魔女と人形
『実を言うと、手紙を書くの少し苦手です。
でも、ひょっとするとあなたはもう僕のことなんか忘れてしまっているかもしれませんから、驚かせたりしないように、こうして拙い言葉を送らせてもらいます。
あなたは僕のことを、覚えてくれているでしょうか?
それほどたくさん遊んだわけではありません。
それに、ここ数年は僕も都の学校に通っていましたから、顔を合わせることもできませんでした。
でも僕は、あなたのことをはっきりと覚えています。
あなたが魔女のお祖母様に連れられて、僕の家――侯爵邸に遊びに来てくれたことを、ちゃんと。
素敵な思い出として、覚えています。
だから、きっとこの手紙と一緒に届いたでしょう婚約の申し込みは、決してただ、あなたの魔法ばかりを求めてのことではありません。こんなことを書くこと自体、僕はあまり好きではありませんが……ごめんなさい。心配性で、どうしてもそういう断りを入れたくなってしまうのです。
侯爵家と魔女の一族は、そもそもずっと、縁談によらずとも友好を築けてきたのですから。
もしもあなたが、僕との思い出のことを覚えてくれているなら――少しでも、婚約してもいいという気持ちを持ってくれているなら。
よければ一度、お会いできませんか。
招待状は、同じ封筒の中に入れておきました。
待っています。
親愛なるシフィへ
アルトより』
*・。*・。
「で、できた……! わたしってもしかして、天才?」
ふう、と彼女はおでこの汗を、服の袖でぬぐいました。
かえってそれで、おでこに汚れがついたことに気づきもしないで。
森の奥の館。
この地を治める侯爵家のそれとは比べ物にならない小ささながら、それでも彼女のような十代半ばの女の子がひとりぼっちで暮らすにはちょっと広すぎるような、そんな館。
その一室、窓から朝のひかりが白く差し込む部屋の中、シフィはあたり一面を散らかしに散らかして、それでも満足げにほほえんでいました。
「いつの間にか夜が明けちゃったけど……。でも、まだたぶん……」
きょろきょろと、彼女は部屋の中を見回します。
無造作に抜きとられて歯抜けになった本棚。半分よりも短くなってしまった燭台のろうそくたち。床の上に散らばった、分厚い本と、たくさんの文字と数字が記された紙きれ。
そして、彼女のうっすら汚れたローブなんかよりもずっと上等なドレスを着た、彼女にそっくりの、お人形。
「あれ、時計はどこに……」
言いながら、彼女は机の上に置いていた丸っこいめがねをかけました。彼女の顔が小さいのか、それともめがねが大きすぎるのか、ちょっとアンバランスに見えてしまうくらいのそれを。
そして、紙の下に時計が埋まっているのを見つけます。
時間は、まだ大丈夫。
うんうん、と彼女は満足げにうなずきました。
「よし……! 『なんだかんだ最後にはどうにか出来ちゃう子』って、お祖母ちゃんもわたしに言ってたもんね」
あとは、と言って彼女は。
その人形の前に、立ちました。
「起こしてあげるだけ。ミヒラ・イルス・テルカトワレ!」
そう、彼女が不思議な呪文を唱えると。
ゆっくりと人形が、まばたきを始めました。
知らない人がそれを見たら、誰も、シフィとその人形のどちらが本物なのか、わからないくらいの精巧さで。
「よしっ。上手くいったっ!」
にっこり笑って、彼女は人形に話しかけます。
おはよう、初めまして。
「あなたはドール。そして、わたしがあなたを作った魔女、シフィ。
あなたに与える命令は一つ。わたしのふりをして、これから侯爵家で開かれるパーティに参加して、次期当主のアルトさんとおしゃべりしてくること」
わたしのふりって言ってもね、と彼女は注意深い教師のように指を立てて、
「ありのままのわたしのふりなんか、しないように。ちゃんと礼儀とかそーゆーのを弁えて、そつなく、華麗に、侯爵家のパーティに相応しいような……そうね、完璧で、理想的な女の子! そんな風にふるまってくること。それがあなたに、わたしが与える命令よ」
人形は、彼女をじっと見つめていました。
孵ったばかりの雛が、親鳥の顔をじっと見つめるように……と、シフィはその視線を解釈しました。そして、にこにこと笑います。どうやら、本当にうまくいったらしいぞ、と思って。
そして言うべきことを言った彼女は、最後の確認のため、人形にこう言って訊ねました。
「いーい? わかった?」
「いやです」
「え」
これが、森の幼い魔女シフィとその人形の、最初の会話でした。
*・。*・。
もしも、シフィを少ない言葉で表してしまうとするなら。
彼女はちょっと不器用で、引っ込み思案で、自信がふくらんだりしぼんだり忙しい女の子です。
彼女のお祖母さんは魔女ですが、彼女のお母さんは魔女ではありません。
なろうと思わない子どもは、魔女を目指す必要なんてないからです。
彼女はちょっと、友達を作るのが苦手でした。正確に言うなら、苦手だと自分で思っていました。
たくさんの偶然が重なった結果です。たまたま彼女が小さなころに身をおいていた町で、すごく気の合う子どもがいなかったこと。そしてちょっとした病気を何度か繰りかえしたせいで、まあまあ気の合う子どもたちと仲良くなるための機会を、いくつも逃してしまったこと。
そういうたくさんの偶然が重なって、いつしか彼女は、自分を魔女向きの女の子だと考えるようになりました。森の奥で、ひっそりと静かに、素敵な魔法とたわむれる……そんな生活が自分に合っていると、そう思ったのです。
お祖母さんが亡くなるまでに、シフィは何度も彼女のところに通い、ほとんど教えられる限りの魔法を教えてもらいました。
そしてお祖母さんが亡くなれば、もう自立する年ごろだからと、優しいお母さんとお父さんの下を巣立って、こうして、お祖母さんがかつて住んでいた森の館で暮らすことにしたのです。
お母さんに教えてもらったとおり、ひとりで暮らすための知恵をあれこれ試してみたり、あるいはちょっとくらい、いやかなり、魔法で楽をしてみたり……時には館に相談に来る人たちを助けたりしながら、森の魔女として、それなりに彼女は暮らせるようになってきました。
侯爵家次期当主のアルトから、婚約の申し込みと手紙が届いたのは、そんな折のこと。
彼女はそれを読んで、小躍りしました。たとえなどではなく、本当に。どんくさいステップを踏んで、誰も今まで考えた人もいないような、調子はずれの歌までつくって歌いました。
お祖母さんの後をついて回った昔――そのころに一緒に遊んだ男の子のことを彼女は覚えていて。
引っ込み思案な子どもにありがちなことに、彼女もまた、息の長い初恋を胸の中に秘めていたのです。
だからすごくすごく喜んで――すごくすごくすごく、喜んで。
そして最後に、不安になって、魔法に頼ることにしたのです。
だって、もしも嫌われたり、失望されたりしたら……そんなことを思ってしまうくらいには彼女は自分に自信がなくて。
そして、自分の魔法ならそのくらいのこといくらだって誤魔化せると思うくらいには、自信家だったのですから!
*・。*・。
「ど、ど~しよ~……」
さて、その自信もひとまず粉々に砕け散ったところで。
彼女は茫然としていました。
なにせ、自分があれだけ力を込めて作った人形が、なんと産声から自分に反抗してきたのです。これまでお祖母さんに褒められてきた自分の力を根こそぎどこかに連れ去られてしまったような気分でした。
何か悪いところがあったのかも。そう思って彼女は、一度人形を止めて再調整をかけようとして、そのときでした。
人形が机の上から招待状を奪って、走り去ってしまったのです。
彼女は追いかけようとしました。しかし、見栄を張って人形の足を速くしてしまったのが災いしてしまいました。ここ数年走った記憶自体がないシフィ本人なんて敵ではありません。人形は俊敏な白猫のように廊下を駆け抜けていって、その一方、シフィといえば右足と左足がこんがらがって顔から床に倒れ込んでしまいます。
そして、顔を上げての第一声が、「ど、ど~しよ~……」でした。
魔法の力で赤くなった鼻を癒しながら――「あ、魔法で引き留めればよかったんじゃ……」とシフィは思いましたが、後の祭りです――、彼女はうじうじし始めました。
自分は、なんてダメな人間なんだろう。
シフィは根っから暗いところのある女の子なので、一つの失敗が百にも千にも見えてしまいます。力作の人形がどこかに消えてしまった。そして招待状もなくしてしまった。冷静に考えてみれば、人形は自分の込めた魔力が消える頃には動かなくなるはずですし、きっとアルトだって招待状がなくてもパーティには入れてくれるはずなのですが、とにかくシフィは、なんだか何もかもダメになってしまったような気がして、しくしくと泣きました。
「……いや、待てよ?」
しかし彼女の家族はみな褒め上手だったので、根っから暗いシフィも、実を言うと見事に図太い性格に育っていたのです。
「もしかして失敗したわけじゃなくて、成功しすぎたのかも……」
きっとそうだ、そうに違いない、と彼女は自分でうんうんうなずき始めました。いつまでも寝そべっていないで椅子にでも座ればいいのに、そのままの姿で。
「人形を上手く作りすぎて、きっと自分自身の性格みたいなものが芽生えちゃったんだ。……うーん。天才すぎるのも考えものだ……」
シフィには少し、調子乗りなところがあります。
彼女の家族は、そういうところがいかにも子どもらしくて好きだったのか、それともそういう部分があるくらいじゃないとこの子は生きていけそうにないと思ったのか、まるで指摘してくれませんでしたが、確かに。
そうだ、そうに違いない。
彼女は確信しました。そして心の中で決意するのです。次はもっと上手くやろう。失敗は成功の母。次の人形はもっと上手く作ってみせる。
拳を握って、空の上のお祖母さんを見上げて、誓いました。
わたし、まだまだ魔法上手くなるからね、お祖母ちゃん。
ところで、パーティはどうするの?
「……招待状なくしちゃったし、また次ね。次……」
次の招待状をアルトさんがくれなかったらどうしよう。
そんな不安の気持ちを抱えながら、しかし彼女は先延ばしにすることに決めました。誰だって、緊張するようなことは後回しにしたいものですし、シフィだってそうです。そうじゃなかったらお祖母さんだって、『なんだかんだ最後にはどうにか出来ちゃう子』なんて言う機会、そもそもなかったはずなんですから。
自分の心を誤魔化すために、彼女はまた別の魔法の研究を始めました。前に、途中の計算が面倒にもほどがあって投げ出した魔法です。でも今日ばかりは、必死で頭を使わないと解き切らないようなものに没頭するのが心地よく、すいすいと彼女のペンは進みました。
そして彼女は、新しい魔法を編み出しました。
あたりに花と光が舞って、真っ白な鳥が飛び立つ素敵な魔法です。画期的なところは、呪文ではなくピースサインが魔法のきっかけになることで、これがあればいつ不意打ちで写真を撮られそうになっても大丈夫……もっともまだ、この時代に写真を撮れるのなんて魔女だけ。そして彼女は魔女の友達がほとんどいないので、あんまり必要になる場面はなさそうですけど。
できたできた、とシフィが自分の才能にご満悦で浸っていると、足音が聞こえてきました。
玄関の方からです。
びくり、とシフィは怯えました。
いったい誰だろう。この家に来る人なんて、そうそういないはずなのに。というか、勝手に家の中に入ってきてるみたいだし。
あわわわわ、と慌てながら、でもひょっとして、と彼女は思います。
パーティに顔を出さなかったから、侯爵家の人が怒って、自分を連れ去りに来たのかもしれない。
『アルト様の誘いを無下にするなど、なんと無礼な!』
そんなことを言って、自分を捕まえに来たのかもしれない。
あわわわわ、と彼女は怯えて、寝室に逃げ込みました。
そして頭からすっぽり毛布を被って震えることにしました。別にそれで何が解決するわけでもありませんが、気持ちは多少、楽になってくれるのです。
そしてその毛布の隙間から扉をじっと見つめていると、やがてそれがぎいぃ、と音を立てて開きました。
立っていたのは、花束を抱えた人形です。
「ど、」
どうしたの、と訊こうとして、ハッとシフィは気付きました。
そうか、実は成功していたんだ!
さっきのやり取りは、何かのまちがいだったに違いない。
ちゃんとわたしの言ったとおりにパーティに行って、それでちゃんと花束をもらって帰ってきたんだ!
ついさっき新しい魔法を完成させたばかり、自惚れたてほやほやの彼女は、にまにま笑って人形に近づきました。
「どうだった?」
「すてきな時間でした」
「そうでしょ! アルトさんってちょっと口下手だけどまじめな人で、それにね、昔わたしのこと、すごく気遣ってくれてね――」
ぺらぺらと調子よくシフィが話すのに、「はい」と人形はうなずきました。
「とてもすてきな方でした」
「でしょ!」
「わたしも、彼と結ばれたいと思うほどに」
「え」
目を丸くしてあっけにとられるシフィに、人形は言いました。
「勘違いしないでください。わたしは、あなたの代わりとしてではなく、ただわたしとして、彼に会ってきただけなんですから」
シフィは。
そっと、花束に手を伸ばしました。
何も言わずに、人形はその花束を頭の上に持ち上げて、彼女の手を届かせまいとしました。
そして、シフィはこう気付くのです。
ライバル出現。
*・。*・。
『突然パーティにあなたにそっくりの女の子が来たのには、驚きました。
しかし彼女は、とても素晴らしい人ですね。作法も話しぶりも完璧で、ダンスも上手い。僕も都でそれなりに修行を積んできたつもりでしたが、己の自惚れを実感しました。
あなたがいなかったのは残念でしたが、彼女から興味深い話をいくつも聞くことができました。
よければ、次はお茶会でもと彼女に伝えてください。
招待状は、また手紙の中に入れておきました。
素晴らしい森の魔女 シフィへ
アルトより』
*・。*・。
どーせわたしなんて。
うじうじ。めそめそ。
そんな風にして、彼女は人形の帰りを待っていました。
もう慣れたものです。彼女がアルトのお茶会に顔を出しに行くのも、もう六度目なのですから。
最初の頃こそ「わたしが行く!」「招待状はわたしに来たんです。いつもみたいに引きこもってなさいこのちんちくりん」「はい……すみませんでした……」なんてやり取りがあったものの、つい最近なんかはもう、すっかりシフィはあきらめムードです。帰りに買ってきてほしいもののメモまで作り始めたくらいですから。
どーせわたしなんて。
こんなもんさ。
こんなもんだよ。
うじうじ。
めそめそめそ。
だいたい、最初からうますぎる話だと思ってたんだ、と落ち込みながら彼女は考えます。
だって、いままでだって誰からも好きなんて言われたことがないのに、急にあんなにすてきな男の子から婚約を申し込まれるなんて、そんなはずがないんだ、と。
自分があんな男の子に好かれるような女の子なら、初めから魔女になってやしないんだい、と。
「やっぱりわたしには、魔法しかなーい!」
ベッドで犬のように丸くなっていた彼女は突然起き上がって、天井に向かってそう叫びました。
なーい。なーい。なーい……。
彼女の大きな声が、館の中をさびしくこだまします。
そしてそれが消え去るととうとう本当にさびしくなって、彼女はまた、のっそりとベッドに戻ります。いじいじ。べそべそべそ。でもなあ、わたしずっと好きだったんだよなあ。だってアルトさん、優しいんだもんなあ。わたしが庭の木に登って降りられなくなったときも、指差して笑ったりしないで助けてくれたし。そのあと枝が折れてアルトさんを下敷きにして、大人の人たちからこっぴどく怒られたときも、ずっと「大丈夫だから」って庇ってくれたりしたし……。
ああ、どうしてわたしはこうなんだろう……。
やっぱりわたしって、魔法くらいしか取り柄がないのかな……。
いやでも取り柄があるだけすごいか……。
ん? わたしって、もしかして魔法が使えるし、すごくすごいのかな?
うふふ。
こんな調子で、シフィは一人きりでも、楽しく愉快で騒々しい毎日を送っているのです。
「いいこと思いついた!」
そう、彼女が叫んだ、そのときでした。
ぎぃい、と扉が開いて、人形が帰ってきたのです。
「ただいま帰りました」
む、とシフィは険しい顔を見せました。
憎き敵の登場です。
敵は、手に持った袋を掲げて言いました。
「頼まれていた布を買ってきました。どこに置けばいいですか?」
「わーい! あ、全然大丈夫だよ。わたしすぐ使うから。いま受け取っちゃうね」
険しい顔は、たったの二秒で役目を終えました。
よかったよかった。そうシフィは思います。服つくりの魔法を試すために、新しい布が必要だったのです。
子犬のような笑顔で彼女は人形に近づいて。
思わず人形は、彼女の頭をひっぱたきました。
すこん。
「え……!?」
シフィは叩かれた頭を押さえて、信じられないというような顔で、
「なに……!? わたし、なにかした!?」
「なにかした、ではありません」
疲れたように、人形は目頭を押さえて言いました。
「なんでなにもしていないんですか」
あなたは、と人形は呆れたように言いました。
「それでいいんですか。好きな人の下に人形が何度も通いつめて、その一方で自分は太った猫みたいに家でごろごろごろごろ……」
「ふ、太ってないですけど!」
「そのうえ敵意だって保てないで……赤ん坊ですか、あなたは!」
ち、ちがうし……と声細く反論するシフィに、人形は花束を押し付けました。
「貰ってきたものです。花瓶に活けておいてください」
あ、はい。とシフィがうなずけば、ますます人形の目は険しくなります。
そして、「そういえば」と人形は訊きました。
「さっきのは、何を思いついたんですか」
「え?」
「わたしが部屋に入る前に叫んでいたでしょう」
ああ、とシフィはもう一度うなずきました。
そして、ふんすと胸を張って、
「手紙を書こうと思ったの! それなら、パーティに行かなくてもアルトさんと話ができるでしょ?」
「……直接、行けばいいのでは」
ずばり、人形は核心を突きました。
「別に、会いたいなら会いに行けばいいでしょう。招待状は確かにわたし宛てです。でも、アルトさんはあなたが来ても嫌な顔はしないはずですよ」
「…………」
無言のまま、シフィは目を逸らしました。
「会いに行けばいいでしょう」
その顔をガッと掴んで、人形がもう一度言いました。
逃げ場をなくしたシフィは、そのまま目線を酔っぱらった魚みたいに泳がせて……。
本音を、口にしました。
「だって、会いに行って、『人形と違ってこっちはなんかアレだな』とか思われちゃったら、嫌だし……」
実を言うと。
別にシフィは、人形と招待状の争いをする必要なんて、ひとつもないのです。
魔力を込めなければ、人形は勝手に止まってしまうのですから。
放っておけば、それで彼女は、動かなくなるはずなのです。
シフィの相手になんて、ならないはずなのです。
それでも、今の状況が続いてしまっているのは。
人形に好きな人を取られるかも、という恐怖よりも。
好きな人に会って幻滅されたらどうしよう、という恐怖の方が強いからなのでした。
はああ、と大きく人形は、溜息を吐きました。
「そうですか。それじゃあ彼は、わたしがもらいます。わたしたち、とっても気が合うみたいですから」
「それはっ……!」
「それは?」
ぐ、と人形はシフィに顔を近づけて訊きます。
「それは、なんですか?」
「それは……」
いや、だけど。
そう言って彼女は、しかし。
「ただ待っているばかりでなんでももらえると思ったら大まちがいだし……。ときにはあきらめないといけないものも、あるのかもしれないですね」
なぜかやたらに達観したようなことを、ぼそっと呟きました。
人形は無言のまま、シフィの脛をけっとばしました。
いたい、と叫んだころにはもう、人形は動かなくなっていました。
彼女がいつも、用事のない日にそうしているように。
「に、逃げやがったな……」
そう苦々しく言って、しかし急に気が大きくなったシフィは、人形にデコピンしてみたりもするのです。
えい。
*・。*・。
動かなくなりすぎだ、ということに彼女が気がついたのは、また次の招待状がアルトから送られてきたときのことでした。
ねえねえ、と彼女はそれを読みながら、人形の肩を叩きました。
「次のお茶会、三日後だって」
この期に及んでシフィは、それでもアルトに会いに行く心の準備ができていなかったのです。
しかし人形は、目を覚ましませんでした。
シフィが「ねえねえ」と何度肩を叩いても、全く起きてくれませんでした。
「あれ?」
なにか変なことになっちゃったかな。
そう思って彼女は、とりあえず魔力をしっかり集中して流しました。
あれあれ。
「……なんで?」
それでも人形は、目を覚まさないのです。
動かないのです。
隅から隅まで見ても、どこもおかしくなっていないはずなのに、かたくなに、起き出してくれないのです。
二時間くらいシフィは人形と格闘して……そしてどうやら、いまの自分では偶然に頼らないとその原因を見つけられなさそうだ、ということがわかりました。
まあ、そのうちなんとかなるさ。
わたしってほら、天才だし。
うふふふ。
ところで、次のお茶会は三日後です。
「……えっ? どうしよう」
彼女はそこに至ってようやく、自分がピンチだということに気が付きました。
だって、今まで自分の代わりにパーティに出てくれていた人形は、まったく動いてくれないのです。
そのうえ、最初よりも状況はずっと悪くなっているのです。
最初はアルトも、ちゃんとシフィを呼びつけてくれていたのに、最近ではすっかり、招待状の宛名は人形の彼女が名乗った偽名になっていました。
つまり。
今ここで自分がアルトのところに行ったら、呼んでもないのにのこのこやってきた変なやつになってしまうのです。
「い、いやいや……」
シフィは首を振りました。
「そもそも行く必要なんてない、よね?」
彼女は心の中で、こう整理をつけようとしています。
最初に呼ばれていたときはいざ知らず――あのときも結局行かなかったけど――今なんか、もうわたしは呼ばれていないわけだし。関係ないわけだし。人形が動かなくなったって言っても、わたしには関係のないことだよね、と。
そんなわけがないのです。
魔法の責任は、魔女の責任なのですから。
「こ、断ろう……。動かなくなっちゃったって言って……」
そう思って彼女はペンを取ろうとして、それから気が付きました。
この森の館には、めったに郵便屋さんが来ないのです。
だいたい三日に一回くらい。
つまり、次のパーティまでには、きっとその手紙は届いてくれないのです。
街まで行けば、と彼女は思いました。
でも、街の郵便屋さんに出したら出したで、そこには消印が残ります。そしてそれを受け取ったアルトは思うにちがいないのです。
『どうしてこの人は、街まで降りてきたのに、僕のところには顔を出してくれなかったのだろう。
ひょっとして僕は、彼女に嫌われているのだろうか……』
「ち、ちがうんです!」
妄想にむかって、シフィは叫びました。
「全然嫌いとか、そういうことじゃなくて、ただその、好きだからこわいっていうか、あの……!」
ひとりぼっちで大騒ぎ。
それがシフィの得意技です。
ああ、どうしよう。
そんなつもりじゃないのに。
ただ自分は、自信がないだけなんです。
好きな人の前に堂々と、胸を張って出ていく自信が、これっぽっちもないだけなんです。
「だって、嫌われたらこわいし……」
そう言ってから、ふと彼女は、気がつきました。
たとえば自分がアルトの前で緊張のあまり何か失敗をしてしまったとして……本当に、アルトはそのくらいのことで自分を嫌いになったりするだろうか?
「それに、呼ばれたのは人形なのに、わたしがのこのこ出ていくっていうのも、失礼だし……」
そう言ってから、ふと彼女は、気がつきました。
それじゃあ、自分の最初の行動は?
自分が呼ばれたのに、緊張するからなんて理由で人形を行かせたことは?
それは、失礼じゃなかったの?
たくさん、たくさん、彼女は考えました。
引っ込み思案な子の頭の中には、たくさん考えるためのスペースがあるのです。パーティの朝までの間、彼女の中のそのスペースは、考えごとの大嵐でした。うっかり自分の性格だとか、人生だとか、そういうのを省みてへこんでしまって……でもそのたび、よくわからない図太さで回復して。
よし、行こう。
そう決めたのは結局、たった一つ、単純な理由。
待ちぼうけをさせて、アルトを悲しませたりしたらいけない。
そういう、気持ちでした。
*・。*・。
「ああ、アルト様のお客様ですね! どうぞ中へ!」
そう門番の人の言うのがもう一秒遅かったら、うっかりシフィは「たのもー!」と大きな声で叫び出すところでした。彼女は大抵いつも、家の外にいるときは少し混乱しているのです。ちなみに家の中にいるときは、冷静と大混乱の間を行ったり来たりです。
でも、まさかこんなに簡単に入れてくれるとは思いませんでした。
なにせ、招待状を手に持ってきたとはいえ、自分はその招待客その人ではないのです。
門番の人たちにおうおうおうと囲まれて代わる代わる脛を蹴られたりデコピンされたりするくらいのことはありうる……そう彼女は思っていたので、たった今の門番の人の言葉と、ヒゲもじゃの奥の愛くるしい笑顔は、まったく予想していないものでした。
途中からは、メイドさんが代わって案内してくれました。
ほああ、とシフィは物珍しくきょろきょろと中を見回しながら歩きました。もっと小さなころに数回来たきり。今はようやく色々なものを見て取る力がついて、こんなところで鬼ごっこに熱を上げていた日々には信じられない思いです。なんならちょっと、血の気も引きました。
「こちらでアルト様はお待ちです」
そう言って、メイドさんは深々とお辞儀をしました。これはどうもご丁寧に、とシフィも同じくらいに深く頭を下げ返すと、しばらくメイドさんはがんばってこらえましたが、けれど最終的にはふふ、と笑ってしまいました。
しかしシフィはいたって真面目。
ここから先は、真剣勝負なのです。
扉の持ち手を握りしめながら、シフィは考えていました。
ここから先の展開を。いちばん言われてショックなのはきっと「……なんだ、彼女じゃないのですね」とかそんな言葉だろうな、と予想しました。
「うっ……!」
「ど、どうされました?」
予想だけで心に深い傷を負い、シフィは膝から崩れ落ちました。優しいメイドさんが心配して背中をさすってくれたので、だいたい二分くらいして立ち直ることができました。
扉の前で深呼吸。そして、シフィは言いました。
「わたし……がんばってきます!」
「はあ……。がんばってください」
そんなことを言われても、メイドさんも困ります。
森の館とちがって、ぎぃいと音も立てないで、扉は開きました。
そしてその部屋には、侯爵家次期当主、そしてシフィの初恋の相手、かつ婚約を申し込んできたところの人である、アルトが座っているのです。
彼はシフィを見るや、ぱぁあ、と顔を明るくしました。
なんならシフィは、その顔を見ただけで、人生においてやるべきことは全部やりきったような気すらしました。
「あー、えっと……本日はお日柄もよく……」
しどろもどろで言えば、しかしアルトがしっかりと応えてくれます。
「あなたにずっと、お会いしたかったのです」
うそかな?とシフィは思いました。
なんだか自分に都合が良すぎて、全部うそに見えてきたのです。
数年ぶりに見たアルトは、日夜シフィがでへでへ想像していたよりも、ずっと格好よくなっていました。
背が伸びて、肩幅も広くなって、顔立ちは天使のようだったのが、今はもう少し精悍さが混じって、しかし前よりも美しく、その金の髪はついさっき空から降りてきました、という趣でした。緑色の瞳で、彼はまっすぐにシフィを見ています。
シフィは思いました。
王子様だ。
そして、もしよしんば王子様でないとしたら、わたしが今からそのための国を建てたっていいよ、とちょっと洒落にならないことを考えました。
「あの……招待状、わたし宛てじゃなくて、あの子宛てだったんですが、その、」
急に動かなくなっちゃって、と。
言うべきか、迷いました。
だってあの人形は、自分がアルトとどんな話をしているのか、どれだけ訊いても教えてくれないのです。最後には「うるさい」「しつこい」なんて言って怒りだす始末です。
だから、そもそもアルトは、あの子が人形であることを知らないという可能性だってありました。
もっとも、あの魔法の人形が自分の魔法であると伝えることは、まちがいなく魔女の権利なのですが……しかしシフィはひとつ、こんな心配をしていたのです。
もしもアルトが、あの人形にもう、恋をしていたら。
それを伝えることで、彼の気持ちを傷付けてしまうんじゃないだろうか、と。
だって、そうなる理由はたくさんあるのです。
あの人形には、自分のできる限りのものを詰め込みました。人形は「いやです」なんてにべもなく断りましたが、しかし本当は、理想の女の子として振る舞えるだけの力を持っているはずなのです。
そしてシフィは、理想の女の子と張り合って自分が勝てるだなんて、みじんも思っていませんでした。
もし少しでもそんなことを思えるとしたら、初めから人形なんて作りはしないのです。
「ええ、聞いています」
しかし、アルトは微笑んで、そう言いました。
「聞いています?」
そう、シフィは思わず訊き返しましたが、しかしアルトは手で示すばかり。
その手は、こう言ってます。
どうぞ、座って。
大丈夫かな、何か噛み合っていないし、この先で話がこじれたりしないかな……。
シフィはそんな不安を覚えましたが、しかし好きな人と一緒にお茶をしたいという欲求には逆らえません。大人しく言われるがまま、彼の向かいの真っ白なソファに腰かけました。
もっと早く、そうしていればよかったのに。
「あなたのことは、あの人形さんから聞いていました」
「え」
「たくさんのことを」
そう言って、アルトは自分の手で、お茶を淹れてくれました。
その香りだけで、シフィはわかります。
それは、彼女がいちばん好きな、お茶の匂いでした。
「これは……」
「あなたの好みを、ちゃんと聞いておきました。それに、たくさん食べるということも」
テーブルの上には、確かにティースタンドが置いてありました。
そしてそこには、山盛りと言っていいくらい、シフィの好物が乗せられているのです。
なにがなんだか、彼女にはわかりません。
いったい何がどうなっているんだろう……考えを落ち着けるために、とりあえずお茶を飲んで、玉子のサンドイッチを食べました。
「お、おいしい……!」
そんな彼女の様子を、アルトはほほえんで見つめていました。
「最初に会ったときのことを、覚えてくれていますか」
そんな風に、穏やかな声で、彼は問いかけます。
シフィは、もちろんそのときのことを覚えていました。
「お祖母ちゃんに連れられて、ここに来たときですよね。あのとき……」
アルトがうなずいて、その先を引き継いでくれました。
「あのとき僕は、泣いていました。……恥ずかしい話です」
「そうですか?」
シフィは、心底から首をかしげます。
「泣くって、大切なことですよ。心が楽になりますし……わたしもよく泣いてます。朝、どうしてもねむいときとか」
「あなたはそのときも、そう言って僕を慰めてくれた」
シフィは少しだけ、「もしかしてわたしって、全然成長してない……?」と不安になりました。もちろんアルトがそんなつもりで言っているわけじゃないことはわかったので、口には出さない、内緒の気持ちですけど。
そういえば、とシフィは言いました。
「あのときはどうして泣いてたんですか?」
「寂しかったんです」
人によっては、ちょっと口にするのがはばかられるような理由ながら、しかしアルトは、それを気負うでもなく口にしました。
「そのころ、領内で農作物の病気が流行っていて……父母は、あなたのお祖母さんと一緒に、ずっと事態の解決に当たっていました。当然、僕のような子どもを気にかける暇もなく……」
ああ、とシフィは思い出します。
確かに、お祖母さんが忙しそうな時期があった、と。記憶と記憶が、ちょうど線を描いてつながったのです。
「さびしいですよね」
彼女は、さらりとうなずきました。
「わたしもよく、家族から言われるからわかります。『お前は小さいころから四六時中まとわりついてきて、どこに行くにもやかましかった』とか……。ひどいですよね?」
同意を求めてそう言えば、アルトもまた、屈託なくうなずいてくれました。
そして、彼はこう言います。
「あなたが好きです。
そのときから、ずっと」
一瞬、シフィの心臓が、ぱたりと止まりました。
それどころでは、なくなってしまったのです。
「え、や、でも、」
「今でも持っているんです。あのとき、あなたがくれた花を」
そう言うと、彼は服の内ポケットから、一輪の白い花を取り出しました。
侯爵家の人間が持つような、きらびやかな花ではありません。どこにでもいる女の子が道の端で摘むような、かわいらしい小さな花です。
それにシフィは、見覚えがありました。
「それ……」
「あなたが、魔法でくれたものです」
最初に覚えた魔法でした。
お祖母さんが教えてくれた、花の魔法。やけに長々しい呪文を唱えてようやくたったの一輪の、そんなちっぽけな魔法。
「まだ、持っててくれたんですか」
「あなたが許してくれるなら、一生持っていたいと、そう思っています」
彼に初めて会ったとき、彼女はその魔法を使ったのです。
そして渡した花を、彼はずっと、大切に……。
ぶわっ、と彼女の胸のうちで、風が舞い起こりました。
それは春のやわらかい風。けれど同時に、花あらしをもたらすような大きな風でもありました。
彼女はずっと、彼のことが好きでした。
そして今、それ以上に、すごく好きになったのです。
「ずっと、あなたがここに来てくれるのを待っていました」
そう言うと、彼は意を決したように、どんな人だってその瞳には耐えられないだろう真摯な目で彼女を見つめて、言うのです。
「僕と、婚約してくれませんか」
シフィの頭は、もう残念ながら動いてくれません。
うれしい、すごくうれしい、しあわせ……大抵の人は、初恋が実ったとき、そのくらいのことしか考えられません。
はい、とか。
わたしも好きです、とか。
望むところです、とか。
色々言うべきことはあったんでしょうが、残念ながら彼女の喉は、まったく動いてくれず……うなずいて応えればいいものを、しかしそのことにも気が回らなくて。
結局彼女はいつものとおり、お調子者の魔女らしく、魔法に頼ることにしました。
ピースサイン。
花と光と、真っ白な鳥。
始まりの日よりもずっと上達して美しく変わった彼女の魔法に、思わずアルトはおどろいて、そして次には心を震わせて、どんな氷だって溶かしてしまうようなすてきな微笑みを浮かべて……そして、改めてもう一度、こう言いました。
「あなたが好きです」
それを聞けばようやく、シフィも言葉で応えられました。
「わたしの方が好きです」
どうして張り合ったのかは、よくわかりませんが。
*・。*・。
「まさかそうやってずっと帰ってきたんですか?」
るらんらるらんら、と鼻歌を歌いながらスキップして帰ってきたシフィに、人形は眉をひそめてそう訊ねました。シフィが「そうだよ?」と当たり前のように言えば眉間を押さえ、「ねえ聞いて聞いて!」とまとわりつかれれば、げんなりした顔をしました。
「幸せになってきちゃいました」
じゃーん、と満面の笑みでシフィはその手の指環を見せつけました。
はいはい、と人形はそれを冷たくあしらって、それから何かを思いついたように、シフィの頬をびよ、と引っ張りました。
でも、シフィはそれにもう、それほど怒ったりしません。
ちょっとぷんすかするくらいです。
だってもう、自分が人形にかけた本当の魔法を、彼女は知っているのですから。
「あなたは、『恋を叶えるための魔法』だったんだね」
ようやくか、と言いたげに、人形は溜息を吐きました。
「自分で作った魔法のことくらい、自分でわかっておいてください」
「えへへ……。ごめんごめん、なんかもう、あのころ寝てなかったから意識がぽやぽやしてて……。気付かないうちに、自分の気持ちが混ざりすぎちゃったみたい」
初めから、おかしかったのでした。
人形にかけたのが、たとえば『命令通りに動かす魔法』だったら、彼女は初めからシフィのお願いを断ったりするはずがないのです。
つまり彼女は、そのお願いを断ることで目的を達成できる、そんな魔法だったのです。
自分そっくりで、しかも理想の女の子、なんてものすごく難しいものを作ろうとしたシフィは、色々なものを詰め込みすぎて、結局、自分でもその魔法がどんなことになっているのか、わかっていなかったみたいですけど。
「だいたいね、」
と、人形は話し始めました。
「好きな人から婚約の話をもらっておいて、『嫌われるかもしれないから理想的な女の子のふりをする』『そのために人形を作る』って、いったいどういう神経なんですか。どうしてそうやって、率先して話をややこしくしようとするんです」
はい……とシフィは俯いて、一度は大人しくそのお説教を聞きました。
しかし次の瞬間には、「でも、」と顔を上げています。人形は、またちょっとげんなりしました。
「そっちだって、話、ややこしくしたじゃん!」
「どんなふうに?」
「え、なんか……。アルトさんのこと、自分もいいなと思ってるみたいな」
「思ってますよ。器が広くて優しくて、しかし心のどこかで賑やかさや温かさを求めていて……あなたにぴったりの相手で、これはいいな、と思いました」
「そういう言い方じゃなかったじゃん!」
はあぁ、と人形は溜息を吐きました。
「本当は、あれで終わらせるつもりだったんです」
「?」
「普通、ライバルがいたら『こうしちゃいられない!』って思うでしょう。あなたが動き出すためのきっかけ作りです。……それがあなたは、なんですか。お尻に火がついてもごろごろごろごろ……つむじまで燃え広がらないと結局、動き出さないし」
「さ、最後にはどうにかなったから……」
「それができるなら最初からどうにかしなさい」
シフィは心の中でちょっとだけ、「わたしが作った魔法なのに、どうしてこんなに厳しいんだろう……」と思いました。ちなみにそれがどうしてなのかというと、きっとこのくらい厳しい人がいないと自分はダメになるという彼女の冷静な無意識の現れです。
人形は語りました。
いかに自分が、シフィのいないところで頑張ったか。
アルトにシフィのことを待ってもらうように伝えて。
シフィについてのことをたくさん教えて。
そして最後には、こんな風にしてシフィを送り出すから迎えてやってほしいと頼み込んで。
「アルトさんが、かわいそうでした。あの人は文句のひとつも言いませんでしたが」
「う……」
「当たり前のことですが、待たせる側より待つ側の方がつらいんですからね」
「心に刻みます」
本当に?と人形は訊きました。
本当です、とシフィは答えました。
しばらく人形はシフィを見つめ……どうもその反省が口先だけのうそじゃないらしいことがわかると、ようやく、納得したように息を吐きました。
「色々言いましたが……」
人形は、最後の本音のつもりで。
「あなたがわたしを、誰かを幸せにするためのすてきな魔法として作ってくれたことには、感謝しています」
心からの言葉を伝えました。
そうして彼女は、昼の白い光が溢れる部屋で、うつくしく微笑みながら、言うのです。
「お幸せに。わたしの愛する、すてきな魔女」
「じゃあ早速、次のデートのための作戦会議だね!」
「え?」
「え?」
もっとも。
そんな儚い終わり方、この小さな魔女は、まだ知らないのですけど。
「いや、あの……」
「今度、一緒にどこかに行きましょうって言われたんだけど、どうすればいい? これって、わたしの方からここに行きたいとか言うべき? もうわたし、そこからして全然わかんないんだけど……ただ待ってればいいの? ダメかな?」
「ちょっと待ってください!」
人形は、大きな声を出して制しました。
シフィは、その声に目を丸くして止まります。
「なに?」
「いや……本気ですか?」
「本気って? 本気だけど。デート、誘われたよ?」
そうではなくて、と人形は言います。
だって、もう恋は叶ったのではないか。
それならもう、自分の役目はおしまいなのではないか。
「どうして?」
しかし平然と、魔女は答えたのです。
「恋って、一生をかけてするものでしょう?」
何を言えばいいのやら。
わからなくなって、人形は笑ったり、口を開いては閉じたり。
そしてどうやら、自分がどこにもほどけていかないことを感じれば、目の前の彼女がそれを本気で、心の底からそう思っていることもわかって――、
「思ったよりも」
と、彼女は言いました。
「ずっと、大変な仕事になりそうです」
「もちろん!」
これからよろしくね、と言って、魔女は二本の指を立てて、サインをしました。
花と光と、真っ白な鳥。
恋する魔女と、恋の魔法。
ふたりが微笑み合えば、どこまでも。
『めでたし、めでたし』が続くのでした。
(了)