖かい餅に口を付ける。
すると餅の様な物を食べるのが初めてなのか中々に苦戦していた。
このままでは髪に餅が付きそうだなと思っているとその予想が当たってしまう。
そして彼女は伸びた餅に長い黒髪が触れて絡まってしまった。
その惨状を見てオリジンはいが餅と髪と俺の顔を順番に見つめて来る。
仕方なく俺はタオルを取り出すと髪を軽く梳かしながら引っ掛からない様に魔法で綺麗にしてやった。
そして追加でリボンを取り出すとオリジンの髪を後ろで括り前に垂れないように纏めてやる。
「最近は気が利く様になってきたわね。褒めてつかわす。」
「そういう言い方をするなら追加のいが餅は要らないな。ホロ、メノウ。帰ったら一緒に食べような。」
「やった~。ユウ大好き。」
「私もありがたく頂きます。」
ホロはそう言って再び俺の手に抱き付いて来た。
そしてメノウはお淑やかな笑顔を浮かべるが口元には僅かに涎が浮かんでいるのが見える。
すると仲間外れになったオリジンは焦ったように声を掛けて来た。
「ちょ、冗談よ。あ・り・が・と・う。これでいいでしょ。」
「はいはい。オリジンもな。」
そして、俺達はおっちゃんの呆れた顔を横目に綿飴とたい焼きを買い込んで家路についた。




